第38話 天妃が決まる



 見下ろす下界の刻の流れは気まぐれに止めることが出来ても、さすがに神々であっても、天上界の刻の流れは止めることは出来ない。


 可愛らしい白麗と無邪気に遊んでいた皇子も、いつのまにかその背丈も大人と変わらないほどに伸びて、端正な顔立ちも大人の男のそれへと変わりつつある。

 彼の成人の儀もまじかとなった。


 宮城に住む神々は口々に言いあった。


「皇子の成人の儀式が終われば、皇太子冊立の儀式もまた、すぐに執り行われるに違いない。そうなれば天妃代理であるあのお方も昇格して、正式な天妃となられることだろう。悠久の天上界にあって、そのようなことがなかったという訳でもない。さあ、めでたくも忙しくなるぞ」


 額に神眼を持ち龍に変身して宙を自在に飛ぶことの出来る皇族王族の血を絶やさないために、代々の天帝は後宮に多くの妃を住まわせる。しかし皇太子となりいずれ天帝となるのは、ただ一人の天妃から生まれた最初の男子のみ。そしてその天妃は、宮城の奥深くに住む巫女の占いによって、広い天界から見い出され探し出される。


 ゆえに過去には、天帝となる前のまだ幼い皇太子の時にすでに天妃となるべき存在が明らかとなっていたり、その逆に、ついに巫女の宣託による天妃を娶ることがなかった天帝もいた。


 なぜか、何ごとも見通せる天帝の神眼もこればかりには役に立たない。

 

 天妃となったものの縁戚が政に出しゃばれないようにするために、大昔に定められた知恵だと、まことしやかに言う神もいる。また、「いや、それほどに天帝の血は格別に尊いのだ」と言う神もいた。




 今上天帝もそういうことなのだろうと、神々の皆が諦めかけ忘れかけていたある日の早朝のこと。突然、朝議の最中に、数人の巫女見習いと多くの侍女を引き連れた巫女がその姿を現し、そして高い玉座に座る天帝の前まで進み出て跪いた。


 巫女の上から下までの美しく豪奢な赤い衣装は、花嫁を思わせる。しかしそれは占いの結果の天妃の存在を宣託として告げる稀有な役目のせいだ。彼女は一生を夫を持たずに生きていくが、それは、彼女がこの宙にある命あるものすべての妻であり母であるという立場でもある。


 真っ白な髪を結うことなくひとつに束ねて背中に垂らしたその風貌に、年齢を推し測ることは出来ない。


 以前に神々の前にその姿を現したのは、前の天帝の天妃選びの時であったから、ここに居並ぶもの誰にもその記憶はない。ゆえに長寿を誇る神々の中でも、彼女は一番の高齢だとも言われている。


 そのような彼女の突然の出現に天帝も驚いたが、朝議に列席していた家臣の神々たちも声を失くするほどに驚いた。宙をすべからく支配する天帝を家臣の神々とは別の意味で支える巫女だが、その姿を見せることは滅多にない。


 巫女は恭しい声で、しかし広い朝議の間の隅々にまで通る声でおもむろに告げた。


「天帝さま、お喜びください。今朝がたの占いにより、天妃さまの存在が明らかになりました」


 天帝は驚きのあまりに玉座から立ち上がった。

「それは……。しかし……、なぜに、今になって……」


 居並ぶ神たちも驚き、お互いに顔を見合わせるだけだ。


 天帝は再び玉座に深く座り直すと、驚いたおのれに言い含めるように呟く。

「ああ、確かに、喜ばしい……。それにしても、天妃となるのは、いったい、どこの娘だというのか?」


「左宰相の娘でございます。確か、十六歳になられたはず」


 目の前の天帝の狼狽をないことのように無視して、巫女は占いの結果を淡々と告げる。それは、悠久の命を持ってして宮城の奥深くに孤独に住まう彼女のただ一つの役目だ。


 巫女の宣託に、押し寄せる潮騒の如きざわめきが朝議の間に戻って来た。

 その中に、素っ頓狂ともいえる叫び声がある。


「わたくしの娘ですと! まさか、そのようなことが!」


 しかし、玉座の天帝と振り返った巫女に睨まれて、左宰相はその口を閉じた。

 長い天上界の歴史では、過去には、天妃選びでいろいろともたつくこともあった。だが、巫女が告げた言葉が覆ったことは一度もない。


「天帝さま。このように天妃選びが遅くなってしまったのは、左宰相の娘の誕生と成長を待たねばならなかったからだと思われます」


「確かに……。左宰相が宰相となり、朝議にて朕の前に立つようになったのは、この数年のこと。だが、彼の血筋のよさと思慮深さと見識は誰もが認めるところでもある。彼の夫人もまた王族の血を引き、見目麗しく気立てがよいと聞き及んではいる」


 その言葉に、再び、朝議に居並ぶ神々は静かになった。素っ頓狂な声をあげた左宰相も、恭しく両腕をあげてその中に顔を埋めて腰をかがめた。天帝の言葉に異論はないと神々はいちおうに思い、左宰相も身のほどを越えた喜びを感じたからだ。


 ざわめきが去ったことを知ると、巫女は言葉を続けた。

「天帝さま、わたくしめの宣託はこれで終わりました。しかし、ひとことつけ加えることをお許しください」


「巫女よ、朕の横に並ぶ天妃がやっと決まった。それ以上に何が言いたいというのか?」


「婚姻の儀をお急ぎください。そうすれば、十か月後には、皇太子となる正当な血筋を持つ皇子が誕生することでしょう。いま、その資格のないものが皇太子の座につこうとしております。そのものに期待する神々もおります。そのような誤った考えは、早々の内に断つべきでございましょう」


 そう言い終えると、天帝の許可を得ることなく、巫女は立ち上がった。

 そして深く頭を下げて言う。


「天帝さま、次にわたくしめが御前に立ちますのは、次の天帝の妃選びの宣託の時でございます。しかし三代に渡る天妃を告げる前に、わたくしの命は尽きると思われます。これが最後のご挨拶となりますれば、御代のますますの繁栄をお祈り申し上げます」


 そう言い終わると、赤い衣装の裾を優雅にひるがえして、入って来た時と同じく唐突に彼女は朝議の間を出て行った。その後ろに、巫女見習いと侍女たちもまた続く。


 

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