Omega Space Eternal!

不知火 慎

1.遭難者

「お二人は本当に運が良い。亜空間内で漂流者を発見するのは非常に難しいんですよ」

「そうなんですか……」


 職員の説明に対し、少年はそう答えるしかなかった。


 数多の世界を管理するオメガ監察庁に、二人の漂流者が運び込まれてきた。恒常世界NMー7301の住人、青天目政臣なばためまさおみ白神姫愛奈しらかみひめなである。


 二人は時空間検査船によって発見され、そのまま救出されてきた。大戦以降、魔法の無いNO MagicNM世界の住人がオメガスペース内に放り出された事例は皆無だったので、監察庁は上へ下への大騒ぎとなった。


「まだ状況が理解できていないかもしれませんが、取りあえずここで待っていただくという事で……」


 職員は政臣と姫愛奈を残して部屋を出た。足音が聞こえなくなり、二人はようやっと互いの顔を見合わせた。


「何これ、どういう事?」

「死んだ訳じゃなさそうだけど……死ぬよりも大変な事になってるみたいだな」


 政臣は色素の薄い茶髪に澄んだ灰色の瞳を持つ。中性的な顔で、あどけなさに男性的な鋭い凛々しさを兼ね備えている。


 姫愛奈は艶やかな黒髪を腰まで伸ばした正統派の美少女である。バイオプリントした薄紫の瞳は疑わしげに部屋中を観察していた。


 ここに来るまで二人は夢のような出来事を怒涛の勢いで経験した。修学旅行先で新都心タワーを見学中、突然の爆発音と振動でクラスメイト共々避難する事になった政臣と姫愛奈は、タワーのロビーでまばゆい光に包まれた。


 それが一体何なのか理解する間もなく、今度は謎の空間に投げ出されてしまった。夜空が溶けて揺らめいているような、形容し難い場所。下へ下へと落下していく中、政臣と姫愛奈は互いを見つけ、空中でもがき合流し、そしてに落ちた。


 中空に固定された水の球。二人が落ちた物を言葉に表せばこれが一番適切である。偏執的なまでに調和の取れた透明な球体。完璧に透き通った謎の物体に政臣と姫愛奈は突っ込んだ。その中は冷たくも温かくもなく、二人は今まで感じた事も無かった感覚にとらわれた。


 液体を飲み込んでしまった政臣と姫愛奈は、死にもの狂いで浮上した。水面から顔を出した二人は、状況を理解する時間も与えられないままもがき続け、たまたま通りかかった謎の艦船にサルベージされたのである。


 船長らしき男に日本語でも英語でもない言語で話しかけられた後、政臣と姫愛奈は寝室と思われる場所に放り込まれた。漏れ聞こえる口調から、自分たちの存在は彼らにとってイレギュラーなのだと知った二人は、救出者たちの会話が次第に口論へと変わっていく中、黙って寄り添っていた。政臣と姫愛奈はクラスでも特段仲の良い関係ではなかったが、その時ばかりは事情が違ったのだ。


 政臣と姫愛奈はオメガ監察庁なる組織の本部に連れてこられた。厳重な警備の中応接室とおぼしき場所に通され、そこで待機するよう命じられた。


「夢でも幻覚でも無いのよね」

「こういう時は身体のどこかをつねって確認すれば良い」

「そうか」


 納得したような顔で姫愛奈は政臣の右腕を突然掴み、本来曲がらない方向に引っ張った。


「いだだだだだッ!! なっ、このっ、女ァ!」

「夢じゃないのね。良かった良かった」

「俺は良くねえよ。友人でもない男子生徒の腕をひねって楽しいか?」

「だって青天目なばためくんが確認しろって……」

「被害者ヅラすんなぁ!」


 ヒートアップした政臣の感情は、部屋のドアが開いた瞬間に沈静化した。


「待たせて済まないな。こちらもいろいろと立て込んでてね」

「いえ。それより救助してくださりありがとうございます」

(なにコイツ。切り替わりはやっ)


 内心で驚きつつ、姫愛奈も余所様向きの振る舞いのため、無理やり思考を切り替えた。


 部屋に入ってきたのは、ビジネススーツを着込んだ紳士だ。薄灰色の髪をオールバックにして、右目にモノクルをかけている。


 政臣と姫愛奈の対面にあるソファーに座り、紳士は耳心地の良いバリトンで話し始めた。


「私はオメガ監察庁のラーガルという。これは名刺だ」

「……」


 高校生二人はラーガルの差し出した紙切れに目を丸くした。正統的な長方形の名刺に、はっきり〝オメガ監察庁長官リーア・ラーガル〟と記されている。


「……もしかして、これが分からなかったかな」

「あ、いや、ええ、ここでも名刺を使うのかと」

「普段は使っていないよ。君たちの世界の文明レベルに合わせたのだ。我々は様々な恒常世界の文明レベルに合わせたコミュニケーション手段を用意している」

「文明レベル?」


 姫愛奈の口を突いて出た質問にも、ラーガルは誠実に答えた。


「我々はオメガスペース──君たちが放り出された空間の事だね──を行き来し、遍在する世界を管理・監視する役目を担っている。その中でも各世界の文明の発展度合いを観察し記録する事も仕事の一つなのだよ。君たちの世界〝NMー7301〟は、文明発展段階の初等レベル中期にある。まだ宇宙進出が限定的で、単一の惑星に暮らしている状態。合っているかな?」


