2.漂流者 part2

 その知らせは政臣と姫愛奈を愕然とさせるに十分だった。


「帰れない?」

「何でです?」

「どう説明すれば良いのか……」


 モノクルの位置を調整しながら、監察庁長官ラーガルは申し訳なさそうな口調で言った。三人は監察庁の〝恒常世界監視ルーム〟と呼ばれる部署にいた。恒常世界の住人が無許可で恒常世界間を移動していないか監視するオメガ監察庁の要と言うべき部署だ。


「やっぱり帰す気無いんじゃない!」

「落ち着いて」


 ヒステリックにわめく姫愛奈を抑えつつ、政臣はラーガルに向き直る。


「まずは事情を説明してはくれませんか」

「そうだな……。ちょっと専門的な話になるが、良いかね?」

 

 そう言ってラーガルは話し始めた。


 転移魔法は言うまでもなく魔法の一種である。魔法の行使には魔力が必要であり、転移魔法の場合は出入り口となる門を開く際に魔力を消費する。その都合上、門を維持するためには周囲の魔力を吸収し続ける必要がある。つまり魔力が無ければすぐに門が閉じてしまうのだが……。


「君たちのNMー7301は魔力が無いNo magic。より厳密には魔法を使えるほどの魔力が存在していない。典型的な科学文明タイプの恒常世界だ」

「魔力が無い世界……。なら、その理屈だと転移魔法は成立しないんじゃないですか? 魔法が使えないくらいの魔力量なのでしょう?」

「転移魔法はほんの数秒でも開口部を開ければ良いんだ。転移は一瞬だからね。NM世界に薄く広がっている魔力を凝縮すれば、2~3秒間ほど転移門が開くのだよ」

「本当なの?」


 姫愛奈は疑わしげにラーガルを質す。


「これは我々からすると飽きるうんざりするほど知り尽くしている手法なのだ。かつての大戦では、君たちのようなNM世界の住人転移させ、戦力とする方法が使われていた」

「大戦?」

「まだ多くの恒常世界が交流をしていた古き時代の話だ」


 ラーガル曰く、かつて恒常世界の多くはオメガスペースや他世界の存在を認識し、交流に励んでいた時代があったという。国家がそうするように、彼らは技術や文化を交換し、外交まで行われていた。


 ところが、ある恒常世界がオメガスペースの覇権を唱え、他世界への侵略を始めた。その頃恒常世界間における文明レベルを端緒とした種々の格差に有効な対応策が講じられていなかった事情もあり、同調する恒常世界が続出した。侵略者とそれに反抗する世界とで激しい戦闘が行われ、尋常ではない数の人間が死んでいったという。


 戦争は何年と続き、数多の恒常世界は次第に深刻な人的資源不足に陥っていった。自分たちの世界にいる人間だけで戦争が行えなくなった頃、恒常世界の中でも突出して魔法が発展していたMEー3471が、非人道的だが効率の良い人的資源の補填法を考案した。


「ランダムで能力を付与する術式を組み込んだ転移魔法を使い、NM世界の住人を拉致する方法だ。戦争をしていたのは魔法があるMagic existsME世界だけで、NM世界のほとんどはオメガスペースを認識する技術すら無かったからね」

