遊郭街の剣客サキュバスは腹上死した母親の仇をそんなにとりたくない

暁刀魚

剣客サキュバス此処に在り

 西の大陸に、精サキュバス帝国と呼ばれる国があった。

 国民の大半がサキュバスであり、人から精を搾り取ることで暮らしている淫魔の国だ。

 その帝国の女帝サキュバス・クイーンは大層な性豪であり、男をとっかえひっかえしては満足行くまで搾り取ることが趣味だった。


 そんなサキュバス・クイーンが、ある日自室で死亡しているのが発見された。

 死因は腹上死。

 突然の女帝崩御に、国民のサキュバス達は大層悲しんだ。

 というよりも、あの世界一性に貪欲だったサキュバス・クイーンが腹上死するというのは、尋常なことではない。

 そんな存在がもし仮に自分を搾り取ろうとしてきたら、サキュバスは抗えないだろう。

 解っていても快楽に勝てない、悲しい性であった。

 もしそんなことになれば、精サキュバス帝国はおしまいだ。

 そこで帝国は、サキュバス・クイーンを腹上死させた下手人を捜索すると決定。

 白羽の矢が立ったのが、そのサキュバス・クイーン唯一の娘であった。


 名をマリア。

 マリア・ザ・サキュバス。

 サキュバス帝国の皇女であり、次期女帝。

 そんな彼女が、率先して母親を腹上死させた相手の捜索に手を上げたのは、敵討ちのため――ではない。

 それを口実に諸国を漫遊し、放浪生活を楽しむためであった。


 かくして、マリアはサキュバス帝国を旅立ち――黄金の国とも称される極東の国ジパングへとやってきた。

 目的は、世界一の遊郭街。

 ヨシワラ・シティで女を買うためである。


 このサキュバス皇女マリア、根っからの女好きであった――――



 ✙



 朝のヨシワラ・シティは夜のそれとは正反対にどこか静謐だ。

 享楽の夜を過ごしていた男も妓女も眠りに落ちて。

 今は、小鳥のさえずりだけがヨシワラに響き渡っている。

 そんな静寂を、打ち破る者がいた。

 ヨシワラ・シティ随一の遊女屋、”沖楽”の廊下をドタドタと禿が掛けて行くのだ。

 目的地は、決まっていた。


「マリアの姉ちゃん! マリアの姉ちゃん! 助けてほしいんだ!」


 スパーンとふすまを開けて、一つの部屋へと入っていく。

 そこは”沖楽”でも最も高級な妓女の部屋であり、本来なら禿がこんなふうに入っていい場所ではない。

 ただ今日は、急ぎの用事があったこと。

 その部屋の主を勝った”女”がマリアであったことから、いつものこととして処理された。


 二人の少女が折り重なった布団の中から、その片方が起き上がる。

 半ば開けた着物を身にまとう、美しい少女だ。



「――――なぁにさ、朝っぱらからアタシに用なんて」



 そう言って頭を書きながら、あくび混じりに起き上がる。

 桃色髪の少女だ。

 クセのある髪は、腰のあたりまで伸びていて普段はそれを一本に束ねている。

 あどけない顔立ちに、背丈は大陸の単位で百五十ちょうど。

 対して胸はやたらめったらに大きく、おそらくこの遊郭街で三番目に胸が大きいのは自分だと彼女は豪語していた。

 それでいて、全体のバランスは決して悪くなく。

