第33話 居ちゃいけない意思

 朝、目が覚める。また、来てほしくない時間がやってきた。ミカははだけた上着を直して起き上がる。


 蹴飛ばしたであろう掛け布団を見ればよくわかる。日に日に気温は上がっている。それは夜も例外じゃない。


 胸の谷間に掻いた汗はべとべとしている。身体が服と接すると、より不快感が増す。


 着替える為に起き上がった。シャワーを浴びたいが、この時間は使えない。その代わりとして汗拭きシートで身体をぬぐった。


 机の上に置いてあるスマホは午前七時を示していた。部屋の外では人が動いている音が発している。


(まだ、いるのか)


 ミカにとって、それは不快になる存在であった。


 いつからそうなったのかわからない。ただ、そうなった理由はあちらからである。嫌う意思が良く伝わった。徐々にその場に居てはいけないことを思い知らされる。


 小学校低学年までの家族関係は、あくまで世間の体裁を保つための演技であった。中学年になるとそれは自然消滅していった。まるでかりそめのような関係。いつからか、ミカは一人になっていた。親は仕事があって忙しいと自身に言い聞かせていたが、現実は複数方向から繋がるラウンドアバウトみたいなものであった。


 どこからか来て、この家で時計回りに回転して、どこかへ向かっていく。それを繰り返しているだけである。ミカが気づいたときは常設化した事態であった。それを止めることは考えなかった。


 ミカは上下の下着を着替えるとスマホのスケジュールを確認した。今日は二日である。三日には”ミナミとお茶”と表示されていた。


あいつも大概紛らわしいことをいうな。)


 日曜日でも家を留守にする。それはとおに始まったことである。


 ミカが着替え終えたタイミングで、部屋の外の音は鳴りやんだ。奴らは自分の部屋に戻った。そう確信してミカは廊下に出る。


 ミカの部屋は玄関から入って、すぐ右に曲がった位置にある。廊下を真っ直ぐ進むとリビングがある。


 案の上、リビングには誰もいない。奴らがいた形跡が残っている。ミカは目視と匂いから判断していた。リビングのテーブルにはラップがされた皿が一枚置いてある。皿の上にはスクランブルエッグとウインナーが乗っかっている。


 いつもは置かれていない朝食。どういう論理で作ったのか。たまの気まぐれで作ったのであろう。よく見るとラップには黒い油性ペンで”ミカ”と書かれていた。ミカはラップを丸めてゴミ箱に捨てた。生ごみを入れるゴミ箱を開けると、皿の上の食べ物を全て流すように捨てた。


 気まぐれで作られた朝食を口にする義理はない。玄関の方では、ごそごそと靴を履く音が聞こえた。今日も出ていくのであろう。ミカは冷蔵庫を漁りながら相手の動きを捉えていた。