「私たちみたいな魔法が使えない人間を連れ去って? 元から現地の人間を訓練させた方が早いでしょ」


 姫愛奈が疑問を口にするが、ラーガルはかぶりを振って否定する。


「この術式は実に便利でね。転移の最中にランダムで何かしらの能力を与える仕組みになっていたんだ」

「一般兵よりは強くなって転移してくると」


 またも驚異的な理解力を見せる政臣に、姫愛奈は思わず訊ねた。


「あなたすごいわね。何ですぐに理解できるの?」

「今どきのラノベじゃチート能力を持って異世界に転移するとかはメジャーだからね」

「ラノベ……ああ、そういうこと」


 姫愛奈は全てを察したような顔をした。


「拉致された若者は都合の良い言葉を吹き込まれ、〝勇者〟と呼ばれて戦場に駆り出された」

「敵は〝魔王〟とかですか?」

「そんなところだ。互いの陣営で嘘を吹き込まれた者たちが戦い、命を落としていった……」

「じゃあ、私たちは兵士として使われるところだったってこと?」

「確証は無い。だが、使用された転移魔法は大戦時のものと同系列だと判明した。回収し損ねた術式か、コピーされた術式か。ともかく、君たちのクラスメイトは常人を越えた能力を得て異世界に降り立ったはずだ」

「じゃあ今頃はチート能力で無双している可能性があるって事か」

「ねえ、日本語で喋ってくれる?」

「全く、アニメやゲームに触れていない人は……」

「殴って良いかしら」


 二人の会話がヒートアップしそうなところを、ラーガルが見計らって止める。


「落ち着きたまえ。話が逸れてしまっている」


 政臣と姫愛奈は急速に頭を冷やす。今度は魔力のの仕組みについての説明だった。


「NM世界もME世界も同じだが、魔力は枯渇する事は無く、減った分は自然に回復する。ただ、両方の世界では回復スピードが違う」

「俺たちの──NM世界はどのくらいのスピードなんです?」


 政臣の質問にラーガルは軽く息を吸って吐いてから答えた。


「データが少ない故に正確な数字は出せないが、一番新しい記録によると、魔力量が完全回復するまでには五百年かかった」


 五百年。政臣と姫愛奈はショックで言葉が出ない。透明なハンマーに後頭部を叩かれたようだ。なるほど、確かに帰る事は可能だ。家族も親族も友人もいない、五百年後の未来だが。


「……」


 絶望に染まった政臣と姫愛奈の顔を見て、ラーガルは慌てて付け加えた。


「待ってくれ。まだ話は終わっていない。君たちは何もオメガスペースで生涯を終える訳ではないよ」

「えっ?」


 監察庁長官は二人の理解を助けるよう、ゆっくりとした口調で話し始めた。


「医療部の分析だが、君たちは世界の素を飲んでしまったせいで、肉体の老化が止まっている。世界の素というのは、君たちが落ちた水の玉、世界の卵を構成するあの透明な液体の事だ」


 政臣と姫愛奈が世界の卵に落ちた時、二人は卵を構成する液体を飲み込んだ。それは〝世界の素〟と呼ばれる物質であり、恒常世界を形作る様々な要素が無秩序に内包されているという。二人はそれを摂取してしまった事で、自らの身体に未知数の変化をもたらしてしまったのだ。


 二人は防衛機制から瞑目した。元の世界に帰れないというだけでも衝撃的なのに、さらに肉体の老化が止まっている? 本当にこれは悪夢ではないのか?


「もっと言うとだね、今の君たちは卵で飲み込んだ世界の素をエネルギー源にしている。世界の素が人間に与える影響は、その、強大でね、君たちの場合、驚異的な再生力と不死性を獲得していると分析が出た」

「……ちょっと……整理の時間をくれますか」


 こめかみを押さえ、政臣はラーガルに懇願した。姫愛奈に至っては茫然自失となってしまっている。これ以上はまともに聞けない。


 ラーガルが人格者なのは、二人の様子を鑑みて強制しない事にあった。


「そうだな。本当に申し訳ないと思っている。だが、話はまだある。少し休んで、また来てくれるか」


 ◆


 部屋に戻った政臣と姫愛奈はしばらくの間それぞれが使っているベッドに腰掛けていた。身体は互いに向き合っているが、視線は床に落としている。


 睡眠欲や食欲が全く湧かない時点で何かがおかしいと分かってはいたが、ここまでスケールの大きい話だったとは。不老不死になっている? どう理解して受け止めれば良いのだ。


