仮面の作り方

橋塲 窮奇

仮面の作り方・1

 ――――仮面を作り出す方法、それは――――


   1


 雪色の混じる薄紅の花弁が咲き誇り、街路を彩っている。暖かい春風に乗って、花弁が吹雪のように青空に舞い上がっていく。少し視線を落とせば、薄紅の絨毯が敷かれていた。

 

 この薄紅の絨毯は、導いている。この先へ続く、一つの学び舎へと。生徒達を、教師達を、祝福するように導いている。だが、その祝福も従来の鮮やかさを失いつつあった。

 

 今は五月の上旬――桜の花は次第に散り、葉桜が数を増やしている状況だ。祝福が色褪せていくと同時にこの学び舎の――私立薊が丘高等学校の人々の初々しく、輝かしい期待や希望も色褪せつつあるのだ。

 皆、新しい生活に慣れていき、新鮮だったはずの日常は乾いていってしまった。


 だが、櫻川雪音さくらがわゆきねは未だに希望や期待と言った輝かしい感情を持って日々を謳歌していた。


「風よ、吹け、頬を吹き破らんばかりに吹け! 吹き荒れるだけ、吹け!」

 

 放課後の視聴覚室で、声高らかに彼女は台詞を叫んでいた。切望交じりのその言葉は、視聴覚室を反響する。しかしすぐに空間は静寂に帰していく。

 やがて、一人の短髪の女性が話しかけてくる。


「まだダメだね。言葉がまだ軽い。それじゃあリア王の狂気と意志が完全に再現出来てないよ。もっと喉を傷付けるように声を出した方がいいかもね」

 

 彼女は保科彩音ほしなあやね。雪音の所属する演劇部の部長で、県のコンテストでも最優秀賞を獲得した経験がある才媛であり、既に劇団へのオファーも来ているとか。

 そんな雲の上の存在にも思える保科は、雪音にアドバイスをしていた。厳しく的確な指導を前に、雪音は俯いていた。


「……やっぱり、私演技とか向いていないんですかね?」


「誰もそんな事言ってないでしょ? 雪音の場合、動き自体は結構いいと思うよ。思い切りのいい足運びとか、手の仕草とか……でも、台詞周りはまだ伸びしろって感じね」


「どうしてこんなに上手くいかないのかな……」

 

 今の言葉は、保科に対して投げかけられた疑問ではなく、自身に投げかけられたものである。雪音の心は底なし沼に嵌ったように沈んでいく。自己嫌悪が鹿威しの竹筒に水が満たされていくようだ。

 

 彼女は昔から演者に憧れていた。作品内の登場人物を自身の心に透写し、振舞う――その姿はまさしく星のようであった。自分もそうなりたい――そう願って、この部に加入した。

 

 だが、いざ演じてみればそれは雪音の憧れた演者とは程遠い、児戯のようなものだった。

 動きは真似られる。それはきっと、小中と体操部に所属していた事による恩恵なのだろう。関節は他の人よりも柔らかいからか、幅広く動く事が出来ている。

 演技だけなのだ。台詞の言い方だけなのだ。それだけが、どうしても上手くいかない。

 

 感情は込めている。少なくとも雪音自身はそう思っている。きちんと登場人物の思考を投影しているつもりなのだ。――だが、それでも何故か納得のいくものになってくれない。


 保科には、ずっとダメ出しを喰らっている。

 何がいけないのか。どうして自分はこうも詰まってしまうのか。


「先輩……私、どうすればもっと演技が上手く出来ますか?」

 

 堪らず雪音は問いかけた。すると保科は「うーん」と顎に手を遣りながら唸る。


「雪音、あんたはさ、〝理想の存在〟っている?」


「え? 理想……?」


 予想外の言葉に、硬直してしまう。だがすぐに我に返り、


「それって、どういう事ですか?」


「そのままだよ。演技をする人間ってのは、誰かの意識を――心を貼り付けて振舞う存在なんだ。つまり、誰かをコピーするって事だね。要するに、最高の演技をするには最高のコピー元が必要不可欠って訳! あんたはまず〝理想の存在〟を見つける所から始めるべきよ」


 保科の助言は雪音の曇っていた心に光を差してくれた。

 〝理想の存在〟――思えば雪音は「役になり切っている演者」という不特定な存在に憧憬を抱いていたに過ぎなかった。特定の「誰か」を目指した事は無かったのだ。


「〝理想の存在〟……」


「ま、これはあくまであたしなりのやり方に過ぎないから。でも、参考にはなると思うよ」


「分かりました……私、絶対に見つけます!」


 雪音の瞳には燦然とした炎が燃え盛っていた。保科はそんな雪音を子供の成長を見守る母親のように眺めていた。そして、彼女はパン、パンと手を叩く。


「それじゃあ、課題も見つかったところで、今日はこの辺にしとこっか!」


 保科の指示に従い、雪音は迅速に着替えて、荷物を持って視聴覚室を後にする。


 鬼灯色の空の下、散りゆく薄紅色の花弁が夕影に吸い込まれていく。

 雪音はただ、桜並木と眩い夕陽が織り成す影の上を歩いていく。

 ただ、不明瞭な光を求めて――

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