 流暢な日本語で、意味不明な事を言う。姫愛奈はラーガルの言っている事を上手く処理できず、混乱してしまう。一方、政臣はまるで得心がいったように言い出した。


「つまり、あなた方は俺たちの住んでいる世界とは違うここ時空間から俺たちを見ている、という事ですか」

「おお、話が早くて助かる。専門的な部分はともかく、その通りだよ」


 感心したようにラーガルは微笑む。姫愛奈は政臣が途端に分からなくなった。なぜ話が理解できるのだ。


「アニメとかマンガとかゲームとか、そういうのに時空を管理する組織はメジャーだからね」


 中性的な顔に得意気な色をにじませ、政臣は胸をそらした。姫愛奈は口の中で「オタクが……」とぼやく。政臣はオメガスペースがどういったものか肌感覚で理解し始めていた。


「なるほど、創作か。君たちくらいの文明レベルだと、メディアが大量生産されるのか。これなら話もスムースに進みそうだ」

「いや、まだちょっと理解できてない部分もあるけど……」


 取り残されつつある姫愛奈をよそに、話は進む。


「……真面目な話をしよう。君たちの事で監察庁は今ちょっと騒ぎになっている。いろいろな説明は省くが、君たちは今の対象者だ」


 予防拘禁というのは対象となる者が犯罪を犯すのを防ぐ目的でその身柄を拘禁する事だ。初老の紳士から発せられたこの物騒な単語に、姫愛奈は質感を伴った衝撃を受けた。品行方正に生きてきた自分が、なぜ、そんな目に遭わなければいけないのだ。


「な、何で」


 舌がもつれる姫愛奈に対し、政臣は饒舌だった。


「……要するに勝手に異世界転移するのは禁じられていて、不可抗力でも罰則が適用されるって事ですか?」

「うん、まあそういう事だ。君たちにはがかけられている」

「転移魔法?!」


 政臣は途端に顔を輝かせ、腰を浮かす。深刻な話をしているつもりだったラーガルは少年の反応に少しだが気圧されてしまう。


「おい、オタク!」


 姫愛奈が無理やり座らせようとする間も政臣は構わず喋り続ける。


「超科学じゃなくて魔法か~。まさか現実に存在するとは」

「ねえ、一人で納得しないで」

「まあ君たちの場合は純粋な魔法が使われたようだが、魔法と科学を組み合わせた方法もあるよ」

「うおおお! すげえ!」

「落ち着けっての!」


 閑話休題。


「まあ、君たちの処遇が決まるまで詳しい話などはできないのだが……その口振りからして、故意にを渡ろうとした訳ではなさそうだね」

「分かるんですか?」

「ずっとウソ発見器で君たちの言動をモニターしていたのだよ。読心魔法を組み込んだ精度99パーセントの機器でね。それによると、君たちは全くウソをついていないと出ている」


 そんな事までできるのか。政臣と姫愛奈は彼らの技術力に内心で感嘆する。それと同時に、これなら自分たちが不当に拘束されるような事は無いとも確信できた。


 身の安全が完全に分かったところで、二人はクラスメイトが心配になった。光に包まれたのは自分たちだけではないのだ。


「ところで、俺たちのクラスメイトはどうなったんでしょうか」

「クラスメイト?」

「私たち、学校の昼休み中で教室にいた時にこうなったんです。多分、私たち二人以外に十人以上がその……転移したはずなんですが」

「ああ、集団で転移したのはそういう訳か。まだ分からないが、おそらくみんな転移魔法の出力源に無事移動したはずだ。まあ、恒常世界間の移動はホントに久しぶりだから、どの部署も大騒ぎだ」

「先ほどから言っている恒常世界……それが俺たちの住んでいる世界を指しているんですね」

「そうだ。我々が今いるオメガスペースと明確に区別するために付けた呼称さ。恒常世界はオメガスペース内に巨大な球体として、惑星のように点在している。魔法であれ、科学であれ、移動するには生きたい世界との間に〝道〟を作る必要があるんだ」


