さすらいの武蔵

田中 凪

第1話

 万保(ばんぽう)十六年、世には動く死体『妖怪』が蔓延り人心を脅かしていた。

 時の将軍『徳川家吉(いえよし)』は妖怪退治を生業とする侍に奨励金を出す。

 これにより、農民の次男や三男までもが侍を名乗るようになる。

 後に『殲獄(せんごく)時代』と呼ばれる生と死が入り乱れた時代が到来した。

 そしてこれはそんな殲獄時代を生きる一人の侍『武蔵(むさし)』の物語である。


「源五郎!覚悟ッ!!」

 俺は風雲城の天守閣で城主、北野源五郎と対峙していた。

 源五郎は刀を構えた俺を見ると、小馬鹿にするように鼻で笑ってみせた。

「……ふん。農民上がりの似非侍がこの儂を討つとは笑わせる」

「似非侍とは限らんぞ?拙者もいるでござる」

 俺の隣には名門佐々木家の現当主、佐々木薫が立っていた。

 薫は偽物の侍の俺とは違い、ちゃんと研鑽を積んだ本物の侍だ。

「一人増えたところで、それにどれほどの違いがあろうか?」

 源五郎は腰掛けから立ち上がると、唐突に鎧を脱ぎ始めた。

 いや、鎧だけではない。羽織から袴から何もかも脱いでしまった。

「……見せてやる!儂の本当の姿をッ!!」

 そう言うと全裸の源五郎の身体がうごめき、人の形を失っていった。

 源五郎の正体は、この辺りの妖怪を統括する上位妖怪なのだ。

「武蔵殿!気をつけて!!」

「薫も無茶はするなよッ!?」

 俺たちは気を引き締めて、刀を握る手に力を込めた。

 やがて源五郎は変身を終え、大きな黒鬼へと変貌を遂げた。

「かかってくるが良い!虫ケラ共!!」

 源五郎は長さ七尺もある鉄製の混紡を持つと、仁王立ちで挑発してきた。

 その姿はまさに『鬼に金棒』と形容するにふさわしかった。

「薫!挟み撃ちにするぞ!!」

「御意ッ!!」

 俺は源五郎の右側に、薫は左側に回り込んだ。

 いくら十尺近くもある大鬼でも、二人同時には相手できまい。

「ふん!猪口才な!!」

 源五郎が一振りした金棒が俺の顔面に近づいてきた。

 その瞬間、俺の中は走馬灯のようにこれまでの旅の映像が見えた。

 あれは、つい数日前の出来事だ。


「やっぱり本物の侍は格好良いなぁ……」

 僕、武蔵はうどんをすすりながら颯爽と歩く侍たちを羨望を嫉妬の目で見ていた。

 僕も侍を名乗ってはいるが、元農民の僕は『似非侍(えせざむらい)』と呼ばれる。

「お侍さん、うどん一杯十五文ね?」

「……十四文に負けてくれませんか?」

 かっぷくの良いうどん屋の女将さんに僕はダメ元で尋ねてみた。

 似非侍の僕には、割の良い仕事なんてなかなか舞い込んで来ないのだ。

「……」

「……ダメですよね?」

 僕と女将さんは数秒間見つめ合っていた。

 というか、正確には僕が女将さんから睨まれて小さくなっていた。

「仕方ないねぇ、他の客に言うんじゃないよ?」

「ありがとうございます!」

 僕は感謝を込めて、どんぶりを片付ける女将さんの背中に深々と頭を下げた。

 だが同時に、たかが掛けうどんの為にこんな惨めな想いをする自分が情けなかった。

「さ、食い終わったのならさっさと行っとくれ」

「すみません」

 すごすごと僕はうどんやを後にすると、町の立て札を探しに出た。

 そこには侍向けの仕事、つまり妖怪退治の案件が書いてあるはずなのだ。

「もし、そこの御仁」

「ん?どうしたんだいお侍さん」

 僕は道を歩く年配の男性に、立て札がどこにあるか訊くべく声をかけた。

 一つの場所にとどまらないさすらいの旅人には、この町は大きすぎる。

「立て札がどこにあるか知りませんか?」

「立て札だったら、お城の前に立ってるよ。ほら、あそこの……」

 そう言うと男性は町の中心にそびえ立つ、巨大なお城を指さした。

 お城の屋根には群青色の瓦が所狭しと敷き詰められ、陽光を反射して輝いている。

「……すげぇ」

「すごいでしょ?城主の四成様が去年、改築なさったんだ」

 あんな巨大な城を改築できるなんて、城主はよっぽどのお金持ちに違いない。

 これは、依頼料にも期待が持てそうだ。

「ありがとうございます!」

「お侍さん、気をつけてな!?」

 僕は男性の脇を通り抜けると、良い依頼を確保すべく足早にお城を目指した。


「しかし、広い町だなぁ」

 僕は走らない程度の早さで、お城へと続く道を歩いていた。

 うかうかしていたら、おいしい依頼を他の侍たちにとられてしまうからだ。

「……げっ!?思った通りだ」

