ふらり
千猫怪談
第一話
「ああ、圭ちゃん、おはよう」
「おはようございます。よっちゃん、今日も綺麗ですね」
「あらいやだ、次期社長にそんなこと言われたらかなわないわよぉ」
受付の洋子さんは四十を越えた中年の女性、少しふくよかな体型をしていて、いつも明るさを絶やさない愛嬌のある女性だった。
父親の久世歳道は既に六十を越えていた。祖父の代に興した久世林業を引き継いだのが三十年ほど前。従業員は僅か二十人程度の小規模な会社だが、従業員一丸となって、地元の林業を支えてきた。
この規模の会社なのだから、当然、従業員とは家族同然の付き合いだった。父の歳道は誰に対しても分け隔てなく接し、従業員の家族が病気になれば見舞いに駆けつける。そんな男だから信頼も厚かった。
圭介は近い将来事業を継承する予定であるが、そんな父の息子なら、と誰もが温かく迎えてくれた。
「あれ?サダさんは?」
「あらやだ、もう表で準備してるんじゃないかしら」
圭介が尋ねると、すぐによっちゃんが窓の外に視線を送った。
二階の事務所の窓から駐車場を見下ろすと、サダさんがトラックの荷台に工具やら何やらを詰め込んでいるのが見えた。すぐにサダさんがこちらに気付き、手をあげた。圭介が窓から声をかける。
「サダさん、気が早いですよぉ、まだ時間あるからゆっくりしてればいいのに」
「おう、ケイ坊、何悠長なこと言ってんだ。こういうのはな、準備が大事なんだよ」
サダさんこと
当然、圭介とサダさんも幼い頃から家族ぐるみの付き合いであり、圭介からすると歳の離れた兄のような存在であった。呼び方も子供の頃からずっとケイ坊で一貫している。流石に会社では恥ずかしいから変えてくれと訴えたが、お前が社長になったら変えてやるよ、と断られてしまった。
出発の準備が終わると、圭介たちは社有林である日渡ヶ森へトラックを走らせた。
「ケイ坊、お前も大変だよなぁ。俺なんて勤め人だからまだ気が楽だけどよ。お前の肩に従業員全員の生活がかかることになるんだからなぁ。もう数年もすれば社長だろ?」
圭介は今年で二十九になる。地元の大学を出てから父の口添えで取引先の会社に就職した。いわゆる他社修行というやつだ。一通りの仕事と、取引先との人脈が築けたところで、そろそろということで父の会社に戻ったという訳だ。
「いやぁ、そうだけどさぁ。なんだか実感が湧かないんだよね。もちろんみんなの期待は感じてるんだけど」
「お前何言ってんだよ、そんなんで俺たちの生活守れるかっての。自信持てよ自信を」
サダさんの言う事はもっともなのだが、実感が湧かないものは仕方がない。世話になった取引先の会社で、一通りの社会性を教えてもらった。商売の仕方も学ばせてもらった。あとは自覚だけなのだろう。立場が人を作るという言葉もあるし、それはまだ将来の自分に期待すればいいと思っていた。
しばし車を走らせると、見渡す限りの山林が見えてきた。ここ一帯が久世林業が保有する山だった。空はどんよりと曇っており、いつもに増して山は暗く見えた。予報ではすぐに晴れてくると言っていたのだが、あてにならないものだ。
「雨降ってきそうだなぁ。だから早く出てきてよかっただろ」
サダさんがなぜか自慢げに言った。別にだからなんだという感想しかないのだから適当に会話を合わせることにした。
「まあそうだけど。暗いなぁ、気をつけて作業しないとなぁ」
林業というのは手間がかかる仕事だ。苗木を育て、植え付けする前に
そうして苦労して伐採した材木であっても不況になれば木材価格は下がり経営は苦しくなる。平素でも決して余裕があるわけではないのにだ。過酷な仕事だ、でも誰かがやらなければならない。そう父は口癖のように言っていた。
圭介たちはばらけて
目の先の緩い起伏の続く木株の上に、一羽の鳥がいた。見たことのない鳥だった。羽毛は目が覚めるほど赫い。まるで燃えているように眩い。赫い鳥はこちらをじっと見ている。否、圭介をじっと見ている。
「あ、え…?」
その鳥は動かない。ただ圭介を見据えていた。まるで何かを言わんとしている様に。圭介もまたそれから目を逸らせずにいた。圭介は無意識に鳥のいる木株の方へ一歩踏み出した。なぜそうしたのか分からない。
ヒュウと鋭い声が空を裂いた。
次の瞬間、
圭介はその羽に強く惹かれ、ポケットに仕舞い込むと、サダさんの元へかけていった。
サダさんに羽を見せながら話すと、ひょっとして伝説の火の鳥じゃないか、とか、鳳凰じゃないか、とかそんなことを言い合ったが、結局はなんだかよく分からない珍しい鳥がいたんだろ、という結論に至った。
それからすぐに雨が降り始めたので、圭介達はその日の作業は切り上げ事務所へと戻る事にした。
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