02 永遠の空

 黒いつるつるとした表面の平たい石は、いかにもずっしりと重く見えたが、手にしてみると意外にも重量はさほど感じられず、逆にしっくりと来るような丁度良い重さだけがある。

 カラフルなシールや折り紙で装飾された清潔な部屋、白いベッド、白いシーツの上で少年は夢中になってその黒くて丸い石板の表面を指でなぞっていた。黒い盤の表面にはきらきらと美しく光る文字と天気図が浮かび上がっており、表面を横にスライドする度に天気図と文字は切り替わる。文字は天気図の雲の様子や大気に含まれる成分がどのように変化するか等の説明になっていて、前後日との比較も補足として表示されていた。

 ふと、扉が静かに開き花束を手にした女性が入って来る。

「お母さん!」

 黒い石板を手にしたまま少年が女性を振り返り、嬉しそうに声を上げる。少年の母である女性は優しく微笑んで、花束を少年のベッドのサイドボード上にある花瓶に活けた。

 その花束はグラスドライという生花を新鮮なままガラスのように瞬間硬化させる処置がされており、花瓶に飾ればずっと――誤って落とす等しない限り――枯れずに美しく咲き続ける、そういった花で、近年は入院患者の目を楽しませるならばグラスドライの花束と相場が決まっていた。退院する時に元患者がその花束を思い切り地面に叩き付けて粉々にすれば二度とその病にかかる事はないというジンクスまで生まれており、病院の敷地内には花束を叩き付ける専用のスペースまで設けられている程だ。

「今日も見ていたの?」

「うん、だってほら、テレビだと今日はずっと晴れって言ってたのに、ちょっとだけ雨が降ったろ? この天気図だと昨日の時点で午後から小雨ありって出てたんだよ!」

「そうなんだ。凄い精度ねぇ」

「『星の人』がくれたんだもん、凄いに決まってるよ!」

 にこにこと笑い石の天気図を手にする少年の頭は白い包帯とネットに覆われており、髪の毛はもう一本も残っていない。入院着の裾から覗く腕はその歳の少年のものにしてもひどく瘦せ細っており、骨の継ぎ目のぼこりとした部分まで浮き出ている程だった。

 この日も息子のそんな青白い腕から目を逸らし、母親は花瓶を置いて椅子を引き寄せる。少年は天気図を膝の上に置き、サイドボードの引き出しから一冊のノートを取り出した。

「ほら、これ。この天気図と、天気予報の天気、どっちが合ってるかを書いてるんだよ」

「どれどれ……上のが『星の人』の天気図かな?」

「そうだよ。こっちが日付で、上が『星の人』の天気図で、下が気象衛星からの予報だよ。カッコの中が本当の天気!」

 よろよろとした文字がノートに並んでいる。筆圧は薄く、指で擦ったら今にも消えてしまいそうな文字だった。その文字を消してしまわないように、慎重にノートを受け取り目を落とす母は、確かに気象衛星から予測される天気予報よりも不思議な石板に表示される天気図の予報の方が正確だと気付き驚いた。ここまで、石板の予測が外れた事は一度もない。

「本当に凄いのねぇ……『星の人』にお礼をちゃんと言った?」

「言ったよ! でも、あの時はまだ信じられなかったから……あんまりうまく言えてなくて。『星の人』に、もう一度会えるかなぁ」

 会ったらもっとちゃんとお礼が言いたい、と少年は惜しそうに眉を下げた。

「……きっと会えるよ」

 母親は優しく言って息子の小さな手をそうっと握ったが、それがただの慰めである事は自身が一番よく解っていた。

 このグラスドライをこの子が砕く日は来ないだろうという事も。




「この石板は、素材としては黒曜石で出来ていてな。ただ、俺らの技術じゃない、もっとハイ・テクな技術で創られたモンだ」

 イタチが黒くて平たくて丸い石板を前にしてそう言った。今回の楓の作業はこの石板だ。

「私達の技術じゃないというと……?」

 はて、と首を傾げる楓に、クジがバンドデバイスである画像を出す。

「スターマン、ハイ・スペーサー、ライトノーツ、星の人……そう呼ばれている上位存在が居る事は知っているな?」

 今日、楓のサポートについているのはフレイアではなくクジで、イタチはクジに言われて石板を倉庫から運んで来たのだ。クジが説明を引き継ぐと、イタチは軽く手を振って第三作業室から出て行く。

