第2話
キィ……
そっとドアが開けられる。しかしそこには誰の顔も見えない。
無音。いや、よくよく耳を澄ませば僅かな息遣いだけが聞こえる。
まだ日が出ていて明るい時間。しかし窓がなく暗くなっているドアの先の廊下が、チカチカと明滅する。鏡を使って様子を見ているのだ。
……。
「今大丈夫だぞ」
「あ、そうです?」
ひょこっと顔を出すほんわかした可愛らしい女性。職員のアケミさんだ。黒髪のように見えて、光の当たり方で少し紫色がかって見えたりする。
シマみたいにデクルが居付いている部屋への入場は悪戯を警戒するため、慣れた者はこのような入り方をすることが多い。
まあ流石に仕事の邪魔過ぎたので、この部屋は基本安全だ。ここまで警戒しなくとも大丈夫。そのはず。
アケミさんがこれなのは、どっちかというとシマと遊びたいからこそな感じがする。期待しているわけだ。哀れな。
「ほら、これだろ?チェック終わった」
求めているであろう書類を見せる。
「そうですそうですー。ありがとうございますー」
と言ってこちらに近付いたところで
グキッ
「はうあっ!」
カモフラージュされていたが、俺のいる机の前の床が高くなってたらしく、変なタイミングで足を着き挫いた。
俺からは机の影になって見えない位置なこともあり、全く気付かなかった。
「うぐぐぐ……」
「大丈夫?」
見るからに辛そうだけど。
「大丈夫、です……」
涙目で言われても説得力がない。湿布代わりになる薬草を机の引き出しから取り出し、アケミさんに渡す。
「どうも……」
「ストップ。どうせもう一段あるだろうから足元気を付けて」
この手のシンプルなやつは、魔法による偽装もしやすい。アケミさんも最低限の看破は出来るはずだけど見つけにくい上、もともとの警戒心が薄いから引っかかり易いんだよな。
「ありました……。よいしょ。はい、ありがとうございます……」
「もうちょい気を付けなって」
「だって大丈夫って……」
「いやまあ、それはそうなんだけど」
だからと言ってこの町で何も警戒せず動くなんてない。「ない」と言われたら「見つけてない」と変換するべきなのだ。
こんなんだから、北を目指す者が休憩地点であるはずのマルエスを避けるなんてことすらあるんだけどさ。
アケミさんは突発的な痛みの苦しみが終わったのか、少し嬉しそうにしている。シマとじゃれている感覚で嬉しいのか、マゾっ気があるのか。どちらにせよどうなんだこれは。
「あ、夜ごはん良いですか?」
「良いけど」
「やった、じゃあまた後で!」
「はーい」
どうやら夜ごはんを作ってくれるらしい。目的はシマである。
シマにかこつけて俺に対して好意を……なんて思わなくもないが、これが本当に分からない。
何せ、安全に近付けるデクルとしてはシマは優秀だ。あーいや、近付いたり撫でるだけなら媚び媚びなので野生でも簡単なのだが、その後何か起こるかもしれない。野生のデクルに気に入られるとわりとシャレにならない。
誰かの元でペット化したところで、他人への悪戯に手心は一切なく野生のものと変わりないことが基本である。ペットになったデクルのせいで、その同居人が悲惨な目にあったりする。足を挫くだけで済むのは大変良心的な部類だ。
また、そもそもペット化は結構難しい。それほど気に入られるということは、前段階の試練を乗り越えるということでもある。
そんなわけでお手軽なシマは人気であり、職員にもファンが結構いる。男女問わず「遊びに行っていい?」と聞かれることも、珍しくない。
「よし、こんなもんか」
今日はこんなところで良いだろう。帰ろ。
他の職員たちのほとんどがいる事務室へ赴き、「先帰るねー」と声を掛ける。上司になってしまった俺は、率先して帰るのも大事な仕事だ。そういうのをどこかで聞いたことがある。偉ぶってる奴が先帰って妬ましいみたいなことも聞いたことあるけど。
「あれ、シマちゃんは?」
