東の果ての監視塔

晴鮫

前編



 大地の果てには何があるのか。

 その問いに、断崖であり空であると答える者がいる。

 神話による言い伝えや、宗教による教えによるものなどでは決してなく、純然たる事実としてそう認識しているため、彼らはそう答えるのだ。

 彼らの住まう大地の果てへと向かうと、確かにそこには空と断崖がある。そしてそこから遥か下を覗くと、日によっては低い雲に覆われて見えなくなる事もあるが、大抵の場合青い海が波打つ様を見る事が出来るだろう。

 彼らの住む大地は、その大陸は、空に浮かんでいたのだ。



 空に浮かぶ巨大な大陸。その東の果てに、断崖のきわに、その監視塔はあった。

 何もない草原の中、石を積み上げて造られた高い塔の頂上には、大きな望遠鏡を備えたガラス張りの監視室。その外周をぐるりと囲むように、鉄柵の付いた足場が設けられていた。


 ばさり、と羽の生えた翼を広げ、その足場へと降り立つ者がいた。

 両の翼に猛禽の如き鈎爪の付いた両脚。鳥類のそれに似ているが、しかしてその者は鳥にあらず。頭と胴体は十指族ヒューマンの女性のそれに近しいものであった。

 この世界にいくつも存在する「人間」の一種。翼の生えたこの種族を、世の人は鳥翼族ハーピーと呼んだ。


 彼女の仕事は空の監視。大陸から離れ、その先の大空を飛び回り、周囲を見張るのだ。

 そうして午前中の仕事を終えた彼女は現在、昼休憩の時間になったためこの監視塔へと戻った次第である。

 飛行を終えた彼女はぶるりと身震いをした。如何に飛行に馴れた鳥翼族ハーピーと言えど、長時間風に当たると流石に冷える。そのため彼女は防寒着――飛行の邪魔になるため袖は無いが――を着ていた。特に今日は風が強かったので、その寒さも一入ひとしおである。


 彼女は監視室のドアの前に立つ。肩から先、十指族ヒューマンならば腕が生えている場所に翼がある彼女に手を使う事は出来ない。そのため彼女は脚の鈎爪を使って、監視室のドアノブを回した。

 片足飛びで入室した彼女は着けていたゴーグルを上げ、監視室にある階段を下りる。その先の階が、ここに勤める職員の居住スペースであった。


「ただいまー」

「おう、お疲れさんエルヤー」


 帰って来た鳥翼族ハーピー、エルヤーに声を掛けるのは作業着を着た茶髪の男。ここで仕事をしている相方の先輩職員である。仕事机に着く彼の前には、一枚の紙とペンが置かれていた。


「ニルスー、お腹すいたー」

「そこに昼飯があるぞ」


 ニルスと呼ばれた男はテーブルの上を指差す。そこには缶詰肉で作ったサンドイッチがあった。

 早速椅子に座った彼女は大喜びでサンドイッチを鈎爪で掴み、ものの数分で平らげる。

 昼食後、ニルスが淹れた紅茶を飲みながら、彼女は話し始める。


「参ったよ、今日は一段と風が強くてさー」

「そうか、大変だったな」

「ニルスは何やってたの? サボってないよね?」

「まさか。俺は報告書を書いてたんだよ」

 ニルスはぴらりと机の紙を見せる。定期的に本部に提出する業務報告書である。その報告欄には「異常なし」という言葉のみが書かれていた。


「良いなー、そっちは楽そうで。こっちは風が強いから寒いし髪もぐしゃぐしゃになるし、最悪だよもう」

 風で逆立った赤茶色の前髪を鈎爪で直しながら、彼女は悪態をつく。

「なら俺が代わりに飛ぼうか?」

「え、ニルスって空飛べるの?」

「飛べないが?」

「飛べないじゃん」

 驚いて損した、と呆れる彼女に、諭すような口調で彼は言う。

「代わろうと思っても代われないって話だ。逆に、お前はペンが持てるのか?」

「持てるけど?」

 立ち上がったエルヤーはニルスの元まで行き、片脚を上げ、鈎爪を使ってひょいと机の上のペンを掴んだ。

「それでものを書いてみろ」

 報告書を裏返し、彼はどうぞと促す。彼女は紙の上に線を引くが、その線はガタガタに歪んでいた。


「んー、難しいね」

「だろう? 鳥翼族ハーピーのお前と違い、十指族ヒューマンの俺には10の指がある。器用に動かす事で細かい作業ができるが、空は飛べん」

 両手の指をうねうねと動かしながら、彼は続ける。

「適材適所という奴だ。誰にだって得手不得手というものがある。羽の生えた翼で空を飛べるお前は、周辺の監視役にはもってこいだろう? 正直、俺は自由に空を飛べるお前が羨ましいよ」


