二話 体育祭トライアングル
始業式の日に陽花に出会ってから、私の日常は少しずつ変わっていった。
当時は、柊さんって呼んでたっけ。
当時の私は、一人で帰る陽花をみて、いじめられてるのかなと、勝手に想像してしまっていた。
そこで私は気になり、教室での陽花の様子を見に行った。
それは決して恋心ではなかったし、心配というほど、綺麗なものでもなかった。同情、憐れみ、偽善というものが近かっただろうか。
教室で見た陽花は、窓際の席でいつも一人だった。いつも気怠そうな顔をしていたが、どこか儚げで凛々しく、孤独を感じさせない雰囲気だった。
私が彼女の事を意識的に気にし始めたのは、この時からだと思う。陽花の状況を自身に置き換えた場合、教室で独りなのは耐えられないと思ったからだ。
休み時間、陽花は基本的に手際よく次の授業の準備だけして、スマホを弄っていた。昼休みだと時間が長いからか、読書をしていたっけ。本にはカバーを着けていて、何を読んでいるかまではわからなかったけれど。
時々、姿がない日もあった。始業式の日のように休んでいるのかなって勝手に思っていた。
その後も、しばらく観察していて、いじめられてる様子がなかったので直接聞くべく、陽花を昼食に誘った。その時に、少し踏み込んだ話をしたら、「はぁ!?」と、面食らった顔で、見た目に似つかない反応をしていたのを覚えている。そのギャップが面白おかしくて、私を更に惹きつけた。
陽花は、真面目そうで物静かそうな見た目とは裏腹に、意外と頑固だなと思う出来事が会った。
陽花が驚いて立ち上がった際に、持っていた紅茶をスカートに零してしまったのだ。私はそれをハンカチで拭いたんだけど、彼女はハンカチを洗って返すと言ってくれた。
そこまでは普通なのだが、私が大丈夫だと言うと、迷惑をかけたからと話して譲らなかった。きっと、借りとか公平性ってやつを大事にするんだと思う。
翌日、陽花の性格を際立たせた出来事があった。
彼女は「明日返す」と言っていたが、私としてはいつでもよかったし、洗濯が間に合わないのでは?と思っていたので、あまり気にしていなかった。
けれど、休み時間や昼休み、彼女は、私のいる教室に姿を見に来ていた。
私はというと、気づかないフリをしていた。今思えば、あの時の私は最低だったと思う。
言い訳でしかないけれど、私は一人では生きていけない。孤立するのが怖い。友人なのかどうか怪しい人達との関係を維持するため、「それな」「わかる」等、中身のない会話を優先させたのだ。
もし、それを蔑ろにして陽花の方へ行ってしまったら、空気が読めない付き合いの悪いやつというレッテルを貼られてしまう。それが恐ろしかった。
部活終わりに陽花に会いに行こうと思ったけれど、先輩に一緒に帰ろう?と誘われてしまった。陽花が部活終了時刻まで、待っている保証は無かったし、それより部活内の人間関係、厳しい先輩に気に入られるのに、私は忙しかった。
帰り道、先輩がコンビニに寄りたいと言い始めた。無論、断る理由も度胸もない私は、二つ返事でオーケーした。
すると、ずっとタイミングを見てたのか先輩がコンビニに入っている間に、陽花がハンカチを返しに来た。陽花は震えた声で私の名前を呼んでいた。
たまたま家が近くだったのかなと思ったが、彼女は真逆の方向だと話た。それに、衝撃を受けた。
だってハンカチ一つ返すためにそこまでするなんて、私には考えられないからだ。
陽花はその場を去ろうとしたけど、立ちどまって、再びこっちに向かって歩いてきた。
その時の陽花の様子は、明らかにおかしかった。息は上がっていて、顔は地面を向いていた。
わずかに見える口元は、何かを吐き出そうとして、でもできないような…彼女のもどかしさが、ひしひしと伝わってきた。
私が大丈夫?と声を掛けると、彼女は顔を上げた。彼女の口が開き、「ありがとうございました」と音を出した。
目が泳ぎながらも必死に視線を合わせようとしていて、顔も赤い。照れているようにも見えた。頑張ったんだろうなと思った。
そして、"ありがとう"を伝えるのに、ここまで真剣になれるのは素敵だなと思った。
気づけば、立ち去ろうとした彼女の腕を掴んでいた。
彼女と”深い関係”になりたい。そう思った。この時はまだ、”深い関係”を明確に言葉にできなかったけどね。
その後に私から誘って、陽花と駅ナカのカフェに向かうことになった。
自転車に二人乗りをした際に、陽花の手がそっと私の体に触れた。
最初は遠慮気味で、ワイシャツの先をちょこんと掴む程度だったが、落ちると危ないのでしっかり掴まってというと、腰回りに手を添えてくれた。
シャツ越しに伝わる陽花の指は、細く繊細で、九月の暑さを感じさせないくらいほんのり冷たくて心地よかった。
言葉にすると、いささか不適切な表現だと思うけれど。ほんの少し、陽花を異性のように意識していたと思う。理性が女の子同士だ。と自分に言い聞かせて、平穏を保ったけどね。
カフェで私は、アイスカフェオレを頼んで、陽花はホットココアを頼んだ。九月にホットココアを頼むのも意外だったが、それ以上に、陽花はてっきりブラックコーヒーしか飲まないと勝手にイメージしてたので、何だか可愛い一面を発見できたようで嬉しかった。
正直、席に着いてからの会話は、あまり弾まなかった。それに、お互いに気まずかったと思う。
ではなぜ、私が陽花をお茶に誘ったかというと、たぶん友達になりたかったからだと思う。
でもこれは、後付けの理由。当時はそんなこと考えずに誘っていたと思う。
私は陽花に、「体育祭は出るの?」と聞いた。彼女は、「いや…」と言葉を詰まらせて、考え込むように下を向いてしまった。
私はてっきり、陽花は「出ない」と即答するものだと思ってた。
だって、教室では一人だったし、始業式では一人早退していたからだ。そういったことに、興味ないのかなと思い込んでいた。
「でないの?」と返事を催促すると、より深く悩んでいるようだった。
私は思った。彼女は望んで一人でいる訳ではないのかなと。だって、一人が好きだったら、お茶なんて誘われても来ないだろうし、そもそもランチだって断ってたかもしれない。
陽花の背中を押したくなった。手を引っ張って見たくなった。そして、学校という海で、人間関係という魚の群れに流されて溺れそうな私を、救ってほしいと勝手な期待を添えた。
二話 【体育祭トライアングル】
天野さんとカフェに行っていたら、帰りが二十時近くになってしまった。
親に小言を言われるかもしれないけど、まあ、大丈夫かな。
大丈夫と思っていても、帰りが遅いのはやっぱり気が引ける。ドアノブを引くことを少し躊躇しながら、自然と息の交じった小さい声で「ただいま」と言いながら、玄関を開けた。
「え…、あ、おかえりなさい」
たまたま、お母さんと玄関で顔を合わせた。
何か言いたそうな表情をしていたが「ただいま」を聞いた瞬間、お母さんが一瞬固まった気がする。
帰りが遅くなるのは始めてだった。そのせいか、お母さんの表情筋が強張って、叱ろうとしていたのがわかる。けど、今はそれが緩んでいる。なぜだろうか。
「…。夕飯いるんだったら、陽花の分、冷蔵庫に入ってるから。味噌汁は温めたばっかりだから、自分でよそって食べなさい」
動揺を隠してるのがわかるくらい、いつもより少し声が高い。私は変な事を言っただろうか。
「わかった」
リビングに向かうと、丁度お父さんも食事中だった。お父さんはお酒を飲んでいて、テレビを観ながら食事をとるので、食べ進めるのが遅い。
けれど不思議なことに、家族の中で食べるのが一番綺麗だ。魚なんて、絵に描いたように綺麗に骨を避けて食べてしまう。
「おっ。おかえり。平日に陽花と夕食をとるなんて、久しぶりだな」
「うん。そうだね」
お母さんと二人で食事をとる時もテレビはつけているが、私もお母さんも観ずに素早く食事を済ませてしまう。
でもお父さんは違っていて、バラエティ番組を観て笑いながら食事をするので、気まずくない。お母さんが嫌いとかそういうのではない。
そもそも、明確に嫌いな人間なんているはずもない。嫌いになるほど他人をよく知らないから。
不思議と今日は、お母さんが食器を洗っている音、お父さんの笑い声。テレビの音が耳によく届く。なんだか懐かしいように感じてしまう。週末は三人で夕食をとっているので、珍しい光景ではないのに。
おかずを取ろうとしたら、お茶碗から白いご飯が無くなってるのに気づく。箸をカチカチ言わせながらおかわりをしようか迷っていたら、キッチンの水道の音が止まった。