 楓はクジの問いにこくこくと頷いた。

「は、はい。知ってます」

「この石板は、彼らの創造物の一つだ」

「…………」

 クジがデバイスのプロジェクションモニターで示したのは、スターマンの解説図だった。

 この宇宙には人間や他種族等も多数存在しているが、『スターマン』は最も特異で最も優れた知的生命体だと言われている。

 まず、彼らは明確な肉体を持たず、宇宙を自由自在に遊泳する事が可能だ。彼らを構成する物質、或いは肉眼や知覚で感じ取れるのは『光』や『粒子』の塊といったもののみで、星が形成される前の暗黒星雲または全てを飲み込むブラックホール、それ以外ならば何処にでも、1000度を超えるガスの星も、絶えずダイヤの粒や氷礫の嵐と圧力に伴う爆発や重力変動が起こる星でも、何処でも存在と渡航が可能だという。スターマン自身が何を考えているのかは解らないが、下位存在である人類や宇宙種族にも稀にコンタクトを取ってくる事があり、その時の彼らは光か輝く粒の集合体にしか見えず、なのに何処からともなく男とも女とも老いているのか若いのかすら解らない声が自然と聞こえてくるそうだ。

 また、スターマンは不思議な力により物を創造する能力を有しており、それは彼らが示したその瞬間に形成されているという。その際に使用される筈の素材が何処から来るのか、現地の周囲から集めているのかも解らないままだ。スターマンが他種族に創造物を譲渡するのは非常に稀で、いつ、何処で、誰に、どのような意図で差し出すのかすら不明な事が多い。

 掴み所がなく気まぐれな上位存在、それがスターマンだと知られていた。

 当然、銀河政府や国連はスターマンのその創造能力や自由遊泳に危惧を抱いているし、スターマンを神や神の御使いとして崇めている団体さえも存在する。だがスターマンは政治不介入と、例え何が起きても――宇宙規模の戦争が起ころうとも――誰とも何処とも敵対せず擁護せずを公言して盟約を結んでおり、また自身を崇める者の前には決して姿を現さない。危険視する者もいるが、危険視したからといって何が出来るでもない……それ程に現在の銀河公民とスターマンの格差は絶対的だった。スターマンという生き物は本当は存在しないと声高に主張する一派もいるくらいに、生物としての規格が違っており、こちらへの干渉も希薄である。それが、スターマンだった。

 この黒い石板は、そのスターマンが創造したものの一つだという。

「だ、大丈夫なんですか? そんな貴重なものをここに置いちゃって……」

 驚く余り多少失礼な質問をしてしまう楓に、クジはまあそうだろうという顔で頷いた。

「ああ、本区の大博物館があちらさんで展示したいと粘ったらしいんだが、これを寄贈した人が第七彷徨博物館うちじゃないと寄贈はしないと言い張ったらしい。そうでないとアルビレオごと無に帰す道を選ぶ、ってな。国じゃ結構な権威ある立場の名士で、大博物館側もそう強くは出られなかったんだろう。あとは、疑わしいってのもあって、所有権自体はネオアレクサンドリア政府管轄だが、展示ならうちでも所蔵可の許可が下りたって事だ」

「…………」

 そういえば、これは見た所ただの黒曜石の石板で、それ以上でもそれ以下でもない。スターマン程の上位存在が創り出したというには特徴といった特徴がまるでないのだ。

「ただ、名残はある。石の表面を左右に指でスライドしてみろ」

「表面を……?」

 クジが石板を指し、楓は言われるままに黒くてつるりとしたその表面を手袋越しの指で触れ、右から左にスライドしてみた。冷やりとした感触が布一枚越しにも伝わり、それを感じた途端に黒盤の表面に金色の文字がふっと浮かび上がる。

