第3話 分かれ道の予測
ミカは教室の中央で一人座っていた。鞄に入れていた週刊誌を膝の上で広げて、ページを一枚ずつめくっていた。そこに大した面白さは無かった。
読んでいる週刊誌に影が出来る。それはミカの前に人が立っている証拠であった。蛍光灯の光が届かないように壁になっている。
「お前が荒環連か」
野太い声が正面から聞こえる。ミカは週刊誌に注いでいた視線を一瞬だけ目の前に向けた。そこにいたのは、隣クラスの学級委員であった。名前は忘れた。
「今日絡まれていたね」
昼休み、瞳はそうミカに告げた。校内の食堂で、彼女が麺をすすっている途中に話題を切り出した。
「ああ、あれね」
ミカがこの反応なら気にしていない。ミカの顔と話し方で瞳はそう考えていた。事実そうであっ。あんなこと一つで揺れるミカではない。
ミカがどんぶりにある麺を半分食べ終えた頃、瞳に声をかける生徒が複数現れた。大抵は軽い挨拶程度であった。
瞳がいても私がいれば、その場は敬遠される。ミカはそう考えていた。それはいいことでもあるが、瞳にとってプラスかマイナスかわからない。
瞳の交友関係について、ミカは深く把握していない。結局、ミカのいない所で瞳はどういった人物なのかわからない。ミカも深く気にしていないのも事実である。
「瞳ちゃん」
これで八人目だろう。
「茂木ちゃん」
紺色がかったショートヘアの人物は、トレーに載った定食を持って瞳の後ろから話しかけた。二人とは同じクラスの人である。瞳でも見覚えがあった。
「それにしてもあの一年生委員に目をつけられて大変ですね」
「そうよね」
「そういえば、今日生徒会が校則を追加するとか言ってましたね。何だかトンデモ校則じゃないかって噂が出てまして」
「そうなの?」
「昼休み辺りに発表されるらしいですよ」
そういって、会話をキャッチボールしては終わった。ミカは途中途中でしか聞いていなかった。瞳の手が止まっていた。ミカは顔を上げた。
「ラーメン美味しい?」
「どうだろうね」
「美味しくないの?」
ミカの曖昧な答え方に瞳は広く浅く聞いてくる。
「そうではないけど。ここは凄いね。味選べるからね」
瞳はミカの丼鉢を覗いて、冷たい目線で口にした。
「それラーメンじゃないわよ」
「えっ」
「それ、ソーキそばよ」
「そうなん」
瞳が食べ終えると、二人はで部室塔を歩いていた。生徒の大半は校舎に集まっていた時間であった。昼休みでも入ることが出来るが、今日は閑散とした建物内であった。
部室は建物の奥にある角部屋であった。瞳がドアを引いて室内に入り、ミカがドアを閉める。
「やっぱり誰にも居ないわね」
「ああ」
この時間に来る者はいない。あお先輩ならば来ていそうな気がしていた。
ミカは電気ポットにお湯がある事を確認してからパックの紅茶を入れた。室内の真ん中にある長机に紅茶が入ったオレンジ色のコップを置いた。
「ありがとう」
瞳がコップに口をつける。同じタイミングでミカも紅茶を口にした。
「今日、家に行っていい」
「いいわよ。今日はカレー」
「わかった」
裏に下がって、口に飲み物を含みながら感情を切り替える。
高架橋が幾つも重なった今の時代において、何処か切り返しをつけなければ身が持たないのであろう。特に瞳のような人物にとってストレスの多い場面が続く中、人目を気にせずに余分な空気を抜くことが出来る瞬間は少ない。
「ところでさ」
「ん」
「なんで部室に来たの?」
ミカは少し考え込むも結果は出なかった。
「なんだったっけ」
コップを左右に一、二度傾けて水面を揺らした。コップの中で波打つ動きを見ながら、数分前を振り返る。
「プリンター使いたかったんだ」
そう言ってミカはプリンターを操作していた。瞳はミカに近づいて、何をしているのか気になって近づいてきたのであった。
「それって確か選択科目の用紙でしょ」
「無くしたみたいだから他の奴から拝借して」
「ほぼ窃盗に等しいわね」
紙をコピーしたところで紙質の違いでコピーかどうか判別は容易であった。これは後でコピーした方を拝借した相手の下に渡して置けば良いとミカは思っていた。
