04 タオリンな


 オレンジの光が満ちた部屋でサムの視界がぼんやりと戻る。古い木材でできた天井に見覚えはない。すぐに鳩尾の痛みに気づいて手をやると、シャツの下に布が張り付けられていた。漢方のような匂いと、薪が燃える音。湿った布を絞る音。やや遠くからは木を割るような音がする。


「あ! 起きた! ジジイ! 起きたー!」

「おー、よかったなー」


 サムが腹の痛みを堪えて上体を起こそうとすると、額にずぶ濡れの布を叩きつけられ、枕も無い薄い布団に頭を打つ。そんな彼を覗き込むようにしてピンキーが視界に割り込んだ。


「まだ寝とけって。な」

「な。じゃないじゃろがい」


 老人が薪割り用の斧の柄でピンキーの頭を小突いた。


「寝とかにゃならん状態にしたのはお前じゃろ」

「ってぇなー! コイツが急に抱きついたのが悪いんじゃん!」

「程度ってモンを知らんのか。見境なくブチのめすのが武術じゃないんじゃぞ」

「でもさぁー!」

「でももカモも無いわ!」


 斧の柄が再びピンキーの頭を捉え、乾いたいい音が鳴った。サムの視界からピンキーが引っ込み、かわりに老人が顔を出す。


「すまんの、お主。あれでも付きっきりで看病してたんじゃ。許してくれるか?」

「ああ、いえ……お気になさらず」

「ジジイ! 余計なこと言うなよ!」

「反抗期真っ盛りなんじゃ」

「みたいですね」

「そんなんじゃねーし!」

「そんなんですぅー! 反抗期はみんなそう言うんですぅー!」

「なにおー!」

「やるかー!」

「いや、ちょっと、そんなことより……」


 サムはゆっくりと体を起こしてあぐらをかき、傍に畳んで置かれていたコートを引き寄せた。身の回りをざっと見たところ、持ち物は拳銃を除いて全て揃っている。仕方ないとはいえ、やや警戒心を高めつつポケットから一枚の写真を取り出し、取っ組み合いに発展した二人に向き直った。


「ご老人、これはあなたですよね?」

「はっは! ご老人はよしてくれ」


 老人はピンキーの頭を片手で押さえつけて視線をよこした。


「そうそう、よう撮れとるな。わしゃファユンっちゅうもんじゃ。この跳ねっ返りはピンキー」

「ピンキーはやめろって言ってんだろ! タオ! タオリンでもいい!」

「都会で暮らすならそんな名前じゃ目立たんじゃろて。ピンキーじゃピンキー。ハイカラじゃろ?」

「目立たなくていいって! 都会なんか行かねーし!」

「えっと、続けても?」

「はよ言え」

「はよはよ」


 二人は途端に取っ組み合いをやめてサムへと身を乗り出す。思いのほか食いつきがよくてサムの方がちょっと引いた。二人ともカンタリカの外の話に飢えているのかもしれない。


「実はピンキーの――」

「タオリンな」

「父親を名乗る男から、ピンキーを見つけて欲しいと頼まれまして」

「だからタオリン……えっ!?」

「ほお!」


 ピンキーとファユンが興味津々と言った様子で目を輝かせ、サムの元に素早く這い寄った。


「そいつはトクダネじゃのぉ!」

「ねねね、アタシの父さんってどんな人!?」

「いや、どんな人って……ピン、タオリン。君は父親を知らないのか?」

「そ。全っ然覚えてないんだよねー。昔のこと」


 サムは言葉に詰まった。ピンキーが記憶を失っているということを憐れに思う気持ちが無いわけではなかったが、そのせいではない。異常なことが多すぎるせいだ。


 そもそも今回の依頼人には不審な点が多かった。異常なほどの神経質さや焦りぶりもそうだが、娘が居なくなったという背景を鑑みれば分からなくもない。サムが特に気になっているのは大きく三つだ。


 ひとつ。依頼人が娘の写真すら提示しなかった点。人を探させようとして、ましてや親で、映像や写真の一つも出さないなんて信じ難い。

 ふたつ。娘の名前を、神聖さを理由に隠した点。名前が神聖だと言っても、ローマ教皇やダライ・ラマだって本名を公開しているじゃないか。隠す理由は他にあるはずだ。

 みっつ。そして何より、カンタリカでファユンと一緒にいたという情報を得て、彼の写真まで入手しるという点。これらの情報だけで、疲労がたまったサムでも一日でピンキーに辿り着いたというのに、なぜ辿り着けずにいたのか。


 そこに輪を掛けるように、今度は『娘』が記憶喪失ときた。ピンキーのような子供が親の事さえ思い出せないほど重度の解離性健忘を発症しているのは、それだけでも十分に異常事態だ。それがこの状況で起こっている。


 サムは金属の左手を口元に持ってきて視線を落とす。


 誰かが、何かを、隠している。いや……「隠している」なんて生易しい物ではないかもしれない。誰かが、何かを、"意図的に" 仕組んでいる——。


 それはあの依頼人か。記憶喪失だというピンキーか。彼女と行動を共にしているファユンか。キャミィが絡んでいる可能性も捨てきれない。現状最も黒く感じるのは依頼人ではある。しかし、記憶喪失だと……?


