人見 鱗は怖くない~陰気で馬鹿な大学生が最恐の"何か"を呼び出して怪異や悪霊を消し飛ばす話~

スーパー特濃葛根湯

第一章

第1話 人見 鱗という男

 揺れる、揺れる。

 視界の果てまで埋め尽くし、ススキが夜風に揺れている。

 凍てつくような身を切る寒風に、この世界へ泣き縋るようさざめいている。


 ざぁざぁというその葉擦れは、さながら身も世も無く詫びる彼らの懺悔の様だ。

 揺れるススキの水面を前に、ただ一人ぽつねんと立ち尽くす男に向かって、その全ての謝罪が注がれている。


 許してください。どうか命だけは助けてください。勘弁してください。

 そんな人の解せる言語ではない言の葉が、無数のざわめきの中に紛れ彼の耳朶を叩く。

 それは彼らが、単なるススキの群生ではない事を示していた。



 先日よりこの地方で頻発している、猟奇的一家心中事件。

 行われた惨劇における死者のほとんどは、昨晩まで愛しあっていた家族の手により、全身の表皮を刃物で千々に裂き割られていた。

 第一発見者となった市民はおろか、通報を受け駆けつけた警察官すらも、その酸鼻極まる惨状に嘔吐したそうだ。


 不幸にも被害者を見てしまった彼らは語る。

 「それはまるで、人の大きさをした藁人形のようであった」と。


 その凶行を行い、最期には自らの家族の皮を使って首を吊ったとされる容疑者達には、みな一つの共通点があった。

 彼らは全員、犯行の前日にこのススキ野原を訪れている。



 それは正しく、たった今この場に一人立つ彼と同じく。



 その男、人見ひとみ うろこは、目の前で行われる命乞いに心底うんざりしていた。


 今までこんな事は無かった。

 これまで鱗が仕事で相手にしてきたモノたちは、けしてこんな風にみっともなく足元へ縋り付き泣き喚くことはなかったのだ。

 彼らは鱗が持ちあわせていない矜持や信念を確固たる芯として有しており、常に堂々と鱗の前に立ちはだかる。


 その傲慢さすら感じる彼らの自負は鱗にとって本当に……息苦しいものだった。

 彼らを前にすると、なんのプライドも無ければ今を生きる意味すら持ち合わせていない鱗のコンプレックスが酷く刺激される。

 希死念慮が浮かぶくらい陰鬱になったことも数しれない。

 彼にとってそれは、いろいろと嫌になる事が多いこの仕事の中でも、五指に入る程疎ましい要素であった。



 そう。嫌だった。嫌だったハズなのに。


 だのに、目の前のコイツらは、一体どうだ?



 いつの間にか葉擦れのざわめきに、この場に在りもしない金属の擦過音が混ざり始めている。

 撓み歪んだ錆金が、避けようもない力で削り合うような、聞く者を摩耗させる異音。

 人を狂わすススキの泣き声が、一際大きくなった。

 狂気の原が、怖気に揺らめく。



 このススキに憑いた怪異が、一体どういう原理であんな数の人を殺めたのかなんて、資料を読んでも鱗には難しすぎて結局あまり理解できなかった。

 そもそもたかが植物の音が人間を狂わせるだのなんだのという超自然現象に、理屈なんて無いだろうと彼は思っている。

 呪いは呪いなんだからしょうがないか、みたいな適当さで片付けてしまっていた。


 実際はキチンと予想される呪いの機序だの、その及ぼす作用の範囲だのも専門家が記した資料には記載されていたのだが……それらはちゃんとそういった学問を修めていない彼にとって難解に過ぎるものだった。

 こんな仕事に就いておきながら、彼はとことんスピリチュアルな知識に疎い。

 というかこの男は、スピリチュアルに限定せず物事に疎いのだ。

 どうしようもなく、世間知らずなところがある。


 とはいえ一応鱗を擁護するなら、内容を理解できなかったのは彼が物を知らず読解力が低いからだけではなく、個人情報や凄惨な描写は前もって黒塗りされていたからというのもあった。