昼休みがもうすぐ終わることを知らせる予鈴が鳴った。次の時間は移動であった。ここから教室までは距離がある。今から部室を出れば何とか間に合うと考えて二人で部室を出た。
放課後、瞳は複数の人物に囲まれて話していた。ミカはその周囲に紛れるように近づいた。
「それで一律で予算を削減するらしいですよ」
「生徒会も滅茶苦茶だよ。好き勝手やって」
「ダッチーの部活も減らしに入っていたわね」
瞳は話している人物に目線が向きつつ、ミカが近づいてきたことに気がついた。
「ええ、半分も」
「一応、平等を取る目的で全部活と委員会とか、予算を欲しがるもの全てから削減を行なっているらしいです」
ここの学校には特有の主導権争いの一つであろう。今の会長である田中会長はあおと対立構造にある。始まって一週間、仕掛けてきたゲームの先制攻撃であった。
「予算委員会は確か明後日行われるから、それまでに対抗準備に追われそう」
あおはどのように太刀打ちするか。ミカの頭の中では幾つかパターンが樹木の枝分かれのように思いついていた。しかし、何となく今まで見た感覚に違和感を残していた。それはまだベールに包まれている。
「早いうちに次の手を打ってくる」
「わかっているわ」
二人は話していた他の生徒と別れたあと、瞳の家にそのまま向かった。今日は、先輩たちが部活に来ないことを予め聞いていた。昼休みに一度寄った上、特に用事もない。
瞳が家の鍵を開けて入ると、ミカは続いて入って鍵をかけた。
今日は一階の廊下を真っ直ぐ歩いてリビングへ向かった。ミカはリビングにある椅子に座って、鞄は隣の椅子に置く。それから食卓テーブルの天板の上に置いてあったリモコンを手に取った。
瞳はその間に水道の蛇口を捻って手を洗い、冷蔵庫から食材を取り出してまな板と包丁を用意していた。
瞳は野菜を切り始めた。同じリズムで連続した音が聞こえる。
ミカは食卓テーブルに身体を伏せながら、再放送のサスペンスドラマを眺めていた。
気怠い感覚を抱きながら、それを移せないか。気持ち悪い部分のみをスポイトで抜きたい気分であった。
「最近のね」
「ん〜」
瞳は料理をしながら、度々テレビの方向を向いていた。映像の鮮明さや、出演している俳優でそう捉えたのであろう。
「こいつが殺されるのか」
「見たことあるの?」
「いや」
ミカは勘で呟いた。ストーリーを読んで、次はどのように進んでいくのか。彼女はある程度視聴していれば判る。ドラマはミカの口にした通りに展開していく。
「これが動機」
「えっ」
画面に一瞬だけ映った壁のポスターのことを指した。反応からすれば瞳は見逃した。
「ここらで仕掛けて来るなあ」
言った通り、画面内の捜査員二人は曲がり角で二人組に襲われた。だが、もう一人が現われたことで二人組は拘束された。
ドラマが終わった頃、瞳はキッチン下の収納スペースから青いホーロー鍋を取り出した。
「ミカ、起きて。ミカ」
ミカは肩をゆすりながら瞳に声をかけられて起こされる。いつの間にか寝ていたことに気づいた。よその家なのに羽を伸ばして、無防備になっていた自分に違和感を覚えていた。
ミカは伏せていた身体を起こすと、向かい側と隣の座席にカレーがライスの上に注がれた皿が置かれている。工程はもう既に全て終わっているのである。
「出来たんだ」
「ええ、食べましょう」
ミカは隣に置いてあった皿を自分の正面にずらす。瞳はミカの向かいの席に座った。立っている湯気を挟んで向かい合わせになった。
「ちくわ?」
ミカはカレーに入っている具材の違和感を口にした。料理中にちくわをカットした記憶はなかった。眠っていた時間に切っていたものである。
「ええ、ちくわよ」
「どうして?」
「最後まで相手に悟られないと言うことの難しさかしら。昼は豚肉だったでしょ。鶏と牛が冷蔵庫に無かったの」
他人の家でご馳走になっている身分でミカに言い返せる言葉は無かった。
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