2-2 逃げるのは恥じゃない
「ちょっと待ちなさい、この卑怯者!」
「どっちがだよ!」
背後から盛大な罵声が浴びせられるが、俺は全く気にしなかった。自慢じゃないが、逃げ足の早さかけては定評があるんだ。
そもそも、こちらが疲弊しているところに戦いを仕掛けてきている、
「もうッ! 絶対に逃がさないんだから――我が忠実なる〈猟犬〉よ、後を追いかけなさい――」
猟犬だと!? どこにいたんだ、そんな
千倉のぶっそうな命令が耳に入ったが、俺は後ろを振り返えらなかった。ただ犬が追いかけてきても、簡単には通れないような道を選び、走って、走って、走り続けた。
狭い路地裏を抜けて道路脇のフェンスをよじ登って越え、
コンビニに入って勝手にバックヤードにある裏口から出ると、
二車線の道路を横切って枯草の茂る堤防の急な斜面を駆け登り、
いくら鼻が効く犬とて、これでは追ってこれまい。
渡河した先は小さな公園で、二つの河川が合流して形作られた三角州の先端にあった。芝生が張られた広場に
走っている最中ずっと背後を気にしていたが、吠え声とか吐息とか、追われている気配は感じなかった。
どうだ。俺は田舎町で育ったからな。
山野を駆け回るのは慣れているし、身のこなしの軽さには自信があるのだ。追っ手を
一台の電動バイクが、甲高いモーター音を響かせて橋を渡り、芝生広場に乗りこんできたのだ。颯爽とヘルメットを脱いだその人物は――あろうことか、あの魔女っ
どうして俺の居場所がわかったんだ、あいつ。
*
「残念だったわね、鷺田トモヒロ。さぁ、諦めてメイガス・フォンを起動しなさい――さもなくば、大人しく魔道書を差しだすかよ」
「どっちも嫌だよ! 俺を魔術で探し出したのか?」
「ふふん、違うわよ。出ておいで、おはぎ――」
「何だそりゃ?」
不敵な笑みを浮かべた千倉の呼び声に応えて、そいつは俺の足元から飛び出した。そう、俺の影の中からだ。地面に落ちた影の表面が泡立ったかと思うと、黒い塊が飛び出して四足獣の姿へと変化した。
姿形は犬に似ていなくもないが、肩から二本の
「う、嘘だろォ!」
「あれは〈
「相変わらず、何をいってんだかサッパリ理解ができないが、こいつが〈猟犬〉の正体ってわけか――」
メフィストの解説は予備知識のない俺にはサッパリだが、あの獣は千倉の
「さぁ、もう逃げられないってわかったでしょう。この〈猟犬〉あなたの名前を知ることで、あなたの臭いを覚えた。地の果てまで追いかけるわよ」
「ぐっ――まんまと敵の策略に
「見え透いた罠じゃありませんでしたか?」
このおしゃべりAIが指摘するとおり、千倉が一枚上手であるのは認めざるをえない。どうするべきか。何か、何かこの危機を切り抜ける方法は――。
俺が内心で焦っていると、バシャリと川面を叩く音が聞こえた。あたりを見渡すと、いつの間にか白い川霧がたちこめている。
波立つ水面の方に目を凝らすとそこには、巨大で奇妙な魚の頭があった。それもひとつではない。ポコリポコリと泡立つように、水面から複数の怪魚が出現したのである。
*
「魚――いや、人か!? 次から次へと奇怪なモンばかり湧いて出ててきやがる」
「あの者たちは〈
「あんな奇怪な
「川底に〈
「〈門〉!? これもあいつが呼び出したのか――」
と、俺が千倉に視線を移すと、意外なことに魔女っ娘も驚いている。
これは想定外の状況なのか。
魚人たちは徐々に陸地へと近づいてくる。俺は反射的にオスカーを獲った特撮映画に登場する
「どっから出てきたのよ、あんたたち! 邪魔するなら容赦しないわよ!」
千倉はメイガス・フォンから魔道書を呼び出すと、
千倉が「これでも喰らいなさいッ!」と叫んで左腕を突き出すと、〈鬼火〉は〈深きものども〉へと矢のように飛んでいき、命中するなりバチバチと火花を散らして四散した。〈深きものども〉は「ぎょぼお!」と不気味な悲鳴を上げた。
だが、奴らは体が黒く焦げても怯まず、地上へと這い上がってくる。
「メフィストさんよォ、確か
「四大元素など存在しませんからね。女魔術師が召喚した〈鬼火〉の正体はプラズマの発光現象です。こうした
「どうやら俺たち両方が狙われているようだな。狙いはたぶん――このスマホと魔道書ってことか」
「恐らくそうでしょう。ルールにもありますとおり、これが非参加者からゲームが
「マニア
俺は宙に浮かぶ魔道書を繰り、この状況を打破できる呪文を探した。心当たりがひとつあったが、本当に有効かどうかは試さねば判らない。果たして――。
「大魔道士の威光にひれ伏せ! 〈
空中に輝く
〈深きものども〉の目に明らかな動揺と怯えが見えた。魚人どもは我先にと水中へ逃げ去り、そして戻ってこなかった。背後の気配も時を同じくして消えたようである。
警戒を解いた俺は、魔道書を仕舞って呪文を強制終了させると、千倉に休戦を提案した。
「――なァ、腹減ってないか?」
「はァ?」
千倉の足元に控えていた〈暗影の獣〉は、黒猫へと姿を転じると――なんと猟犬は猫に擬態したのだ――「なあご」と鳴いた。
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