「おかわり、いる?」
さっきから、お母さんは慣れない気遣いのせいか、声がいつもと違う。視線も泳いでいて、決して目を合わせない。
「え?うん。ありがとう」
お母さんにお茶碗を手渡す。久しぶりに触れたお母さんの手は、昔より、少しシワが多くなっているような気がした。
私が天野さんに、一歩踏み出したように、お母さんも親として?寄り添おうとしてくれてるのかなと考える。
遅くなった理由とか、聞かないのかな。
聞かれたいかと言われたら、聞かれたくないんだけど…。でも、無視されたいかというと、わからないという我ながら何とも面倒くさい答えが頭に浮かんでくる。
私が夕食を食べ終えても、お父さんはまだ食べていた。そういえば、最近「ごちそうさま」も「いただきます」も言ってないな。
そんな事を考えながら、食器を台所に持っていく。
いつもなら、お母さんと一緒に食べた後、お母さんがまとめて洗うのだが、お母さんは洗い物を既に済ませている。置いておけばきっと洗ってくれるだろうが、何となく"それは違う"と思ったので、自分で洗うことにしよう。
「お、皿洗いなんて珍しいじゃないか。小遣い目当てかー?」
お父さんはすっかり酔っ払っていて、目を細めてニヤニヤしながら、楽しそうにからかってくる。
「なに?増やしてくれるの?」
喧嘩腰に言ってしまった。私も愛想が無いな。もう少し冗談っぽく言えないのだろうか。
「よし、じゃあ…」
お父さんは立ち上がり、自分の財布をゴソゴソし始めた。すると、折りたたみ財布から少しくしゃくしゃの千円札を三枚、キッチンカウンターに置いてくれた。
「え、ありがとう…」
家事を終え、テレビを観ているお母さんがチラ見してきて少し受け取りにくいけど、私はお金の誘惑に勝てるほど強くない。
お父さんは、お母さんの視線が気にならないのだろうか?何事も無かったかのように空いたグラスにビールを注いでいる。
皿洗いも終わり、部屋に戻った。お風呂に入らないといけないが、先にお小遣いを財布にしまおう。
シャワーを浴びて、汗や化粧を洗い落とす。そして最後、湯に身体を沈める。
この妙に無音というか、必要な音しかしない浴室という空間にいると、考えがよく回る。落ち着かないわけではないけど、長居もできない。そんな空間だ。
体育祭か…。何するんだろう。応援団とか言われたら無理だよ、私…。でも天野さんに出るって言っちゃったしなぁ。
そもそもなんで、天野さんはあんなことを聞いてきたんだろう。知り合って間もないし、何かメリットでもあるのかな。いや、人間関係を損得で語るのは駄目か。頭ではわかっているはずなのに、私は意味とか意義ってやつを、つい考えてしまう。
いけない、いけない。このままでは余計な事まで考えてしまい、ついには、友人の定義とは?などと考え込んで、天野さんと次会う時に気まずくなってしまう。
私ってこういうの苦手だったな。どうしよう…。
あ、でも、そういえばさっき、「ただいま」って久しぶりに言ったな。そっか、さっきお母さんが目を丸くしたのは、そういうことだったか。
「………」
今更だが少し照れくさくなった。照れ隠しか、頭も湯に沈めぼーっとする。
少し目を開ける。水面に暖色の光がゆらゆらと反射していて綺麗だ。こうして頭まで湯に浸かってしまえば、空調や扉の向こうのテレビの音さえ届かない。自分で体を動かす音と、心臓の鼓動の音だけが私を包み込む。
体が火照って、息が苦しくなってきたこれ以上お風呂で考え事をしていたらのぼせてしまう。もう出よう。
翌日、自然と目が覚めた。手を組んで天井に向かて伸ばす。
こんなに目覚めがいいのはいつ振りだろう。目覚ましが鳴る前に起きるなんて…。昨日の事といい、何かが変わる予感がする。だって、カーテンの隙間から差し込む光が、こんなにも輝いて見えるのだから。
「ん…?」
そういえば、目覚ましで起きてないって…。急いでスマホを確認する。時刻は十一時を回っていた。
「はぁ…」
呆れて深いため息をつく。気分が良かったのは束の間、ゆっくりと起き上がり一階で顔を洗う。
ちなみに、両親は寝坊しても起こしてくれない。中学の頃は起こされた記憶もあるけれど、いつの間にかなくなっていた。
洗面所の鏡に映る顔が目に入る。これは、久しぶりに良く眠れて少し満足してる顔だ。そんな顔をしている場合かと再びため息をついた。
部屋に戻り、制服に着替えて髪をセットする。セットといっても、くしで髪を梳かす程度なのだが。
玄関を開けると、熱気が肌にまとわりついてくる。後ずさりするのを我慢して、学校に向かった。授業中に到着するのは、いくら私でも気まずいので、お昼休みに着くように調整する。
自業自得なのだが、太陽が昇りきっていて、とんでもなく暑い。風が弱く、生ぬるい空気が飛ばされずに残っている。
「天野さん…。人間、一日じゃ何も変われないよ…」
学校に着くと、私は食堂に向かう生徒に紛れながら足早に教室へ向かった。
席について周りを見渡す。周囲が私の事を気にしていない事を確認し、安堵する。我ながら自意識過剰だ。まあサボるのは珍しくないので、堂々と本を読むことにしよう。
しばらくすると、食堂などで食事を終えた生徒たちが、少しずつ戻ってきた。
すると、一人の男子生徒が話しかけてきた。
「来ないと思ったよ」
「えっと…?」
「三島だよ。三島隼人。同じ体育祭実行委員だろ?」
あー。こいつが隼人と呼ばれていた奴か。少し日焼けして、清楚感があり、顔の整っているイケメンだ。
「ごめんね。三島君。委員会には出席するから、心配しないで?」
うわぁ…。わかりやすく猫を被ったなぁ、私。
「いや、いいんだ。こっちこそ急に悪かった。じゃあ、また後で」
「うん」
駄目だ。三島が私のことを可愛いと話していた情報が邪魔をする。どうしても、三島を色眼鏡をかけてみてしまう。どう接したらいいんだ…。
それにしても、随分あっさりした挨拶だったな。緊張してる様子も無かったし。可愛いと話してたのは嘘…?いや、可愛いと好きが繋がるってのが違うのかな。
放課後、わざわざ三島は私のもとに来た。
「行こうぜ」
「うん」
こうも積極的に来られると、私に気があるのか、それともサボらないよう監視役なのか、わからないな。そんなことしなくてもサボらないのに。言っても信じないか。私も信じない。
第二多目的室は、滅多に使われない事が容易に想像できるほど埃っぽかった。
けれど薄暗い教室は、カーテンの間から差し込む光に埃が反射していて、ほんの少し幻想的な空間を演出していた。
「誰もいないね…」
三島と一瞬目が合う。来るのが早かったのか二人きりだ。彼に何か思うところがあるわけじゃないが、異性と二人きりで慣れない空間。落ち着かない…。誰か来てくれないだろうか…。
気まずい。教室の外の雑音が籠もって聞こえてくる。
「お、一年。早いな」
一組の担任だ。体育祭実行委員担当の先生なのかな。まあ、イメージ通りだ。
「ほいっ。突っ立ってないで机と椅子。準備しろよー。生徒会と実行委員合わせて20人くらいは来るからな」
「わかりました」
どこからやろう?机を運んでから、椅子を並べたほうが効率的かな。
私が机を運ぼうとすると、三島が何も言わずに手伝ってくれた。意外と、馴れ馴れしいだけの奴じゃないみたいだ。
他の女子にも同じ用に接しているのだろうか?それなら、他の女子が私に陰口を叩くのもわかる気がする。そりゃあ、モテるわけだ。
長方形の机は、四方にお互い向き合うように並べられ、中央に広い空間ができた。
椅子は一人で持てたけど、ほとんど三島が運んでくれた。
「おつかれ。座って待ってようぜ」
「うん。三島君、ありがとう」
「お、おう」
なんだか、私じゃないみたいだ…。体育祭が終わるまで、こうやって猫を被らないといけないのだろうか。持つという自信はあるが、疲れるな。
それから数分後、他の生徒達が集まってきた。その中に天野さんの姿があった。
各学年ごとに固まって座ったので、比較的近い席に座ったが、人を挟んでいるので話せるほどの距離ではない。それでも、知っている人が一人でもいるだけで、なんだか安心する。天野さんだからかな。それとも、知っている人だったら、誰でも良かったのかな…。
「えー。体育祭実行委員を担当することになった一年一組担任の
「ごほん。三年二組担任、生徒会の顧問、
真面目そうだ。四角い眼鏡が「ガリ勉です」と主張している。偏見だが、怒ったら一番怖いタイプだと思う。
「それでは、生徒会長。よろしく」
「三年一組の