「……」


 二人の間にあるのはわずかな呼吸音だけである。両者ともパニックから抜け出せず、沈黙を貫き通す事で平静を保っていた。オメガスペースなどという謎の空間に放り出され、助け出されたと思いきや、いきなり人間ではなくなりましたと宣告される。錯乱せずにいるのが立派というものだ。


 当然精神状態は全く平常ではない。強烈なストレスによって暴発寸前の状態だ。何かしなければという気持ちと、何もしたくない欲求がせめぎあっていた。


 そんな精神状態だったからか、政臣はふと、ある事を思い付いた。フィクションに明るい人間ならば、一度は考えるような妄想。不老不死と再生能力。あの長官の言葉が本当なら……。


 今確認する必要は無い。政臣の理性が必死に制止する。しかし彼は今、理性で駆動していない。今まで耐えてきた分が、決壊したダムのように流れ出す。


 姫愛奈はパートナーと見なし始めているクラスメイトの男子が唐突に立ち上がったので、何事かと顔を上げた。


「青天目くん?」


 政臣はまっすぐ共用の洗面台に向かう。それを追った姫愛奈が見たのは、ミラーキャビネットを荒々しく漁るクラスメイトだった。呼び掛けに応えるように政臣が一瞬だけ姫愛奈を見る。その灰色の瞳には虚ろな光が灯っていた。


「ちょっと、ホントに何やってるのよ」


 尋常ではない様子に、姫愛奈は急速にショック状態から立ち直っていった。姫愛奈の中の母性的感覚が、政臣の異常によって刺激される。


「青天目くん──?」


 その時、姫愛奈は政臣が右手に光る物を持っている事に気づいた。二人がもといた世界にもそれはあるありふれた代物。カミソリである。


 政臣は無言でカミソリの直刃を腕に手首に押し付け、無感情な表情のまま引いた。綺麗に切れた細い傷から血が噴き出す。


「え」


 衝撃的な光景に、姫愛奈は全身から血が抜かれたような感覚を覚えた。ついに発狂したのか。しかし政臣は自分よりも今の状況に順応していたように見えていた。なのに何故?


「大丈夫、見ていて」


 囁くように政臣が言う。すると、切り裂かれた腕の傷が尋常ならざるスピードで再生し始め、瞬きする間に元に戻ってしまう。蒼白になりつつあった政臣の顔も、急速に血色を取り戻していく。


「……」


 開いた口が塞がらない姫愛奈に、政臣はまっすぐ向き直った。


「やっぱり。驚異的な再生力。フィクションではよくあるやつだよ。多分、姫愛奈さんも」


 政臣の語調は抑揚が無く、言葉は聞く者を不安にさせる声音に乗って紡がれていた。この一週間、姫愛奈は事あるごとに「これはアニメや映画でよく見る」「フィクションではお約束」といった政臣の台詞を、テンションの高さと共に聞いてきた。少女はようやくそれが彼の強がりだったという事に気づいた。


