第9話「六年目」

その年は、大規模討伐の最終日にカーティスはエレナの家を来訪していた。


「いらっしゃい」

「お邪魔する。エレナ」


彼はエレナの名前を呼ぶようになっていた。


相変わらず二人しかいない食卓は、普段利用するギルドの食卓とは比べものにならない程静かだったが、それがまたエレナには心地よかった。


カーティスにとってもそうであれば良いなと思っていた。


今日は、カーティスの好きな具材で作ったシチューだ。


この四年間彼が来るタイミングになるたびにどんなメニューがいいか考えていた。


彼が来るようになって三年目、エレナが働き出して四年目はメインにお肉を置いてみたりもしたが、彼はシチューの方が好みだったようで、そちらをよくそちらをお代わりした。

去年はせめてシチューと言っても別のメニューにしようと具材を変えたが、一番最初の年のエレナの村の味付けと野外での治療を終えた後の素朴な食材が気に入っていたような気がする。


彼はあまり表情を大きく変えないのでエレナが勝手に思っているだけだが。


今年は、彼が一番好きなものを作りたかった。

とても素朴だが、エレナも一番馴染のある味だ。


そうして大規模討伐が近づくと食材を用意しておく。

最初の二年は不規則だったが三年目と四年目はなぜか最後の宴会を蹴ってエレナの家を訪れていた。


今年は自信作だ。思い切って聞いてみた。


「あの、美味しいですか」

「ああ」


ぶっきらぼうな返事だったが、心なしか食べるのが速いのを彼女は見逃さなかった。

お気に召してもらえたようだとホッと胸をなでおろす。


「そういえば、カーティスさんはお誕生日いつなんですか」


彼女は、以前マーガレットから貰ったスカーフをお守りのように身に付けるようになっていた。

あの日なぜあんな幸運が自分に舞い降りてきてくれたのだろうと思ったが、マーガレットの明るさが力を貸してくれたような気がしたからだ。今日もそのスカーフを付けていた。


やっぱりシアワセな夢はまだ続いているんだと思い、気持ちが浮足だっていた。

もし可能なら、少しぐらい彼のことを知りたいと思ってしまった。


「…誕生日は分からない」


少し迷う素振りをすると手短に答えられた。エレナの家は可能な限りちゃんとお祝いをする家だったので思わず尋ねてしまったが、もしかしたら家庭環境が複雑なのかもしれない。

