第1話(2)

 着替えが終わると、俺はパソコンデスクの下から先ほどの段ボールを取り出した。


 最近は荷物を勝手に送りつける詐欺もあると聞く。よく確認もせずに受け取ったのはこちらの落ち度だが、危険な荷物でないかだけでも確かめておくべきだろう。


 というのは建前たてまえで、単純に中身が気になるというのもあった。開けるか開けないか少し迷い、晴香がリビングで右往左往するのを横目で確認してから、そっとガムテープの端に爪をかけた。真新しいガムテープは、音もなく簡単にはがすことができた。パンドラの箱が口を開ける。荷物は緩衝かんしょう材もなく、そのまま入れられていた。




 思わず息が止まる。




 朝の光のおかげで、情けない叫び声を上げずにすんだのは幸いだった。今開けたのも正解だ、暗闇の中ひとりで開けていたら、もっと動揺したに違いない。


 現れたのはだった。


 それから手のひら、手首、肘、二の腕。二の腕から先は何もない。ぶつりと切られている。どう見ても人間の腕に見える。


 数秒ほど固まってから、俺はふと気づいた……本物にしてはきれいすぎやしないか。腕には産毛も、傷跡も、ほくろのひとつもないではないか。


 おそるおそる、自分の人差し指でその腕をつついてみた。皮膚には水分が感じられず、妙な弾力性があった。その感触で確信する。これはゴムで作られた偽物だ。子どもの頃に遊んだ指にはめるおもちゃの人形とまったく同じ感触だった。


 どっと力が抜け、俺はため息をついた。


 しかし見れば見るほど、まるで本物のような腕だった。手の甲にはうっすらと走る静脈が感じられるし、指先に向かって徐々に赤味が強くなるところなどもよく表現されている。


 こうして明るい日の下で見なければ、偽物であることにも気づかなかったかもしれない。義手として使われても遜色そんしょくはないだろう。さいきんの作り物はよくできている。


 だがあまりにも精巧にできたそれは、身に覚えがないということも相まって、ますます気味が悪かった。


 いったい誰が何の目的で、人間の腕の模型を送ってきたというのか。眉をひそめて段ボールの蓋を閉める。閉めた途端、見なければよかったと後悔が襲った。パソコンデスクの下へ荷物を元通り押しこんではみたが、喉奥の苦みは消えなかった。


 立ち上がって窓辺に近寄り、カーテンを開ける。


 秋の日差しが部屋をいっそう明るく照らした。がらりと窓を開けると、爽やかな風が部屋へと流れこんでくる。


 マンションのベランダからは、雑然とした東京の町を見下ろすことができる。寄せ集めの人間で形成された都市は、昨日とまったく同じに見えた。ここからの景色は変わらないだろう。明日も明後日も、もしかしたら百年後だって。


 しばらく町を眺めた。澄み切った青空の下で、人々がいつもと変わらない一日を始めようとしている。


 穏やかな風景のおかげで、俺の胸は清々しい気持ち――彼女と楽しい夜を過ごしたあとの休日、なんだってできるし何もしなくたっていい、自由で開放的な朝――で満たされていった。


「コーヒーいれたよ」


 リビングから晴香の声が聞こえた。


「ああ、すぐ行く」


 部屋から出る頃には、俺の頭からは宅配便のチャイムで起こされたことも、不可解な荷物のことも、さっぱりと消えていた。

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