第34話 エピローグ
この馬車に乗ってからどれほどの時間が経ったでしょう。あまり時間の経ってないように感じますが、周りの視線や雰囲気が、自然と体感時間を長く感じさせる。
この馬車の中には、私一人が乗せられている。しかし周りにはパルメシア王国の兵士たちが、片時も目を離すことなく馬を走らせていた。
(グラスも帝国に来た時は、同じような気分だったのかな)
どれだけ王族用に彩られたこの馬車も、彼らを運んだ奴隷の馬車と相違なかった。
私は今パルメシア王国に向かっている。これから王国の第三王子との婚約が行われるためだ。
帝国の衰退はあっという間だった。抑止力のゴリラテや、ホーレン将軍も亡き今、一度戦争が次々と始まれば、それら全てに対応できる者など、すでに帝国には存在しなかった。
帝国はパルメシア王国に協力を仰ごうと、私を売ってしまったのだ。
これにより、実質オリオロス帝国はパルメシア王国の属国となってしまった。
帝国の滅亡はすでに決まった未来だった。
これまでの帝国の悪逆非道な行いを考えれば、私がこれから過ごしていく王国は、地獄に等しい生活となっていくだろう。
過剰なまでも奴隷制度の拡大。それを補充するために行われ続けた弱国の蹂躙。
帝国を忌み嫌う理由は考えればキリがなかった。それほどの行いを私の国はやってきたのだ。
そしてそんな帝国の姫であった私の呼び名は、悪逆の女王。この名前ばかりが先行している国に、安らぎを求めるほど、私はおめでたい頭ではなかった。
恐らく私は、このまま悪逆の女王として歴史に名前が刻まれるのだろう。この名前が一人歩きして、有る事無い事好き勝手に解釈され、偽りの私が一生残り続けるのだろう。
結局は嘘ばかり。私を売った帝国の連中は皆口を揃えて、私の身を案じていた。それでも誰一人として、私の身売り反対するものはいなかった。
ふと外を眺めた。緑や青空でも見て気を紛らわせたかった。しかし窓に目をやれば、この馬車を取り囲む王国の兵士が、厳しい目線でこちらを睨みつけた。
彼らと目が会うと、どうしても恐怖で身が凍り、窓に目を向けてはいられなかった。
心細さにどうしても目に涙がたまる。しかし今泣くわけにはいかない。私が不安を口にすれば、王国の兵士は私を軽蔑するだろう。お前がやってきたことに比べればと、私に蔑む視線を与えるのだろう。
私はこの不安を隠す為に、拳を力強く握った。唇を噛んだ。無理に微笑んだ。みっともない自分の感情を隠すための力任せの悪あがきだった。
どうしても耐えきれず、再び外を見ようと務めた。
今度は取り囲む兵士に気づかれないよう、目線だけを動かして、なんとかして外を見ようと試みた。
この道には、私が行かなければならない場所を通るはずだった。
これを逃してしまえば、もう一生ここへは戻れないという恐怖心があった。
私を取り囲む兵士の横顔の奥に、緑の豊かな色がうっすらと浮かんでいる。
そしてその場所が、既に横に着いていた事に気がついた。
「少し止まってもらってもいいですか?」
馬車の運転手が私の言葉を合図に動きを止めた。それを取り囲む兵士たちも自ずとその場で立ち止まった。
「どうされました?」
「実は、あの森の中に…」
「はあ、一体なんの為にって…ああ、そう言う」
運転手がモジモジとする私を見て、それを察したようだった。
「分かりました。なるべく早くお願いします」
「本当に申し訳ございません!皆様も少々お待ちください!」
私は運転手と周りにいる兵士達に頭を深々と下げ、駆け足で森の中へと入っていった。
「なんか調子狂うよなー」
運転手が腕を組みながら隣の兵士に話しかけた。
「何がだよ」
「いや、あれが噂の悪逆の姫だろ?あんなお嬢さんがねえ」
「まあ、確かにイメージとは違うよな。けどあの噂は本当なんだろ?」
「ああ、奴隷の決闘士が好きで、よく殺し合いに足を運んでいたそうだ。とても信じられないが、結局は帝国の人間なんだろうな」
「違いない。あの態度も俺たちを欺くための策略かもしれないんだぜ?」
「うーん。でもやっぱり納得できないんだよな…」
「なんだ?お前、まさか惚れたのか?」
「うるせーばか」
運転手と兵士は互いに笑い合った。
私は森の中を走った。やはり昼だと明るい。あの時は暗闇ばかりで何も見えなかった。
記憶を頼りに森を駆け回っていると、一本の孤立した木を見つけ、それに近づいた。その木には古くから付けられた傷跡に、出来損ないの傷跡が重なるように付けられていた。
私はそれを目印にまた走り出した。すると、あの日の開けた場所にやって来た。
やはり夜に来た時とは違った印象を受ける。月の明るいあの日は、どこか幻想的で寂しげな雰囲気だったこの場所も、昼間に来てみれば、緑豊かな自然がどこまでも続く晴々とした景色に映った。
しかし印象が違うだけで、景色自体は何も変わっていない。遠くに見えるあの山も、グラスの故郷だった草木生い茂るあの町も、あの日と同じものが変わらずそこにあるだけだった。
しかし一つだけ変化していたものがあった。私とグラスが抱き合ったあの場所に、無愛想な石が一つ置かれていた。
グラスのお墓だ。あたかも初めからそこに置かれていたかのようなその石は、墓だと聞かされない限り、誰も気づくことが出来ないほど質素なものだった。
私はそんな無愛想な石の前で泣き崩れた。
王国に行くことが怖かった。彼らの瞳が怖かった。今にも泣きそうなのをずっと堪えていた。
不思議とグラスの前だけだと素直になることが出来た。
しかし彼はもう居ない。私はただ一人で、石の前で泣き崩れているだけだった。
「グラス…どうすればいいの?私怖い……怖いよおグラス……」
私はこれから先、何を信じて生きていけば良いのだろう。彼は自分が真実だと言ってくれた。私に刃を向けた騎士様は、自分を信じてくれと言ってくれた。
私も彼に会いたい。彼を信じたい。
「でももう……あなたは居ない…。会いたい……会いたいよ、グラス」
その時、急な突風が吹き込んだ。その風は私の横を吹き抜け、足元の草花を空へと舞い上がらせた。
その風は太陽の日差しに当てられた温かな空気を纏っていた。その風に包まれた時、ふと抱きしめた彼の温もりを思い出していた。
舞い上がった草花に目をやった。あの高く舞っている草花の先に、彼がいるような気がした。
もちろん彼はいない。しかし絶望と恐怖で支配されつつあった心は、空に咲いた草花を見ただけで、少しばかり軽くなった気がした。
私は再びグラスのお墓に目を向けた。
涙を拭きながら、彼に言いそびれた言葉を口にした。
「グラス、愛しています」
再び強い風が私を抱きしめた。
空に咲いた草花は、どこか遠くへと飛んで行ってしまった。
奴隷の僕は、この国の姫に恋をした スケッチちゃまちゃん @sketch-chamachan
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