個人的なことを尋ねすぎたのだ。


「…すいません」


申し訳ない気持になり謝罪の言葉を告げる。


「いや、君は何も悪くない。俺がたまたま自分のことをあまり知らないだけだ」


彼はそう言ってくれたがやはり自分が踏み込み過ぎたせいで不快な思いをしているんじゃないかと心配になった。


しかし、彼女の心配を他所に、彼は変わらぬ表情で食事を平らげて行く。


「ところで…俺を呼んで本当に良かったのか」

「え………?」


急な質問にエレナが答えを窮しているとカーティスは再度尋ねた。


「男は本当にいないのか?邪魔なら…」


念を押される。その続きは聞きたくなかった。


「いるわけありません…!」


エレナはロスハーゲンでも行き遅れという年齢になった。

それでもよかった。


ただ急に来て食事をするだけの関係それに名前などない。


憧れの人がフラッと部屋に上がり込んでは、何か他のことをするでもなく二人でシチューを食べて解散する。

彼にとってはただの行きつけの食堂のようなものかもしれない。

それでも、年に一回彼が討伐の期間中に訪れ、エレナが作った食事を満足そうに平らげる彼を見る。


今日、この日がおとずれる。それだけで彼女にとっては十分だった。


気まずい雰囲気が流れる。無言のまま食事は終わりになろうとしていた。


三杯お代わりすると満腹になったようだ。

普段であれば、「旨かった」と一言いい残してそそくさと準備をし、直ぐ出ていくはずだ。

ただ、彼はそうしなかった。


「これ」


そう言って手土産を渡してきたのだ。

彼がそんなことをするなんてどういう風の吹き回しだろうか。


受け取った手は震えていた。


包みを開けると中身は可愛らしいブレスレットだった。

彼の纏う雰囲気からは想像できないものだ。


「これ、頂いてもいいんですか…?」

「ああ、君のだ」


そう言うと彼は部屋を去って行った。


そう高い物では無いだろう。

だが、少しだけ、彼の中で自分が大切な人物になっているのではないかと期待してしまう。

温かい気持になると同時にこんなにも期待させる彼をなじりたくなる自分がいた。


彼は今年も行ってしまうのだろう。

それにも関わらず彼女にこんな置手紙のような真似をして。

約束すらないのに、簡単にエレナの気持ちを繋ぎ止めてしまう彼が憎かった。



§



同僚のマーガレットは無事去年結婚した。


「約束から一年遅れたけど、私も絆されちゃったのよ」


そう言って笑う彼女の花嫁姿はとても美しく思わず涙が零れたのはいい思い出となった。


「ねえ、聞いた?」

「なにが」

「あのカーティスがこの街に長期滞在するって噂があるのよ」


マーガレットの言葉に思わずペンを落とした。

そんなことは、昨日彼は一度も言わなかった。


なぜ、どうして。

彼にとって自分はそんな大切なことを伝える価値もない存在だったのだろうか。

もしかしたら昨日のブレスレットは手切れ金だったのかもしれないと思い当たる。

今後長期に滞在するが、これ以上俺に関わるなということだったのかもしれない。


思わず視界が歪む。

まだマーガレットは何かを話しかけていたが、エレナの耳には入ってこなかった。


エレナはトイレに駆け込むと涙をこらえた。


仕事の途中だ。早く戻らなければ。

だが、無理やり唾と一緒に飲み込んだはずの涙は止まらなかった。



結局、十分ほど格闘して何とか涙は止まった。

赤くなってしまった目の周りに白粉を叩く。少しでも崩れてしまったメイクを見せればマーガレットは一瞬で見抜いてしまい、質問攻めに合うことが予想できた。


今日のエレナはもう感情の濁流に飲まれて溺れてしまいそうだった。

自分で自分をコントロールできない。


少しでも顔を隠すため普段はハーフアップにしている髪を下す。

するとアダムが声をかけて来た。


「エレナ、大丈夫か」

「はい、大丈夫です」


エレナとてもう後輩もいる身だった。

守られてばかりだった一年目の時とは違うのだ。



「エレナ先輩どうしたんですか?今日雰囲気違いますね!」


休憩中にそう声をかけて来たのは、後輩のクリスティンだった。

三個下の彼女は初めてエレナが新人研修を担当した後輩でマーガレット同様明るく誰にでも気さくな人だった。


「髪下ろしているのも好きです!多分サミュエルに見せたら喜びますよ」


そう言ってニヤニヤとしている。その表情はマーガレットそっくりだった。


「もう何言ってるの。サミュエルに見せたって優しいから多少褒めてくれるだけよ」

「えーもう先輩ったら鈍いんだから。サミュエルにももっとアピールしろって言っておきます!あと、先輩いい人がいたらすぐ教えて下さいね」


サミュエルというのはクリスティンの幼馴染で彼女と同じ年に冒険者として登録を行った。最近は戦歴も良いようでB級の試験をパスしていた。

初めて彼らがギルドを訪れた際の案内役がエレナでそこからの縁だ。

何故かクリスティンはサミュエルと自分をくっつけたがっている。


サミュエルは実力はあるが、クリスティン同様に気さくで、自分が出来ないことは率先して人に教えを乞うタイプだった。人の懐に入るのが得意で、スポンジのように瞬く間に色々な冒険者たちの知識を吸い取って実力を伸ばしていた。


サミュエルはなんというか、合鴨のように最初に見た人間を親と勘違いしているのだと思う。何故かずっと自分のような人間を慕ってくれていてギルドに来るたびに話しかけてきてくれた。


「大丈夫よ。私なんかに声をかける人なんかそんなにいないから」


エレナはそうは言ったが、実際には年頃になると告白されることもあった。

適齢期というものを過ぎ、そう言った人は減るのかと思っていたが童顔のためか、揶揄う目的なのかたまに声をかけられることはある。

それらの告白や誘いをのらりくらりとかわす友人を気にしてか、最近はマーガレットからも夫の会社の人や友人を紹介すると散々言われていた。



お昼ご飯を食べながらクリスティンと話しているとマーガレットが受付から控え室に入ってきた。


「ねえ、エレナ。やっぱり、カーティスさんロスハーゲンの街に残るみたいよ。それに聖女マリアもこの街にくるみたい」

「え、あのマリア様も⁉私一度見て見たかったんですよ。絶世の美女なんですよね」

「らしいわね。カーティスさんが唯一守る戦場のプリンセスなんでしょ」


二人の会話に目の前が真っ暗になる。


聖女マリアとは、この国が誇る最上位のヒーラーである。これまでにその膨大な魔力量で幾人もの人々を助けて来たそうだ。そしてカーティスとマリアのペアはS級の冒険者の中でも特に一般人からの人気が高かった。

聖女マリアは年齢不詳の絶世の美女として知られており、それを守りながら戦うカーティスの姿はまるで姫を守る無情な戦士のようだと言われていた。


聖女マリアと自分は全く異なる存在だ。

これまでであれば、カーティスとマリアの美談を聞いて切ない気持ちになることはあってもドロドロとした嫉妬に苛まれることはなかった。


それがどうだ。彼女が目の前に来るかもしれない。

それをカーティスが命がけで守る姿を想像するだけで気が狂いそうだった。



一瞬で昨日のシアワセな光景が黒く塗りつぶされていくのを感じた。

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