 道を歩き続けていた僕は、お城の堀の前に集まる人混みを見て言葉を漏らした。

 人混みを構成していたのは、腕っ節の強そうな侍がほとんどだったからだ。

「この際、何でも良いから残っててくれよ……」

 あんなに侍が集まっていては、楽で稼ぎの良い依頼は残っていないだろう。

 この際、野犬の妖怪退治でも良いから残っていて欲しかった。

「すみません!通してください!!」

 僕は人混みの最後方から叫んだが、誰一人として道を譲ってはくれなかった。

 侍の世界は早い者勝ちだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。

「よしっ!俺様はこれにしたぜ!!」

「おい!その依頼は俺が先に目をつけたんだぞ!?」

 立て札の前で、二人の侍が依頼を争って喧嘩を始めた。

 侍は荒くれ者が多いから、この手の小競り合いは日常茶飯事だ。

「ふざけんな!そんなの知らねえよ!!とった者勝ちだ!!!」

「ああ!?やんのか!!?」

 樫で出来た棍棒を持つ大男と、鎖鎌を持った男が殺気立っている。

 周囲の侍たちは、巻き込まれないように二人から距離をとった。

「(もしかして、今が好機なんじゃね?)」

 二人の侍が争っている今が、おいしい依頼を手に入れる好機だと僕は思った。

 僕はあの二人のように、争ってまで依頼を手に入れられないのだ。

「この依頼は俺様のだ!!」

「いいや!まだ正式に受領してないからお前のじゃない!!」

 二人の侍は、我こそが依頼を受けるにふさわしいと立て札の前で争っている。

 両者、武器を構え間合いを計り始めていた。

「(好きなだけ争っていてくれ。こっちは好きにやるから)」

 僕は気配を消して、争う二人と立て札の間に滑り込んだ。

「(おっ!?これなんか良いんじゃないかな?)」

 僕は、立て札に張り付いていた一枚の依頼を手で剥がした。

 だがその瞬間、僕は後ろから肩を叩かれた。

「もしそこの御仁、その依頼をそれがしに譲ってはもらえぬか?」

 振り返ると、顔を笠で隠した剣客らしき男が僕の肩に手を置いていた。


 剣客は静かで穏やかな口調でそう言っていたが、有無を言わさぬ雰囲気があった。

「よろしいかな?」

「……あ、はい!どうぞ!!」

 情けない話だが、僕には剣客に反論する度胸はない。

 僕なんかがこの剣客と戦ったって、勝てっこないと思ったからだ。

「かたじけない」

 剣客は僕が差し出した依頼の紙を受け取ると、軽く会釈した。

 そして、正式に依頼を受領すべく奉行所へと向かった。

「おいてめえ!何、ドサクサに紛れて抜け駆けしようとしてんだ!?」

「その依頼も俺が目をつけてたんだぞ!!?」

 しかし、奉行所へと向かう剣客の前にさっきまで争っていた二人が立ちはだかった。

 自分たちが争っている間に、別の依頼がかすめ取られるのが気に障ったのだろう。

「それがしがこの依頼を受けることに何か問題でも?」

「何か問題でも?じゃねぇんだよ!!」

 棍棒を持った大男は、剣客の態度が気に入らないのか眉間に血管が浮き出ている。

 剣客に今にも殴りかかりそうな勢いで、剣客に怒鳴っている。

 もじかしてここに居たら、僕も危ないんじゃ?

「これは失礼した。しかし、おぬしらは別の依頼を受けるのであろう?」

「勝手に決めんな!これが受けられなかったら、それを受けるんだよ!!」

 鎖鎌の男も、棍棒の男から剣客へと標的を変えていた。

 しかし流石は荒くれ者と言うべきか、聞けば聞くほどに無茶苦茶な主張だ。

「それは異な事を、すべての依頼はとった者の物であろう?」

「……とった者の物……ねぇ?」

 まるで言葉尻をとるかのように、鎖鎌の男が剣客の言葉を繰り返した。

 その瞬間、僕には次の展開が読めた。

「……って事は、こう言うのもありって事だよな?」

「アレはお前にくれてやるよ」

 そう言うと、大男と鎖鎌の男が剣客に対して己の得物を構えた。

 剣客から力尽くで依頼を奪い取ろうというのだ。

「せっかく新しく買ったばかりの笠なのだが……致し方なし」

 剣客の方も話し合いで解決しようとか、そんな気は全く無いらしい。

 腰に差した刀の柄に右手をかけると、左足を大きく後ろに引いた。

「(ヤバいッ!)」

 そう思うが早いか、僕は三人に背を向けると一目散に逃げ出した。

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