 鳥翼族ハーピーは空を飛べ、おまけに視力もかなり良い。置ける場所や視野が限られている望遠鏡の類も必要とせず、高い機動力を誇る。監視施設のみならず、軍隊の斥候や救急隊の人命救助や捜索活動などにおいても彼ら彼女らは活躍するのだ。

「……もしかして、私って凄い?」

 そのような事を力説するニルスを見て、エルヤーはそんな事を言った。

「ああ、凄いとも。ここに来て日も浅いのに、立派に監視役をこなしている。大したもんだ」

「ホント!?」

 褒められて目を輝かせる彼女に、ニルスはうんうんと首肯する。


「だから監視の業務はお前にしか頼めない。やってくれるか?」

「もちろん!」

 得意気に胸を張る彼女を見て、その男はにやりと笑った。


「それじゃ、周辺の監視を引き続きやってくれ。期待してるぞ」

「はーい!」


 元気よく階段を上り、再度周辺の監視にあたるエルヤー。

 ちなみに午後からの監視は実はニルスの持ち回りだったりする。


「さて、続きを読むか」


 再び一人きりとなった部屋で、彼は机の引き出しから本を取り出した。職務には一切関係のない、ただの娯楽小説である。


 東の果ての監視塔は、十指族ヒューマン鳥翼族ハーピーの職員二人態勢で回っている。

 今日も一日異常なし。しかしてここは、いささか暇に過ぎた。



「ニルス! ニルース!」

 陽も沈みかけた時分、エルヤーは怒った様子で帰って来た。


「午後の監視役はニルスじゃん! 望遠鏡あるじゃん! 飛べなくてもそれで監視できるじゃん! 私しか頼めないって何!?」

「そういえばそうだな。忘れてたよ」

「うそつけ! 絶対わざとだ! 私に押し付けてサボってたな!? 仕事代わって今すぐ!」

 平然と言うニルスに憤慨し、詰め寄るエルヤーに彼は部屋の時計を指差した。


「だが、もうそろそろで終業時間だぞ」

「え!? そうなの!? 時計の針いじってないよね!?」

「流石にそんな事はしない。俺はすぐ気付いてくれると思ったんだが、まさか終業時刻間際までやってくれるとはな。おかげで読書が捗ったぞ」

「ぐぬぬぬぬぬっ!」

 怒りの余り歯軋りをして睨むエルヤーを見て、ニルスは降参と言った風に両手を上げた。

「悪かったってエルヤー。サボった分は明日する。約束だ。明日お前は休みにするから、ゆっくりしててくれ」

「それだけじゃ足りない! 私の怒りは収まらないよ!」

 怒りで翼をバタバタとさせる彼女を窘めるような口調で、彼は言う。

「そうか。なら、どうすればいい?」

「何かちょうだい! 食べ物とか!」


 食べ物をねだる彼女にやれやれとわざとらしく肩をすくめたニルスは、懐から一つの缶詰を取り出した。

「しょうがない。俺に支給されたこの貴重なグリンピース缶をお前にやるよ。好物だったろ?」

「ホント!?」

 無邪気に目を輝かせる彼女を見て、その男はにやりと笑った。


「ああ。だから、今日の事は許してくれないか?」

「いいよ!」


 貰った缶詰を大事そうに抱えながら元気よく走り、自分の部屋へと入っていくエルヤー。

 ちなみにニルスの嫌いな食べ物はグリンピースだったりする。


「ちょろいもんだぜ」


 彼女が部屋へと行った後、彼は机の一番下の引き出しを開ける。そこには今まで食べずに残したグリンピース缶がずらりと並んでいた。まだまだ言う事を聞かせられそうだと、彼はほくそ笑んだ。



「私たちって何を監視してるの?」

「今更それを聞くのか?」


 翌朝、二人で朝食を食べている時に唐突にエルヤーが口にした言葉がそれであった。

 ニルスは飲んでいた紅茶を思わず噴き出しそうになりながらも、説明を始める。


「良いか? 俺たちはこの大陸に「浮き島」がやって来ていないか監視して、可能であればそれを係留して確保する役目を負っているんだ。浮き島はこの国の立派な土地資源だからな」


