第五節 青写真
闇村さんの運転で、私たち二人を乗せた高級そうなスポーツカーは高速道路を走っている。
このまま走っていくとどこにたどりつくんだろう。
会いたい、という私のわがままをすぐに聞いてくれた彼女は、私の家の近くまで車で迎えに来てくれた。
闇村さんにエスコートされて助手席に乗り込むと、彼女は運転席に座ってから、私を見て「どこに行きたい?」と問いかけた。
本当は、どこまでも遠くに行きたい。闇村さんに連れて行ってほしい。
でも私は、明日の仕事のことも、彼氏とのデートのことも、頭の中から消しきれない。
「闇村さんの行きたいところに。……できれば、日帰りで」
「私の行きたいところでいいの?」
既に日没から少し経った頃で、日帰りをするには時間が限られている。
それでいいんだ。この六時間だけ夢を見よう。
そしたら、ちゃんと、現実を見て。私は、私の分相応の毎日を過ごすんだ。
道中、私と闇村さんは会話をしなかった。
切り出す言葉が思いつかなくて、闇村さんも何も聞いてこなかった。
しばらく走った頃、上空で何かが点滅するように光っているのが見える。
あれは夜間飛行をする飛行機だ。ここは空港が近いんだ。
「もうすぐ着くわ。お手洗い大丈夫?」
「あ、コンビニ寄りたいです」
やがて高速道路から下り、一般道を通って、コンビニ休憩をした。
闇村さんはコンビニで何か買い物をしたようだ。私がお手洗いから戻ると彼女はコンビニ袋を手にぶら下げて待っていてくれて、コンビニを出ると目的地に向かう。
その後五分ほど走って、闇村さんは空港に程近い公園の駐車場に車を停めた。
「……闇村さんが来たかった場所って、この公園なんですか?」
「ここには初めて来るんだけどね。日帰りじゃなかったらもっと豪勢なデートを用意したけれど、今の貴女を見てると、なんとなくこういうデートもいいかなって」
「私を見てると……?」
どういう意味だろう。
そう疑問に思いながらも車から下りると、風の冷たさに身を縮こまらせた。
海が近いからだろうか。震えそうになる。
「望月さん、腕を組んでもいい?」
「は、はい、勿論」
闇村さんは片手にコンビニ袋をぶら下げて、名を呼びながら私に歩み寄ると、デート、という響きを体現するように、腕を絡ませる。ああ、寒さは厳しいけれどそのおかげで私たちの他に人影はなく、確かに二人きりの時間は楽しめそうだと思った。
でも、楽しむ、といっても――私は闇村さんに何を求めているんだろう。
ひと時の癒しか、逃避なのか、残り四時間程になった夢なのか。
駐車場から遊歩道に出ると、程近い飛行場の誘導灯が夜の中で煌めいていた。
なんて、綺麗で。だけどそれは切なさを思わせて。
時折飛び立つ飛行機の大きな機体が、大きな音を立てて空高くに上昇していく。
段々遠く離れて、飛行機の航空灯が遠く小さい星のようになっていく。
光が離れて行く度に、時間の経過を知らせるようで、抱くのは寂寞か。
夜の遊歩道を寄り添うようにして歩く。それなのに初めて彼女と出会った時のドキドキがない。初めて電話をしようとした時の、胸の高鳴りもない。
なんだか悲しくなってきた。
すんと鼻を啜って、唇を噛む。
「また泣いてる」
闇村さんはそばで小さく言って、私の肩を抱くようにして公園のベンチに座らせた。
隣り合って座ると、闇村さんは優しい手つきで私の髪を撫でてくれたけれど。
そんな闇村さんの顔が見れなかった。私は彼女に、申し訳ないような、期待はずれなような、そんな複雑な気持ちを抱いていた。
もしかしたらこの人も、彼らと同じなんじゃないかって。
私のことなんて見ていなくて――自分の欲を満たすためだけに行動しているだけなんじゃないかって。
「ねえ、望月さん」
「……」
「望月さんは、私のこと、ちっとも見てくれないのね」
「え……?」
今、自分の頭で考えていたようなことを闇村さんが言うから、少し驚いた。
「私を通して見ているのは、なぁに? それは貴女にとって、見たくないもの? 何かから目を逸らしたくて私に泣きついてきたんでしょう?」
「そ、それは……」
強姦されそうになった悪い現実、彼氏への冷めてきた思い、そしてこの世界への諦観も、全部。
全部が嫌になって、闇村さんに泣きついた。
私は、闇村さんに救って欲しかった。ピンチの時に颯爽と現れたあの時のように、「大丈夫?」と優しく、涙の理由を聞いて欲しかった。それなのに。
「闇村さんだって、私のことを何も知らないのに……誰でもいいんでしょう?私じゃなくても、同じことをしたんでしょ?」
つい、ひねくれた言葉を吐いてしまう。
「確かに貴女のことをよくは知らない。だって教えてくれないんだもの。望月さんは最初から諦めてる。私に理解してもらおうとも思ってない。心をさらけ出さずに、悲観しているように見える」
そう言われて、心を抉られるような痛みが走る。
でも、その言葉を受け入れてしまったら、私が生きてきたこの人生への否定を受け入れることになる。
「悲観なんかしてません! 私は、これが私の幸せだと思ってます!」
感情的になって、大声で言った。
自分に言い聞かせるように、続ける言葉は呪いのようだった。