 が、ちなみにこれは以前資料を読んでいた鱗が気分を悪くし、寝込んでしまった事があった為にとられている措置なのだから救えない。

 そういった配慮すらも悪い結果に繋げてしまうところにも、人見鱗という男のどうしようもなさが現れている。



 ただそんな彼でも、このままこいつらを放置すれば、付近の住人が大きな迷惑を被る結果になるだろうということくらいは理解できている。

 目の前の群れた亡霊たちが誰にとっても良くないのだろうなという話は、頭の良くない鱗にだって流石にわかるのだ。

 彼は理解力に乏しいし他人の気持ちを慮れないところはあれど、何も知らない赤ちゃんではない。

 高校教諭に匙を投げられながらも、奇跡的に地方の公立大学に受かった立派な大学生なのである。


 そりゃ通ると殺人鬼になっちゃう近所の原っぱなんて、観光名所にもなりゃしないし放置しておく理由がない。

 鱗にしても思いの外住んでる所の近くにあってちょっとビビったくらいだ。

 さっさと除霊して、なんなら跡地にショッピングモールでも建てて貰った方が、彼にとってもよっぽど有り難い。

 彼は「通っている大学の生徒が居る場所」が苦手なので、最寄りのそういう施設に行きづらいのだ。

 ……しかしそんなショッピングモールができたら間違いなく近所の大学生が集まるので、結局行きにくい場所が増えるだけだろうに、そんな先の事まで彼は考えていない。



 話は逸れたがそんなワケで、この地に巣食う悪霊を、人に仇なす怪異を、彼は討ち滅ぼしに来たのである。


 そのハズだったというのに。

 周囲へ害を撒き散らす存在のクセに、相手の罪悪感を煽るような、いたぶられる弱者のような態度を取っている目の前の化生が、彼は無性に腹立たしかった。


 虐げる側の、憎まれるべき側の、犠牲になるものの事など何一つ考えやしない側の、討たれる側の悪人は、死ぬ時まで傲岸不遜に悪人面をしていてくれよ。

 そうでないと、まるで僕が悪いそっち側みたいじゃないか。


 駆除の依頼を受けた化け物に向かって、彼はそんな風に考える。

 相手からしてみれば、正しく己が虐げる側であるのではないかなどという思考は、鱗には存在しない。

 今まで成功体験を一度も積んだことの無い彼の人生が、強者の立場に彼が立つという仮定を思いつかせない。

 どこまで行っても弱者の思考のまま、彼はこの仕事を幾度となく熟してきた。



 ただ、これは一概に鱗の歪んだ性根や自己認識のせいだとばかりではなく。

 彼がこれまで相対した悪人や強者や怨霊というものが、普通のソレらとは違いあまりにも大き過ぎたという事も、考慮に入れねば公平ではないだろう。


 今まで仲介者からの依頼で彼が相手をしてきた標的たちは、往々にしてカリスマと呼ばれてしかるべき魔性じみた魅力を持っていた。

 反駁する者すら引き付け、敵対者を勢力へ飲み込んで、公権力の中にまで根を張り巡らせる。

 到底只人には演出しえない、悪魔的な存在感。


 そういった魔人のような傑物と彼は対峙して……その尽くを討ち滅ぼしてきた。



 だからこそ、彼は思う。

 あんなのと自分を一緒にしてくれるなよと、二つの意味で考える。



 人見 鱗という人間は、平時においてイマイチ人間的魅力に欠けた男であった。

 平凡な大学の二回生で、勉学で秀でた科目も無く、運動神経も鈍ければ、友人関係も皆無。


 それだけならまだしも、彼は本当に……本当に情けない人間である。

 いくつか良い点も無くはないが、気弱で、臆病で、根暗で、誘惑に弱く、惚れっぽいし、ネガティブな上に考え無し。


 およそ人の弱点という物を全て兼ね備えたような人間性をしており。

 そんな人間性をしているという事を己で理解し、自己嫌悪までするような陰鬱さすらも無論持ち合わせている。

 だというのに、もし彼がこの評価を聞けば「何もそこまで悪く言わなくても……」と、目に涙を浮かばせて俯くだろう。


 つまるところ、彼は相当に面倒くさい人間だった。


 鱗は自分に志が無いことを知っていて、なにか譲れない一線も引かれておらず、これだけはバカにされたくないという誇りを胸に抱いたりしていないこともわかっていた。

 前述したように、何も持っていないことだけは、彼自身も理解していたのだ。


 そんな自分自身が、討たれるべき悪人になどなれようはずも無いし。

 わざわざ誰かを積極的に害そうという気持ちも持ってないのに、酷いことをしないでくださいと懇願されるのも心外で。


 彼はとてもとても気分が悪く、腹が立っている。



 これは鱗にとって大変珍しい事である。

 彼は基本的に怒られないならなんでもいいし、気分が悪ければその場から逃げ出すし、苛立ったところですぐに自己嫌悪で蒸留され、ストレスはよくわからない涙に取って代わられるからだ。