「昼過ぎから出かけてるよ」
「なんてこった!俺は今日シマちゃん見てないぞ!」
「知るかよ。じゃあねー」
キモい職員は雑にあしらって、帰る。
帰り道、いくつかの罠をステッキで破壊しながら歩く。住民の多くはステッキを持ち歩くので、どこの紳士淑女の国だという気もする。タキシードやスーツを着る者はいないので、別にそういう雰囲気でもないが。
あと実はステッキじゃなくて仕込み刀だったりハンマーを逆さに持っていたりする。俺が持っているのも見た目はステッキでもしっかりハンマー。ファンタジーで危険な異世界らしい仕様。
町ができた当初は思い思いの武器で対処をしていたのだが、いちいち出し入れが面倒になりステッキ型に移行していった。装甲靴が流行った時期もあるが、足を使うとバランスを崩すきっかけになるので廃れた。
「さて」
自宅前に着く。
右ヨシ、左ヨシ、もう一度右ヨシ。上ヨシ、下ヨシ、背後ヨシ。
シマは他人にとっては他のデクルより安全よりだが、代わりに飼い主にとっての安全度は低い。個性というのは誰にだってあるものだ。
ドアをそっと開ける。
ヒュン!と何かが横を掠めた。恐らくチャクラム。ここで慌ててはいけない。不用意に立ち位置を変えると他の罠が作動するし、ドアはどちらにせよ開ける必要がある。一定のペースで、全開まで開く。
ドアが開いたら、死角になっている箇所をステッキで確認する。
「おっと」
ドアの上部を探っていたらステッキが何かに張り付いた。その瞬間を見計らいダーツが足元へ発射されたので、軽く飛んで避けた。
上に意識を盗られたタイミングでの足元攻撃。良い手だ。
力を入れ張り付いたステッキをベリッと剥がし、残りの死角を確認。うん、平気そう。
「ただいまー」
『みゃー』
奥から返事が聞こえた。終わりの合図だ。
ミスればそこそこケガをするが、家を壊されたら手間が掛かるためこの程度のじゃれ合いだ。これほど落ち着くまで結構掛かったが。
事あるごとに容赦なくシマをボコボコにしてやった成果。おかげで良好な関係を築けた。
「小豆買ってなくて良かったにゃ」
「俺も赤飯そんな好きじゃないし。というかアケミさん来るってさ」
だから食材が切れてるが買い物もしてない。
「そうかにゃ」
と言い終えるや否や素早く部屋から出ようとしたので、尻尾を掴む。そのままグッと引っ張り手繰り寄せ、三又の尻尾を根本から掴む。一本だけだと抜けられるかもしれないからな。
「やるにゃあ」
もしこれが本当の猫なら虐待もの。そうじゃなくても尻尾を強く握られたら怒って引っ掻くなり噛みつくなりして来るだろう。まあ本当に猫ならそもそも、客が来るから罠を仕掛けようなんてことにはならないんだが。
因みに尻尾は俺以外に握られたら普通に切れる。俺は幾度となく握ったり振り回したり、そのまま叩きつけたりしたから慣れたのだろう。
とはいえ俺も甘噛みされて気にしないのはシマ相手だけかもしれない。多分繰り返すうちに絶妙な力加減を覚えたのだ。「痛っ」て感じると瞬時に叩きつけるから、境界が分かり易かったのだと思う。
適当に時間を潰していたらアケミさんがやって来た。思ったよりも時間が経ってる。残業したのか、買い物に時間がかかったのか。アケミさんは頭良いから頼られるし、仕事の方が可能性高いかな。
「敷居のとこだけ」
「はーい」
アケミさんは敷居で躓かせるため仕掛けられた出っ張りを楽しそうに踏み踏みしている。すぐに乾いた音が鳴り、魔法で作られた出っ張りは消えた。
「モフって良い?」
荷物を置きながら言うと、すぐにアケミさんへシマがダイブした。返事を聞く前に行くなら聞かんで良くない?
「にゃーん」
「わーい」
思う存分モフる者。モフられる者。
「飯忘れないでね」
待ってるんだから。
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