「平凡でいいから、仕事をして、今の彼と結婚をして、安定して生きていくこと。そうしたらきっと両親だって喜ぶし、妹だって……」
私の、幸せ。
私の幸せを口にしているはずなのに、どうしてこんなに苦しくて悲しいの。
「今は貴女の話をしてるのよ。……貴女はそれでいいの?」
「…………、私は、このままじゃ幸せになれないんですか?」
質問に質問で返す私に、闇村さんは少し表情を和らげて、「そんなことないわ」と言った。
「望月さんは青写真を描いているのね。確かに未来図を描くことは、悪いことではないわ。でもね、もっと目先の欲に正直になっていいと思うのよ」
「目先に……」
ふ、と、闇村さんと視線を交えた時に、心臓が一つ大きく脈打った。
ああ。闇村さんの優しい眼差しを受け、この目に宿して、見つめ返す。
彼女が先ほど言った通りだ。私は、闇村さんの向こうに、再び訪れる「平凡」な日々への失意を見ていた。闇村さんに縋りながらも、闇村さんのいない日々を考えていた。だから心がときめなかったんだ。
今は、こうして見つめる先にいる女性が、私を見つめているということに、気恥ずかしいような、それでいて甘い思いを抱く。
「闇村さん。……私は、貴女の目にどう映っていますか?」
闇村さんは微笑んで私を見ていたが、やがて軽く首を傾げながら言う。
「望月さんって、ガードが堅いって言われない?」
「……えっ。私、堅いですか? でも私、闇村さんに抱かれたんですよね?」
想定外の返しに驚きながらも、事実として述べた。
記憶はないけれど、むしろ軽い女と思われている気がしていた。
『すごく可愛かったから、全然迷惑じゃないわ』
闇村さんのあの言葉を思い出すだけで――ドキドキして、体の奥が疼くような感覚がする。
けれど。
「……ごめんね、あれ嘘なの」
「えっ?」
理解が追いつかずに、聞き返してしまった。
闇村さんは少し困ったように苦笑いをして続ける。
「あの後、望月さんが男に飲まされた薬を調べたんだけど、即効性の高い睡眠薬だったわ。だから貴女は道中で眠ってしまって、戻しちゃったのもあってね」
「……」
そ、そんな。
闇村さんはだいぶオブラートに包んで言ってくれているが、要するに私はただの寝ゲロ女だったのだ。
確かにそれなら闇村さんがお風呂上がり姿だった理由も、私が服を脱がされていた理由も、説明がつく。記憶が飛んだのではなく、寝ていただけ。私の服を洗濯されていたのは、それが理由だったのか。
「でもそれなら、闇村さんはあんな嘘つく必要もないし、連絡先を交換しなくてもよかったし……そもそも、どうして私を助けてくれたんですか」
「そこから聞く?一から話したほうが良さそうね」
彼女が私に話して聞かせたのは、まず、あの「ケン」と「ゴウ」という二人組が、あの界隈で頻繁に通りすがりの女性を路地へ連れ込んで強姦行為をしている常習犯だということだった。何故捕まらないのかを聞いたら、「ケン」がある偉い人の子息であり、罪をもみ消されてしまうからだと。だから警察を呼ばなかった――いや、呼べなかった。
「それで……闇村さんが直々に制裁を加えたんですか」
「そう。あのテーザー銃には仕掛けがあってね」
闇村さんは今まで見せなかった、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべて、ゴニョゴニョと私の耳元で囁いた。
「え?」
とても復唱できない言葉だった。要するにその、彼らの男性としての生殖能力を奪ったのだ……と言い換えればそういうことだった。
「私も傷害罪で訴えられると困るから、逃げた。あの界隈で強姦事件は二度と起こらないはずよ」
「……すごい。私があそこに連れ込またことに気づいたのは?」
「あの横道作戦はケンの常套手段だったからね。貴女に声をかけている姿を見つけて、テーザー銃を事務所まで取りに戻ったの。待たせたのはそのタイムロス。怖い思いをさせてごめんね」
「い、いえ! 闇村さんのおかげで、私は助かったので。謝らないでください」
ケンが私に声をかけている姿を見たということは、
『ごめんなさい、急いでるので失礼します』
もしかしたら闇村さんにとっての私は、第一印象からお堅い女だったのかもしれないな。
「大体のことはわかりました。……けどやっぱりわからないです」
心を砕いて、貴女に話せたら、貴女は振り向いてくれる?
「何がわからないの?」
余裕のある闇村さんに対して、少しの悔しさすらあるのだ。
私の想いは、貴女に向きすぎていた。
「闇村さんの、気持ち。……私だって闇村さんの気持ちが知りたい」
手を伸ばしたら届く距離にいる貴女なのに。
どうしても届かないような気がして、怖い。
「私、闇村さんのことが、好きです。好きなんです。平凡も安定も、もう要りません。青写真なんて焼いて捨てます。……貴女がいれば、それでいいんです」
私はガードが堅い女をやめる。
自分から闇村さんに手を伸ばして、その頬を包むように両手を添えた。
冷たい空気にさらされていたせいか、闇村さんの頬もひんやりと冷たくて。
彼女は弱く笑い、少しだけ間を空けて、それから唇を震わせた。
「――……ごめんね」
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