第10話「決闘」
カーティスがロスハーゲンの街に残るとの噂は直ぐに事実として街中に広がった。
彼は大規模討伐の後も街に残り続けたのだ。
S級冒険者である彼が街にとどまったとあって、冒険者や街の人たちの中には彼が今後も街にとどまり続ける事を望む声が上がっている。彼の年齢のことも相まって、そろそろこの街で所帯を持ってはどうかというものまでいるようだ。
けれどエレナは信じていなかった。
国中を旅し、色々と刺激的なものを見てきた彼がこんな中級都市で満足するとは思えなかった。彼自身の身元の預かり先はギルド本部だ。もしどこかに定住したいと思ったのならばギルド本部のある首都で良いはずだ。
彼は一時的に任務か何かで聖女マリアを待っているだけだろう。
彼は直ぐこの街を去る。
いつか来る別れに備えておかなければ、エレナの心は今にも壊れてしまいそうだった。
エレナの予想に反してカーティスはのんびりとロスハーゲンの街を楽しみ、住民たちにも馴染んでいった。
数日ダンジョンにも潜らずにいたかと思うと、ギルドで冒険者たちに稽古をつけ始めたのだ。
彼が何を考えているのかエレナには見当もつかなかった。
「エレナ!」
「サミュエルどうしたの⁈そんなボロボロになって!」
「いやー、カーティスさんにしごかれたんだ」
そう言う彼の全身には切り傷がついており、所々血が出ていた。
既に青黒くなっている打撲跡もある。
「おぉー、サミュエルさっきはこっぴどくやられてたなぁ!」
「うん!俺筋が良いってたさ」
「はははは!そりゃいいや。鍛えて貰えよー」
そう言ってギルドのメンバーたちにからかわれているがエレナから見れば笑い事ではない。
「ちょっとサミュエル、早く治療しなきゃ」
「大丈夫だよ、こんなのツバつけときゃ治るって。それより俺のことはサムって呼んでいいって言ったじゃないか」
駄々っ子のようなサミュエルの様子に呆れながらも裏から救急箱を持ってカウンターから出た。
彼はずっとサムと呼んで欲しいと伝えてくるが、本名を縮めたニックネームは相当親しい間柄でなければ呼ぶ習慣が無いことはロスハーゲンの街に来てすぐマーガレットが教えてくれた。村では全員が家族のような距離感だったのであまり気にしたことは無かったが都会では都合が異なるらしかった。
「エレナ、俺、カーティスさんから期待されてるんだぜ!」
そう言うサミュエルは得意げだった。
少年にとってカーティスが憧れの冒険者であることは間違えなかった。
「それは良かったけど、可能なら傷はこんなに作らないでくれるともっと私も安心できるんだけど」
「期待されている分だけ練習も厳しいんだって!」
「そうは言っても限度があるでしょ」
サミュエルの傷に消毒液を塗りながら言うとふてくされたような表情に変わった。
弟を思い出す。彼はどこか放っておけない雰囲気があるのだ。
サミュエルが急に立ちあがった。
大きな声で挨拶した方を見ると、カーティスが立っていた。
カーティスはサミュエルの方ではなく、エレナを見ていた。
たっぷり五秒目が合う。視線がそらされた。
「………さっきはやりすぎたか」
「カーティスさんにも手加減無しでってお願いしたのは俺なんで。ありがとうございます!」
「………傷の具合悪いのか」
「いや、エレナが大げさなだけです」
再度カーティスと目が合う。
何も後ろめたいことをしているわけではないが、粗方の消毒を終えると絆創膏を渡してサミュエルの傷に伸ばしていた手を放す。
「そうか」というカーティスの横をそそくさとすり抜けるようにしてカウンターへと向かった。背後から視線を感じながら自分の席に着く。
翌日以降もカーティスは稽古を開いていた。
「カーティスさん、よくやるよねー!」
「ホントですよねー。サミュエルは続いているみたいだけど、人によっては体がいくつあっても足りないっていう人もいましたよ」
「最近だと、近所の女の子とか子供たちも稽古を見に来ているせいで私達もてんてこ舞いだけどね」
