あなたのお人形

庭野ゆい / niwano

第1話(1)




 玄関のドアを開けると、「鮮やかな青」が飛びこんできた。





 その荷物は、絵の具からいまいましぼり出したかのような、混じりけのない真っ青な包装紙に包まれ、そっけないラッピングをほどこされていた。


 包装紙の角は斜めにずれており、セロハンテープの貼り方もおざなりだった。まるで梱包に手慣れた店員ではなく、素人が包んだかのような。


 箱の形は普通の立方体、大きさは長辺が六十センチ、短辺は五十センチ程度。やけに大きい。だが配達員が片手で抱えている様子から見るに、箱の大きさに対して、中身はずいぶん軽いらしい。


江藤優弥えとうゆうやさんですか?」


 配達員から尋ねられ、荷物に気を取られていた俺は反射的にうなずく。


「サインお願いします」


 配達員はそう言って、配達票を荷物の上に乗せ、それらをドアロックのチェーンの隙間からねじこんだ。男の無遠慮なしぐさに、不愉快な感情がうごめいた。

 せっかく気持ちよく寝てたってのに。まだ土曜の朝八時だぞ。と、文句を言ってもしかたないので、しぶしぶ左手で荷物を受け取り、右手と壁でサインを書いた。江藤。サインは普段より、いささか荒々しいものとなった。


 配達票を配達員につき返そうとしたところで、俺はふと手を止めた。差出人の名前にも住所にも心当たりがなかった。通販はよく利用するため、よく考えもせず受け取ったものの、先日頼んだ商品はすべて手元に届いたはずだ。


 じゃあ、これは?


「ありがとうございます」


 急いでいたのか、配達員は俺の手からサイン入りの配達票をさっと取り上げ、足早にマンションの階段を下りていった。


 俺は身に覚えのない荷物と取り残される。開け放たれたドアの隙間からは雲一つない、晴れ晴れとした青空が見えた。青。まるでこの荷物を包む紙のような、文句なしの清々しい天気。


 一方の自分、慌てて起きたために髪の毛はくしゃくしゃ、伸び始めたひげ、上下灰色のスウェット。あまりにもさえない。


 朝の空気はわずかに肌寒く、身体がぶるりと震えた。ドアを閉め、鍵をかける。無意識のうちに舌打ちがこぼれた。


 脇に抱えていた荷物を耳元に寄せ、軽く振ってみる。ごとごとと鈍い音がした。予想通り、大きな箱にしてはやけに軽かった。


 差出人は「タナカマイ」とある。住所は静岡県。


 俺はますます首をかしげた。俺の実家は三重にあり、大学進学にあたって上京した。静岡に住んでいるような知り合いは一人も思い当たらない。そもそも静岡県にいい思い出がない。一度旅行に行ってに遭ってからはあの辺りに近づいても――


「ユウ、荷物なんだったの?」


 ベッドを置いている部屋から、晴香の眠たげな声が上がる。とっさに俺は荷物に貼られた宛名シールを破り取った。


「通販で頼んだやつ。あとで開けるわ」


 勘のいい彼女に差出人の名前を見られて、妙な方向へかんぐられては面倒だ。ついでにさりげなく青の包装紙もはぎ取って、ゴミ箱へ捨てた。するとなんの変哲もない段ボールだけが手元に残された。


 今俺が住んでいるのは就職と同時に契約した賃貸マンションで、リビングの他は一室、つまり寝室しかない。ベッドやらパソコン用のデスクやら本棚やらは、すべてその部屋にある。俺はその部屋へ入るなり、届いたばかりの荷物をデスクの下へ押しこんだ。


 振り返ったベッドの上では、朝に弱い晴香が、下着姿のまま、半分身を起こした状態でぼんやりとしていた。俺も彼女も、配達員による無遠慮なチャイムの音で起こされたことを思い出す。俺は彼女に向けて「おはよう」と言った。


 彼女も弱々しく微笑んだ。


「おはよう。朝ごはん、何か作る?」


 自分よりも眠そうな彼女に問われ、気遣いに顔がゆるむ。


「あ、そうだな。サンキュ。とりあえずコーヒーかな」


「わかった。冷蔵庫見るね」


 床に落ちたシャツを拾い、晴香の背中がリビングに消える。美容業界で働く彼女は美意識が高く、なめらかな脚には産毛の一本も見当たらない。


 俺の仕事は美容品メーカーの営業職で、晴香とは取引先を交えた懇親会で知り合った。彼女とは付き合ってもうすぐ一年になる。俺は三十二歳、彼女は二十八歳。週末になるとたいていお互いの家をいったりきたりする状態で、彼女としては、年明けに控える自身の誕生日あたりに何かが起きるのではないかと、期待しているらしい。


 もし美しい彼女と結婚したら、きっと友人たちは誉めそやすだろう。年上の俺に晴香は従順だし、性格もさっぱりとしていて付き合いやすい。大きな喧嘩けんかをしたこともないし、今の関係に不満はなかった。


 だからといって、それが結婚の決め手になるわけではない。


 今年の夏は実家に帰省しなかったが、代わりに両親からそろそろ結婚はしないのかという催促が込められたメールは届いていた。同級生は次々と結婚しているし、なんなら来週もう何度目か分からない友人の結婚式にも参列する。


 だが俺はいつまでもぐずぐずと、何かに足を引っ張られるかのように、晴香との結婚を決め切れずにいた。


 十代の頃には、俺だって世界を変える力があるのだと信じて疑わなかったが、どうやらそんな大した力はないと分かってくると、代わりに何もかもがどうでもいい、俺ではない誰かに、俺の人生を決めてほしいと思うようになった。ボタンを押すだけで勝手に車が走り出すかのように、人生の行く先を、誰かが自動的に決めてくれたらどんなに楽であろう。


 投げやりだと笑ってくれてかまわない、実際その通りだ。


「優弥の『優』は、優柔不断の『優』だね」


学生時代に付き合っていた女の子からも、そう言われたことがある。ではこの迷いは元来の性格だけの問題なのだろうか。


 それだけなのか。


 俺は首を振った。いくら寝ぼけているからといって、ばかみたいに立ちすくんでいてはいけない。ひとまず着替えようと思い、部屋の隅へ移動して、備え付けのクローゼットの、観音開きになっている扉をぱかりと開けた。見慣れた服の中に、先ほど目にした鮮やかな青――希望と平和の象徴――が横切った。


 それは通り過ぎて黒のシャツを取る。着替えの間、片足をジーンズに突っこみ、もう片方の足でバランスを取りながらも、視線いつしか、デスクの下に隠した「奇妙な箱」へとそそがれていた。

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