 浮き島とは、この大陸の他にも空に浮かんでいる大小様々な島の事を指す。彼らの国がある浮き島は、そうした島の数々を取り込んだ末に大陸と呼ばれるまでに広がったのだ。

 そして二人の仕事は国の土地に関わるもの。当然二人は公務員であり、彼らの所属組織の上を辿っていけばこの大陸を治める国の国土管理庁という組織に行き着く。

 安定的なイメージを持たれる公務員ではあるが、彼らは下っ端組織で働く下っ端役人である。下っ端故にその給与は渋かった。


「それは分かってるよ。でも、これまで浮き島なんて来た事ないじゃん」

「そうだな」


 頷くニルス。エルヤーはここに来て半年ばかり。新人とは言え半年も務めればそれなりに実務経験を積むものであるが、この半年間、彼女は彼の言うような浮き島の係留の仕事などした事は無かったし、それどころか浮き島の姿すら見た事が無かったのだ。


「何で浮き島が来ないの?」

 当然の疑問を彼女は問うた。ニルスは答える。

「この大陸は常に西に向かって動いていて、ここの監視塔は東の果てだからだ。どういう事か分かるか?」

「全然」

「だろうな。見てろ」

 ニルスは煮た豆が乗った皿に、食べかけのパンを落とした。

「パンがこの大陸、豆が浮き島だ。このまま西にずーっと行く」

 彼は皿の上のパンをつまみ、左へ滑らせる。パンが豆を押しのけながら豆の汁を吸いこみ、皿の上に軌跡が残った。

「パンが通った跡に豆は見えるか?」

「見えない」

「それが浮き島が来ない理由だ」


 ニルスは豆の汁が染みたパンを齧りながら言った。

 つまるところ進行方向の西端は頻繁に浮き島とかち合い大忙しであり、最後尾の東端は何もなく暇なのだ。

 彼の説明でそれを理解したエルヤーではあるが、余計に疑問を覚えてしまった。来ないものを監視しろと言われても、納得ができないのだ。


「余計に分からないよ、じゃあ私たちは何を監視してるの?」

「やって来る浮き島だが?」

「でも、来ないじゃん」

「いや、実は来ない事はない。ケツから追いかけて来る浮き島がたまーーーーーーにあるんだ」

「たまーーーーーーにしか来ないの?」

「ああ、必然的に相対速度も遅くなるから西と違って向かって来るスピードも非常にゆっくりになる。二人体制で当直も無く夜も普通にぐっすり眠れるのはそのためだな」


 エルヤーは唸る。仕事があまり無いという事は、すなわち責任もあまり無いという事。身軽で楽だと言えば聞こえは良いが、逆に言えばそれは本部からのある種の信頼の表れともいえる。こいつらに責任ある仕事を任せたら駄目だ、という信頼の。

 彼女は自分たちの今の状況に近い単語を知っていた。


「……もしかして私たちがここに配属されたのって「左遷」ってやつ?」

「適材適所と言え」

 彼の言葉を最後に、暫く黙りこくる二人。窓際どころか世界の際に追いやられてしまった彼らは、左遷に相当する理由に、思い当たる節がありすぎていた。



 朝食を終えた二人は、今日の仕事を始める準備をした。

 準備とは言っても、作業着に着替えるだけである。空を飛ぶエルヤーは、その上に防寒着も着用する。

「よし、今日も一日監視業務を始めよう。いつも通り、午前がエルヤー、午後が俺だ。何か質問はあるか?」

「……そういえば、何かを忘れてるような」


 首を傾げるエルヤーに、ニルスは彼女のゴーグルを渡した。

「ほら、これだろう。ゴーグルを忘れているぞ」

「ホントだ! ありがとう!」

 無邪気に礼を言う彼女を見て、その男はにやりと笑った。


「それじゃ、今日も一日、周辺の監視をやってくれ。気を付けてな」

「はーい!」


 元気よく階段を上り、周辺の監視にあたるエルヤー。

 ちなみに昨日の約束を彼女は覚えていなかった。


「鳥頭で助かるな」


 一人きりとなった部屋で、彼は机の引き出しから本を取り出した。職務には一切関係のない、ただの娯楽小説である。


 東の果ての監視塔は、十指族ヒューマン鳥翼族ハーピーの職員二人態勢で回っている。

 こんなに暇で良いのだろうか、と若干不安になった朝であったが、今日も変わらずニルスは読書に耽った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る