「そこだけはいいのやら、悪いのやらって感じですね」
マーガレットとクリスティンは呑気に練習の様子を教えてくれた。
最近ではこれまでは冒険者という荒くれもののイメージが強くてあまり興味を持っていなかった若い女の子たちが興味本位でS級の冒険者を見たところ何人かがはまり次々に人を連れてきているようだった。
訓練に参加した若い冒険者との間にロマンスも発生しているらしい。
「いや、こないだキャロルのタイプを聞いたけど、あれはジムじゃ駄目よ」
「えーそうですかね?ジムさんキャロルのことめちゃめちゃ聞いてきたからそっちはタイプだと思うんですよねぇ。はぐらかされたけど」
「やっぱりこうゆうのは双方の合意が重要なのよ!」
二人は結婚相談所の凄腕相談員バリに腕を鳴らしている。
そんなことよりもエレナはサミュエルのことが気になっていた。
というのも最近生傷が絶えないのだ。相当に激しい訓練をしているようだった。
つい先日会話したとき、カーティスさんを一度でも床に伏せたらしたい話があると言われていた。何を言おうとしているのか知らないが、そんなものを目指すなんてどうかしていると言おうとした。しかし、いつになく真剣な眼差しのサミュエルを見て何も言えないままになっていたのだった。
お昼休みビックニュースだと言ってマーガレットが休憩室に入ってくる。
「サミュエルがカーティスさんに決闘を挑んだって‼」
「決闘ってどうゆうこと?」
物騒な言葉に思わずエレナが反応する。
「あくまで対戦試合ってことになっているけど、サミュエルの方から申し込んだらしいわ」
「カーティスさん相手なんて無謀だわ」
「エレナさん、そう言わないであげてください。あいつなりのケジメなので」
「サミュエル、ついにやる気ね。応援してあげなくっちゃね」
「姉さん、あいつ馬鹿ですけどいい奴ですよ!お願いします!」
何故かマーガレットとクリスティンは盛り上がっている。
クリスティンがマーガレットを姉さんと呼んでいるのは面白い発見だった。
どうするべきか迷ったが、終業後キョロキョロと辺りを見回す。
ギルド長の部屋から出て来たカーティスを呼び止めた。
「あの、カーティスさん」
「…エレナ」
「ご一緒してもいいですか」
そう言って横に並び歩く。カーティスは歩幅を合わせてくれた。
「今日聞いたんですが…サミュエルと決闘するんですか」
「ああ、あいつから申し込まれた」
「………危ないです。こないだも怪我していたし。サミュエルはB級に昇格したばかりです。いい冒険者ではありますが、まだカーティスさんとは実力差がありすぎます」
「…大丈夫だ。刃を潰した剣でやる」
「そういうことじゃありません」
ピシャリとエレナが返す。
エレナは腹が立っていた。
命をいつ投げ出すかも分からない冒険者たちの仕事は尊敬していたが、命も体も粗末にして良いことなど何もないのだ。
それにも関わらずカーティスもサミュエルも分かっていない。
「あいつが、お前の男だったのか」
本当にこの人は先日から何を言い出すのだろうか。
彼女に男がいようが、ただの体のいい食堂の一つだと思っている彼に何を言われる筋合いがあるというのだろう。聖女のように守る相手でもなければ、ましてや先日手を切ろうとしてきたのはそちらだ。
なんてひどい人なんだろうと思った。
離れることなんてできない程に鮮烈な記憶を残しながら、フラフラと出て行く。
それにも関わらず私が少しでも余所見をしていたらそれは一切逃さないというのか。
「前も言いました。そんなんじゃありません」
年に一回、たった一度の食事の時間だけ彼を独り占めできる。
その時間をどれだけ彼女が心待ちにしているか彼には想像もつかないだろう。
三年目、約束も無しに彼が来てくれたことで、翌年彼女はおろかにも期待したのだ。
また、大規模討伐中にフラリと来てくれるのではないかと。
年に一回ではなく、この食事会の回数が増えるのではないかと。
四年目、その年の大規模討伐が終わるまで彼女の食事は毎日シチューだった。