 そのプロポーションは、並の妓女が嫉妬してしまうほどだ。


「お客さんがね、無理やりアズマ姐さんを見受けしようとしてるの」

「アズマ姐さん……って、今度年季明けで幼馴染の若旦那に嫁ぐっていう?」

「そうそう。お客は一見さんなんだけど、乱暴な人でさ」

「ははぁ、なるほど合点がいった」


 ろくでも無いことが起きて、その解決にマリアが駆り出されるなんてことは日常茶飯事だ。

 マリアが普段世話になっているこの”沖楽”だけでなく、他の遊女屋でも客と妓女の問題が一日に一件は起きる。

 それを黙らせる――もとい、調停するのがマリアの仕事。

 なにせマリアは、この遊郭街”ヨシワラ・シティ”の用心棒なのだから。


「場所は?」

「二階の松の間」

「全面的に相手が悪いんだね」

「うん」


 禿から話を聞きながら、起き上がったマリアは身につけていた着物を脱ぎ去る。

 豊満な肢体と、背中に浮かんだ黒い羽が外気に曝された。

 即座に、動きやすい普段着――着物を改造した派手な服――に着替えていく。

 最後に髪を大きな白のリボンで縛り、身支度を整える。


「んんぅ、どこ行くの? まりあぁ」

「ちょっと野暮用、ユキはまだ寝てて」


 布団の中から、今日のマリアの相手であった妓女が手を伸ばす。

 寝ぼけ眼の少女に、マリアは軽く口づけをする。

 すると途端に――マリアと妓女の体に張り付いていた情事の後が消え去る。

 淡い光が体を包んで、やがてそれがマリアに収まっていくのだ。

 禿はその光景がキレイだったので、おお、と感嘆の声を漏らしている。


「それじゃあ行こうか。アタシの女に手を出そうなんていう、不埒な男はお仕置きしてやらないとね」

「マリア姉ちゃんの女じゃないけどねー」


 呑気な禿の言葉は無視して、マリアは部屋に置いてあった自身の得物――マリアの身長は軽く超える長さの大太刀をてにして、部屋から飛び出していった。



 ✙



 口減らしのために村から売られて、妓女になり。

 昔好きだった幼馴染と、遊郭で再開した。

 汚れてしまった自分を、それでも好きだと言ってくれる幼馴染にほだされて。

 アズマは、ようやく人としての幸せを手に入れてもいいのか、と思い始めていたのだ。

 そんな矢先、この男は自分を身請けすると突然いい出した。


「――いいだろう。俺の女になれば、いい暮らしをさせてやるぞ? あんな男のものになるよりも、ずっと」


 どうやら、幼馴染の男とは浅からぬ因縁があるようで。

 大層、客は幼馴染の男を嫌っているようだ。

 だからアズマを身請けするのも、あくまで幼馴染に対する嫌がらせ。

 自分のことなど、これっぽっちも見てはいないのだとアズマは理解してしまった。


「い、いや……!」

「お前に拒否権などあるものか。俺が金を出せば、お前は俺のものになる。それが全てだ!」


 実際は、そんなことはない。

 ”沖楽”の主人は、自分のような妓女の将来を考えて相手を選んでくれる。

 この男に、自分を売ったりはしないだろう。

 しかし、問題はその後。

 仮に幼馴染の妻になったとして、この男は果たして自分をあきらめるか?

