4章_2:本日はお日柄も良く
おお、草の褥の子羊たちよ。なにゆえ沈黙するのか。
四騎士の訪れに慄いているのか。
それとも、七人の喇叭吹きが舞い降りる日を見通しているのか。
不在の羊飼いを追いかけて、夕日を背に長蛇の影を落としていく。
……あるいは、七つの目の子羊の誕生を、忌憚しているのか。
──"現在、犯人とみられる男・蠅野允が警察にメッセージを送ったことが判明しました。"
"その内容は『原罪』や『人類の傲慢』に言及したものとなっており、彼が事件を哲学的な側面から解釈している可能性があります。"
"また、彼はこのメッセージの中で『虫けらのほうが清浄だ』などと発言し、強い感情の起伏を見せています。"
……我々警察が、ついに蠅野允に迫ろうとしていた頃。
ネットに目をやってみると案の定、SNSや掲示板では、蠅野の動画への興味が高まっていた。
しかし……。
【連続猟奇殺人犯からの謎のメッセージ…人類への警鐘か、ただの妄言か?】
【蠅野允、警察に異様なメッセージを送りつける。"原罪" "人間は虫より汚い"】
ネットニュースはこんな見出しの記事を量産し、早々に食いついた蠅野を持ち上げていたやつらの"手のひら返し"が、いたるところで際立っていた。
「あれ? なんか違くね?」「こいつがサイコキラー?ただの陰キャやん」「こんなダサいメッセージ送るとは思わんかったわ。」
といったものから始まり、信者や擁護派だったユーザーたちも
「俺、最初は先生すげえって思ってたけどさ……、さすがにこれは無いわ」「ごめん、こいつただの痛いやつだったwww期待して損した」「最初は"理解されない天才"って思ってたけど、普通に陰キャのポエムで笑うわ」
といった具合である。
「なんだ、こいつやっぱただの痛いやつだったな……。」「表情がずっと無なんだけど、途中で一瞬カメラに睨みつけるのキツイ」「神格化してたやつら、今どんな気持ち?www」
主張を覆す者、生理的嫌悪を示す者、煽る者……。
「マジで動画送ってきたんかwww」「#自撮りすな」「最期のメッセージが動画wwwwwwwwwwww」「こいつ、"異常者のカリスマ"じゃなくて、ただの"社会のゴミ"じゃん」「こんなん見たらむしろ先生のこと好きになったわwww」
嗤う者、否定する者、逆張り……。
「いや、普通に"死ぬ前のポエム"じゃね?w」「#蠅野暗号解読」「メッセージ動画なのに途中で噛むのマジでキツい」「"虫のほうが清浄(笑)"言いたいだけやろ」
トレンドには、
『#蠅野先生(笑)』『#急にスピるな』『#蠅野さん、いよいよ終わる』『#原罪おじさん』「#情緒崩壊おじさん」『#虫派 #人間派』『#陰キャのヒス動画』「#俺たちの蠅野は終わらない」
といったワードが並ぶ始末。
「……もう社会が"消費"し始めたな。蠅野を持ち上げてた連中が、一気に見限り始めてる。」
"人々に認められたい" という欲求が蠅野にあったとすれば、これほど皮肉な展開はない。
このような世論が、歪んだ社会が、世界が……、第二、第三の蠅野を、生んでしまうのだ。
蠅野允。
やつのやったことや主張は決して肯定されるべきでなく、正義ではない。
だが、やつが見つめていたものは、やつの真実は、こういった社会の中に、あったのかもしれない……。
情報の移り変わりが目まぐるしい。
一旦、画面から目を離す。
天井を仰ぎ、大きく息を吸って、吐き出す。
蠅野允は逮捕する。しかし、社会に対しては……、我々は、何ができるのだろうか……。
人差し指と親指で、目頭をつまむ。
目を開けると、視界に蠅が映りこんだ。
蠅、だと……?
どこかの窓が開いていたか?まあ、虫の一匹や二匹くらい、入り込んでいても不自然ではないだろう……。
それにしても、ここまで追い詰めていたはずの蠅野の身柄を、まだ確保できないというのは、一体どういうことなのか……。
彼は、人間ではなかった……?
……、まさか。
蠅は、悠長に前脚をこすり合わせている。
『目の前のこの男は、犯人人外説を自ら否定し、思考の外へ投げ捨てた』と、興味深く観察しながら。
この男は自分を叩き潰さないのだと理解したのか、蠅はしばらくその場にとどまったのだった。
人間なんかよりも蠅や蛆のほうがよほどきれいなんだ。"彼"はそう主張していた。
では、"彼"はなぜそんなにも、蠅や蛆といった『嫌悪される昆虫』に執着を示しているのか。
きっと、こうして思慮する目の前の警察さえも、見逃すのだろう。
点々と、黒い虫が連なって飛んでいく。
一匹、二匹、三匹……。
"彼"だけじゃない。警察も、人々も、まだ気づいちゃいないのだ。
これから始まるフィナーレを……。
複数の蠅たちが、孤独な男の孤独な心を目指して、飛んでいく……。
たどり着いた先では、"彼"が、次の段階に入ろうとしていた……。
ネットの反応を読み返し、ひとつ、ため息をつく。
ああ、わかっていたとも。端から期待などしていなかった。どうせそんなことだろう、と。
"彼"は、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で、力なく、確信していた。
「いいんだ。ぼくに、もう先なんてなかったんだから。」
世間が何を言おうが、警察がどう動こうが、もう関係がなかった。
いいんだ、ぼくは、もう
自分の名前さえ、よく覚えていないのだから。
何かを思い出そうとしても、次から次へと、何かに吸い込まれるようにして、ひとつとして掴めない。
ぼくが信じてみた"あいつ"も、最近はまったく反応がない。
とうとう、目に見えないものにまでぼくは、捨てられたんだ。
おもしろいな
ほんとうに、おもしろい
ぼくは、なにもかもから、すてられたんだ。
さあ、準備が整った。
でかけよう
この手になじんだ、道具をもって。
夜の街に、心の隙間に、ひゅう、と風が、ひと撫でする。
誰もが、何も見ていないのだ。
廃人同然になってしまった、世間を騒がせた"彼"さえも。
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