 そんな逃避と自己弁護と釈明に満ちていたハズの彼という器が、極めて珍しい事にその中身を怒りに染めている。

 こんな感情は、彼にとって久々のものだった。


「……こんな気分、いつぶりだろうか」

「僕なんかを、あの殺人鬼や怨霊なんかと一緒にするなよ」

「あんな酷い事をしたやつらと一緒にされても嫌だし、あんな悪いことができる特別なやつらと、僕みたいな矮小なクズを同列に語るんじゃない」


 相反する感情が、彼の中で入り乱れる。

 自分はあんな悪人ではないという憤慨と、自分はあんな格のある大それた者ではないという八つ当たりにも似た羞恥が、心の中で陰陽の如く色を変えながら混ざり狂う。


 弱く愚かで醜く未熟で小さく青いその性格だからこそ発起される意味不明な激情が、引きつけを起こしたように彼の身体を震わせた。



 その震える肩を、骨の手が掴む。

 それは鱗と比して見れば、まるで狂ったパースの絵画のような大きさで。

 拇指だけが7つある、正常な形をしていない、奇妙な手。

 それが、ただ彼の肩に置かれている。

 そこには一見して何も篭められていないように見えた。

 気遣いも、優しさも、慰めも。

 ただ静かに、何の揺らぎも存在せず、事象のみの顕現として、現し世に出で現れたように。

 しかし、けれど。

 今そこにそれがあるという事は、きっと何か意味があるのだろう。



 何者かの先触れ。

 彼だけが呼び出せる、けして此岸に居てはならぬはずのもの。

 鱗すら名を知らない──禁忌。


 肩に触れるそれをチラと眺めて、鱗は深く深く息を吐く。



 彼が立つ枯れ草の野原は、もはや静寂に包まれていた。

 ススキはもう、揺れることすらできはしない。



「もう、もうなんでもいい。そもそも不本意だ。明日も大学の講義があるのに、こんな夜更けの依頼なんて。なのに、こんな、こんな気分にさせられて。……馬鹿。間抜け。クソったれ……なんだよ……いいよ、もう」



 鱗のやや縦長の瞳が、揺れて、ブレて、潤んで。

 そうして顔をくしゃくしゃにして、強く目を瞑る。



 ごぉん、と。

 遠く果てのどこかから、鐘を突く音がした。



「死んで、消えてなくなれ。僕の目の前に、二度と現れるな」



 息も切れ切れにそう呟いて、不格好な姿勢で弱々しく拳を振るったその瞬間。



 鱗は伸ばした手の先が、見知った自室の天井である事を理解した。





「あああぁぁ……最悪の、夢見だ……もう何ヶ月も前の事なのに、なんで未だに見るんだよぅ……」


 空を掴んでいた手をぱたりと布団の上に落として、彼は突如さめざめと泣き始める。

 どうして好きでもない仕事の内容を、夢でまで追体験しなくてはならないのか。

 もうあのススキの怪異はこの世のどこにも居ないのだから、恨みも妬みも現世には残っちゃいないだろうに。


 ごろりと俯せになると、零れる涙をそのまま布団に吸わせながら、彼はばたばたと手足を布団へ叩きつける。

 ベッドのスプリングが衝撃を吸収し、キシキシとかすかな音を立てた。

 本来想定しない使い方なので、これで壊れてもメーカーの保証は受けられないだろう。


「そもそもさぁ、僕は別に悪い事してないのにさぁ。なにをそんな、潰されかけた虫さんみたいにキィキィキィキィ、哀れを誘うような鳴き声をさぁ……んぁ〜、気分悪いよ〜〜……胸糞系は漫画でもやなのに……」