「青天目くん」

「どうしよう。本当にフィクションの存在になっちゃった。いつも見てたアニメみたいな……」

「青天目くん、止めて」

「止めて? 止めてって何だよ!」


 政臣のせき留められていた感情が爆発する。


「突然こんな目にあって、状況をろくに理解できないまま、も、元の世界にも帰れないとか、冗談じゃ、冗談じゃないって」


 少年の双眸そうぼうに涙が浮かぶ。息も切れ気味になり、過呼吸に近くなっていく。


「ラノベとか、アニメとかゲームとかは、フィクション、フィクションだから面白くて、自分が同じ目に遭うのは──」


 政臣の息が詰まる。首を押さえるクラスメイトを、姫愛奈はとっさに抱き締めた。


「落ち着いて。呼吸を整えて」


 その場に膝をつかせ、優しく政臣の背中をさする。数回の声かけの後、ゆっくり息を吐く仕草を見せて正しい呼吸へと誘導していく。


「大丈夫よ。大丈夫、私を見て」


 姫愛奈の甘く優しい声が、政臣の動揺を抑える。ややあって、少年は完全に気を取り戻した。


「落ち着いた?」


 膝をついている政臣は、喉元に手を当てつつもゆっくりと頷いた。


「ごめん。こんなみっともない姿を見せちゃって」

「良かった。けど、もうあんな事しないでね。ホントに狂ったのかと思ったわ」

「いや、さっきまではホントに狂ってたよ。普段はあんなにアニメアニメ言ってないし」


 ふらつきつつ政臣は立ち上がる。


「言いたい事言って過呼吸になったら、頭がスッキリしたよ」

「過呼吸で頭がスッキリするのはおかしいけどね」

「そうだね。だけど、これで何となく状況を受け入れられた気がするよ」

「私はまだそこまでな気がするけど、あなたを見てたら甘えていられないわね」

「なんだよ、そんなに俺が心配?」

「目の前であんな事をされて心配にならない訳ないでしょ」


 ついさっきの壮絶な光景を思い出し、姫愛奈は背筋を震わせた。


 ◆


「で、これからどうするの?」


 ベッドに腰を落ち着けた二人は、今後の方針を話し合う事にした。


「あの長官さんの話を信じれば、俺たちは五百年以上は生きられる。元の世界に帰れる可能性はあるんだよ」

「でも……それでも長い。私耐えられるかしら」

「アニメやゲームでも不老不死のキャラは永遠の時を過ごす事に苦しんでたけど、ここには娯楽が沢山ある。みんな優しいし、少なくとも何百年も生きるのが苦しいって事は無いよ」

「そうだけど、でも、家族は? 友達だっているもの。もう会えないのよ」

「そうか、白神さんはそうだよね」

「白神さんはって、青天目くんは?」

「俺の家は……その、妹が死んで以来、家庭崩壊みたいになってたから」

「それは……」


 姫愛奈は後悔と憐憫の念に襲われた。まさかこんな重い過去を持っているクラスメイトがいたとは。しかし政臣は姫愛奈の顔色が変わったのを見て、慌てて訂正するように言った。


「そこまで深刻に捉えなくても良いよ。伯父さんが出資してた施設に入ってたし」

「施設?」

「学校と養護施設が合体したみたいな感じ。友達も沢山いて、施設の人も優しかったから惨めな生活を送ってたって訳じゃないよ」

「そうなの」


 と言いつつも、姫愛奈は内心で政臣に尊敬の目を向けていた。家庭崩壊にもめげずに真っ当な人生を送っていたとは。そしてこう思い付く。もしかすると政臣はかなり心強い人物なのでは?


 彼は信頼できる。否、今のところ彼しか信頼できる人物はいない。姫愛奈の現実主義的な面が、家族への情と未練に一種の妥協点を示す。家族と再会できる見込みは極めて低い。今後永遠とも言える人生を過ごすなら、せめて一人は心底から信頼できる人間が必要だ。


「白神さん?」


 政臣が声をかけると、姫愛奈は髪を軽くかきあげて言った。


「ごめんなさい、ちょっと考え事を」

「やっぱり家族と会えないのは嫌?」

「それは当然。だけど、こうなっては仕方がないって思ったの。家族と再会できないって認めるしかないわ」

「メンタル強いね」

「そう? メンタルが強いって言うより、ただ薄情なだけな気がするわ。自分で言うのも何だけど」


 自嘲する姫愛奈を政臣はフォローする。


「そんな事ないって。俺は家族が死んだとき、伯父さんや周囲の人に当たりまくって迷惑かけたんだ。それに比べたら、ほんの数分で割り切れる白神さんが羨ましいよ」

「褒められてるのかけなされてるのか分からないわね」


 姫愛奈は苦笑するが、暗い表情は消えていた。


 結局、二人は自分たちの運命を受け入れた。そうするしかないし、そうしないと自分たちを助けてくれた人々に迷惑をかけてしまう。せめて恩返しの分は働こうと決意するのだった。

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