第一章 事件⑤
妖怪ブブ、所有者楠行信。台帳データを確認しながら太陽は思案を巡らせていた。浦島寺を管理し、被害者と直接関係がある彼らはもっとも犯行が容易だ。
窓が少ないフロアはどこまでも無機質だ。窓は少ないし、デスクは二十年物もザラ。キーボードを叩くだけでがたつく机をなだめすかしながら、太陽は液晶画面を夢中で覗き込んでいた。
データベースを確認する片手間に、相談ボックスに寄せられたメッセージに目を通す。近所の怪異が不気味で仕方がないから害はなくとも退治してほしいと、おおむねそういった内容だ。
こめかみをほぐしながら、メッセージを苦情報告用のボックスに格納していく。これらは課長がチェックした後、要件を取りまとめて上層へと送られていく。市民への怪異対策には特に時間を割けという総務省からのお達しだ。しかし、人間側に何の対処もできないのが現実だった。
蔓延するウイルスを止めろだとか、発生する天災は怪異が起こしているんだとか―感情論も論理のうちとして扱うことは、太陽が勤める神奈川県庁怪異対策課の仕事のひとつである。
配属されて二年目。怪異基本法が施行された当初は混乱続きだったらしいが、今では登録申請の波も落ち着いていた。つり上がっていた職員の目の端もようやく柔らかくなっている。
怪異台帳データベースは職員ごとに照会記録が残される。しかし多忙さは形骸化を呼んでおり、チェック機能はあってないようなものとなっていた。
そして、太陽のコンピュータに表示されたブブと行信のデータは至って簡素なものであった。
「危険点も移動点も高くない。実地検査もされていない……」
結果を睨んでいると、眉間にシワが集まっていく。この怪異がどうやって人を殺すのか、太陽には想像できなかった。息苦しいほど何の記録もない。
怪異を登記する際、申請書にはその特徴を記載し、過去の情報があれば添付する義務が定められている。
申請書から推計した危険点や移動点を基に、怪災リスクが認められた怪異に対しては対策課の調査係が実地調査を行うこともあるのだ。そしてそれなりの神社仏閣に依頼して怪異を鎮めてもらったり、管理用御札を配布したりといった対策が為される。
しかし、ブブについては何の記録もない。行信が調査係の依頼を請け負ったこともあり、怪異に対して無知な所有者ではない。
さらにブブは浦島寺から動かないと記録されていた。自己申告である以上、信ぴょう性は認められないが、今回の事件以外に不審な動きなども見つからない。
データ上、脅威はない。しかし、犯行が容易な環境だったため舞台に上げられた。それがもうひとつの容疑者たちのようだった。
かんばしくない結果が、汗となって太陽の背中を濡らす。庁舎内の冷房が壊れているのかと思うほど体が熱く、しかし脳は冷えていた。
涼太郎にそそのかされて調べてみたは良いものの、これといった収穫はない。太陽が額の汗をぬぐいながらデータ画面を閉じたところで、課長の佐々木が小さく「鈴木さん」と太陽に声をかけた。
小さく手招きされて脇机まで行くと、佐々木は心配そうに眉を八の字にして頬を揉んでいる。それから言いづらそうに「大丈夫?」とだけ聞いた。
「さっき報告してくれた、妹さんの件だけど」
やましさに太陽の胸が小さく跳ねた。しかし佐々木は丸い頬を撫でるばかりで、太陽によるシステムの私的使用には気付いていないらしい。
「妹さんが怪異だってことは聞いていたけど。まさかこんなことに巻き込まれるなんてね。鈴木さんは大丈夫? 疲れてない?」
「あまり気にしても仕方がないので……ご心配をおかけしてすみません。一応報告しておかないといけないかなと」
「いやね、いいけど。全然いいけど鈴木さんはお仕事お休みしなくって大丈夫? 妹さん、今ひとりでご自宅にいるんだっけ?」
ちらちらと怯えながら聞く佐々木の表情からは、部下に対する心配と怪異に対する恐怖が見て取れた。
居心地悪く太陽が目をそらすと佐々木も仕草の意味に気付いたようで、慌てて「違うんだよ」と手を振った。
「君の妹さんを疑ってるわけじゃないからね。でもほら、やっぱ警察とか行くと本人も怖くなったりするしね」
ただねえ、と言いながら、佐々木はわかりやすく顔をしかめた。
「うちもこういう課だから。というか、公務員だから。何かあったら君のキャリアにも影響するし、僕も推薦しづらくなるし。ああいや、これはまた面談で話すけどね」
