2-2 逃げるのは恥じゃない

「ちょっと待ちなさい、この卑怯者!」

「どっちがだよ!」


 背後から盛大な罵声が浴びせられるが、俺は全く気にしなかった。自慢じゃないが、逃げ足の早さかけては定評があるんだ。子供ガキの時分からな。先の決闘デュエルで疲労はしているが、軟弱そうな娘に負けるはずがない。

 そもそも、こちらが疲弊しているところに戦いを仕掛けてきている、千倉チクラの方が卑劣だと思う。屁理屈をこねまわすのが得意そうなタイプだから、まともに取り合うのも厄介だ。


「もうッ! 絶対に逃がさないんだから――我が忠実なる〈猟犬〉よ、後を追いかけなさい――」


 猟犬だと!? どこにいたんだ、そんなケダモノ

 千倉のぶっそうな命令が耳に入ったが、俺は後ろを振り返えらなかった。ただ犬が追いかけてきても、簡単には通れないような道を選び、走って、走って、走り続けた。


 狭い路地裏を抜けて道路脇のフェンスをよじ登って越え、

 コンビニに入って勝手にバックヤードにある裏口から出ると、

 二車線の道路を横切って枯草の茂る堤防の急な斜面を駆け登り、

 堰堤えんていを滑り下りて横幅20mはありそうな川を膝まで濡らして渡った。


 いくら鼻が効く犬とて、これでは追ってこれまい。

 渡河した先は小さな公園で、二つの河川が合流して形作られた三角州の先端にあった。芝生が張られた広場に人気ひとけはなく、肩で息をしながら辺りを見回すが、不審なものも何も見当たらない。

 走っている最中ずっと背後を気にしていたが、吠え声とか吐息とか、追われている気配は感じなかった。


 どうだ。俺は田舎町で育ったからな。

 山野を駆け回るのは慣れているし、身のこなしの軽さには自信があるのだ。追っ手をいたと確信し、深いため息が漏れ出たその時である。

 一台の電動バイクが、甲高いモーター音を響かせて橋を渡り、芝生広場に乗りこんできたのだ。颯爽とヘルメットを脱いだその人物は――あろうことか、あの魔女っだ。

 どうして俺の居場所がわかったんだ、あいつ。


     *

 

「残念だったわね、鷺田トモヒロ。さぁ、諦めてメイガス・フォンを起動しなさい――さもなくば、大人しく魔道書を差しだすかよ」

「どっちも嫌だよ! 俺を魔術で探し出したのか?」

「ふふん、違うわよ。出ておいで、おはぎ――」

「何だそりゃ?」


 不敵な笑みを浮かべた千倉の呼び声に応えて、そいつは飛び出した。そう、俺のからだ。地面に落ちた影の表面が泡立ったかと思うと、黒い塊が飛び出して四足獣の姿へと変化した。

 姿形は犬に似ていなくもないが、肩から二本のロープ状の触手を生やし、およそ地球上の動物とは思えない。触手は独立した生物のようにうねうねと不気味にうごめいている。鱗に覆われた体表は、艶のある紫がかった黒色をしており、双眸が赤く輝いていた。異形の獣は俺の周囲を油断なく一回りすると、千倉の足元へ向かった。 


「う、嘘だろォ!」

「あれは〈輝ける狩人イオド〉の眷属けんぞくである、〈暗影の獣ビースト・オブ・シャドウ〉のようですね。闇に潜み影のように獲物を追いかけるといいます。〈召喚〉、〈従属〉できれば、使い勝手の良い〈使い魔ファミリア〉となるでしょう」 

「相変わらず、何をいってんだかサッパリ理解ができないが、こいつが〈猟犬〉の正体ってわけか――」


 メフィストの解説は予備知識のない俺にはサッパリだが、あの獣は千倉の下僕しもべであるらしい。魔術で召喚して側に控えさせていたのか。すげえ便利じゃないかよ、それ。ペットと呼ぶには不気味すぎるし、凶暴そうだけど。


