インクの影が囁くとき

@takehiro_music

ネオ東京。リニアモノレールが頭上を走り、高速道路が網の目のように張り巡らされ、摩天楼が空を突く。無機質な建造物がひしめく巨大都市は、科学技術の恩恵で人々を豊かにする一方、深い孤独の淵へと追いやることもあった。

この都市で、田中由紀は異彩を放っていた。インクの濃淡のみで描かれる、繊細かつ力強いクロスハッチング。彼女が描く無数の「顔」は、見る者の心を捉えて離さない。ある者は視線に射抜かれたような感覚を覚え、ある者は瞳の奥に深い悲しみや、狂気すれすれの情熱を垣間見た。それらの「顔」が何を語りかけているのか、理解する者は、誰もいなかった。

彼女の筆は、まるで魂を吸い取るかのように、カンバスの上を滑る。インクの黒が、深淵を覗き込むように、見る者を誘う。

ある日、由紀は忽然と姿を消した。アトリエには、未完成のスケッチが残されていた。彼女は、何かに取り憑かれたように、「顔」を描き続けていた。由紀の失踪は、アート界に衝撃を与え、作品は、失踪前よりも高い評価を受け、コレクターたちの間で争奪戦が繰り広げられた。

奇妙な噂が流れ始めた。由紀の作品を見た人々が、不思議な夢を見るようになったという。夢の中には、クロスハッチングで描かれた無数の「顔」が現れ、何かを訴えかけるようにこちらを見つめているという。現実でも、壁の染み、木目の模様、雲の形など、あらゆる場所に「顔」が浮かび上がって見えるという者も現れた。「田中効果」と呼ばれる現象は、アート界を騒然とさせた。特に彼女が最後に描いていたとされるスケッチは、見る者に強烈な影響を与え、狂気の淵へと追いやった。取り憑かれたように「顔」を描き写さずにはいられなくなり、食事や睡眠を忘れ、筆を走らせる。現実と虚構の境界が曖昧になり、「田中効果」の深淵へと呑み込まれていくのだ。

由紀の失踪は、「残像」となり、人々の心に深く刻み込まれた。