第二章 犯人⑥

 三日月が浮いている。

 やはり辺りは真っ暗しんとしていた。なんとなく後ろめたい気持ちで、太陽は浦島寺の周りを歩いた。

 裏戸のそばには石を詰んだ。出入りする人間がいればわかるようにと念には念を入れたのだ。

 目的はひとつ、ここの主に会うため。

正門をくぐると、フランス領事館跡の石碑が太陽を出迎える。

 手入れされた境内には、相変わらずたくさんの怪異がいた。それらは太陽を検分するようにまとわりついて、いくつかは寺務所の奥へと飛んでいく。

 風で柳が揺れた。長い葉が噂するように身を寄せ合っている。

 夏の夜は草木の湿った香りがする。墓石に水が染みているから余計に匂い立っていた。

 寺務所から人の気配がした。ブブ、ブブという声もする。やがて姿を現したのは、ぬりかべみたいに大柄な僧侶だ。

「さて、招かれざる客だ」と彼は冷静に太陽を見た。

「お帰り願ったはずでは?」

 静かな威圧に、太陽は生唾を飲んだ。

「お願いがあってきました」

 さて、と行信が首を傾げた。ブブは彼のそばから下りて、鼻を鳴らしながら太陽の周りを回る。

 墓地から怪異たちが覗き込んでいた。墓石に隠れるようにして、こちらの動向が気になるらしい。

 あの中に〝でんでん〟がいたら。怪死事件を起こした怪異がいたら。

 今この瞬間にも肺が水で満たされるかもしれない。ここを生きては出られないかもしれない。

 行信とブブが犯行に及んでいないなどと、ただの推測なのだ。

 そう考えると足まで水に浸されているようだった。今にもこの空想の水が、現実となって内臓を覆うかもしれない。

 奥歯が鳴りそうになるのをこらえながら、太陽は行信を睨みつけた。

「鈴木太陽だね。怪死事件の容疑者」と行信が聞くと、太陽は頷きながら答えた。

「ここにいる怪異たちは、ブブ以外未登記ですね?」

「そうだが、そちらは調査係として来たのかね」

「違います。ただ、調査係にこの状況を通報することはできます」

「やってどうする?」と行信がすごむように目を細くした。

「まず怪異には所有者による登記義務があります。ここはあなたが前住職より引き継いだ土地でしょうから、あなたがずっと以前から怪異を認識できているのなら、所有権の取得を知った時点で登記申請の義務があります」