 ろくな夢を見れない己の憐れさに、夢にまで退治した怪異が出てくる自身の境遇の救われなさに、夢の中ですら上手く生きられぬ不甲斐なさに。

 ほとほとなにもかもが嫌になってしまい、グチグチ言いながらただ涙を流す。

 一般的な男性であればわざわざ泣くほどの事でも無いように思われるが……彼にしてみれば、それは十分な理由となり得るのだ。


「て言うか、あの変な植物たちはなんか、人いっぱい殺してたんでしょ。自分はやるけどやられるのはやだなんてさぁ〜……悪い事した罪悪感が抜けないよぉ〜……」


 もし彼に不幸があるとすればそれは、そんなひととなりを矯正させられる機会に恵まれなかった事だろう。

 もし彼が本当に何物も持たず産まれ生きていたならば、必ずそういった機会は訪れたに違いない。

 そこで自身を省みて、世に蔓延する他者と同じ認識を持つようになれたかどうかは別にして、少なくともチャンスは与えられたことだろう。


 けれど、彼にはそれが無かった。

 ただ一つ持っていた何かのせいで、彼はこのままこんな所まで来てしまったのだ。


「スン……はぁ〜、我ながら可哀想過ぎる……仕事なんかしたくないけれど、他に道が無いからやってるだけなのに、それを捕まえて悪人だの何だのと同じ扱いなんて……そもそもの因果関、係が……」


 一通り自己嫌悪と自己憐憫を済ませ、すすっていた鼻をかんだティッシュをゴミ箱へ放り投げ、もちろんの事的を外しため息をつきながらベッドを這いずり出て、捨てなおそうとしたその瞬間。

 雷に打たれたように鱗は慌てて寝床へと引き換えし、布団を荒々しく引っ掴み掻き回した。

 そうして見つけたお目当ての物スマホの画面に表示されていたのは、絶対に出席しなくてはならない二限目の講義が半ばまで終了しているという絶望的な事実であった。


「あわ、わっ、わ、わ゛あ゛ああぁぁあああっ!!!」


 な、なんで、アラームかけたのに、絶対起きれないから3回にも分けて、スヌーズもあったはずなのに、なんで。

 ぶるぶると震えながら、こんな現実信じられないとでも言うように、口の中で不明瞭な言葉をつぶやいて、また無意識に時間を無駄にしてから。

 ようやっと我に返り、ドタバタと騒がしく転げまわりつつ身支度を整えていくのであった。


「最悪〜〜! どうして起こしてくれなかったんだよぉ〜〜〜〜!!!」


 この発言を聞く者がいれば、独り暮らしの人間を果たして誰が起こせるのか、という至極当然の疑問を抱くだろう。

 しかし彼は依然当たり前のように誰かへと非難がましい声を上げながら、服を着替え髪をなでつけ鞄をひったくり、途中ほとんど使いもしないウォーターサーバーにつまずき足の指を痛めたりと、再走確定もののタイムロスをいくつかカマしはしたがなんとか準備を終える。