「さぁ、もう逃げられないってわかったでしょう。この〈猟犬〉あなたの、あなたの。地の果てまで追いかけるわよ」

「ぐっ――まんまと敵の策略にハマまっちまったってワケかい」

「見え透いた罠じゃありませんでしたか?」


 このおしゃべりAIが指摘するとおり、千倉が一枚上手であるのは認めざるをえない。どうするべきか。何か、何かこの危機を切り抜ける方法は――。

 俺が内心で焦っていると、バシャリと川面を叩く音が聞こえた。あたりを見渡すと、いつの間にか白い川霧がたちこめている。

 波立つ水面の方に目を凝らすとそこには、巨大で奇妙な魚の頭があった。それもひとつではない。ポコリポコリと泡立つように、水面から複数の怪魚が出現したのである。


     *


「魚――いや、人か!? 次から次へと奇怪なモンばかり湧いて出ててきやがる」 

「あの者たちは〈深きものどもディープ・ワンズ〉と呼ばれる種族です」

「あんな奇怪なUMAユーマがどっかに実在してたのか――てか、どこが深いんディープだよ、かなり浅瀬だったぞ!」

「川底に〈ゲート〉を作り出したのかもしれません」

「〈門〉!? これもあいつが呼び出したのか――」


 と、俺が千倉に視線を移すと、意外なことに魔女っ娘も驚いている。

 これは想定外の状況なのか。

 魚人たちは徐々に陸地へと近づいてくる。俺は反射的にオスカーを獲った特撮映画に登場する怪物クリーチャーを思い出したが、目の前の生物たちはもっと蛙のような両生類に近い風貌をしていた。こいつら、明らかな敵意を持っている。


「どっから出てきたのよ、あんたたち! 邪魔するなら容赦しないわよ!」


 千倉はメイガス・フォンから魔道書を呼び出すと、操作装置ユーアイを操って呪文を発動キャストした。女魔術師の周囲に青白い〈鬼火〉のようなものが出現し、ユラユラと宙を漂いはじめた。


 千倉が「これでも喰らいなさいッ!」と叫んで左腕を突き出すと、〈鬼火〉は〈深きものども〉へと矢のように飛んでいき、命中するなりバチバチと火花を散らして四散した。〈深きものども〉は「ぎょぼお!」と不気味な悲鳴を上げた。

 だが、奴らは体が黒く焦げても怯まず、地上へと這い上がってくる。


「メフィストさんよォ、確か四大しだい元素魔術は現代では使えないって、そういってなかったか――まぁ、派手な見た目の割に、あまり効果がないみたいだが」

「四大元素など存在しませんからね。女魔術師が召喚した〈鬼火〉の正体はプラズマの発光現象です。こうした怪火かいかは、太古から世界中で確認されている現象であり――」

「どうやら俺たち両方が狙われているようだな。狙いはたぶん――このスマホと魔道書ってことか」

「恐らくそうでしょう。ルールにもありますとおり、これが非参加者からゲームが秘匿ひとくされなければならない理由なのです。魔道書はそこいらの稀覯きこう本などよりも、遥かに希少な代物なのですから」

「マニア垂涎すいぜんの品ってワケか――加勢しよう。オープン・セサミ、〈エイボンの書ブック・オブ・エイボン〉ッ!」


 俺は宙に浮かぶ魔道書を繰り、この状況を打破できる呪文を探した。心当たりがひとつあったが、本当に有効かどうかは試さねば判らない。果たして――。


「大魔道士の威光にひれ伏せ! 〈エイボンの印サイン・オブ・エイボン〉ッ!」


 空中に輝く三脚巴紋トリスケリオンが浮かび上がった。その形は英国マン島の紋章に似ていたが、魔道士の出自に何か関係あるのだろうか――と、俺の背後にが出現した、そんな気配を感じた。ぞぞぞと背筋に泡立つ感覚だけがある。だが、振り返りはしない。いや、できない――そんな恐ろしい真似は。

 〈深きものども〉の目に明らかな動揺と怯えが見えた。魚人どもは我先にと水中へ逃げ去り、そして戻ってこなかった。背後の気配も時を同じくして消えたようである。

 警戒を解いた俺は、魔道書を仕舞って呪文を強制終了させると、千倉に休戦を提案した。


「――なァ、腹減ってないか?」

「はァ?」


 千倉の足元に控えていた〈暗影の獣〉は、黒猫へと姿を転じると――なんと猟犬は猫に擬態したのだ――「なあご」と鳴いた。

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