 むしろ、嫌がらせのためにもっとひどいことをするはずだ。

 流石にそこまでは、主人もヨシワラ・シティも面倒をみてはくれないのだ。

 だからこそ、こんな時。

 アズマが頼れる人物は、一人しかいなかった。



「そこまでにしておけよぉ、三下」



 言いながら、ふすまを蹴破って彼女は現れた。

 マリアだ。

 背中には、すでに抜き放った大太刀が背負われている。


「な、何者だ!?」

「用心棒様だよ、お前さんみたいな厄介客をつまみ出すために、わざわざ来てやったんだ」


 うろたえる客と、それを鋭く睨むマリア。

 アズマは、慌てて立ち上がるとずんずんこちらへ向かってくるマリアの後ろに隠れた。

 ほっと一息、これでもう安心だ。


「厄介客だと!? 俺は高い金を払って、その女を買ってるんだ。見ず知らずのお前に言われる筋合いはない!」

「ははぁ、お客さん、本当にこのヨシワラは初めてみたいだね?」


 正面から、でっぷりと肥え太った厄介客とマリアは向かい合う。


「いいか? ヨシワラで最も重要なのは金じゃない、”粋”なのさ。客として、女に好かれる粋こそがすべて。お前さんには、それがまーったく存在しない」

「それがどうした、ヨシワラの規則などしったことか。俺には金がある! そこの女を俺のものにできるだけの、莫大な金が!」


 睨む男に、マリアは太刀を突き出して睨み返す。


「だまりな」

「――ヒィッ!」


 一瞬、男はマリアの殺気に竦み上がった。

 畳み掛けるように、マリアが言葉を紡ぐ。


「口説いて、落として! 好きだと言わせてこその客だろうがよ! 金なんてものは、面通しのための手段でしかない。そんなもので女の心が買えると思うなよ!?」

「……ぐ、ぅ!」

「マリアちゃん……」


 男を睨み、啖呵を切るマリアのなんと粋なことか。

 言葉だけではない、鋭い瞳に宿った意志がマリアを映えさせるのだ。

 思わず男は息を呑み、後ろ姿を眺めるアズマは感嘆の吐息をこぼした。

 これが、マリア・ザ・サキュバスという女だ。

 ヨシワラ・シティにおいてただ一人のサキュバス。

 遊郭を守る、女剣客にして用心棒の姿が、そこにあった。

 そして――


「第一! 年季明け前の妓女を寝取ろうだなんて、羨ましいことお前さんにだけさせてたまるか!」

「マリアちゃん……えっ? 今なんて?」

「アタシだってなぁ、アズマちゃん寝取れるもんなら寝取りたいんだよ! 結構貢いできたし、それなりにいい格好してきたのにさぁ! お前さんみたいなポット出ごときにぃ!」



 ――ろくでも無いことを口走る、下賤なサキュバスがそこにいた。



「愛し合って貰われていくのはいいんだよ。幸せになりなと強く思う! それはそれとして、客として年季明け間近の女を啼かせる興奮を! その一番槍をお前さんみたいな見ず知らずに奪われたことが、アタシは何よりもゆるせない!」