 そして部屋を飛び出そうとし……最後に誰もいない部屋を振り返り、「でもまぁ、僕も二度寝したし責任は50:50だよね」なんて今更かつ的はずれな慰めを口にしてから。

 今度こそ部屋を飛び出して、いかにも運動ができなさそうな無様なフォームで駅へとひた走るのであった。



 主人の居なくなった部屋で、ゴミ箱の横に落ちたティッシュが、寂しげにカサリと揺れていた。







 薄暗い廃墟の中、息を切らせた重装備の男が、物陰に隠れて必死に声を荒らげる。

 静まり返った廃ビルに大音が反響するけれど、もはや居場所が隠匿できているなど考えていなかった。

 どうせあの男は、こちらをいたぶる為に泳がせているだけなのだから。


「本部! 本部応答願う! 応答願う!!」


 男の懸命な呼びかけも空しく、通信は未だ回復していない。

 彼がこの廃墟に入ってから、通勤機器はずっと耳障りなノイズ音と掠れるような囁きを垂れ流すだけの、悪趣味なラジオと化していた。

 しかめた顔から、舌打ちが漏れる。


「ハッ、ハッ……ハァッ、クソが……!」


 思わずついた悪態は、果たして誰に対してか。

 極度の緊張と精神的負荷からか、肺の深くまで息を吸い込めないのかその呼吸は短く浅い。

 上司にあたる班長がこんなザマを見れば、「緊急事態こそ落ち着いて気を鎮めろ」なんてお小言とともに肩パンを受けただろう。

 しかしその班長とも今やはぐれ、彼が生きているのか死んでいるのかもわからない。

 こんな状況も覚悟していたハズなのに。

 塩頭浄化弾が装填された手の中の自動小銃が、こんなにも頼りなく思える日がくるとは考えたことすらなかった。

 そんな場合を考えもしなかった事自体が、己の不出来を証明しているようで……彼は思わず苦笑いを溢す。



 今まで対霊特殊機動隊に志願した事に後悔はなかった。

 けれどいざこんな状況に陥いると、心のどこかが揺らいでしまう。

 自分はこんな職につくべきではなかったのではないか。

 嶺染れいぜん家の傍流に産まれ、並程度の資質と霊気量を持った自分には、なにかもっと明るい別の道があったのではないか。

 嶺染 翔眞の心にそんな悔悟の念が湧き上がるが……彼は首を振ってそれを打ち消した。

 霊祓師協会に入れる程の力量は無く、霊祓庁れいふつちょうに入れる程の聡明さを持たない自分に残された道なんて、ここぐらいしかなかっただろうに。

 今更こんな甘えた事を考えてしまう己が、あまりに醜く嫌になった。


 もし彼を擁護するならば、それは誰だって最初はそんなものだということだろう。

 いざ目の前に事態が差し迫るまで、人間はその時の心理状態を先回りして理解などできない。

 ただ彼にとって不幸なのは、その初回が命取りになってしまうような愁嘆埸だったというだけで。


 単なる犯罪者や霊を相手にする事と、外道に堕ちた霊祓師を相手にする事の違いを、翔眞は致命的なまでに理解できていなかった。

 座学でも学んだし、実家に居た頃に悪霊を祓った経験だってある。


 けれど明確な敵意を持った霊祓師と初めて相対してようやく、その差を嫌という程わからされる。

 単に殺し合うだけではない。

 相手の尊厳を剥ぎ取り、死をも冒涜しようという底抜けの害意。

 悍ましいまでの粘つくような漆黒の悪意。

 人ではなくムシケラに向けられるみたいな、子供のように純粋な嗜虐心。


 ある種人間を超越したバケモノから、それらを向けられる恐怖。


 なにもかもが、彼には初めての経験で……

 


「なぜ、君だけを残したか。分かるかね?」


 翔眞の心臓が縮み上がる。

 一瞬、本当に止まって死んでしまったかと錯覚する程に。

 背にした壁の向こうから、この荒れ果てた場には似つかわしくない涼やかな声が響く。


 彼は反射的にこの場から逃げだそうとして、すぐに足を止めた。

 なぜなら、目の前に居たからだ。


「わからないかな、新人ルーキー

「それはな、嶺染。お前があまりにも怯えていたからだ」

「ガキの頃からさんざ言われたろ、翔眞。俺達は怯えてはならない。霊を前にして恐怖するべからず」


「みん……な……」


 彼と同じ法儀式済ボディアーマーを身に纏った首無し死体が、三人並んで立ち尽くしていた。

 各々がその手に持つ、真っ二つに両断されバラバラに継ぎ合わせた生首から、どういう原理か混ぜこぜの声が発される。


「「「恐怖が霊障を増幅する」」」


「まぁ、安心しろ。お前程度の血では、呪殺が届くのも二親等ってところだ」

「親兄弟祖父母……今順に思い浮かべた顔が、ただ醜く爛れて不浄の液を漏らしながら惨たらしく潰れるだけで済む。腐ったりんごがどうなるかの追体験みたいなもんさ」

「……オイオイ、あんま怖がんなよ。もっと範囲が広がっちまうかも知れねぇぞ?」


「は、はは……ははは……」


 もはや持ち上がらぬ足を引きずりながら、同僚たちが近寄ってくるのを。

 嶺染は壊れたように、ただ涙を流して笑いながら。

 見つめることしかできなかった。

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