第3話 ホワイダニットミステリー小説『影の筆跡』
死体が発見されたのは、出版社ビル裏手の狭い路地だった。
警察が現場に到着した時、男はすでに冷たくなっていた。額には鈍器による致命的な一撃。背中には不自然に破れた薄手のジャケット。両手には何かを強く握りしめた跡があり、周囲には焦げ臭い匂いが漂っていた。
被害者の名前は、神崎透。
小説家を志す無名の若者であり、応募作が落選したばかりの作家の卵だった。
「奇妙な事件だな」
探偵・月村剛はそう呟きながら、現場を見下ろした。彼の足元には、捜査員が拾い上げた一冊の原稿が落ちている。雨に濡れて一部が滲んでいるが、表紙にははっきりと書かれていた。
——『英雄再誕の彼方へ』
「被害者が手にしていたものです。ラノベの原稿だそうですよ」
捜査員が皮肉交じりに言う。月村は眉をひそめ、その束を手に取った。冷たい紙の感触と、無機質なタイトルがやけに指先に重い。
事件の発端は、出版社に仕掛けられた爆弾未遂事件だった。
前日、神崎透は出版社に向けて犯行声明とも取れる内容をメールで送り付けている。
「世界に真実を示す。お前たちの罪を明らかにする日が来た」
現場となった出版社ビルの駐車場で、警備員が不審な鞄を発見し、爆発物処理班が駆けつける騒ぎとなった。しかし、鞄の中には爆発装置未遂の形跡だけが残されており、実際には起動する仕組みにはなっていなかった。
だが、その翌日——神崎透は殺された。
「つまり、動機は逆恨みというわけだ」
月村は警察からそう聞かされながらも、どこか腑に落ちない表情を浮かべていた。
「それにしては、事が妙に整いすぎている」
「整いすぎ?」
「ああ。原稿、爆弾未遂、そして死体の発見。まるで誰かが筋書きを書いたように進んでいる」
月村は手元にある『英雄再誕の彼方へ』のページをめくった。
——“魔王城は、この先の崖を越えた向こうだ!”
目が滑るように読み進める。しかし、そこで彼は違和感に気づいた。
「……同じセリフが二度出てくる?」
「探偵さん、ラノベなんてそんなもんでしょ? 読んだことあります?」
捜査員が笑うが、月村は真顔だった。
「この物語は、何かを繰り返している」
まるで「筋書き」が狂っているかのように。
神崎透の部屋に踏み込んだ月村は、異様な光景に息を呑んだ。
壁一面に、異世界の地図らしきものが貼り付けられ、赤いペンで「魔王城」「崖」「終章」といった文字が何度も書き込まれている。その中には、出版社ビルの図面まで混じっていた。
「……おかしいな」
彼の手があるノートに触れる。そこには、日記のような文字が乱雑に記されていた。
「魔王城はこの先の崖を越えた向こうだ。」
「繰り返している、繰り返している、繰り返している……!」
その文字がページを埋め尽くすほど、異様なまでに書き込まれている。
「これは……何を意味している?」
月村は眉間にしわを寄せた。
「まるで、誰かがこの世界のシナリオを書いているとでも言いたげだな」
事件の真相は闇に包まれていた。
神崎透はなぜ爆弾を仕掛けたのか。なぜ出版社を標的にしたのか。そして誰が、なぜ彼を殺したのか。
だが、月村には一つの仮説があった。
彼は部屋に戻り、崩れかけた『英雄再誕の彼方へ』の原稿を手に取る。そして、ラストのページをゆっくりとめくった。
そこには、勇者リオンが天井を見上げ、叫ぶシーンが書かれている。
「俺たちは……誰なんだ!?」
その瞬間、月村の脳裏にある言葉が浮かんだ。
「この物語は……現実を書き換えているのか?」
彼は息を詰め、無言で原稿を閉じた。
「すべては書かれた物語ではないのか?」
誰が書いたのか、誰が筋書きを作ったのか——その答えは、闇の中に沈んでいた。
部屋の窓から差し込む月明かりだけが、静かに原稿を照らしていた。
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