挨拶が堅い。見た目は、野球部って感じなのだが、どこか優等生というか、堅物のような雰囲気がある。
そんな生徒会長が進行する実行委員の会議は、会議というより生徒会長の中で予め決めていた役割分担を発表しているようだった。一目で優秀なのは伝わってくるのだが、酷く退屈な会議だ。
組ごとに役割が決められていって、会計、書記は生徒会が。アナウンス、実況は放送部と三年一組が。審判と記録係は三年二組と二年一組、一年二組が担当することに。
天野さんのいる一年一組はというと、二年二組と三年三組と合同で備品の確認と準備をすることになっていた。
「それ以外にも、パンフレット作成やスケジュール表の作成をしてほしいんだけど、パソコン得意な人いないか?いなければ、情報処理部にお願いして、二年三組と一年三組は、人手の足りないところの補填って感じになるんだけど」
パンフレット作成か。家でもパソコンいじってるし、それならできそう。だけどここで「得意です!」と、主張しておいて、満足の行く代物が出来なかったらと思うと、手を挙げにくい…。
それに、肉体労働じゃないし楽そうだ。そんな邪な気持ちがあるせいか、周りの視線が気になって仕方がない。
「柊。お前、情報の授業でパソコンの成績良かったよな?興味あるならやってみないか?」
悩んでいると、葛木先生が背中を押す発言をしてくれた。ここで私が「イエス」と言えば、それで決まる話だ。でも、良いのだろうか?クラスごとに役割が分かれるとしたら、三島も巻き込まれることになる。
「三島君、いいかな…?」
「俺はいいよ、柊が決めて」
気遣い…なのかな。三島は優しい。ここで「本当にいいの?」と迷っても、周りに迷惑だ。きっぱり決めておこう。
「やってみます」
「ありがとう。柊さん。三島君も。それから、二年三組も一緒に柊さんのサポートするように」
一時間ちょっと経っただろうか。流石は生徒会長に選ばれるだけはあり、パパッと決まってしまった。独裁気質なのだろうか?話し合いという話し合いも殆ど無かった気がする。
解散ムードになり、各々が席を立ち、同じ役割の人達に挨拶している。私達の方も、二年三組の先輩だろうか?話しかけてきた。
「柊さんって言ってたっけ。お疲れ様。私は
「
「おれ、三島隼人って言います。よろしくお願いします!」
「柊陽花です」
おお…自己紹介。高校生っぽいな。いや、紛れもなく私は高校生なんだけどね。
堂島先輩は、体ががっちりしてて背筋もピシッ!としている。文武両道って感じの雰囲気だ。柔道とかやってそうだな。
一方、一之瀬先輩は……。
実は、私を含め、多目的室に彼女が入って来た瞬間、一年生はほぼ全員、彼女に注目してたと思う。なんてたって白銀の髪で、瞳の色は綺麗なスカイブルーだ。ファンタジー世界のお姫様みたいで、少し憧れてしまう。
けれど、校則で髪の毛を染めるのは禁止されてるし…。いや、茶髪とか金髪の人をたまに見かけるけど、注意されてるの見たこと無いな。うちの学校ってそういう所は、緩いのかもしれない。
でも踏み入るのはやめておこう。そういう病気もあるって言うし、もしそうだったなら…私なら触れられたくない。
「私達はサポートって言われたけど、どうする?本当に柊さんが主体でやる?」
「えっ。」
「お、一之瀬。柊さんはやる気だったみたいだな」
えっ、待ってほしい。咄嗟に「えっ」と出てしまったが、そういう事ではない。ただ、選択権を握らされた事に驚いただけなんだけど…。
「柊、さっきやってみるって言ってたし、とりあえずやってみたら?失敗しても先輩がフォローしてくれるでしょ」
「三島君だっけ?君優しいね。柊さんの事、好きなの?」
「い、いやそんな事、ないっすよ…」
「えっ。この子わかりやすい!!かわいい!」
はぁ…。三島はわかりやすいな。手で赤面を隠しても説得力がない。私でも気づくぞ。
そんなことより、決定権を他人にパスする瞬間を完全に逃してしまった。まあでもせっかくの体育祭だし、少しは頑張っても良いのかな。天野さんに顔向けするためにも。
「色々迷惑かけると思いますが、やってみます!」
「君、いい顔してる。ね、堂島?」
一之瀬先輩の顔が近い…。でも、凄く綺麗だ。可憐、煌びやかという言葉は、彼女の為に存在するのではないだろうか。つい、見惚れてしまう。
「あんまり一年をからかうなよ。柊さん、コイツ誰にでもこんな感じだから。真に受けないように」
「は、はい。あはは…」
私の下手な愛想笑いを最後に、パンフレット作成チームは解散した。帰ろう……。
校門に差し掛かろうとすると、背中から声をかけられた。
「柊さん!!」
「天野さん?」
振り向くと、少し息を切らした天野さんが立っていた。話し合い、終わったのかな。急いできたんだろうか。
「一緒に帰ろ?」
「え、帰る方向逆だと思うけど…」
「駅の向こうでしょ?踏切まで。それに私、自転車だし」
理由になってない気もするけど、いっか。
学校から知り合いと帰るなんて、いつぶりだろう。小学生か、中学生か。もう覚えてないくら昔かな。
「わかった」
素っ気なかったかな。でも、天野さんの前で猫を被る理由ないし、いっか。
しばらく駅まで向かって歩いていく。ちょうど日が沈みかける時間帯で、夕日が空をオレンジ色に支配している。踏切までの歩道を天野さんと私、二人の長い影が覆っていた。
「実行委員だったんだね」
「うん。天野さんも?」
おかしな会話だ。あの場にいたのだから、確かめる必要もないのに。
「うん。バスケ部なんだけど、うちのクラス運動部少なくて。頼まれちゃった」
私と同じなのかな。でも天野さんなら笑顔で快く引き受けてそうだ。
「あ、そういえば天野さん。部活は?」
「今日は、お休みにしてもらったんだ。実行委員もあるし」
「そうなんだ」
「そういえば、柊さん。パソコン得意なの?」
「そこそこ…。かな?」
「なんだか意外。理系なんだ?見た目的に文系かと」
「理系じゃないし。そんなに頭良くない。ご存じの通り、不良なので。そもそも馬鹿にしてる?それ」
「してないよー!」
そう言って笑いあう。こんな日が来るなんて、思いもしなかった。
天野さんと歩く踏切までの道は、なんだかいつもより短いなと思った。
あれから数日が経った。クラスも違い、帰宅の方向も真逆で、実行委員の役割も違う天野さんとは、自然と顔を合わせることが少ない。
それでも、時々天野さんの方から話しかけてくれて、一緒に帰るようになった。
「一之瀬先輩、パンフレット、こんな感じでどうですか?」
「ん。良いじゃん。柊さん上手!」
一之瀬先輩は優しいけど、無条件で褒めるので頼りがいはない。そして、物理的な距離が近い…。
一方、堂島先輩は、一之瀬先輩を補うように、私が作った書類を生徒会に確認してもらう前に、必ず細かくチェックしてくれて、一番頼りになる先輩だ。
そして、いつの間にか堂島先輩には、呼び捨で呼ばれるようになっていた。
ちなみに、三島はというと……私と一之瀬先輩がパンフレットを作成している横で、堂島先輩にパソコンの使い方を教えてもらっている。
なぜか自然と男女で分かれるようになってしまった。これが普通なのだろうか?でも、この空気感は嫌いじゃない。
最初は、猫を被り続けることに疲弊するものだと思っていたけれど、案外慣れるものらしい。
いや、慣れたってよりは、なんだか昔の私に戻ったみたい。だって、今の私は猫を被って無いと思うから。
「柊、パンフレットの3ページ目誤字があるから修正しておいた」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「謝ること無いさ。それに…。おい、一之瀬。柊にベタベタするな。困ってるじゃないか」
「えー。なに?堂島?妬いてるの?柊さん、可愛いんだもんっ。いいでしょ?」
確かに…一之瀬先輩は距離が近い。いや、近すぎる。髪の毛をくるくるしてきたり、急にほっぺをすりすりしてきたり。でも、なんだかお姉ちゃんが出来たみたいで少し楽しい。
「…」
いや、少しじゃなくて楽しい。
最初は、最低限の仕事だけして、体育祭には参加する気は無かった。それは天野さんがきっかけで変わって、たぶん私の青春は、良い方向に向かったと感じている。
パンフレットや書類作成は順調だった。定期的に実行委員の集まりはあったけど、初日とは違って、割り当てられたグループごとに集まって座ったので天野さんとは席が遠かった。
それに、集まりが終わるとすぐにパソコンの置いてある情報教室に移動するので、やっぱり天野さんと話すタイミングが無い。