「そうだな。それでブブを登記したんだが、役所手続きは面倒でなあ」

「正当な理由なく義務に違反した場合は罰金の対象です。これだけの数なら、悪質な登記義務違反とみなされるかもしれませんね。そうなれば禁固刑も視野でしょう」

 行信がゆったりと階段を降りる。同じ高さに並ぶと、太陽にとってはまるで壁だと感じるほどだ。体格もそうだが何より威圧感がある。

 ブブがおもしろがるように鼻を鳴らしていた。行信はゆったりと首を傾げて「それで?」と続きを促した。

「お願いとは何でしょう? それとも脅しかな」

 怪異たちがそろそろと墓地から境内へと身を乗り出す。今にも襲われる、そんな気がした。

 恐怖で内臓まで水で満たされるような心地に襲われる。夏の夜なのに、太陽の肌は冷水になぞられているようだった。

「〝でんでん〟という怪異をご存じですか」

 尋ねると行信は小さく「はて」と言うが、その声色に拒絶はない。

 太陽は自分が生唾を飲む音を聞いた。

「横浜でにわかに語られる海の怪異です。過去、太鼓の音と共に現れたと言われています」

「太鼓の音ですか。恵美子の時と同じだ」

 恵美子、と被害者の名前を出されて、太陽はどきりと心臓が跳ねた。亡くなったのは行信の妻、その人なのだ。

「そうです。直近だと江戸末期の神奈川宿の大火に関係していると思われます。それで、率直に申し上げます」

 しかと行信を見定める、彼は太陽を品定めするような目で、じっと話を聞いていた。

 静かな境内に会話が吸い込まれる。それは、人間が自然を無理やり地ならししようとしながら吸収されていくような不気味さだった。

「真犯人探しに協力してください」

 ほう、と行信が唇を片端だけ上げた。

「神奈川宿の大火のとき、被害者が翠清寺に逃げ込んでいるそうです。浦島観世音像をここより以前に保管していた、当時の浦島寺」

「翠清寺か。明治のころに廃寺になったが、確かにその頃、観音様なり書籍なりが移されている」と言いながら行信は像が安置されている方へ目線を向けた。

「こちらはあなた方が犯人ではないと思っています」

「私がそのでんでんとやらを手懐けているとは思わないのかね」

「それなら最初に尋ねてきたときに殺している。そうでしょう」

 行信が「殺さない方に賭けてきたか」と口の端を歪める。どこか楽しそうな声色だ。

 行信がまたじいっと睨む。風がさらさらと揺れる音だけが時間を刻んでいた。

「私に殺されるかもしれない。しかし、真犯人の糸口があるかもしれない。それなら脅してでも引き込む方が得策だと、そういうことか」

 その問いかけに太陽がゆっくりと頷く。

 しばらくそうして睨み合ってから、行信がぱかりと口を開く。ガハハ、と僧侶らしくない豪快な笑い声を上げた。

 ブブが合わせるように鼻を鳴らす。墓地から覗いていた怪異たちも、ころころと鈴虫みたいな音を鳴らした。

 太陽が驚いて目を見開いていると、行信は「なるほど。いいね、お前さん。良い賭けをしてみせる」とひとしきり笑った。

「結構、結構。協力しようじゃないか。この忙しい時に警察の捜査協力なんざ、おもしろみがなくてやっていられないもんでな」

 太陽は、はあ、と呆気にとられながら何度も瞬きをした。行信が別人みたいに見えたのだ。

 彼はげらげらと笑いながら、裾をばさりとやって階段に腰かけた。

「太陽、お前さん涼太郎よりずっと勝負師みたいだ」

「藤倉さんですか?」

「そうだよ。彼奴め、かわいいことに『太陽くんとその妹を犯人としたいから協力しろ』と持ち掛けたのよ」

「藤倉さんと行信さんは連絡を取っていたんですか?」

「そういうことだ。だから以前、お前さんが来たのと同時に脅かしてやったのよ」

 恐怖とは別の冷やかさが、太陽の背中を濡らした。

 藤倉涼太郎は味方ではない。太陽自身が感じていた、涼太郎の接し方への違和感。途端に合点が言って、苦虫を噛み潰したような思いだった。

 行信は構わず「しかし、私は賭けができるやつが好きでね。涼太郎はいまいち勝負心が足りない」と笑った。

「それで太陽。真犯人を捉えてどうするんだ」

 顎をさすりながら問う彼の周りを妖怪が跳ねている。とことん、奇妙な姿だ。

「わかっているとは思うが、怪異は人間の言うことなぞ聞きゃせんぞ」

「……それは警察が後から考えます。まずは真犯人を確定させて、容疑を晴らすことが最優先かと」

「なるほどねえ」と行信は墓地の怪異に手を振った。案ずるな、という合図らしい。ぞろぞろと怪異が墓地から歩み出て、太陽の周りをも跳ねる。

「でんでんか。あいわかった。協力しようじゃないか」

 一拍遅れて、太陽が「ありがとうございます」と頭を下げる。それに「いい、いい」と手を横に振りながら行信は機嫌よく笑った。

「私は賭け事が大好きだ。特にこういう、人生を揺るがすようなやつはね」

 そうしてもうずっと僧侶らしくない、俗っぽくて茶目っ気のある笑顔を太陽に向けた。

「太陽。お前さん、ギャンブルは好きかね」

 問いについていけず太陽は生返事をした。

 月が笑っている、静かで少し冷えた夜だった。

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