「おーい。どうしたー?」


 ピンキーが不思議そうな顔をしてサムの目の前で手を振る。サムは口元からパッと手を離した。


「ああ、いや。なぁタオリン、その記憶が無いことの話、もっと聞いてもいいか?」

「ええー! 父親のことから話せよ!」

「そう言うなピンキー。普通は気になるもんじゃて」

「そんな事言ったってさー、覚えてないんだから覚えてないんだって。それ以上なんかあんのー?」


 ピンキーは口をとんがらせて不満を露わにしている。


「いつの事から覚えてないんだ? 一番古い記憶は?」

「んー、昨日の晩飯とか?」

「こりゃ。適当言うんじゃないわい」

「だって考えるのめんどくさいしさー! なんか小さい時のことも覚えてる気もするし、覚えてない感じもするしさー! ってかお前ら一番古い記憶って言われてすぐ出てくんのかよー!」


 床の間にごろんと転がって頭を抱えるピンキー。ファユンはやれやれと言った様子で代わりに話し出す。


「コイツはな。わしがカンタリカの外で拾ったんじゃ」

「拾った?」

「んむ。残念なことじゃが、この辺りには捨て子が多くての」

「捨て子、ですか」

「寺で養ってもらえると思って捨てる親が多いんじゃろな。実際に寺で暮らしている元孤児は少なくない。それならまだマシなんじゃが、埋葬を目的に死体を捨てる輩もおるみたいなんじゃ。寺としては亡骸なきがら無碍むげに扱うわけにもいかんしの」


 誰がどんな物を腹に抱えているか分からない。それゆえサムは努めて冷静に聞こうとしていた。しかし、それでも、サムは無意識のうちに奥歯を強く噛み締めていた。


「最初はコイツも死体だと思ったんじゃよ」

「どういうことです?」

「桃の花が咲きかけとった頃じゃから……もう三ヶ月ほど前になるかの。その頃わしゃカンタリカの町中に住んどってな、谷の川に日課の釣りに出かけとったんじゃ。そしたらコイツがどんぶらこどんぶらことな。そりゃ誰だって死んどると思うわい」

「なのに……生きてたんですね。なぜ?」

「知らんわ。わしが引き揚げた時にゃ体はすっかり冷え切ってて呼吸も無かった。じゃがそいつを背負って墓地に運んでるとな、突然背中から声がしたんじゃよ。なんて言ったと思うかね?」

「え? さぁ……なんて言ったんです?」

「もーいいじゃんその話はさー」

「『腹がへった』じゃと! 驚くより先に笑っちまったわい!」


 ファユンは両手を叩いて大笑いをした。ピンキーは額に片腕を乗せて居心地の悪そうな顔をしている。顔の赤みは夕日のせいだろうか。


「ま、話を戻すとじゃな。その時にわしも同じことを聞いたんじゃ。名前のことも、家族のことも。でも何も覚えとりゃせんし、その事を毛ほども気にしとらん様子じゃったよ」

「別に気にしてないワケじゃ無いけどさー。覚えてないんだからしょうがないじゃん? 考えたら分かるってモンでもないしさー」


 ピンキーは二人に背を向けるようにごろんと寝返った。開け放たれた玄関から差し込む夕日が体の縁を照らしている。不意に、その小さな背中にサムの懐かしい記憶が重なった。温かく、穏やかな記憶。サムは意図して目を逸らして立ち上がる。


「ちょっと失礼。依頼人に連絡を入れなきゃいけなくて」

「おお、そうかい」

「なー。ちょっとな。ちょーっと気になっただけなんだけどさー」


 背中を向けたままのピンキーが話しかけた。興味の無さそうな演技から強い興味が透けて見える。


「まだ聞いてないんだけど。名前。別に言わなくてもいいけど」

「ありゃ、そうじゃったかの」

「いや、そうでした。サムと呼んでください」

「サムぅー?」

「そうか、サムというのか……サムじゃと!?」


 突然、ファユンの目つきが鋭くなり、サムの顔に突き刺さった。これまでの柔和な空気が吹き飛び、身に纏う覇気が目に見えるようだった。そのただ事ではない雰囲気にピンキーも飛び起きる。


「どうしたってんだよジジイ」

「いいか、心して聞くんじゃぞ」


 ファユンは握り拳を顔の前に掲げた。その手にピンキーとサムの視線が集まったのを確認すると、ゆっくりと小指を立てた。


「ピンキーと……」


 さらにゆっくりと親指を立てていく。


「……サム!」


 ピンキーとサムの頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。だから何? ここで初めて二人の心がピタリとシンクロする。ファユンはあまりの反応の薄さに痺れを切らし、両手で親指と小指を立てて振り動かす。


「あの、語感だけで言ってませんか?」

「なんなんそれ」

「かーっ! 無粋ッ! 不勉強ッ! こりゃな、挨拶から始まって……『大丈夫!』とか、『全部うまくいく!』とか、要はポジティブメッセージがぜーんぶ含まれた最強ハンドサインじゃ! あとなんかアガる! ウェーイ!」


 ファユンはさらに両手の振り幅を大きくした。指輪に反射する夕日がひどく目障りで、二人は同じように目をしかめた。


「こりゃ間違いなく吉兆! ピンキー、今日は町に繰り出すぞ! 準備せい!」

「おっ、マジか! よっしゃー!」

「サム、おぬしもじゃぞ!」

「え、俺?」

「当たり前じゃ! ピンキーの親もみつかったんじゃし、今日は美味いモン飲んで食って飲み尽くすぞい!」

「あ、そういやそういう話だったっけ……って結局自分が飲みたいだけじゃーん!」

「ウェーイ!」


 ピンキーはツッコミながらも早速ハンドサインを作り、おちゃらけたように小指でファユンを指差した。ファユンはというとサムに「さっさと仕事を終わらせろ」と言って犬でも追い払うように手を払った。


 この件には裏がある。サムは頭の中で自分を律するように言い聞かせる。だがしかし、この二人は白だ。白であって欲しい。そんな声もとめどなく溢れてくる。コートを羽織って玄関をくぐり、騒がしさを背に、胸の前で作ったハンドサインを見て小さく笑みを浮かべた。

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