「ま、マリアちゃんちょっと落ち着いて……」

「つつきたいのはお前さんの乳だよアズマぁ!」


 マリアは、どちらも本気で言っている。

 粋でない男に対する侮蔑も、性欲にまみれたサキュバスの叫びも。

 どちらもマリアの本音であるのだ。

 それは、それはとてもたちの悪いことに。


「な、な、あ……何を言っているのだあ! このアバズレはぁ!」

「だぁれがアバズレだ。アタシはサキュバスだよ、見ての通りな!」

「さ、サキュバスぅ!? 性を搾り取ることしか脳のない、下等種族ごときが俺に楯突くつもりかぁ!」

「そのとおりだよ、クソが!」

「ごげ!」


 言って、罵倒する男の顔をマリアは本気で殴り抜いた。

 歯が数本吹き飛ぶものの、これでも切り捨てていないだけマリアにしては有情である。

 その、直後――


「ふざ、ふざけ……俺は……俺は大店の主になる男……あんな若造に蹴落とされるような……ことはない……!」


 起き上がった男の様子が、明らかにおかしい。

 体中が、黒に染まっていくのである。


「やっぱり魔化薬まっかやく呑んでやがったか。アズマちゃん下がってて、必要ならお客と妓女の避難誘導もよろしく」

「え、あ、うん。……ところでマリアちゃん、私のこと寝取りたいって」

「ああ危ない! 男が妖魔になりそうだぁ!」


 誤魔化すように叫んで、アズマを遠ざけるマリア。

 その眼の前で、男の額からは角が生え。

 体は完全に黒く変わっていく。


 魔化薬、というものが最近のジパングでは横行している。

 人の欲望を刺激し、妖魔と呼ばれる怪物に落とす薬だ。

 その予兆として、誇大妄想とアリもしない幻覚を見るというものがある。

 おそらくこの男は、アズマを身請けする金など持っていない。

 魔化薬を購入し、アズマを一晩無理やり買う金しか持っていないだろう。


「哀れなことだ。こうなってはお前さんも助からない。まぁ、クズが一人死んだところで、世の中は逆に良くなるだけなんだが。それでも他人に迷惑をかけちゃあいけないよ」

『ぐ、ぐうう、ぐううあああああああ!』

「そら、来たか!」


 かくして、マリアに妖魔とかした男が襲いかかってきた。

 アズマが逃げたのを確認してから、マリアは大太刀で妖魔を受け止めながら通路に躍り出る。

 こんな狭いところで、妖魔と切り合ってはいられない。

 迫りくる妖魔をいなしつつ、マリアは廊下を駆け抜けていった。


「うわぁ、なんだなんだ!?」

「マリアちゃんが妖魔と戦ってる!」

「こんな朝っぱらから!? もう少し寝かせてよぉ!」


 気づいて、こちらを野次馬してくる客と妓女に見送られながら。

 妓女にだけいい笑顔で手を振りつつ、妖魔を宿の外へと誘導する。

 何度も激しく刀と妖魔がぶつかり合い、やがてマリアは大通りへと出る壁の前までたどり着いた。


「ごめんよ、ご主人!」


 そしてマリアは、壁を蹴り破って外に躍り出た。

 静かな街の大通りに、マリアは勢いよく着地する。

 そのまま軽く地を滑り、同じく落下してきた妖魔と向かい合う。


「さぁて、ここなら誰も怪我させたりしないね」

『ごああああああああああ!」


 迫りくる妖魔!

 笑みを浮かべて迎え撃つマリア!


「いいかい、無粋なお客さん。ここはヨシワラ、世界一の遊郭街」

『あ、があああああ!』

「そしてアタシは、そんな遊郭街に魅了された一人の剣客サキュバス」


 マリアは、独特な構えを取る。

 背に片手で持った大太刀を乗せて、体は這いつくばるように両足を広げて地面にもう片方の手を付けるのだ。


「名を」

『あ、があああああ!』


 そして、一閃。

 鋭く地面を蹴って飛び出したマリアが――



「マリア・ザ・サキュバス。覚える必要はないよ」



 妖魔を、一刀両断。

 両手で大太刀を強く握りしめ、勢いよくマリアはそれを振り抜いていた。


 ふう、と一息。

 太刀を腰にある鞘へと戻す。

 そして、ふと一言。


「……そういえば、母上を殺した相手に心当たりがないか、聞くのを忘れていた」


 まるで、まったくサキュバス・クイーンの敵に興味がないかのように。

 ぽつりとそう呟いて、マリアは”沖楽”の中へと戻っていった。



 ✙



 世に動乱の兆しあり。

 ヨシワラ・シティに剣客サキュバスあり。

 世界一の遊郭街、ヨシワラにはサキュバスがいない。

 サキュバスは自分の本位で相手を絞る生態故に、このような粋を第一とする遊郭街には興味を示さないのだ。


 マリアのような、変わり者のサキュバスを除いては。


 故に、マリアはヨシワラ唯一のサキュバスである。

 女好きが講じてこの遊郭街にたどり着いたマリアは、いつしかヨシワラの用心棒として街に馴染んでいた。

 理由はいくつかある。

 女の剣客という立場が、客にとっても妓女にとっても都合の良い立場だったこと。

 とにもかくにも、剣客として腕が立つこと。

 そして何より、マリアの持つある能力がこの遊郭街において誰もが求める垂涎の力だったこと。


 加えてもう一つ、大事なことがある。

 マリアが生粋の女好きであり、同時に”粋”というものに魅力を感じるサキュバスだったこと。

 精サキュバス帝国においては、女しか搾精しない変わり者で落ちこぼれだったマリアも、遊郭街では一端の客だ。

 兎にも角にも、遊郭街という場所を心地よく感じたマリアは気がつけば完全にヨシワラへ住み着いていたのである。


 マリアにも、謎はある。

 果たしてその剣の腕は、どこで身につけたものなのか。

 なにゆえ、女好きになったのか。


 世間も、決して穏やかではない。

 人を妖魔に変える魔化薬の存在。

 そしてサキュバス・クイーンの死もまた、世間を揺るがす大事の一つだ。

 果たして、この激動の時代をマリアは如何に生き抜くか。

 剣客サキュバスが、果たして何を切るか――

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遊郭街の剣客サキュバスは腹上死した母親の仇をそんなにとりたくない 暁刀魚 @sanmaosakana

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