第16話 霧のギリギリデート 2

 注文したスイーツはすぐに運ばれてきた。沙羅の前には、見るからに豪華な季節限定パフェ。彩り豊かなフルーツとクリームが山盛りになり、見る者の食欲をそそる。霧の前には控えめなチーズケーキ一切れ。それでも、見た目からして高級感が漂っている。


「ねえ、このお店、雰囲気も素敵だね」

 沙羅は周囲を見渡しながら、目を輝かせている。壁に並ぶアンティーク調の装飾や、ふんわりした香りの漂う空間にすっかり魅了されている様子だ。


一方の霧は、そんな沙羅の姿を横目で見つつ、頭はフル回転していた。

(白鷺は少食みたいだし、追加注文はなさそうだよな……。これでドリンクの値段を考えても、俺の財布はなんとか生き残れる……)


「あ、そうだ!」

 突然、沙羅がぽんと手を叩いた。霧の心臓が跳ね上がる。

(ま、まさか追加で何か頼むつもりじゃ……?)


「忘れずに撮っておかないとね。友達にもこの素敵なカフェを教えてあげたいし」

 沙羅がスマホを取り出し、にこにこと笑う。

「あ、いいね。俺も撮ろ」

 霧は内心ほっとしつつ、平静を装う。霧もスマホを取り出し、沙羅の動きを真似るようにスイーツや店内を撮り始めた。だが、心の中では写真を撮ることよりも、これからの展開をどう乗り切るかに神経を注いでいた。


(今がチャンスだ。次に繋がる一手をどう打つか。カフェだけで終わらせるわけにはいかない。ここからどう“俺に興味を持たせる”かが勝負だよな……)


 沙羅が満足げにスマホを下ろすのを待って、霧はさりげなく話題を投げた。

「白鷺って、こういうおしゃれなカフェとか、よく友達と行くの?」

 沙羅は一瞬考えるようにしてから、パフェのクリームをスプーンですくい、ふわりと笑った。

「たまにかな。友達に誘われたときとか」

「へえ、意外だな。白鷺って、もっと頻繁にこういうお店に行ってそうなイメージだったけど」

「そうなの?でも、そんなに頻繁には行かないな」

「じゃあ、今日はちょっと特別な日ってことだな?」

 冗談めかした声に、沙羅は目を細めて笑う。

「そうかもね。桐崎君が誘ってくれたおかげで、今日はいつもと違う感じがするかも」

「いやーそんなこと言われると、俺も調子乗っちゃうな」

「え、乗るんだ?」

 沙羅はくすっと笑ってスプーンを動かす手を止めた。

「そりゃ白鷺は可愛いからね。誰だってテンション上がるよ、こんな状況で調子乗らないわけないじゃん?」

 一見冗談めかした口調だが、自然に出てきた言葉には霧自身の本音が混じっていた。


 沙羅はその言葉に一瞬きょとんとしたあと、特に動じる様子もなくふわりと笑った。

「そう言っておけば、女子が喜ぶって思ってるタイプでしょ?」

「バレた?」

 霧は片手を上げ、わざとらしく降参するポーズを取った。

「でも、俺が本気で思ってることしか言わないのは知ってるよね?」

 沙羅は軽く笑いながら再びスプーンを手に取った。

「そんなこと言って、色んな人に可愛い言っているんでしょ~?」

「いやいや、そんな器用な真似、俺にはできないって。俺が“可愛い”って言うのは、本気で思ったときだけだから。まあ、そんなこと思わせてくるの、白鷺くらいだけどな」

「そういうセリフが簡単に出てくるあたり、やっぱり慣れてるよね?」


 霧は返す言葉に一瞬迷ったが、すぐに笑みを浮かべながらフォークを手に取った。

「慣れてるって言われるのはちょっと心外だな。本気で思ってることをそのまま言っただけなんだけど」


 そう言いながら、控えめに見えるチーズケーキを一口食べる。甘さ控えめで上品な風味が口の中に広がり、思わず霧は目を細めた。

(高いだけあって、ちゃんと美味しいじゃん。まあ、俺の財布の犠牲は報われたな)


 沙羅はそんな霧の様子をちらりと見て、小さく笑った。

「美味しい?」

「うん、正直ビックリするくらい美味しい。そっちのパフェすごい豪華だけど、全部食べられそう?」

「どうだろう?」

 沙羅はスプーンでクリームをすくい、少しだけ味見をする。

「結構ボリュームあるし、残しちゃうかも」


「そしたら俺が食べるよ。チーズケーキだけじゃ腹いっぱいにならないしな」と、霧は軽い口調で返す。沙羅はすぐに微笑みを浮かべた。

「そうなんだ。じゃあ、手伝ってもらおうかな?」

「任して」

 霧はフォークを握り直して、自信満々に笑った。


「そういえばさ」

 霧は、さりげなく話題を振った。「白鷺って雑貨とか見るの好きだったりする?」

「雑貨?」

 沙羅は少し驚いたように眉を上げた。

「うーん、嫌いじゃないけど、どうして?」

「この近くに新しい雑貨屋ができたらしいんだよ。店の前を通ったときに、ガラス越しにちょっと見たんだけど、めちゃくちゃおしゃれでさ。白鷺が好きそうだなって思ったんだよね」