今は、三島と印刷した書類を職員室と生徒会室に届けるために歩いている。
「柊、半分持つよ」
「えっ。三島君、もう私と同じ量持ってるし、大丈夫だよ」
「いいから。おれ、パソコン苦手で柊だけに頑張らせてるから。せめて」
「う、うん」
三島は私の抱えていた書類を半分以上持ってくれた。少し辛そうにしてたけど、好意には甘えるべきなのかな。男の子としてのプライド?というものだろうか。それとも、純粋な私への好意なのか…。表情を見るに、そっちの可能性の方が高そうだ。
そういえば、誰かを好きになるってどんな感覚だったっけ。思い出せないな…。
「なーな。一之瀬先輩と堂島先輩ってどう思う?」
「どうって?」
「いや、息ぴったりじゃん?なんていうか、お互いのバランスが良いっていうか。付き合ってんのかなー、なんて?」
「そうかなー?私にはそうは見えなかったけど、親友とかに近いんじゃない?」
いつのまにか、三島とも自然に会話できるようになっていた。いつからかは、わからないけれど。成長…なのかな。
「今度、一之瀬先輩に聞いてみてよ。おれ、堂島先輩に聞いてみるからさ!」
「えー、恥ずかしいよ。そんなことより、早く用事済ませて教室に戻ろ。情報教室ってエアコンが利いてて気持ちいし」
「ただいま戻りました」
「お疲れっす」
情報教室に戻ってきたが、先輩たちの姿がなかった。エアコンは付けっぱなしで、しばらく扉が開閉されていなかったせいか、少し肌寒い。
電気をつけると蛍光灯の寒色の光が教室を照らして、寒さをより際立たせる。
「なんだか寒くない?」
「そうか?おれ涼しいくらいだけど」
「私、ちょっと肌寒いかも」
「確かに。柊は痩せっぽちだからなー」
「何?女の子の体観察して。変態」
馬鹿にしたような笑顔でからかってきたので、容赦ない真顔で言い返してやった。
そんなやり取りをしていると、教室の扉を開けて、先輩たちが帰ってきた。
「おつかれー。おっ珍しくいちゃついてるね、君たち」
「あ、一之瀬先輩。お疲れ様です。って…いちゃついてたわけじゃないですよ!」
「そー?三島君は、顔真っ赤だけど…」
「んなっ…。そ、そんなこと、ないっすよ」
三島は、顔を背けたが耳が赤いので照れているのはバレバレだ。
そこに、堂島先輩も少し遅れてやってきた。
「おつかれ。三島、柊。書類、ちゃんと届けたか?」
「あ、堂島先輩。お疲れ様です。はい。届けました」
「ちゃんと確認して貰えたか?」
「はい。これ、生徒会の受領証です」
数枚の受領証を一枚一枚丁寧に確認している。将来社長さんになりそうだ。
「よし。パンフレット作成も、スケジュール作成も終わったな。ひとまず、お疲れ。備品のチームが遅れてるみたいだから、手伝うことになると思う。まあでも今日は解散しよう」
私と三島は、「はい」と返事をしたが、一之瀬先輩は不満げに堂島先輩に突っつき始めた。
「堅いぞー堂島。堅いのは茶道部の中だけにしてくれー?」
「えっ。堂島先輩。茶道部なんすか。めっちゃガタイ良いんで、柔道部とかだと思ってまし」
「わ、私も…」
「わかるー!柔道部顔だよねー。堂島って。黒帯巻いてないのが不思議なくらいだよ」
「人を見た目で判断するな」
三対一の構図だ。なんか珍しい。それに悪くない。一之瀬先輩の笑顔。三島がからかわれて、わかりやすく顔を赤くしている姿。堂島先輩の頼りになってみんなをまとめているリーダーシップ。どれも好きだ。中学で拾い損ねたものが、この空間には詰まっている気がする。
でも寂しいな…。この関係はきっと、体育祭が終われば途切れてしまう。その時、私はどうなってしまうのだろう。
「ねーねーみんな。この後カラオケでもいかない?」
一之瀬先輩が不満そうにしていたのは、こういうことだったか。
「一之瀬…。備品チームが遅れてるって言ったろ。俺たちが先に終わったからと言って、遊んでいたら周りがどう思うか」
正直、カラオケは苦手だ。でも、先輩達と放課後に遊びに行くというのは興味がある。
「えーー。柊ちゃんが頑張ったから、早く終わったんだよ!?労いの意味も込めてさ!ね!ね!?三島君もそう思うよね!?」
「先輩…。そんな遊びたいんすか。てか、キャラ急に変わりましたね」
「えー。三島君ならわかってくれると思ったのになー。柊さんは?」
「え?私ですか?」
「うん。カラオケ。あーでも、カラオケじゃなくてもいいよ?」
あ、この人なんでもいいんだ…。じゃあ、少しわがまま言っても大丈夫かな?
「ファミレスとか…?ちょっと人前で歌うのは、ハードル高いかも…」
「お!いいねファミレス!堂島と三島君は?来るよね?」
一之瀬先輩は、瞳を輝かせながら二人に無言の圧力をかけている。それに加えて、恋人のように私の腕にしがみつき腕を組んでいるので、人質のような気分だ。
「さすがに女子二人の男子一人は気まずいっつーか…堂島先輩が行くなら、行くっす」
「だってよー。堂島ー」
「わかった。わかった」
堂島先輩は優しい。面倒見が良いというか、なんだかんだ放っておけないのかな。
「あ、柊さん!お疲れ!」
教室を後にすると、玄関で天野さんとたまたま会った。
「お疲れ。天野さんも帰り?」
「ううん。こっちはまだ終わんなくて…」
「そうなんだ…」
そうだよね。さっき堂島先輩が備品チームが遅れてるって言ってたし。なんだか、遊びに行くの、少し気が引けるな。
「柊さんの方は、パンフレットとかの作成だっけ?終わったの?」
「うん。ちょうど今日終わったところ」
「そっか。あ、じゃあまたね!」
「うん。またね」
なんだろう。別れ際の天野さんの反応、寂し気というか、少し違和感がある。手伝った方が良かったのかな。それとも、一緒に帰りたかったのかな。どっちにしても、先輩と遊ぶ約束があるし、断るしかないけど…。
「柊?柊?」
「あ、ごめん三島君。なに?」
「いや…なに?じゃなくて、注文。どうする?」
「あ、ごめん。考え事してた。ドリンクバーと…」
え、ファミレスたかっ!チョコパフェ頼みたいけど…このショートケーキかなぁ。あ、でもお父さんからお小遣い貰ったんだった。迷うけど…いっか今日ぐらい贅沢しても。
「チョコレートパフェで」
「じゃあ、私も柊さんと同じのにしよー」
席は、私と三島が隣り合って座り、正面に一之瀬先輩、その隣に堂島先輩が座った。
それから、一之瀬先輩は私と同じものを。三島はポテトフライ。堂島先輩は、抹茶あんみつを頼んだ。
抹茶あんみつを頼むと、一之瀬先輩は堂島先輩をおじいちゃんみたいと笑っていた。堂島先輩曰く、茶道部にいると甘すぎるのは違うんだとか。
「柊さん。大丈夫?さっきぼーっとしてたみたいだけど。もしかして疲れてた?」
「いえ、そうじゃなくて。友達?のことで」
「なんで疑問形?友達ではないの?」
「え、いや…。どうなんでしょう…」
天野さんと私って、何なんだろう。始業式の日に会って、実行委員は一緒。でも班は違くて。学校内では先輩達といる方が多い。それでもたまに一緒に帰っているわけで…。
「一之瀬。柊が困っちゃったじゃないか。ごめんな。パフェとか届く前に、飲み物取りに行かないとな」
「はーい。柊さん、悩んでたら言ってね?相談乗るからさ」
「ありがとうございます」
ドリンクバーか。何を入れよう。久しぶりだし、いろんな種類を飲みたい。だけど、いっぱいグラス使うのはマナー違反かな。
横を見ると、隣の三島はそんな事気にせず、グラスを三つをトレーに乗せて持っている。一之瀬先輩も二つグラス持ってるな…。
チョコレートパフェだし、甘くないカフェオレかな。
「ん。柊、それだけ?」
「三島が多すぎるんだよ…」
「そうか?」
三島は気にする様子もなく、こちらを横目で見ながら片手でコーラ飲んでいる。
「みんな選ぶの早いねー」
「一之瀬が遅すぎるんだ」
一之瀬先輩は、コーラと明らかに一種類ではない数のドリンクが混ざったグラスを持ってきた。それに対して堂島先輩は、ティーカップに茶葉を浸してゆっくり落としている。茶道部というのも、頷ける。制服でも堂島先輩がお茶を飲む姿は絵になっている。
「一之瀬先輩…それ、何入ってるんですか?」
「気になるー?飲んで当ててみて」
「えぇ…。一之瀬先輩が先飲んで、不味くなければ考えてみます」
「なにー?柊さん、私と間接キス。したいんだ?」
「何言ってるんですか?!」
今に始まったことじゃないけど、一之瀬先輩には振り回されてばかりだ。そこが一之瀬の良いところなんだけどね。少し距離感が近すぎるけど…。
「そこの三島君!盗み聞きしない!」
