龍人
海野雫
第一章:出会いと運命
重く沈んだ夜の闇が、王都「
王宮の中庭に佇む私は、まるでこの世界に独り取り残されたかのような感覚に陥る。宴の喧騒から逃れ、ただ静寂を求めてここに来たのだが、それでも心は落ち着かなかった。
王族の宴会とは、権力を巡る狡猾な駆け引きの場に過ぎない。口元に笑みを浮かべながら、心では互いの首を狙う者たちばかりだ。私の父も兄も、その争いの中で生きる術を心得ている。だが、私は――。
自嘲しながら庭の石灯籠に手を触れたとき、背後でかすかな音がした。足音ではなく、金属の擦れる音――剣が鞘から抜かれる、微かな気配。
瞬時に振り返り、私はその影を睨んだ。
「……何者だ」
静寂を切り裂くような声。目の前の男は、それに怯むことなく一歩前へ進み出た。月明かりが流れるように彼の姿を照らし出す。
銀白色の髪が風に揺れ、深紅の瞳が暗闇の中で静かに輝いている。その眼差しには迷いも恐れもなく、ただ鋭く私を見据えていた。彼の手には剣――何人もの命を奪ったであろう、敵国の剣士が持つものだ。
「……
「お前の目的は何だ」
私は問いかける。だが彼は何も言わず、代わりにゆっくりと剣を鞘へ収めた。その仕草は、私に対する敵意のない証とも取れた。
「……お前は、処刑される身だったはずだ」
敵国の剣士を捕らえ、処刑することで我が国の勝利を世に示す――それが決定事項だった。だが、彼はここにいる。
「逃げたのか?」
問いかけると、白蓮はようやく口を開いた。
「……違う」
その声は驚くほど静かだった。焦りも、怒りも、恐怖も感じられない。彼はこの状況をすでに受け入れているかのように、ただ私を見つめていた。
「お前は……」
私は言葉を切る。違和感があった。まるで、彼は逃げたのではなく、ここに来ることを最初から決めていたような――。
その時、遠くから衛兵たちの足音が響いてきた。警戒の声が上がり、こちらへと近づいてくる気配がする。
「ついてこい」
思わず口にした言葉だった。理屈ではない。だが、白蓮は一瞬だけ私の手を見つめると、何も言わずに頷いた。
私は彼の手を引き、夜の闇へと駆け出す。影のように石畳を踏みしめながら、心の奥で確かに何かが揺らいだ。
これは、敵を助ける愚行なのか。それとも――。
私たちは王宮の裏手へと抜け、城壁の影に身を潜めた。遠くで衛兵たちの声が響いている。
「なぜ逃げない?」
息を整えながら尋ねると、白蓮は微かに笑った。
「……お前がついてこいと言ったからだ」
その答えに私は言葉を失った。彼の瞳には、奇妙な静けさと、何かを見極めようとする光が宿っていた。
次の瞬間、夜の闇を裂くような鋭い矢が飛んできた。私はとっさに白蓮を押し倒し、矢が背後の壁に突き刺さる。
「見つかったか……」
白蓮が低く呟いた。私は彼の腕を掴んだまま、息を潜める。もう迷っている時間はなかった。
「行くぞ、白蓮」
私は彼を連れ、さらに深い影の中へと駆け出した。
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