第5話 一夜限りの閑寂

 レナは恋人を失ったショックを振り払うかのように、オフロードバイクのシートに飛び乗る。


「うん、なんとか動きそうね。外見的には結構傷んではいるけど、肝心のエンジンは無事みたいだわ」

 レナがハルトとアミにシートに跨るようにうながす。

 ゴムチューブを胴体に巻きつけて、一心同体でバイクのシートに跨ってのレナ、ハルト、アミの脱出劇が始まる。


 運転はレナが、その後ろにアミ。

 ハルトは後ろ向きのアクロバテックな姿勢で飛び乗り、レナはバイクを始動させた。

「やつら、性懲りもなく湧いてきやがる」

 トウジに託されたマシンガンは弾切れで使えない。ハルトはアキラの忘れ形見である改造マシンガンを撃ちまくって追いすがるZを蹴散らす。

「向かう先は港湾部だったわよね。その先は……」

「ああ、知っている」

「もちろん」

 ハルトに続いてアミも頷いた。


 なおも執拗に追いすがる【Z】の群れをかろうじて払い除け、這々の体で逃げ切ることに成功した3人がひとときの安息を得るためにたどり着いたのは、小山の上にある名もなき小さな神社だった。


 東京は起伏のある地形からか、神社は小高い天然の山や丘に祀られていることが多い。

 当たり一面は焼け野原と化した東京の町並みが広がる中、ぽつんと都会のオアシスといった佇まいで鎮座する神社は珍しくない。

 幸い、社殿も【Z】らの襲撃を受けることなく、ひっそりと以前のままの状態で建っていた。

 しかも、神社の敷地をぐるりと囲んだ杉の木立が外部からの目隠しの役割をしてくれている。

 警戒は怠れないが、一晩くらいは天露をしのいで仮眠を取るくらいはできそうだ。


 しかし、油断は禁物。

 音に敏感な【Z】らに悟られないよう、細心の注意を払う必要があった。光には反応しないことはレジスタンスたちには周知の事実だったが、念の為に社の外部に明かりが漏れないよう、光源は完全にシャットアウトすることにした。

 当然のこと、奴らに感づかれないという保証はない。【Z】の襲撃に備えて見張り役を立てる必要があった。


 3人が順繰りに2時間の見張り任務につき、残ったふたりが4時間仮眠を取ることになった。2番目をアミに頼んで、まずはハルトが見張りにつく。

 社殿の内部は八畳ほどの狭い空間だが、夜露が凌げるだけであいがいうえ、片隅にうず高く積まれた座布団を敷布団代わりに、祭事用だと思われる白い布を掛け布団の代わりにしてレナとアミはそれぞれ壁に向かって横になった。

 早くも、アミからかすかな寝息が漏れてくる。


 レナはと言うと、忸怩たる思いで虚脱感に心が押し潰されそうだった。

「あんなことになるなんて……」

 レナはまだ今日一日の悪夢から開放されずに、トウジを偲び、彼と過ごした日々の記憶を辿っていた。

 自分の不甲斐なさに気持ちが鬱いだまま、なかなか寝付くことができない。

 わずか2年足らずの短い期間とはいえ、恋人のとして互いに支え合って生きてきた。トウジを失ったレナは虚無感を拭い去れるほどドライではない。

 しかし、不思議と涙は出なかった。

 それだけ精神を張り詰めた日々を送ってきたということか……。


 ハルトが二時間の見張りを終えて社に戻ってきた。

 アミはすでに目を覚まし交代の準備を整えていた。

「アミ、悪いな。少し休ませてもらうよ」

「ええ。見張り番ご苦労さま」

 アミはハルトを労うと、音を立てないようにして社殿の戸を開けて出ていく。

 社殿の中には、レナとハルトの二人だけになった。


 しばらくは、互いに背を向けて横になっていたが、5分ほどの沈黙を破ってハルトがレナに語りかけた。かろうじて聞き取れる程度の小声に気づいたレナが体勢を入れ替えてハルトに向き直る。

「こんなときに言うべきではないことくらい承知してはいるけど、今しかないから……今じゃなきゃだめだから思い切って僕の気持ちを伝えるよ、いいね?」

「ちょっと待って。困るわ……そんな」

「それって、僕がこれから何を君に伝えようとしているのか、分かっているみたいじゃないか? だったらなおさら黙っているわけにはいかない」

「いや!」

「いいや、言うよ。はっきりとけりを付けないと、トウジに顔向けできないだろ?」

「やっぱり……いや。聞きたくない」

「レナは。むかしとちっとも変わってない。意地っ張りで、わからず屋なところがさ。訓練施設のころとおんなじだ」

「そう簡単に、人の性格なんて変わるものですか」

「それもそうだな。君の勝ち気な性格や、他人の意見に対して安易に妥協しないところは昔のままだ」

「ハルトの皮肉屋さんぶったところも変わっていない。でも……嫌いじゃないわ、そういうとこ」

「え? 僕はてっきりそんな自分のひねくれた性格が君に嫌われているとばかり思っていたのに」


 窓はあるものの、外部からの光が殆ど入ってこない社殿内では互いの顔を認識することすらままならない。そんな状況下でも、ハルトとレナは心に秘めたる想いを語り、二人の距離感は次第に縮まっていった。


