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雅志が自分の部屋から一夜にして煙のように消えてしまったのは、高校最後の年がスタートする直前の春休みだった。マンションの向かいの公園では、桜の蕾が弾けはじめていた。
財布もスマホも家の鍵も、勉強机の上にあった。由紀子によれば、外出する時に着る上着や持っていくリュックの類もすべて残っているという。
不可解なことにマンションの入り口と裏門に設置されたどちらの防犯カメラにも、雅志がいなくなったと思われる時間帯、彼の姿は映っていなかった。不審者の出入りもない。
文字通り雅志は煙のように、痕跡らしきものを何ひとつ残さず消えてしまったのだった。
警察は最初、雅志がマンションを出た記録がないため、俺たち夫婦を疑ったようだ。家庭内トラブルが原因で、親が子供をどうにかしたのではないかと。
だが、そうではないとわかると、外部の人間が関与している可能性は低いからと、家を出た方法はわからないまま、雅志自身の意志による蒸発だろうと強引に結論づけた。
事件性がないと決まれば、警察はこちらが期待するようには動いてくれない。いや、たとえ本格的な捜査をしてくれることになったとしても、ここまで手がかりがないのだ。できることは大してなかったに違いない。
「あの子が普段履いてた靴も、下駄箱にいれてあった靴も、みんなあるんですよ! 家出だろうとなんだろうと、裸足のまま出て行かないでしょう? 絶対何かあったに決まってる! 雅志の身に何か起こったんですよ!」
そう警官に食ってかかった俺にしても、彼らと同じなのだ。何が起こったのかさっぱりわからない。まるで見当もつかない。だから、あの子のためにできることと言ったら、誰もが思いつくことぐらいしかなかった。
『高橋雅志を探しています』
大量のチラシを作って、人通りの多い駅前や繁華街で配った。
雅志の写真を持って、どこかで見かけなかったか近所を聞いて回った。
SNSを使って全世界に向け、情報を求めた。
一年、二年の担任だった教師にも話を聞いた。
そうして、雅志と仲の良かった生徒を自宅に寄越してもらうよう頼んだ。もしかしたらあの子がいなくなった理由に繋がる何かを、どんな小さなことでもいい。彼らの誰かが知っているかもしれないと、わずかな望みをかけたからだ。
竜也君もウチに来てくれた。
雅志とは小学校に入ってすぐ仲良くなった幼馴染みだ。
「ひょっとしてあいつ、どこか別の世界にトリップしたのかも。だって、昔っからそういう漫画や小説ばっか読んでたし。ここじゃないどこかに飛ばされた方がもっと楽しく生きられそうって、愚痴ってたこともあったし。もしもほんとにトリップしたんなら、いつかこっちの世界に帰ってくることもあるかも、な~んて……」
竜也君が引き攣った笑いを口元に浮かべ、へらっと言ったのは、彼には到底受け止めきれないあの場の重たい空気から逃げたかったのだろう。俺にしてみれば腹の立つ軽口でしかなかったが、そうとわかっていたので聞き流した。今朝、由紀子が転生がどうのと口にするまで思い出しもしなかった。
なぜならそんなことより、いよいよ認めざるを得なくなった事実にショックを受けていたからだ。
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