【完結】桃源郷プロジェクト

パンチ☆太郎

第1話 制作会社設立


 男は、まだ目覚めていなかった。


 家と大学をただ往復するだけの生活。


 大学も真面目に通っているわけではなく、時々サボっていた。


 特に趣味もない。学校から帰れば、自室でパソコンを開き、自家発電にいそしむ毎日。


 何かを成し遂げたという訳でもなく、かといって、何かをやらかしたというのでもない


 しかし、何もやる気が起きない。


 うつけたような表情で日々を送っている。


 時間が無駄に過ぎ去っていく感覚はあるが、それをどうにかしようという気はない。


 部屋は散らかっていた。


 書類や脱ぎ捨てた服が床に積もり、足の踏み場もない。


 ベッドの上でくつろぎながらパソコンを膝に置き、CPUが熱を帯びると、ベッドの脇に置いて寝そべる。そして、また自家発電。


 そのような乱雑さが男の心境を現していた。


 すでに二十歳を超えている。


 友達もろくにおらず、ましてや女性と話した経験など……。


 まともな会話などほとんどしていないせいか、上唇と下唇が癒着していた。


 顔には吹き出物ができており、どこか不潔さが漂っていた。


 常に、何かぼんやりとした靄がかかったような状態だった。



 古びたビルの中から、すらりと背の高い女が出てきた。


 カモシカのように引き締まった脚。肩まで伸びた癖のない長い髪。太ももが露わになるほどの黒い短パンに、黒いブーツ。


 高価な服装ではないが、地味すぎるわけでもない。


 手には、赤いインクのようなものがついていた。


 顔には疲労の色がにじんでいる。


 女は、重い足取りで駅へ向かってとぼとぼと歩いていった。


 その古びたビルには、さまざまなスタジオが入っていた。


 彼女が出てきた一室は、防音仕様で、カーテンもぴっちりと閉められていた。外から中の様子をうかがうことはできない。


 いわゆる一般家庭のような室内ではなく、巨大なアルミホイルで覆われたような外観だった。


 とはいえ、ビルの奥まった位置にあるため、隣家に侵入でもしない限り、窓のアルミホイルのようなカーテンを見る者などいなかった。


 彼女は、今日の撮影を思い出していた。


 なかなかハードな内容だった。


 今日撮影された映像が世に出るのは、およそ四か月後のことだ。


 それも、AV新法の影響によるものだった。


 企画女優である彼女は、明日もまた撮影が控えていた。



 朝から自家発電してから学校へ向かう。


 さっきまで寝ていたはずなのに、授業中にもまた眠っていた。


 五軒家健吾ごけんや・けんごは、それを暖房のせいにしていた。


 冬になると、どの教室も暑いくらいに暖房が効いており、つい眠くなるのだ。だ

が、授業を受けなければ単位はもらえない。言い訳にはならなかった。


 授業を終えたころにようやく目が覚めた。


 いったい何のために学校に来ているのか、自分でも分からなかった。


 親は何のために学費を払っているのか――考えるまでもない。


 だが、親から何も言われずに過ごしていると、怠惰でだらしない思考へと染まっていくのだった。


 リュックを背負い、再び家路につく。


 今日は三限だけだった。


 なんとお気楽な身分だろうか。


 来年には就職を控えているというのに……。


「おう、五軒家。今日は学校これたんやな」


 いつも前の席に座っている岡島が話しかけてきた。


 真面目ぶってはいるが、彼もまた五軒家と同様、不潔な見た目をしている。


 自分がどう見られているかなど全く興味がないのだろう。


 事実、岡島は人がどう思っているかなど気にしている様子は一つもない。


 うらやましいと言えばそうだが、こちらの身にもなって考えてほしい。


 それに加えて、独り言をぶつぶつと呟きながら、スマホで二次元の美少女キャラを凝視していた。


「……お前、相変わらず二次元の女が好きなんだな」


「現実の女と違って、文句も嫌な顔もしないからな」


 五軒家は、なるべくこの男とは関わりたくなかった。


 同類と思われるのが嫌だった。


 とっちゃん坊やのような髪型に、黒縁メガネ。テンプルは顔の肉に埋もれ、話し方はやたらと早口。


 しかも、興味のない話題を延々と語り続ける。まるでブレーキの壊れたトラックのようだ。


 かと思えば、急にマジレスをぶっこんでくる。それがまたストレスを倍増させた。



 五軒家は、適当に相槌を打ってその場を離れようとした。


「そういえば、就活進んでる?」


 一番触れてほしくない話題だった。


「ああ……ぼちぼち」


 五軒家は、目を泳がせながら答える。


「どのくらい?インターンは行った?」


「行って……」


 行っていないが、「行ってない」と答えれば、地獄のような説教が待っているのは目に見えていた。


「行ってないな?」


 答える前に岡島が言った。


「……おん」


「この冬の時期に何してんねん! 毎日毎日AV見て、だらだらして、たまに学校来たかと思えば授業中に寝てるし」


「せやな……」


「せやな....て……お前就職どうすんねん。資格なんか持ってるん?」


「資格……普通免許(AT限定)なら……」


「でもペーパーやろ?」


 五軒家は、どうやってこの会話から逃げるかを考えていた。


 黙って去れば、関係が悪化するのは確実だった。何より、“将来を何も考えていない、お気楽なスネかじり”と思われるのが嫌だった。


 相手が本当の友達であれば、「まぁ、なんとかなるっしょ、へへ……」で済むかもしれない。だが、岡島と自分は、そんな関係ではない。


 いわゆる、“よっ友”である。


 そうこう考えている間にも、岡島の鳴りやまぬ問いかけが続く。


 風見鶏のようにくるくると方向を変えながら、容赦なく責め立ててくるのだった。


 脳のストレージ容量が、じわじわと削れていく感覚だった。

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