「い、いや!してないっすよ!てか、同じテーブルなんすから、聞こえちゃいますって!」
「一之瀬…。お前のだけアルコールが入ってるんじゃないだろうな…」
「えっっっ」
堂島先輩以外の三人が、「あの堂島先輩が冗談を言ったー!!」と、からかった。
「おまえら…俺をなんだと思ってるんだ…」
「お客様…他のお客様のご迷惑になりますので…」
店員に注意された。恥ずかしすぎる…。
「おっ。料理届いたよ」
「へぇ~、ロボットが運んでくれるんだ」
三島が気を使い、料理を取ってくれている最中、一之瀬先輩は珍しいのかロボットに夢中だ。
「一之瀬先輩は、普段こういうお店?来ないんですか?」
「え、?あ、うん…。あんまり?かな」
あれ?何か答えにくいこと聞いちゃったかな…。少し気まずそうにグラスの縁を指で回している。
「確かに!一之瀬先輩、お嬢様って感じですもんね」
「うん…」
三島…今のは明らかに地雷だろう。いや、最初に踏んだのは私か…。
「と、ところで、このあんみつ、美味いな」
「…………」
堂島先輩も撃沈したらしい。でも、なんか面白い。一之瀬先輩には申し訳ないけど、青春って感じだ。
ファミレスの窓からは何気ない日常が映し出されていて、この場所には別々の目的があって集まり、赤の他人なんて気にしない雰囲気がある。雰囲気的には落ち着いたカフェの方が好みだけれど、この来るものを拒まない。誰でも入れ、それが誰だろうと誰も気に留めない空間が好きだ。
だからこそ、私が崩した空気をもとに戻さないと…。でも、何か話す話題あるかな?
「あ、そういえば、高校の体育祭って親とかって見に来るんですか?」
「来るところもあるけど、うちは来ないかなー。ほら、組み分けとかもクラスごとだし、プログラム欄にダンスとか無かったでしょ?中学や小学校ほど、お祭り感は無いかも」
一之瀬先輩が話に乗っかってくれた。
「柊さんは、来てほしかったの?」
「ん。いえ、むしろ来ないって聞いて安心です。うち、親と仲悪いので…」
「へえ~柊さんもご両親と上手くいってないんだ?」
「もってことは、一之瀬先輩も?」
「まあね。うち、色々うるさくて…。習い事とか、進路のこととか…」
「た、大変ですね。私は少し違う感じです。その、あんまり話さないっていうか。お互いに避けてるっていうか」
「なんか。羨ましい。無いものねだりっていうのかな」
「隣の芝生はなんとやら。だな」
「おお!堂島先輩が言うと風情ありますね!」
そんなこんなで、実行委員とりあえずお疲れ様でした会は、終わった。堂島先輩は予備校に。一之瀬先輩は門限があるんだとかで解散になった。
「みんな!帰る前に…連絡先!交換しよ!」
お互いに、スマホをかざし合い、ピコンと音が鳴る。
一之瀬先輩は、満足した笑顔を見せて、ヘンテコなスタンプをグループメッセージに送った。
そして、お互いにまた遊ぼうと、どこまで本気なのか分からない誓いを言い合って解散した。
その帰り道。偶然にも家が近かったらしく、三島と一緒に帰っている。二人っきりなのは気まずいし、周りにどう思われるかと思うと恥ずかしいけど、拒否するほど嫌いではないので、一緒することにした。
「なー柊?」
「なに?」
「一之瀬先輩って、マジのお嬢様だったりして」
「それ、本人の前で絶対言わないでよ?気にしてたじゃん」
「いやさ、門限十八時って早すぎないか?」
「さあ…。うち、門限とか無いし」
「えっ。無いの?」
「んんー。正確に決まって無いだけかも?あまり遅くなることないしね」
「そうなんだ」
十七時過ぎ、ちょうど十月の夕日が街を照らしている。会話は途切れ、歩道橋を上る。スカートなので三島は気を使ってか、前を歩いている。
この沈黙の気まずさは、向こうも感じているのだろうか。いや、考えても答えは出ないか。歩道橋を上り切ったが、自然と三島の後ろを付いていく形になり顔が見えない。でもその方が、気まずくなくて良いかもしれない。
「な、なあ柊」
「ん、なに?」
三島の指先が無意識に欄干をトントンと叩く。視線は宙を彷徨い、何か言いたそうに口が少し開いたまま止まっている。緊張?しているように見える。まさか、このタイミングで告白するんじゃないよね…?いや、まだ実行委員の仕事あるし、同じクラスだし、断ったら気まずいな…。
片手を抑えて、身構えてしまう。なんて失礼な人間なんだ私は。これでは、告白される前から断っていると同義じゃないか。
「あのさ、俺達、小学校一緒だったよな…?覚えてる?」
「えっ…?」
緊張で力が入っていた筋肉の紐が、一気に緩くなった。
「えっと、私と三島君が?」
「それしかないだろ?うちの親、再婚してさ。名前変わったし。中川って言ったらわかるかな?なっくんって呼んで、一緒に遊んだじゃん」
私が鈍感すぎたせいか、話しにくいことまで、話させてしまった。三島は頭を掻きながら、作り笑いを浮かべている。
「なっ君…?うーん…覚えてるかも?いや、なんとなくだけどね?」
本当は、あまり覚えてないけど…。ここで無下にするほど私も馬鹿じゃない。
「そっか。いやでも、なんとなくでも覚えててくれて、嬉しいよ」
三島の顔が少し涙ぐんでいる。三島はそれを袖で拭いている。その涙ぐんだ笑顔を見ると胸が締め付けられる。彼への罪悪感。自分への嫌悪感。
「柊さ、小学校の頃からイメージ変わったよな。落ち着いたっていうか」
壁ができた…。とでも言いたいんだろう。確かに変わった。そんなこと、自分でもわかってる。三島には関係ない…はずだ。
「ま、まあ小学生と高校生じゃ、そりゃぁ…変わるよ…」
下手な嘘だ。けど、それ以上に説明のしようがないし、したくない。
「そうだよな。俺も変わったし。柊だって、変わるよな。ごめん。急に変なこと言って。じゃあな」
三島は逃げるように歩道橋から去ってしまった。階段を足早に下る姿がまだ見える。それでも、こちらに顔を見せないように気を使っているのか、表情を覗き見ることができない。
もし本当に、三島が私の事を好きだったら…。どう応えれば良かったのだろう。昔のように明るく振舞って、嘘を重ねれば三島の期待通りにいったかもしれない。
きっとこれは私のせいだ。三島の期待に応えられなかった、私の。
翌日の放課後、備品準備チームの作業が遅れているのを知らされていた私は、体育倉庫に向かった。
体育館では、通常通り部活動が行われている。二階では卓球部、一階部分ではバスケ部とバレー部が半分ずつ分けて使っていた。
部活中の体育館には独特の入りにくい雰囲気がある。みんな真剣な眼差しなので部外者がを寄せ付けないという気概が伝わってくる。それから、このキュッと響き渡る音。卓球部のピンポンの音が、いっぱい運動してるから邪魔しないでと主張してくる。この音自体は嫌いじゃないが、その横を通ると申し訳ない気分になっていしまう。
なんとか身を縮めながら、体育館奥の倉庫にたどり着く。
「そこ!危ない!」
そんな掛け声が耳に届いたのは遅く、ボールが顔面にぶつかってきた
「いった…」
「体育祭の人?」
最初に飛んできたのは謝罪の言葉とは違う言葉だった。いや、普通謝罪だろう…。
「この間も行ったよね?練習の邪魔しないでって。生徒会にクレーム言うよ?」
いや、それ知らないし…。こっちは書類仕事担当。いや、知らないのは、それは向こうも同じか…ここで言い争うのもめんどくさい。
「す、すみません」
「ちょっとひなー?また来てるけど~」
ひな?天野さんのことかな。
「すみません、先輩!」
部活動の先輩なのかな?天野さんが声を聴いて倉庫から飛び出してきて、尻もちをついた私と目が合った。気まずいというか、なんだか情けない。いや、誰がどう見ても情けない。
「ははは…」
私は天野さんに肩を貸してもらい、倉庫内に移動しした。
倉庫内は想像通り埃っぽく、四隅をよく見ると小さな蜘蛛の巣が張っている。外の光も微かにしか届かず、薄暗い照明しか、ここを照らしてくれない
「柊さん大丈夫?、眼鏡とか割れてない…?」
天野さんは私の顔を覗き込むように、心配してくれている。
「大丈夫。割れてても、これ伊達だから…」
「そ、そうなんだ?おしゃれ的な?」
「うん」
本当は違う…。ただ、人の目を直接見れないだけだ。眼鏡をかけていると眼鏡のない、本当の自分は知られていないようで安心する。これを隠すのは卑怯だろうか…。でも天野さんに限らず、誰にも打ち明ける勇気がない。
「そういえば、天野さん一人?」
「うん、たまたまね。頼まれちゃって」
備品チームは、多めに人がいたはず。それなのになんで…?
