事後
青木海
事後
とある場所にある会員制焼肉屋の一室で、雑誌のライターと刑事が向かい合って座っていた。
「それじゃあ刑事さん。そろそろお腹も膨れてきたところでしょうから、お話を聴かせて下さいよ」
そう言って、無精髭を生やしたライターの男は、手持ちサイズの黒い鞄から手帳と鉛筆を取り出した。
「あ〜はいはい、
刑事である中年太りの男は、肉の脂が付いた箸をなぶってから小皿の上に置いた。酒もいい感じに回っているようで、顔を紅く火照らせてご機嫌な様子が窺える。
「いいか、これから話す事は誰にも言うんじゃないぞ。まだ公にされていない情報を俺が漏らしたってバレたら大変だからな」
「そりゃあ口に出して言いはしませんけど、手で書いて記事にはさせてもらいますよ」
上手いことを言ったといわんばかりにライターが顔をニヤつかせると、それもそうだなと刑事は可笑しそうに笑った。
「とりあえず、今わたしが知り得ている情報を元に質問させてもらおうと思ってるんですが、よろしいですか?」
酔いが回っている方が、口を滑らせて必要以上に喋ってくれるかも知れないと考えたライターは、早速本題に取り掛かった。
「ああ、構わんよ」
「では……。母娘が監禁されていた期間は約2ヶ月と報道されてたんですが、それは本当です? 母子家庭とはいえ、普通ならそれだけの期間、会社や学校を休めば誰かしら母娘の異変に気づきそうなものですが」
「あ〜それはな、容疑者の野郎が母親に命令したらしいんだよ。退職代行を使って仕事を辞めろってな。娘の方は、母親に学校へ電話をさせて『娘がどうしても学校に行きたくないと言っている。だからしばらく自宅で休養させる』と担任の教師に伝えさせたんだとよ」
「あぁなるほど。仕事を辞めさせ、学校を休ませる。確かにそうすれば、社会的に2人を隠すことは容易ですね」
ライターは、手帳に素早く鉛筆を走らせていく。
「次に、監禁中に母娘のうち娘だけが死亡したと報道されてたんですが、結局のところ死因はなんだったんです?」
訊かれた刑事は、太い腕を胸の前で組んで眉間に皺を寄せた。
「……餓死だ」
「が、餓死ですか」
「ああ。監禁されていた現場が廃墟だったのは知っているよな?」
「ええまぁ。地元民しか知らないような山道の途中にある公民館だった場所ですよね?」
「ああ。そこで母親とは別の部屋に連れて行かれ、ロープで体を固定された上で口に布を詰め込まれていたらしい」
「それは酷いですね……。娘の方はまだ小学2年生だったんですよね?」
「ああ」
ライターは、手帳にしっかりと娘の死因を書き込んでから再び刑事に視線を向けた。
「なぜ餓死するまで食べ物を与えられずに放置されたんです? 救出された母親の精神状態に問題はあれど、肉体の栄養状態には問題がなかったと伺ってますが」
刑事の男は、不機嫌さを露わにして大きく息を吐いた。まるで理解出来ないと言いたげな様子だ。
「忘れていた。だそうだ」
「はい?」
ライターは反射的に訊き返した。刑事が言った言葉の意味が、すぐに飲み込めなかったからだ。
「だからそのままの意味だよ。忘れていた、だよ。容疑者の目的は、母親を攫うことだったらしい。娘はあくまでも母親に近づく為と、母親の自由を奪う為に利用したんだとよ。結果、2人まとめて攫うことになったんだが、興味があったのは母親だけ。最初こそ毎日、娘の方にもご飯や水を運んでやってたらしいんだが、母親の方に夢中になるにつれて別室に拘束した娘のことを忘れていってしまった。と供述していたよ」
ライターは、思わず息を呑んだ。
「そんなことがありえるんですか? 正気じゃない……」
「ああ、いかれてやがるよ。そのせいだろうが、救助された母親は発狂してたしな。あと、叫び続けたせいで喉が潰れていたらしいんだよ」
「なぜ叫び続けていたとわかるんです?」
「今の母親の方は精神的に参っちまってて訊ける状態じゃねぇし、真実はわからん。が、まぁ、俺が考えるに、娘の無事を確認してくれと容疑者に懇願し続けた末に喉が潰れてしまったんじゃないかと思ってんだ」
「それは、残酷ですね……」
気づけば、ライターはペンを走らせる指の動きを止めて聴き入ってしまっていた。
「あぁ、そうだ。あとはもう1つ特ダネ情報があってだな」
「おお、良いですね! ぜひ聴かせてくださいよ!」
「報酬はたんまり弾めよ」
「ええ、もちろん」
「よし、いいだろう……。報道では救助者1名とあったが、あれは間違いだ」
「間違い?」
「ああ、救助されたのは2名と言ったほうが正しいな」
「えっ、それはどういうことです? 他にも監禁されていた人がいたんですか?」
「いや、監禁されていたのは母娘の2人で間違いない。そして、救助されたのは母親だけだというのも間違いない。見かけ上はな」
「見かけ上?」
「考えてもみろ。一方的に好意を募らせていた男が、意中の女性を物理的、精神的に支配したんだぞ。そしたら、何をするかわかるだろ?」
意味を理解したライターは、背筋に悪寒が走るのを感じた。
事後 青木海 @aokiumi
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