「じゃあ、改めて言わせてもらうよ。実はずっと君のことが……レナばかり見ていたこと、レナに関する噂なら少しでも知らたかったこと……」

「その先は言わなくても……、ハルトのことなら何でもお見通しだから」

「そんなに僕って、レナにとっては与し易い底の浅い人間だと思われていたんだ?」

「そこまでは言ってない! むしろ、そこがハルトの良いところだと思っていたから」

「それは、トウジ……には無い部分ってことだと理解していいわけなんだよね。あっ、ゴメン! 君をつらい気持ちにさせてしまったのなら謝るよ」

「ううん、それは大丈夫だから気にしないで。もう彼のことは自分の中でも整理をつけないと思っているの。心のポッカリと大きな穴が空いたままじゃこの先、思いやられるし……」

「僕じゃ、その穴を塞ぐには役不足……かな?」


 ハルトの問いかけにレナは少しムッとした表情で接する。

「ハルトの気持ちに気づかないほど鈍感な女だと思っていた?」

「えっ……」

 トウジを失ったレナだったが、元来芯は強い女性だ。

「ずっと好きだった、レナ。そして今もその気持は変わりない」

ハルトはレナに心の内を告白した。

「ありがとう。嬉しい」

「えっ? ……てことは?」

「初めから両想いだったのね、私達ふたり」

 レナも、ハルトの気持ちには気づいていたことを打ち明けた。

 長い間、彼を縛り付けていたわだかまりがやっと取り除かれ、開放的な気分で心も晴れやかだ。

「でも……」

 どうしてトウジを選んだのかと問い詰めるハルトにレナは「少しだけ、彼……トウジのほうの押しが強かっただけ」だと、気の抜けたようなセリフにハルトは呆然とする。


 互いの思いを打ち明け、呪縛から解き放たれたふたりは熱い口吻を交わす。

 そしてその夜、ハルトとレナは結ばれた。

 一時の、心地よいまどろみに身を委ねる三人。


 アミが見張りの役目を終えて、社殿に戻ってきた頃には東の空が白み始めていた。

「十分な休息とはいえないが、非常時だ。そろそろここを払うことにしよう」

「その前に」

 ハルトの呼びかけに、レナとアミが双子の姉妹のように息のあったユニゾンで異論を唱える。

 ふたりは顔を見合わせて、譲り合うようにして発言権を譲りあう。

 そして、どうやら権利を獲得したレナが権利を行使した。


「その前に、腹ごしらえしない? 私、昨日朝ご飯に携帯食とお水を摂っただけで、正直お腹ペコペコ何だけど」

 中央司令部も食料の調達には苦労しているとはいえ、定期的に配給される缶詰や災害時の非常食が彼らの命を繋いでいる。

 レジスタンスの面々は、常にこれが最後の晩餐であり、今日まで生き延びらえた感謝の気持ちを噛み締めながら食事を摂っていた。


 質素な簡易非常食を平らげた3人は、夜が明ける前に、最終目的地である沿岸部に向かうための準備に取り掛かった。


 ハルトはすでに出立の支度を整えてふたりの女性を、少し距離をおいて眺めている。

 レナは、傷心を癒やさすかのように、あるいは失った者への未練を断ち切るかの如くテキパキと作業を遂行している。

 迅速な行動も、おそらくはトウジから教示を受けてきたからに違いない。

 そんなレナを誇らしげに見つめるハルトは、しばらく見ない内に逞しくなったレナを心強く感じ、改めて惚れ直した。

 とはいっても、着替えや貴重品の類はゼロ。女性ふたりも化粧など2年以上していないはずだ。

 アミも、ふたりに遅れまいと淡々と身支度を整えていた。


「埠頭にはすでに出港準備を終え、民間の女性や幼い子供たちを乗せた大型の外航運搬船が停泊しているはずだ。仲間たちに合流すれば、しばらくは【Z】ともおさらばだ」

 ハルトの控えめな督戦に、いっぱしの兵士にたくましく成長したふたりの女性が無言で頷く。


 朝日を背に、目的地に向かう3人の影は、長く、長く、どこまでも尽きることとなく伸びていた。


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