「手伝うよ」
「え、悪いよ。私の手際が悪いだけだし…」
珍しく、弱気な天野さんだ。少し目を逸らして、顔を俯かせている。
「いいから。私も実行委員だし。それに、天野さんの力になりたい」
これは嘘じゃない。変な事言ってないよね。
去年の体育祭実行委員がお粗末だったのか、校庭の倉庫と、体育館の倉庫にバラバラに備品がしまってあったらしい。中には一年間使用しない物もあるので、埋もれてしまっていた。そんな原因が重なり、備品チームの作業が遅れていたそうだ。
「障害物競走って、こんなに準備するもの多かったっけ?」
「なんか、先生達もやるみたいでさ〜」
パンフレットにも書いたし、知ってるけど…。
それにしても多い、跳び箱とかメジャーなものから、なぜか縄跳びや竹馬まである。これでは一発芸競走になってしまいそうだ。
「あ、縄跳びあったよ」
縄跳びは、雑に置かれた跳び箱の奥の奥にあった。埃が絡まって、かなり汚い…。
「ありがとう!柊さん!」
「ここにチェックすればいい?」
「うん!後で外の体育倉庫に運ぶから置いておいて」
「わかった」
それからしばらく、二人で作業をした。扉の向こうでは、熱心に部活動に励む生徒の声や足音、ボールの音が響いていて、金属製の扉越しに、こちらにも伝わってくる。
時々、備品リストを見ながら天野さんと「変なの」と笑いながら、それなりに楽しく作業することができた。そんな時間はあっという間に過ぎ、帰宅チャイムが鳴り響いた。
「もう、そんな時間か。これ運んで帰ろっか。柊さん、ありがとね」
「ん。いいよ。と…」
友達だし…そんな言葉が喉にっかえる。友達なのかな、私達。
「わ、私も同じ実行委員だしね」
これでいい。変に距離を詰めたら、天野さんが戸惑ってしまう。三島の時の、私みたいに。
「ひな〜。暇〜?ボールとかゴールネット片しといて〜」
練習が終わった女子バスケ部員が、悪気の無い声で天野さんに仕事を押し付けようとしていた。
まさか、受ける気じゃないよね…?いや、天野さんの事だ。備品チェックの事といい、お人好し過ぎる。私らしくないけど、それは"嫌だ"。
「あの……。私達、体育祭の準備で忙しいんです…。天野さんは……バスケ部かもしれませんが、今は実行委員として活動してるというか…」
駄目だ。やめろ私。理路整然とするのは良いが、表現の仕方ってものがあるだろう。それでも、頭に浮かんだ言葉が整理されること無く次々と口から吐き出てしまう。
「あなた達……私に部活動の邪魔をするなって言いましたよね……。あなた達も私達の邪魔をしないで…ほしい…です」
後ろにいた天野さんが無言で腕をそっと引っ張ってきた。表情は焦っていて、元々汗ばんでいた手は冷や汗をかいて、さらに湿っている。
「す、すみません!先輩!ちゃ、ちゃんとやっておきます!」
しばらく見知らぬ女子生徒への愚痴が体育館を包んだが、次第に体育館は、静まり返っていった。バスケ部員達は、去り際私を睨んでいたと思う。
「勝手なことしないでよ…」
えっ…。その言葉が胸に突き刺さる。泣きそうだ。勝手に感謝されると期待していた。私の言動は、独り善がりだったの?
「あ、わたし……」
駄目だ。口を開けたら、感情がこぼれ落ちる。ぐっと唇を嚙んで言葉をのみ込む。
天野さんは、こっちを振り向くこと無くバスケットボールの入ったカートを片付け始めた。
無機質な車輪の転がる音が虚しく響き渡っている。
バスケ部員だから当然だけど、天野さんの手際がいい。部活動のルーティンなんだろう。カートをしまった後、モップ掛けを始めた。
「あ…天野さん」
私の声を聞くと、モップ掛けを中断してくれた。
「なに?」
少し力の入った声。たぶん、私に怒っている。どう謝ればいい?ただ、ごめんなさいと口に出せばいいのだろうか…?
落ちかける夕焼けが、体育館の窓越しに私達を照らしている。でも、オレンジ色の光は心までは照らしてくれない。
私が声を出せずにいると、聞き覚えのある声が沈黙を破った。
「柊〜?いるか〜?」
「ど、堂島先輩…」
「こんな時間まで何してんだ。これ、外に運ぶやつか?」
「そうです…」
「おい、三島も隠れてないで手伝え。さっさと終わらせるぞ」
「う、うっす」
三島も堂島先輩の後ろからちょこんと出てきた。二人の手は、少し土で汚れている。外で作業してたんだろう。
「私、モップ掛け手伝ってきます」
「お、おう任せた」
モップを手に取り、天野さんに駆け寄る。少し気まずいけれど、堂島先輩と三島が来てくれたおかげで、ほんの少し和らいだ。
「天野さん……さっきは…」
天野さん以外の他二人に聞こえないよう小声で話しかける。
「ごめん…」
天野さんを見る。綺麗な横顔から見える瞳は、微かに揺らいでいる。
「えっ…?」
「柊さん。私のことを思ってくれたんだよね。だから、ごめん」
「う、うん」
「それから…ありがと…」
天野さんの口角がほんの少し上がる。
私の胸の奥で、さっきまで刺さっていた棘が、そっと抜けていく気がした。
「どういたしまして…?」
そんなこんなあって、体育祭は無事開催されることになった。
なんと、体育祭当日は雲一つない快晴。気温三十度。いつか見たセミも大喜びな気温である。
生徒たちは案の定、気怠そうな生徒と、今すぐに騒ぎたい生徒とで、温度差がすごい。
開会式は、予想外の天候ということもあり、短めに行われた。不幸中の幸いである。
そして、いよいよ競技が始まると校庭は応援の声に包まれ、気怠そうな生徒達もその場の雰囲気に惑わされ、声を上げている。
私はというと…恥ずかしいので心の中で応援を頑張るつもりだ。
まずは百メートル走。一年男子から始まり、三島が意外にも一位。ゴールした瞬間、一瞬目が合った気がしたが気のせいだろうか?
そして天野さん。さすがは運動部。余裕の一位だ。私は最下位を僅差で免れた。まあずっと運動してなかったし、こんなもんだろう。
次は二年生。一之瀬先輩と堂島先輩の番だ。堂島先輩も茶道部の意地を見せ、最下位を免れていた。人の事は言えないが、普段運動しないのだろうか。大分息が上がっている。この後、部活対抗リレーもあるのに大丈夫だろうか?
