4-6
秘密の倉庫で会った後、お互いの近況を話した。
私はフェイカーであることを伏せながら、アルバイトを転々としていることを語った。
楓くんはどうしていたのかと、私が尋ねる。すると楓くんは、絵を描くことを辞めたこと、代わりに小説や音楽に傾倒したことを語った。
高校時代の楓くんだ。私が影から見ていた楓くんだった。それはどうやら、高校を卒業して大学に入って、大学を卒業して現在に至るまでずっと続いていたらしい。
この日に久しぶりに絵を描く楓くんを見たけど、私には絵の良し悪しがよく分からないから、相変わらず上手に見えた。ブランクを感じさせない魅力が詰まっていた。自分のことをこんな風に綺麗に記録してくれるのだから、雨谷涼夏が想いを寄せる気持ちもよく理解できた。いつか楓くんが紡いだお話や、楓くんが奏でた音楽を読んだり聴いたりしたくなった。きっと素敵なものなんだろうなと思った。でも、楓くんはそれら全部に「才能がない」と口の端から小さく溢した。
楓くんの近況の中で、私が動揺してしまったのは、やはり楓くんが自殺しようとしていたことだ。しかも、私が尋ねたあの日に自殺しようとしていたというのだから、本当に、間に合ってよかったというか、なんというか。
それを聞いて口を突いて出たのは、「どこにも行かないでよ」という怖いくらいに単純な我儘の言葉一つだった。それに楓くんは「そうだね」と優しい口調で返してくれた。彼の表情に、かつての雨谷涼夏と同じような希死は感じられなかった。
私が尋ねたことで楓くんの未来が変わったということだ。あの日、楓くんは自殺しようとして、きっとその結果命を棄てていた。そうなれば、私は楓くんに再会することはできないし、そもそも再会するための存在そのものがなくなっていただろう。
だから、楓くんとお互いに言葉を交わせていたこと自体が、とても運命的だと思った。
私と再会できた楓くんはどうするのだろうと思った。もしかしたら、この町に残るのかなとも思ったけど、違ったね。私がこの町に残るのか聞いたら、楓くんは首を横に振った。
それならば、私がとるべき選択肢は一つしかなかった。
楓くんについていくことだ。
楓くんの中にある過去の雨谷涼夏を塗り替えるには、やっぱり私が側にいることが必要な気がした。私が楓くんから離れると、楓くんは私じゃなくて、過去の思い出を目で追ってしまうと思った。
雨谷涼夏を塗り替えるために、私はやりたいことが沢山あった。私をモデルに絵を描いてほしかった。雰囲気のある神社を二人で探して、見つかったら夕方に神社の賽銭箱に凭れてぼんやりする。楓くんはそれを無言で描く。
それは、ただのあの日々の再現でしかない。けれど私は、そこにいなかった。ただ見ているだけで、楓くんの視線の先に私はいなかった。そこは雨谷涼夏の特等席だった。その席を奪いたかっただけというと、本当に性格が悪く聞こえるけど、多分私は性格が悪いんだ。楓くんを独り占めしたかった。
それから、私は再現以外のことも楓くんに求めた。
夏祭りに行きたいし、水族館デートにも行きたいし、同じ部屋に住んでお揃いのカップを買って、一緒にコーヒー飲んだりお酒飲んだり、そうして一緒に映画を見たりとか。
確実にそれらは、過去の雨谷涼夏の延長線上にあった可能性で、彼女が棄てた未来だ。だったらそれぐらい、私が貰ったっていいじゃないかと。雨谷涼夏が自殺せず、楓くんと過ごすはずだった時間の全てを、余さず私のものにしたっていいじゃないかと、そう思ったんだ。
楓くんは私の申し出を認めてくれた。楓くんと毎日一緒に過ごせることに、私はすごく嬉しくなった。
雨谷涼夏に少しだけ、勝てた気がした。
翌日、特急と新幹線を乗り継いで、楓くんの住んでいる街に向かう。駅の待合室に到着すると、楓くんはもう既に来ていて、大きなおにぎりを頬張っていた。なんだか可愛いと思った。
聞くと、どうやら楓くんのお母さんが持たせてくれたみたいだった。やっぱり、優しいお母さんなんだなと思った。
私には――、雨谷涼夏には欠けていたものだった。
私は何かを口から溢す。多分、「羨ましいな」みたいな言葉だったと思う。あまりにも自然に、無意識に飛び出た言葉だからあまり覚えていないけど、多分そんなことを言った。
そうしたら楓くんは雨谷涼夏の過去に興味を持ったのか、彼女の母について尋ねてきた。
私は知っていることを全部話した。雨谷涼夏が頑なに話さなかったことを全部話した。母親のことだけじゃなくて、家庭環境も、いじめのことも、自殺の理由も。
楓くんはそれを知る権利があった。いや、義務と言ってもいい。彼女が楓くんに遺した呪いに込められた思いを、楓くんは知っておく必要があると思った。
雨谷涼夏に関わる楓くんの心の靄は、全部を明らかにして蒸発させる必要があった。過去の話を過去の話として、楓くんに認識してほしかった。雨谷涼夏は遠い過去の存在だと。そうしないと、多分楓くんの心に私が立ち入る隙はないだろうから。
だから私は、すでに終わった、通り過ぎた過去を、まるで昔話を語るみたいに話した。
でもそれはそれで、楓くんに雨谷涼夏を意識させてしまった。楓くんは新幹線を降りるまで暗い顔をしていた。
私だって、楓くんにそんな表情をさせたかったわけじゃない。
私は未来の話をしてその場を取り繕った。「一緒に住むようになったら私がご飯を作ってあげるね」とか、「でも、掃除と洗濯は当番制!」とか。私の妄想の中の楓くんとの幸せな生活を、楓くんに言って聞かせた。
元気が出たかなと楓くんの表情を確認すると、目が合った。少し笑っているのを見て私は安心した。「荷物、俺が持つよ」と言って、楓くんは私が持つトランクケースを持ってくれた。
私が「ありがとう」と当たり前のようにお礼を言うと、楓くんは空いている方の手で私の手を握ってくれた。恋人繋ぎではなかったけど、楓くんとの間にあった境界線に触れられた気がして嬉しくなった。それと同時に、なんだか少しだけ気恥ずかしくなった。
楓くんの部屋を見たとき、ただの箱みたいだと思った。一番最初に再会したあの日は、私もちょっとだけ冷静じゃなくて、再会の熱に浮かされていて、部屋の様子を見るどころじゃなかった。
その部屋はまるで箱みたいで、家具という家具のほとんどが存在しなかった。いわゆるミニマリストなのかなと思ったけど、楓くんはそれを否定した。自殺するために家具を売り払ったと言った。
この部屋は、いわば楓くんの棺桶だったわけだ。あまりにも生活感がない部屋に、私はこの部屋に似合う住人というものが死者意外に存在しないように思えた。楓くんが本当に自殺しようとしていたことを、改めて思い知った。
多分私は、目じりを下げて悲しそうな顔をしていたんだと思う。楓くんは、優しい口調で今は自殺したいと思っていないことを告げる。あれは突発的な感情で、雨谷涼夏のそれとは違うと。
私はそれを聞いて少しだけ安心した、ふりをした。そうして顔を綻ばせて見せた。
本当は、内心はそれほど安心できていなかったんだ。自殺が身近で起きたとき、人生の選択肢にそれは簡単に入り込んでくる。楓くんだって、雨谷涼夏が自殺しなければ、たとえ自分の創作の才能のなさに打ちひしがれても、選択肢としての死を選んだりはしなかっただろう。
根拠はどこにもないけど、私はそう考えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます