第三章 正義⑤
ピンポン、と自宅のチャイムが鳴る。
ソファで寝入っていた太陽が目を覚ますと、日付が変わろうとしている頃だ。
怪異たちがパタパタと玄関に集合していて、太陽もダイニングから目をやると、どうやら誰かが訪ねてきたらしい。
こんな時間に、と考える間もなく、またチャイムが鳴る。インターフォンの通話ボタンを押すとスーツ姿の五十代半ばの男が映し出された。
「こんばんは、夜分遅くにすみません。鈴木さんのご自宅でしょうか」
もうすぐ日付も変わる。こんな時間に尋ねてくるなどまともとは思えなかった。
しかし「違います」と言いかけた口は男の一言で即座に塞がれた。
「でんでんについてなのですが」
太陽がインターフォンに怪訝な目を向ける。それをまるで見ているみたいに、男はにんまりといやらしい笑顔を見せた。
ダイニングでお茶に口をつける男を、怪異たちが扉のそばから遠巻きに観察していた。太陽は黙って差し出された名刺に目を通している。
そこには〝神奈川県基地環境対策課、佐々木義信〟とある。太陽が使っているのと同じ様式、同じ安紙だ。
軒先には銀のアルファードが停まっている。見張っていたのはこいつか、と推察する間もなく、佐々木は「妹さん大変だね」と口を開いた。
「怪死事件の容疑者扱いされてしまって。彼女の容疑が確定したら怪異所有者のあなたも責任を問われるだろ」
「そうならないように努めているところです」
「怪異対策課の皆さんは知っているのかな」
「この事件については緘口令が敷かれていますから。知っているのは報告義務がある課長だけです」
「そうだね、世間の混乱を呼びかねない。それに真犯人は未だにこの辺りをうろついているんだもの」
佐々木は歪な笑顔で頬杖をついた。意地悪さがにじみ出るようで、人に好かれなさそうな人相をしている。
太陽が「でんでんについてはどのように?」と尋ねると、佐々木はからかうように手をひらひらとさせた。
「そちらと同じじゃないかな。デジタルアーカイブだろ? でももっとちゃんと図書館に行くとか、文献に触れるとかした方が良い。最近はみんなネットで済ませちゃうよね。アレだと大切な情報を取り逃すよ? でんでんについても知らないことが多いんじゃない?」
小馬鹿にしたような早口に「ああ、はい」と適当に返事をしていると佐々木の顰蹙を買ったようで、彼は「図星だからって拗ねるんじゃないよ」と舌打ちをした。
「県庁の人間なんだろ? 俺の後輩。せっかくこっちが指導してあげてるのに」
「ご用件は何ですか?」
「あーあ、そうやってすぐ話を取るんだから。良くないよ、そういうの。直さないと誰も目をかけてくれなくなっちゃうよ?」
「でんでんについてのご用ですか?」と太陽が少し口調を強くして繰り返すと、佐々木は「そうだよ」と面倒そうに座り直した。
「あのね。これは君の手に負える案件じゃない。基地対で引き取るから手を引きなさい」
太陽が首を傾げると、まるで赤子を諭すような口調になって佐々木は続けた。
「でんでんって少し調べただけでヤバイでしょ? だから基地対で対応する。怪対に回すこともしないから、公言しないようにね。わかった?」
一拍置いて太陽が「なぜですか?」と尋ねると、佐々木は面倒そうにおおげさなため息をついた。
「内部の人間だから教えてあげるけど。神奈川県が基地対策の交付金をもらっているのは知ってるよね? うちはお上にも米軍にも逆らえない立場なの」
グラスを傾けて、わざわざ音を鳴らして机に置く。跳ねた麦茶がテーブルを濡らした。太陽の後ろでは驚いた怪異が転げる音がしたが、佐々木には見えていないらしい。
「日本で急に奇病が流行って経済が落ち込んで、国外から冷めた目で見られてるのはわかってるでしょ? 今の若い人はニュースも見ないかなあ」
ああ、と今朝のラジオを思い出しながら太陽は適当に頷いた。
こっくりさんウイルスはなぜか日本でのみ流行したのだ。どういう仕組みなのか、日本にル―ツのある人間だけが発症し、その半分程度が後遺症によって怪異を視認できるようになった。
海外で発症した人たちは〝キチガイ〟と呼ばれて迫害され、鎖国じみた緊急事態宣言で円安も進んだ。信用回復にはあと数年かかるだろうとコメンテーターが度々語る。ここ一年で定着したニュースの流れだ。
怪異が見える者と見えない者の分断を落ち着かせ、国を建て直す。そのための政府の精一杯の対策が怪異基本法の施行だったのだ。
佐々木は子どもを前にして困った大人みたいな雰囲気をにじませながら太陽に「わかる?」と言った。
「ようやく米国が怪異の存在に目を向けてくれたの。俺に依頼が来たわけよ」
俺、と佐々木は自分を指し示す。
「それで、でんでんを?」
「そう。米軍はあれを調査したがってる。だから基地対もそれに答えたいわけ。そうしたら借りも作れるでしょ? つまりでんでんの情報を集めて向こうにその行方を託したいんだよ」
「それじゃあ、被害の方はそちらで押さえてくれるんですね?」
太陽の疑問に佐々木が面倒そうな表情を浮かべた。
ちょうど佐々木のスマートフォンが鳴る。佐々木はメッセージを確認しておもむろに立ち上がった。
「鈴木はでんでんから手を引いて、持ってる情報俺に流してくれればいいよ。それで妹さんの容疑も晴れる。それは米軍側が保証してくれてる。危険なこともしなくて済むし。万々歳でしょ?」
「それはそうですが、調査って何をするんですか?」
太陽の問いかけを無視して、佐々木は「ごちそうさま。そうそう、浦島寺の楠さんも基地対に乗ったから」と労うように鈴木の肩を叩いた。そしてさっさと鈴木家を後にする。
怪異たちがそろそろと太陽の足元に集まってきた。太陽はどこか腑に落ちないまま佐々木の名刺を眺めた。
基地環境対策課の第三係長、そうえらいわけじゃない―むしろ、年齢と役職から見るに組織の出世からは外されているあたりだろう。
どこかが組織立ってでんでんに対応してくれるならこれほどありがたいことはない。しかし、どこか信じられない、言ってしまえば佐々木に対するうさん臭さを太陽は感じていた。
そうして考え込んでいると、どこか近くでと大きな音が鳴った。
どん。
太陽が驚いて立ち上がる。すると、若者がすぐそばの道路でふざけていただけらしい。「やめろよ」と騒がしくじゃれあいながら家の前を通り過ぎて、声はそのうち遠ざかった。
基地環境対策課、佐々木。
彼に任せて被害が止むのだろうか?
その疑念が晴れないまま、気付けば時間は午前一時になろうとしていた。
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