一之瀬先輩は、なんと一位だった。妖精のような姿に全校生徒が見惚れていたと思う。私もその一人だ。ゴールした瞬間の手を振りながらの笑顔はアイドルさながらだった。
そして綱引き。相手は二組。天野さんの一組はシードだ。結果は惨敗で一組との対決ならず。でも一之瀬先輩、堂島先輩所属する二年三組は快勝。一之瀬先輩の連勝で会場は大盛り上がり。二年三組は一之瀬先輩を表彰台に上げるべく、一致団結している。
お昼前の目玉競技、借り物競争。なんと天野さんが出場。
スタートの合図が鳴り、一斉にスタート。天野さんが一番に借り物が書かれた紙にたどり着いた。天野さんは、きょろきょろし始めて私と目が合い、一直線に向かってくる。
「め、眼鏡!借りるね!」
「え、まっ」
体育祭だ。競争だ。待ってと言うまで待ってくれるはずがない。眼鏡を外した私が珍しいのか、同じクラスの人が見てくる…。伊達なので観戦に支障はないが、恥ずかしい。暑いと思って髪を結んで来たのも相まって、別人に見えているようだ。天野さんは惜しくも二位だった。
そして、午前の部主役になったのは、堂島先輩と三島だ。借り物競争で堂島先輩は、思い人と書かれた紙を引いてしまい、戸惑った堂島先輩はやけくそに三島の手を引っ張ったので会場全体がざわついていた。
「すまん三島ーー!!」
「冗談じゃないっすよ先輩!!」
あろうことか一位だったので、実況に「愛の力かー!?」と言わしめていた。
お昼休み、食堂に向かう人混みの中、道中でなんとか天野さんと合流することができた。
「あ、柊さんお疲れ!」
「うん。お疲れ」
「髪型いつもと違うね。今日はお揃いだ」
確かに。今日はお互いにポニーテールだ。天野さんはロングヘアで私はミディアムだから、まったく一緒ってわけではないけど。
「変…?かな」
「ううん!可愛いよ」
「ありがと…」
一之瀬先輩に耳がタコになるほど言われた言葉だが、天野さんの可愛いは、言われると少しドキッとする気がする。
「あ、そういえば眼鏡返してほしいかも…」
「あ、ごめんね。何か足りない気がしてたけど眼鏡か」
眼鏡が私の本体とでも思っているのだろうか。
「でも、眼鏡のない柊さんって好きだよ。知的なイメージから美人さんって感じになる」
「そうかな…」
いくらなんでも褒めすぎではないだろうか。
「でも、無いと落ち着かないから」
そういって眼鏡をかけた。視界に眼鏡の縁が見えることで、誰も私の目を直接見ることはない。そう思うと安心する。
「そういえば、天野さんはお昼どうするの?食堂?」
「食堂混むかなーって思ったから、お弁当持ってきちゃった。柊さんは?」
「私は食堂にしようかなって思ってたけど、人多くてやめたとこ」
「えー!食べないと倒れちゃうよ!わ、私の半分あげるから!」
そう言い残し、天野さんはクルッと踵を返し、私を残して教室へと走って行った。
なんだか、思ったより楽しめてるな…。
食堂に流れる生徒の邪魔にならないところで待っているとすぐに天野さんが戻ってきた。天野さんの手には一人分のお弁当しかない。当たり前だが、これを見ると頂くのに罪悪感がある。
「お待たせ!どこいく?」
「本当にいいの…?私、普段お昼抜いてるしたぶん平気だけど」
「柊さん。滅多に運動しないでしょ?食べないと体力持たないよ。それに、私が一緒に食べたいの。それじゃだめかな?」
一緒に食べたいか…。きっと私がご馳走になる言い訳を作ってくれているのだろう。天野さんは本当に優しい。これ以上遠慮したら失礼だよね。
「そういうことなら、いただきます…」
「頑固にならなくて良かった」
そういって、こちらにニコッと笑顔を見せる。私は頑固だったろうか…?
「どこで食べる?食堂はもう無理そうだよね…」
「校庭の隅でいいんじゃないかな。木で日陰になってるし、塀に座れそう。それか教室とか?」
「じゃあ、校庭で!サボり魔の穴場スポットを見せてもらおうかな」
「そんなとこないよ…」
体育祭ということもあり、校庭で昼食をとっている人は少なくなかった。風も心地よく、日陰はちょうどいい涼しさだった。
「ここでいい?」
ベンチではないが、塀になっていて腰を下ろせるところがある。そこに隣あって座った。
天野さんのお弁当箱には卵焼きと唐揚げ、プチトマトが入っていて、隅におにぎりが添えられていた。
あ弁当からは卵焼きの甘い香りと、唐揚げの食欲をそそる香ばしい匂いが広がってくる。
「いただきます」
決して多くないのに、天野さんは笑顔で半分に分けてくれた。
「美味しい。本当にありがとう」
「柊さんの喜ぶ顔が見れて良かった。借り物競争に出て良かったよ」
「ん。それはどうして?」
「眼鏡を借りなかったら、お互いお昼に合流するなんて無かったかも?」
「そうかも…」
その後も、一之瀬先輩の話や、堂島先輩の話で盛り上がり、気づけばお昼休みも終わりの時間。お昼休みはあっという間に過ぎていった。
午後の部、最初は部活対抗リレー。運動部と文化部混合で行われ、天野さん所属のバスケ部は惜しくも三位。陸上部、サッカー部相手に奮闘していた。
堂島先輩の茶道部は、最下位だった。本人は勝てるわけがない。と、あまり悔しそうにしていなかった。
そして、教員リレー。一組担任の葛木先生は、堂々の一位。女性の先生もいる中で、容赦なく走り切り会場を不穏な空気にさせていた。先生の中で一番若いからか、うちの担任は三位。教頭先生は最下位で、走り切るのもやっとだった。
障害物競走では、一之瀬先輩がスタート地点に立つと全生徒…主に男子だが、歓声を上げていた。悪戦苦闘の末、一之瀬先輩は惜しくも二位。一位の生徒が肩身を狭そうにしている横で生徒たちは一之瀬先輩の奮闘を称えた。
体育祭はあっという間に終わり、もう閉会式。生徒代表挨拶がなぜかパンフレットに書かれている生徒会長から一之瀬先輩に変更になり、疲れ切っているはずの生徒は一之瀬先輩が登壇すると、開会式よりも大きな歓声が上がった。
全生徒で、大雑把に片付けを終えた後、実行委員が集められ備品の在庫確認や残っている細かな作業は、私達がやることになった。しかし、そこに二年三組と三年三組の姿が無かった。
「堂島先輩、備品チームの二年三組と三年三組がいないですよ」
生徒会長に報告しようと思ったが、話しかけにくいので堂島先輩にした。
「そういえば、柊には話してなかったか」
「なんです?」
話しにくいことなのか、堂島先輩は少し声量を下げて教えてくれた。
「備品チームが遅れてるって話したろ。事情を調べたら去年の管理が杜撰だった事以外にも事情があったんだ」
「えっ?」
堂島先輩は少し周囲に目を配り、周りに人がいないことを確認してから、また話を再開した。
「全て一年に任せてたんだ。それも酷い話で、暴言を吐いたりしてたらしい」
なにそれ……。天野さんが?許せない。
「そいつら、どこにいるんですか」
「落ち着けって。俺からきつく叱っておいたし顧問の葛木先生にも報告した。無論、生徒会にもな。だから実行委員から外したんだ」
「すみません…」
「なんで、柊が謝る?柊は何も悪くないぞ。寧ろ手伝ってくれたじゃないか」
「はい……」
悔しい…。気づけなかった。天野さんの苦しみに。何回も一緒に帰ってたのに…。天野が一人で体育館で作業してるのを目撃したのに…!