 その時、部屋のドアがノックされる。職員が一人入ってきた。


「長官、検査船からの報告と転移魔法の出力源が判りました」

「そうか。いや済まない。話の途中だが、今日はここまでだ」


 ラーガルはソファーを立つ。


「部屋を用意しておいたから、今日は休んでくれ。きっと疲れただろうから」


 未だ不安げな二人を残し、監察庁長官は応接間を退出した。


「で、どうなんだ」

「あの二人は一方通行タイプの転移魔法で無理やり連れてこられたようです」


 近未来チックな半透明のボードに記された情報を見つつ補佐官は言った。


「転移魔法の出力源はMEー5142。資料によると、基底人類と品種改良によって誕生した別人類との戦争が起こっているようです」

「あの二人以外はどうなった」

「他は転移に成功したようです」

「あの二人だけがオメガスペースに放り出されたということか。二人も転移漏れするとは、よほど酷い術式を使ったか、少人数向けの術式を無理矢理使ったかだな」


 推測を口にしつつ、ラーガルは内心で焦っていた。──こんな簡単に発見できる術式ならば、大戦後に行われた一斉収集の網に引っ掛かっていそうなのに。どうして今の今まで気付けなかったのだ?


「検査船からの報告によると、付近に人とおぼしきオブジェクトは確認できなかったという事です。とにかく、今は二人を保護するという方針でよろしいですね?」

「当然だ。元の世界に戻すにしても、準備というものがある。といってもNM世界では帰せるかどうか不安だが……」


 補佐官と並んで廊下を歩きながら、ラーガルは政臣と姫愛奈のいる部屋のドアを肩越しに一瞥した。大戦が終わりおよそ数千年。こんな事件が起こるとは。彼らは誰かのエゴのために危険な時空間に放り出され、世界の卵で溺れかけたのだ。


「二人の事は外部に漏らすなよ。きっと〝新人〟として無理やり連れ去っていくだろうからな」

「立法府の連中ですか?」

「大きい声では言えないがな。連中は二人を体の良い補充要員としか見ないだろう」


 ◆


 その後数日間、政臣と姫愛奈は様々な検査を受けた。二人はオメガスペースに生身で放り出され、世界の卵と呼ばれる局所異常に落ちてしまった。そこは恒常世界の素と言うべきもので、長い時間をかけて巨大な水の球体から恒常世界へと変質していく。二人が落ちたのはつい最近発見されたばかりの卵であり、監察庁の観察対象に指定されていた。政臣と姫愛奈を助けた時空間検査船は、たまたま通りがかった訳ではなかったのだ。


 職員たちは久しぶりに現れた漂流者に興味津々だった。大戦によって恒常世界間の交流が禁止されて何千年も経った現在、大戦前の時代を知る職員はほぼ存在しない。故に政臣と姫愛奈のような何も知らない恒常世界の住人との交流ももちろん無い。そんな事情もあり、哀れな漂流者二人は好奇の目にさらされる事となった。


「動物園の鑑賞動物扱いされてるみたいで嫌なんだけど」

「実験動物扱いされてない事を感謝した方が良いよ」


 検査は数日に渡って行われた。少なくとも監察庁が発足されてから人間が世界の卵に落ちた例など無かったので、身体への影響がどんなものかは監察庁側にも分からない。だが、二人は様々な異常を訴えた。


「眠くならないというのは、眠気が湧かないという事かね?」


 検査を担当する医師に政臣は正直に答えた。


「全く寝れないんです。目を瞑っても一切眠くならなくて。そのせいで夜はずっと起きたままです」

「食欲も。というか空腹を全く感じないわ」

「これは興味深いな……」


 医師の意味ありげな発言に、政臣と姫愛奈は不安に駆られた。


 右も左も分からない二人を、監察庁の職員たちは興味津々に見つめていた。何せ魔法の使えない人間がオメガスペースで漂流してしまう事案ケースなど数百年ぶりの事だったので、みな気になってしょうがないのだ。


 検査の合間を縫い、下級職員から一部署の長までもが政臣と姫愛奈を訊ねた。元いた世界はどんな場所なのか。魔法が無い世界というが、不便ではないのか。──オメガ監察庁ここで暮らすつもりはないのか。


「悪い扱いは受けてないけど、サーカスの見せ物みたいでなんか嫌だわ」

「悪意が無い分マシだって」


 政臣と姫愛奈は暫定的に与えられた部屋で過ごしていた。転移前の仲ならば一人用の部屋を所望しただろうが、今や二人は〝ただのクラスメイト〟から〝それなりに仲の良いクラスメイト〟という関係性に落ち着いている。


「私たちを帰す準備はどうなってるのよ。ホントは帰す気が無いんじゃないの?」

「手続きとかあるんだよ、多分」


 政臣と姫愛奈は辛抱強く待った。状況を全て理解していなかった事、そして助けてもらった手前、急かすのは良くないという日本人的発想が二人の忍耐力を維持した。だが、そんな努力を打ち砕く残酷な事実が告げられるのは、二人がオメガスペースにやって来てから一週間ほど経った頃だった……。

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