第二章:呼び声

山本健二は、美術大学に通う、将来有望な学生だった。由紀が失踪する直前の個展を見て以来、彼女の作品に強い衝撃を受けていた。他の学生たちが、華やかな色彩や斬新な構図に目を奪われる中、健二はモノクロームの世界に、魅力を感じていた。個展の図録を肌身離さず持ち歩き、穴が開くほど眺め続けた。


あの時、確かに感じたんだ。彼女の絵から、何かが伝わってくるのを。


彼は、由紀の作品を模写することに没頭した。それは、単なる模写ではなく、作品に隠された「真実」を探るための、儀式のようなものだった。線の連なり、インクの染みの一つ一つに、由紀の魂が宿っていると感じていた。


「この線のリズムには、特別な意味がある……暗号のようだ……いや、地図だ。どこか別の世界へと続く……由紀さんが、俺を呼んでいる……」


健二は、周囲との関係を断ち、内なる世界へと沈潜していった。友人や教授たちは、健二の変貌に戸惑い、心配していた。彼は、獲物を狙う獣のように、「真実」を追い求めていた。目は常軌を逸した輝きを帯び始め、瞳の奥には、狂気じみた情熱が渦巻いていた。


やがて、健二は夜な夜な由紀のアトリエに忍び込むようになった。警察によって封鎖されていたが、彼は何かに導かれるように、禁断の場所へと足を踏み入れたのだ。


アトリエの中は、由紀が失踪した当時のまま、時間が止まっているようだった。壁一面には、「顔」が描かれたスケッチが貼られ、床には描きかけのカンバスや、絵の具が散乱していた。健二は、異様な光景に恐怖を感じるどころか、深い安らぎを覚えた。長い間探し求めていた故郷に帰ってきたかのような……。そして、彼は、「顔」たちに、優しく、時には狂おしく語りかけ、反応を求めた。


その夜から、健二は奇妙な現象を体験するようになる。誰もいないはずのアトリエで、ペンを走らせる音が聞こえたり、描きかけのスケッチが、翌朝には完成されていたりするのだ。健二は、そこに由紀の存在を感じずにはいられなかった。


「彼女は、まだここにいる……俺を、見ている……」


健二は、深く、由紀の世界へと呑み込まれていった。その先に何が待っているのか、知る由もなかった。しかし、彼は、「何か」を、心の底から渇望していた。


[山本健二の回想]


子供の頃、健二は内気で、友達を作るのが苦手だった。彼は、いつも一人で、絵を描いたり、本を読んだりして過ごしていた。


ある日、彼は、図書館で、一冊の古い画集を見つけた。それは、無名の画家が描いた、モノクロームの肖像画集だった。彼は、その絵に、強く惹きつけられた。


彼は、その画集を何度も借り、そして、模写するようになった。彼は、その絵の中に、何か特別なものを感じていた。それは、言葉では言い表せない、深い感情だった。


彼は、絵を描くことによって、自分の内面を表現し、そして、他人とコミュニケーションを取ろうとした。しかし、彼の絵は、誰にも理解されなかった。人々は、彼の絵を、「暗い」「不気味だ」と言って、敬遠した。


彼は、失望し、そして、孤独を感じた。彼は、自分の才能を信じることができなくなり、そして、絵を描くことをやめてしまった。


そんな時、彼は、田中由紀の作品に出会った。彼は、彼女の作品に、自分と同じ孤独と、そして、強い情熱を感じた。彼は、再び絵を描き始め、そして、彼女の謎を解き明かすことを決意した。


その決意が、彼を狂気へと導くことになるとも知らずに…。


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