メインの料理を用意したりもしていたが、それでも彼が二年目の時のように来てくれるかもしれない。そう思うとエレナは作ることを止められなかった。
途中なぜこんなことをしているのかと空しさにかられなかったかと言えば嘘になる。
それでもエレナが出来るのは待つことだった。
彼が来たのは最終日だった。宴を蹴ってきてくれた時は夢かと思うほど嬉しかったのに彼が帰った後に残ったのは哀れな女だけだった。
「エレナの大切な相手ならば俺は傷つけない」
彼がまるでエレナのことを大切に思っているかのようなセリフだった。
だが、エレナは知っている。
一所に留まることが無い彼が今ここにいるのはただの気分だということを
彼がエレナを面倒だと思えばいつでも切れてしまうような関係だということを。
そして聖女が来れば彼が行ってしまうであろうことも想像がついていた。
無意識にエレナは自身の唇を噛む。
カーティスと相対するたびに自分の気持ちを平穏にしようと努めてきたが、先日からのカーティスの言葉はエレナの神経を逆なでするばかりだった。
エレナの苛立ちがカーティスに伝わってしまったのか、彼は一度も微笑まないまま空を切るように歩いていった。
決闘の日、既に多くの見物人がギルドに集まっていた。
ロスハーゲン出身の若者があのS級冒険者カーティスに挑むとあって大人も見に来る大盛況っぷりだ。
「サミュエル、頑張れよ!」 、「お前ならやれる!」、「俺はお前に賭けたぞー」などギルドメンバーや街の人たちが声援を送る中、サミュエルは堂々とカーティスの前に立っていた。
「カーティスさん、今日こそ俺はあなたに膝をつかせます!」
サミュエルは強い意志の宿った目で宣言をする。
エレナとクリスティンは二人の様子を見かねたアダムに受付の仕事を引き取ってもらって試合を見に来ていた。
カーティスは微かに笑いながら剣を構える。
「全力で来い」
その瞬間、決闘が始まった。
サミュエルは素早く動き、カーティスへと剣を振るった。
しかし——
カーティスは、まるで風のようにそれを受け流す。一瞬の攻防。
観客たちが息を呑む。
エレナは手を握りしめながら、ただ二人を見守ることしかできなかった。
サミュエルの攻撃は悪くないようだが、カーティスはまるで子供と遊んでいるかのように彼の攻撃をいなす。
「こんなものか」
カーティスがサミュエルを挑発した。彼にしては珍しい態度だ。
「まだまだです!」
サミュエルはそう言うと再度斬りかかる。強い風が吹いていた。
カーティスが受け流すが、それを予測していたかのようにサミュエルは引いたかと思うと剣を地面に沿わせ土煙を上げる。
風と相まって土埃で観客には何が起こっているか見えない。「おい、どうなってんだ!」「誰か状況を教えろ」と口々に言いながら首を伸ばす。
一瞬無風になり視界が開ける。
カーティスがサミュエルの上に跨る形になっていた。
ああ、サミュエルが負けたのだエレナは思った。
だが、誰かが声を上げた。
「ありゃどっちも首元に剣を立てているが、どっちの勝ちだ?」
二人の喉元を見れば、どちらにも切っ先があった。
片膝を床についたカーティスの剣はサミュエルの首の真横に、サミュエルは床に伏せられながらも完全にカーティスの首に剣を当てている状態だった。
その様子を見てエレナは息を呑んだ。
二人とも訓練用の剣でなければ動脈が切れているところだ。
サミュエルはゼェゼェと息を切らしているが、カーティスは平然としていた。
太陽の光が汗に濡れたサミュエルの顔を照らす。カーティスの表情はムカつくほどに涼やかで力量の差を感じさせる。それでも、カーティスの首元にまで迫ったのだ。力量差を考えれば上出来だった。
互いの喉元から剣を離す。
カーティスは立ち上がるとサミュエルに手を差し出した。
サミュエルがその手を掴んで起き上がると「うぉぉぉぉおおおお!!!」とどこからともなく上がった歓声と拍手に包まれて決闘はお開きになった。
「これって、引き分けなんですかね?」