天野さんに会いに行こう。もう終わったことかもしれないし、私に出来ることは無いかもしれない。 それでも……。
「堂島先輩、天野さんが割り当てられた箇所ってどこですか?」
「屋上の垂れ幕だったかな。行くのか?」
「はい。行きます」
「わかった。ここは任せろ。屋上の鍵は葛木先生が持ってた筈だから、声かけるんだぞ」
「わかりました」
「あ、葛木先生、堂島先輩に頼まれて屋上の片付け行くんですけど、鍵を…」
「ん。柊もか?さっき三島に鍵渡したけど…」
「あ、わかりました。行ってみます」
三島が…?もしかして、私と同じ考え…なのかな。いや、あの二人が知り合いだとも思えない。けど三島のことだ、事情を知って手伝いに行ったのかもしれない。
部活動の準備で忙しい生徒達が廊下と階段を行き来している。どうにか気持ちを落ち着かせたいが、途切れない足音が私に余裕を与えてくれない。
「柊!」
聞き覚えのある声が、私を呼び止める。
「三島君…?」
「柊を呼びに行ったら堂島先輩、屋上に行ったいうから…探したよ」
「三島君も屋上に行ったって葛木先生が…」
「あ、そうそう。行こうぜ…」
「う、うん」
三島の様子がおかしい。相当私を探したのか息が上がっている。
屋上に向かう階段に、三島と私以外の人気はいなく、天野さんが先に到着している様子もない。
三島が先に行き、扉の鍵を開ける。振り返ることなく、そのまま屋上の中央まで歩いて立ち止まり、三島は深く息を吸い込んでゆっくりとこちらを振り返った。
「柊、あのさ…」
三島が少し震えてる。いつか見た歩道橋の上とは比較にならないほどに。
「なに?」
屋上は風が強く、前髪が顔にかかる。揺れる前髪の隙間から見える三島の顔を見ると、覚悟を決めたように手を拳にして、震えに耐えているのが分かった。
「体育祭が終わったら、俺たち…もう関わらないのかな?」
「どうだろう…わかんない…」
告白だ…。どんなに鈍感な人でもわかる。
「あのさ…昔みたいにさ、あだ名で呼んでさ!」
「三島君、親が再婚して名前変わったって…」
自分で言ってたじゃないか。それに私は殆ど覚えていない。なっくんと言われてもピンとこなかった。
「なっくんじゃなくてもさ…。みっくんとか…、はは。自分で言うと恥ずかしいな…」
三島は少し視線を逸らして頭をかく。正直、こんなふうに真剣に言われると、こっちまで恥ずかしくなる。けど、これは恥ずかしいの一言で片付けたくない。
「柊さ」
「うん」
「変わったって言ったけど。実行委員で一緒の時は、昔の柊に戻ってと思うぜ。そりゃあ…昔のまんまってわけじゃないけど…」
「気のせいだよ…」
三島の覚悟は痛いほど伝わってくる。
私が天野さんに"ありがとう"を伝えた時と一緒だ。
だからこそ、お願い。告白しないで。
「そうかな…俺はどんな柊でも…」
「……」
自分の口を噛んで、やめてと発してしまいそうな口を噤む。
「俺は!ずっと…ずっと!柊…。柊陽花の事が!」
嗚呼、暑い、日が沈んでいない屋上も、三島の思いも。三島の眼差しや、日差し。床に面している上履きを通して、熱がじんわりと伝わってくる。
「好きだっ!だから…付き合ってほしい!」
三島は優しいし、気配りができる。悪い人じゃない。それはわかってる。
じゃあそれは、三島が好きだからそう感じるのだろうか…?いや、違うと私の心は言っている。だって今私は、ドキドキしていない…。
だからせめて、曖昧にせず。先延ばしにせず。ハッキリと伝えないといけない。あなたとは付き合えないと。
「ごめんなさい…三島君とは付き合えない…」
「そっか…そうだよな。はは、すまん…」
三島は、涙を拭いながら私を通り越して屋上を去っていった。
「…………。」
これでいい。大丈夫……間違ってない…筈だ。間違い…?じゃあ正解があったっていうの?。
わからない…。好きって……なに…?
「柊さん…?」
慌てて振り返ると、天野さんがいた。
「さっき、男子から屋上の鍵渡されて…柊さんがいるって」
「あ…う、うん」
「……、なに、してたの?」
少し声が震えている。
「べ、別に?」
さすがに、人の告白を言うことはできない。
「そうなんだ…」
体育祭の時の天野さんとは様子が違う。元気がないというか、なんというか。
すると、天野さんは屋上の鍵を外から閉めて、ゆっくりと近づいてくる。
「天野さん…?」
顔を伏せていて表情が暗い。
天野さんは無言で近づき、頭を私の肩にコツンと預けてきた。
「大丈夫…?」
「ちょっと、こうしてていい…?」
今にも消えてしまいそうな儚い声。
「うん。いいよ」
私は腰を下ろして、天野さんを受け止める。天野さんは頑張ったんだ。体育祭の間、部活の先輩や、実行委員に板挟みにされても投げ出さずに。
「天野さん、頑張ったね」
私はそっと腕を伸ばして、天野さんの頭を撫でる。シュシュで結ばれたポニーテールを解いて、指の間で髪を撫でる。
「うん……私ね…頑張ったんだよ。クラスの皆に期待されて…実行委員をやらされて…。部活に参加できなくなって…先輩から冷たい目で見られるようになって。実行委員の中の先輩も仕事を押しつけてきて…。私…誰にも相談できなくて…」
「うん…うん…」
声や鼻をすする音、体操服が涙で濡れて、天野さんが泣いてるのがわかる。それなのに、私は、相槌をうちながら、抱えて撫でることしかできない…。
「私ね…。本当はわがままなんだ…。人付き合いだって苦手だし…バスケ部だって、周りの友達が入ったから、ノリで入っただけ。じゃないと…孤立しちゃうから…。ね?わがままでしょ…。人付き合いが苦手なくせに、独りになるのも嫌なんだ…」
…同じだ。今、私の目の前に泣き崩れてるのは、あり得たかもしれない私自身だ…。まるで鏡をみているように感じる。
私も同じだった。中学の頃、親の期待に応えられなくなり、友達からも孤立して、人付き合いが憂鬱になっていった。
「なんで、勉強してるのに点が良くならないの」「遊んでばっかいるから…」「陽花、最近付き合い悪いよね…」「また学校サボって!」「見ろ、柊だ。サボり魔だ」「いいよね。親が優しい家は」
胸に突き刺さる言葉が、走馬灯のように頭の中をぐるぐるする。
それでも独りなのは寂しくて、天野さんと関わることで、私も変われるかもしれないと思って期待したんだ…。
でも…その天野さんも、私と同じだったんだ。
ただ違うのは、私は独りなることを選んで、人付き合いで摩耗することを選ばなかった。
天野さんは、人付き合いで摩耗する代わりに、独りになることを避けたんだ。
私は中学生の頃、どんな言葉を必要としていただろうか。
もし一人でも…。一人でもありのままの自分を認めてくれている人がいたら、違った未来があったかもしれない…。
「大丈夫だよ。あなたは、あなたのままでいいんだよ。私が一緒にいる。あなたは決して一人じゃないよ」
「柊…さん…」
天野さんの顔が熱くなり、私の胸に伝わってくる。天野さんの手は、私の体をギュッと掴んで離さない。
「大丈夫だよ。どこにもいかないから」
私達はしばらく二人きりで屋上にいた。どれほど時間が経ったかはわからない。
屋上に時計はなく、不規則にひくひくと脈を打つ天野さんの身体だけが、時の経過を感じさせた。
「ごめんね、柊さん…。ありがとう…。もう大丈夫」
少し泣き疲れた様子の天野さん。
「ほんとに…?」
そう聞くと天野さんは、涙を拭いながら、少し笑みを交えて、大丈夫だよと呟いた。
「柊さんは、本当に優しいね」
「そうかな…」
「ふふ。そうだよ」
天野さんは起き上がって、服についた埃を手で払った。
「片付け。しちゃおっか」
「そうだね」
こうして、高校一年目の体育祭は幕を閉じた。
色々あったけど、まあ楽しかったかな。友達もできて、頼りになる先輩もできた。
先輩達はともかく天野さんとの関係は、もうしばらく続きそうだ。
「あ、柊さん」
いつものように、踏切までの間、私の家の方向に天野さんと歩いていると、自転車を一旦止めて、リュックを漁り始めた。
シンプルなケースに包まれたスマホを取り出して、メッセージアプリを開いてこちらに見せる。
「連絡先。交換しよ!」
そういえば、まだしてなかったか。私も鞄からスマホを取り出して、天野さんのスマホにかざした。
ピコンっと音が鳴りメッセージアプリに【ひな】と書かれたアカウントが追加された。
「これからもよろしくね!」
私の色の無い青春は、天野さんによって色塗られた。
それは、体育祭という期間限定のものだと思っていたけれど、天野さんはペンキを手放さず、私の方を向いている。
私も、天野さんの世界に、何か色を足せるのだろうか。そう思いながら、そっとメッセージアプリを閉じた。
「こちらこそ…よろしく」
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