 一昨日スーパーで買ったパンが棚にしまってある。何か間に挟んで食べればいいか。それくらいにしか考えていなかった。


 たまに買った物が食べられいることはある。だからといって、表に出すことはしなかった。出しても無駄である。相手を容赦なく冷淡に討つ。それだけでよい。


 家から誰も居なくなったのは八時過ぎであった。ミカはリビングのソファに座ってテレビをつけた。放送している番組を観ながら、食パンを食べていた。


 芸能人が何処かで旅をする。ありふれた番組であった。ミカの頭に内容は入ってこない。食べることに意識が向いていた。


 ポケットに入っていたスマホが鳴る。ミカは持っていたパンを口に詰め込んでスマホを取り出した。画面に表示されたのは、瞳からのメッセージであった。


  シャルロット いいんじゃない


 次に送られて来たのは、洋菓子の写真とURLであった。文字列を見ればどこに繋がるかおおよそ理解出来る。この場合は写真のシャルロットが提供されている店であった。


「シャルロットは僕だけのもの」


 頭に浮いた言葉をミカは呟く。甘い世界に取り込まれる。星型から出る白いクリームは、伸びていく。伸ばしていけばずっと続いていくのであろう。


 中にそっと混ぜた隠し味は認識できるか。できなければ大事なものもいつか見落とすかもしれない。


「シャルロットロワイヤルは食べられないな」


 現実に戻された。ミカはテレビを消した。






「瞳、今日は出かけるの?」


 瞳は自宅のリビングにいた。椅子に座ってスマホで文字を打っていると、母親から今日の予定について質問された。瞳はスマホをテーブルに置いた。


「出かけないけど。どうして?」


「私も今日は家にいるから」


「わかった」


 瞳のスマホが鳴った。音からしてメッセージが届いたのであろう。瞳の母親は鳴ったスマホに視線が動いた。


 自分がいるからスマホを見ない。気を使っているだろう瞳にこう告げる。


「見てもいいわよ。私は気にしないから。それに私がタイミングを考えずに話かけたのだから」


 お言葉に甘えて、瞳はスマホを見た。送ってきた相手はミカであった。


  今からそっち行っていい


「今から、うちにミカ呼んでもいい?」


「いいわよ。水羊羹出してあげなさい。冷蔵庫に冷やしてあるから」


「わかった」


 瞳の母親はミカのことは知らない。瞳もミカの家庭の事情は詳しくわからない。わかっていることは不仲ということくらいだろう。


 他人の家庭に口出しすることはしない。瞳は両親と上手くいかないミカの気持ちを推し量れなかった。余計な口出しが口論に発展する。誰も踏み入れないだろう。そもそも、同情も求めていないだろう。瞳はそう思っていた。


「何かあったら言って頂戴」


「うん」


 瞳の母親は、二階へ上がっていった。何かを感じ取ったような表情に目をとられる。しかし、聞いてくることはない。それなりの配慮であろう。瞳は返信を送った。


 ミカが家に来たのは、メッセージを返信してから一時間以上過ぎた頃であった。インターホンが鳴る。リビングにいた瞳は、モニター越しから来た人物を確認して、ドアを開けた。


「いらっしゃい」


「お邪魔します」


 ミカは首元にリボンの付いた白いブラウスを着ていた。何処かで見覚えがあると、瞳はふと考える。それは過去に瞳があげた服であった。


 首に巻いてあるチョーカーも昔あげた物である。ミカのコーデは瞳の影響を大きく受けていた。


「二階。私の部屋で待ってて」


 玄関で靴を脱き゚、端に寄せているミカに背を向けて瞳は、一人リビングに向かっていた。


「ああ」


 階段を昇っていく音が聞こえる。瞳はコンロでお湯を沸かしていた。


 戸棚からお茶の葉を取り出すために背伸びをする。身長一五六センチの瞳には、戸棚は微妙に手が届かない位置にあった。


 陽炎のように揺れる炎が熱しているやかんから目を離し、八分目まで茶葉が入った瓶を手に取る。瓶からずっしりとした重みを感じた。


(淹れ方にうるさいのよね)


 そう思いながら、瞳は瓶の蓋を開けて茶葉を計量スプーンですくった。


 言われた通りにミカは瞳の部屋で待っていた。窓の外に眺めていた。


 トントンとドアを叩く。ミカはドアを開けると、そこには両手でお盆を持った瞳が立っていた。


 瞳はお盆を机に置いた。ベッドの下から折り畳まれたテーブルを取り出して広げた。


 床にお盆を置き、テーブルにはコースターを2つ並べる。コースターの上に置いたカップに紅茶を注いでいった。


「それで今日は何をどうしたの?」


「何その、医者に診てもらうような言い方」


「シャルロット?」


 ミカは頷いた。


「今からお店行ってみる?」


「デートの下見じゃないから」


「そうよね」


 ミカはいつもと違った。ミナミのことだからか。いつもより慎重で、繊細に、一つ一つの行動を行っていた。まるでビーカーに一滴ずつスポイトで垂らすかのごとく。


「感情が伝わらないようにって考えて動くと、より伝わるから気をつけて」


「ああ」


 ミカはカップを口に近づける。置いたカップの中に入った紅茶の水面は揺らいでいた。

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