クリスティンの疑問はエレナにも分からなかった。
試合が終わり観客たちも潮が引くように日常へと戻って行く。
エレナもアダムにこれ以上仕事を任せておくのも申し訳ないので受付に帰ろうとしたが呼び止められた。
「エレナ!」
サミュエルがエレナの方へと向かってくる。
クリスティンはグッと親指を立てたかと思うと颯爽とカウンターへと戻っていた。
一人残され慌てるエレナにサミュエルは決意を固めた表情で走ってきた。
「サミュエル、怪我は……」
「待ってくれ!」
エレナの言葉を遮るように、サミュエルは叫んだ。そして、大きく息を吸い込むと、そのまま彼女の前でまっすぐに立つ。
「俺は、エレナのことが好きだ!」
まだ周囲に残っていた人々がざわめく。
エレナの目が大きく見開かれ、驚きに口を開いたまま言葉を失った。
「ずっと前から好きだった。自分の命を賭けるつもりでやったけど、それでもカーティスさんに刃を当てるので精いっぱいだった。実践なら負けている。でも、もっと強くなってエレナを守れる男になるから、だから俺と付き合って欲しい。」
サミュエルは拳を握りしめ、真っ直ぐにエレナを見つめた。その目には、試合の疲労など微塵も感じさせない、強い光が宿っている。
エレナは戸惑いながらも、その真剣な瞳を見つめ返した。心臓が早鐘のように鳴っている。サミュエルがそんな目で自分を見る日が来るなんて、想像もしていなかった。
「……サミュエル、でも私は……」
「すぐに答えをくれとは言わない!」
サミュエルは力強く続ける。
「ただ、俺は本気だってことを知っててほしい。俺はエレナにふさわしい男になる。その時が来たら、ちゃんとまた伝えるから!」
「うんうん、ダメなの。ごめんなさい」
こんなエレナにも誠意を持って言ってくれているのだ。
サミュエルはまだ若い。大人のエレナに出来ることは変な期待を持たせないことだ。
期待とは時に残酷なことは彼女が一番よくわかっていた。
「私…いつになったとしてもお付き合いすることはできないわ」
「なんで?」
「ずっと好きな人がいるの………」
エレナの言葉に周りがざわつく。
「それ、俺も知っている奴か」
「うん………」
サミュエルの声は絞り出すように擦れていた。
エレナの唯一はそこにいる。彼の背後にいるカーティスだ。
誰にも視線を合わせることが出来ずにエレナは視線を地面に落とす。
「俺じゃダメか………」
「…………………うん」
気まずい沈黙が落ちる。
エレナは弟のようなカーティスとの何気ないお喋りが好きだった。
今後気まずくなるのかと思うと少し胸が痛む。けれど、自分よりいい人がいるとか友達でいたいなんて体の良い常套句を使うことは出来なかった。誠実にいるために本当の事と伝えるしかなかった。
サミュエルがその場にしゃがみ込んだ。
「あークッソぉ、そうだよな。エレナから見たら俺なんてずっとガキだし、オレなんかよりすげー奴らと日頃接しているんだからいい人の一人や二人ぐらいいるよな」
ぐしゃぐしゃと頭をかきむしったかと思うと、彼は顔を上げてそう言った。
その表情はくしゃりと歪んでいる。
そんな顔をさせたいわけじゃない。エレナだって、なぜこんなにも馬鹿の一つ覚えのようにカーティスを追いかけているのかもう分からない。けれど彼女の唯一は彼しかいないのだ。
「俺、いい冒険者になるから。絶対」
「うん」
「エレナが後悔するぐらいいい冒険者になるから、俺」
「…うん」
泣きだしそうな彼をギルドの男たちが囲む。
「よし、こういう時はメシだ、飯。」、「喜べ、今日は俺のおごりだ」、「こないだまでこんなガキだったのに、男上げたなぁ」と言ってサミュエルを連れ去ってしまった。
エレナはそんな彼を見つめながら、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じていた。
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