「へえ、新しいお店なんだ」

 沙羅は少し興味を引かれたように頷いた。

「どんな感じのお店なの?」

 霧は手を広げながら、さもその店のことをよく知っているように振る舞った。

「女子向けっぽい感じで、俺にはちょっと縁遠いんだけど、白鷺が見たら絶対楽しめるんじゃないかって思った」


 沙羅は少し考え込むように視線を落としたが、やがてふっと笑みを浮かべた。

「うん、ちょっと気になるかも。見に行ってみようかな」

「じゃあ、行こうよ。せっかく近くだしさ。あ、でも無理にとは言わないけどね」

「そんなに押してるのに無理にとは言わないんだ?」

 沙羅はくすっと笑いながら言った。


「乗ってくれるかどうかは白鷺次第だからね」

 霧は肩をすくめて笑った。沙羅は少し考えるようにしてから立ち上がった。

「じゃあ、ちょっとだけ見に行こうかな。桐崎君がそんなに言うなら」

「じゃあ、行こうか」



 カフェを出て、霧と沙羅は雑貨屋へ向かって歩いていた。霧の中ではデートの流れは順調そのもの。だが、その空気は突然、背後から聞こえた冷たくもはっきりした声によって断ち切られた。


「あら、桐崎君と沙羅じゃない。こんなところで何してるの?」


 霧の心臓が一瞬止まる。まさか、この声……いや、聞き間違いだ。これは錯覚だ、そうに違いない。そう自分に言い聞かせながら、霧は聞こえなかったふりを決め込んで歩き続けた。

「桐崎君?」

 声は少し近づいてきた。

(無視だ、無視。俺は気づいてない、何も聞こえない……!)

 霧は歩く速度をほんのわずか上げた。これはただの風の音で、ただの幻聴だ――そう思い込もうとした瞬間、腕を掴まれた。全身が凍りつく。

「ねえ、桐崎君?」

 声はすぐそこ、耳元で響いている。

(くそ、完全に捕まった……!)

 観念して振り返ると、案の定、そこには鳳条瑠璃が立っていた。


 休日らしい私服姿。白のツイードトップスにワインレッドのマーメイドスカート、そして手には控えめなデザインのトートバッグ。飾り気がないのに洗練されている、いかにも三条らしい装いだ。いつもの冷徹な目が霧を射抜いている。

「あ、鳳条さんか。奇遇だな。何してんだよ、こんなところで」

 霧はできるだけ自然な声を出したが、明らかに動揺を隠せていない。瑠璃は涼しい顔のまま、霧を見つめた。

「私の方が聞きたいわ。桐崎君と沙羅がこんなところで何してるの?もしかして、二人で……デート?」

 最後に嘲笑うような笑みを添えるのを忘れない。

「いや、そんな大層なものじゃないし。ただ、ちょっと雑貨屋に行こうかなって」

 霧は青ざめた顔でなんとか誤魔化そうとするが、瑠璃の目は鋭い。

「あら、そうなの?じゃあ、わざわざ手をつなぎそうな距離で歩く必要もないと思うけど。沙羅、何か罰ゲームでも受けているの?」

「おい!」

 霧は反射的に声を上げたが、瑠璃は全く気にしていない様子だ。

「違うよ瑠璃ちゃん。今日はね、桐崎君が新しくできた雑貨屋を教えてくれて、それでちょっと行ってみようかって話してたの」と沙羅がフォローする。

 瑠璃はその言葉を受けて、小さく「あら、そう」と首を傾げる。

 瑠璃は冷たい笑みを浮かべたまま、霧と沙羅を交互に見つめた。その視線には明らかに「そういうことにしておいてあげる」という含みがある。


「新しくできた雑貨屋ね……。ふーん、桐崎君って、案外こういう情報には敏感なのね。それって自分の趣味?それとも、沙羅を楽しませるため?」

「どっちでもいいだろ」と霧は苛立ちを押し隠しながら返した。

「とにかく、俺たちは行くとこあるから。鳳条さんも自分の用事を済ませれば?」

 しかし瑠璃は一歩も引かない。それどころか、わざとらしくバッグを持ち直して言った。

「あら、偶然ね。私もちょうどその雑貨屋を覗いてみようと思ってたのよ。沙羅、あなたも行くなら、私もご一緒していいかしら?」

 霧の眉間に深いシワが刻まれる。

(おいおい、マジかよ……何でわざわざついてくるんだよ!)

「え、瑠璃ちゃんも来るの?」

 沙羅は目を丸くしてから、柔らかい笑顔を浮かべた。

「もちろん一緒に行こうよ!せっかくだし!」


「ちょっと待て!」

 霧は思わず声を上げた。

「雑貨屋なんて鳳条さんの趣味じゃないだろ。なんか、もっと賢そうな本とか買いに来たんじゃないのか?」

 瑠璃はその言葉に目を細め、微笑んだ。

「たまには違うお店を開拓するのも悪くないでしょ?それに、あなたが案内してくれるんだから、きっと素敵なお店なんでしょうし」


「……!」

 霧は完全に言葉を失った。もはや彼女のペースにはまっている自分に気づき、内心で舌打ちをする。

「まあまあ、桐崎君」

 沙羅が穏やかな声で仲裁に入った。「三人で行ったら、それはそれで楽しいと思うよ。ね?」


 その無邪気な笑顔に、霧は拒否する余地を完全に奪われた。渋々頷きながらも、内心では瑠璃への警戒心をさらに強める。(こうなったら、何とか鳳条を黙らせる策を考えないと……)


「それじゃ、行きましょうか」と瑠璃が先頭に立つように歩き始めた。その背中には、完全に場を支配した勝者の風格が漂っている。


 霧は苦々しい顔で沙羅を見るが、彼女は相変わらずのんびりと微笑んでいるだけだった。そうして三人は、奇妙な三角関係のまま雑貨屋への道を進むのだった。

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