もうすべて言ったじゃないか、と思いながら太陽が目を伏せていると、佐々木も困ったように腕を組んでため息を吐いた。
周囲では当たり前に仕事がこなされている。登記の申請処理や、調査必要度の分析。静かなフロアには淡々と仕事をする同僚たち。その全員、入庁時にはこんな業務を担当するとは思っていなかっただろう。
大量の書類をめくったり、キーボードを叩いたりする音。そのすべてが県民と怪異の生活のためである。
怪異に肯定的な者もいれば、否定的な者もいる。どのような感情を抱いていても仕事をこなす様は非常に公務員らしいと言えるだろう。
しかし佐々木のように怪異への不安が強い職員も少なくはないのだ。彼はずっと「どうなるかねえ」と言いながら小刻みに体を揺らしていた。
「まあなるようにしかならないけどね。何かあったらすぐ報告してね。仕事も休んで構わないから。急ぎの仕事は柴田さんに回して、警察から連絡があったらいつでも動けるようにしておいてね」
太陽は「はい」と小さく返事をして席へと戻った。ありがとうございますと言う気にはなれなかった。
少し離れた島から見守っていた同僚の山本がすぐに駆け寄って「鈴木どしたん」と軽く小突く。
「怒られたん? 大丈夫そ? かわいちょ」
「お前の喋り方本当にむかつくよ」と笑いながら、小突き返す。対策課調査係の彼は太陽と同期入庁で、気軽に話せる数少ない人間のひとりだ。
「ちょっと困ったことがあってさ。そうだ、調査係としての意見聞きたいんだけどいいか?」
「珍しいな。どしたん」
「例えば危険点も移動点も低くて、調査選定に上がるわけでもない怪異がいるとするじゃん。でもどうしても怪しいと思ったら、お前どうする?」
「なに? なんかヤバいのいた?」と山本が目を細くする。「いやなんとなく」と太陽は軽く首を振って否定した。
「俺たちもいくつも件数調べられるわけじゃないからなあ。過去事件の添付も何もないけど怪しいってこと? 俺たちで見てこようか?」
「そこまで手をわずらわせないよ。本当にただの興味」
妹のためで完全に私用だし、と言えるわけもない。すると気の良い同僚は「そうだなあ」と口を尖らせた。
「どうしてもってなら調査する前に一度直接見てから考えるかな」
「直接? 怪異に会いに行くってこと?」
「会ってみたら何てことないとか、ああこれはヤバいなって思うとこあるじゃん。やっぱ足を動かさないとわかるもんもわからんのよ」
「怖くならないのか?」
「俺は別に。怖がりすぎても良くないじゃん。こういう仕事してて慣れたし。もう最近ホラー映画眠くなるんだよ」
現場の方が怖いから、とおどける山本に、太陽はなんだか気が抜けるようだった。
「見に行くかあ。やっぱそれしかないかな」
「ないよ。公務員は足で稼いでナンボ!」
軽いノリでハイタッチを求めてきた山本に応じると、彼は「また飲み行こや! 落ち込んでんなし! なんで落ちてるか知らねーけど!」と歯を見せて笑った。庁舎内でも居酒屋でも変わらない笑い方に、太陽もほだされて苦笑がもれる。
自身のデスクに戻った―本当にただおしゃべりをしに来たらしい―同僚の背中をそのままじっと見ていると、嫌でも調査係のデスクが固まって視界に入る。
太陽の仕事は、バタバタと出たり入ったりを繰り返す彼らを横目にデスクで没頭するものだ。
なるほど直接か、と思案しながらペンを回す。しかし容疑者同士の接触に良いことなどあるのだろうか、という不安が大きかった。
琳子は事件から部屋にひきこもっていた。食事もとらず、たまに泣いている声が聞こえるのだ。そのことを思い出すと、太陽は今この場で頭をかきむしんで叫びたいような衝動に駆られた。
ほとんど情報がない楠行信とブブ。さらに、彼らが住む浦島寺は犯行現場でもある。
そして、琳子がその近くにいたのも事実。
うんうん唸った末、太陽はスマートフォンを取り出してチャットアプリを開いた。相手先に涼太郎を選択してメッセージを送信する。
ほとんど発作的な衝動だったがこれ以外に手もないという焦燥が太陽の胸を占めていた。
直接行信に会ってみる。そう涼太郎に宣言して、太陽は重たい腰を上げた。
仕事を早退して庁舎を出る頃になっても、涼太郎から太陽への返信はなかった。
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