 気象情報――エラー。気温情報――エラー。気圧情報――エラー。大気保有物質――エラー。

 エラー、エラー、エラー、と全ての情報が取得できない、或いは処理できないと文字は示していた。

「これって……壊れてる、ってこと、ですか?」

「そうだろう、と持ち主は言っていたな。壊れた時期ははっきりとはしていないが……聞いた話や表示される文字類からすると、天気図、気象図のようなものだったらしい」

「聞いた話?」

 クジの言葉に楓は問い返す。今までの来歴不明品は寄付や寄贈されたものの出自が不明という物が多かったのだが、そういえばこれは寄贈した家が国の名士でもあると言っていた。クジは表情の変わらない顔のまま頷き、石板に指で触れる。

「これは、寄贈した家に代々伝わる家宝だったそうだ。元はその家の先祖がスターマンに貰ったもの、らしい。これを貰ったのは当時の一家の幼い末子で、どうしようもない重病に侵されていて余命が半年もなかったそうだ」

「…………」

 余命半年もない重病の子供。遥かな過去の話だとしてもやりきれないその言葉に、楓は眉を寄せた。クジは表情も声も変えずに続ける。

「で、ある日、両親が病室を訪ねたら、『星の人』にこれを貰ったと言って喜んでる息子がいたそうだ」

「星の人……」

 それはスターマンの数ある名前の内の一つだ。その子供は、『星の人』と名乗る光の集合体のようなヒトガタのものに、その石板を貰ったのだという。

「その家に伝わる記録によると、石板は要するに天気予報の装置だったらしい。高精度の、決して外れない天気予報だな。その範囲は広大で、左右にスライドするごとに日付が未来か過去になっていくんだが、これが正常に動いていた時は百年先の天気まで確実に予測していたそうだ。……ここまで来るともう予測じゃなく予知だな」

「それは……凄いですね」

 確かに天気予報なら気象衛星や、現在なら惑星図からでも推測可能だ。だが、バタフライ・エフェクトやカオス理論という言葉があるように、全てがコントロールされた人工的なドーム内でない限り、自然界には予期せぬ事態は起こり、天気や気象に関しても当然それは当てまる。しかしこの石板は、そういった理論すら無視して正確無比だったのだという。

「じゃあ、いつ壊れたのかを調べるとか……?」

 そこまで解っているなら自分の出る幕はあるのかと楓が首を捻ると、クジは冷静に首肯した。

「そういう事になる。その石板の天気予報の情報を国に提供する対価として、その家は裕福になり国でも有名な大貴族となった。貴族制度が廃止された後も名士として名を残している。だが、ある頃から突然、その石板がエラーを返すようになった。最初は過去の閲覧は出来ても未来の閲覧が不可になり、やがて過去の情報すらもエラーを吐き出すようになった。それがいつ頃なのかははっきりとしていない。石板でこれの予測の記録を付ける係が数年単位でサボってたらしくてな」

「…………」

 それはまた、と楓も苦笑いを浮かべる。その時の記録係の気持ちも多少察せられるだけに、何とも言えない気分になった。百年先の予測がもう出ているのだ、数年ならば「また次でいいか」が積み重なってしまうものなのかもしれない。

 クジは楓と違い冷静な顔を崩さずに続ける。

「この記録係も一家の一人だ。その家は、石板が国や政府に利用されるのを許さず、研究機関への引き渡しも拒否して全てを自家で管理していたそうだ。――研究機関に任せていたらこんなミスは無かっただろうが、その一家にとっての石板は先祖の遺産であると共に稀なる上位存在からの贈り物であり、かつ己らが唯一国や専門の機関に優位を取れるものだ。要するにプライドの問題だな。本来の持ち主……病で半年も持たずに亡くなった子の親が、子孫に向けて必ずこの家で保管しておくようにと強く言い残していたらしい。家訓にまで組み込まれていたというから相当だ」

「……でも、それをここに寄贈したんですよね……?」

 そこまでこだわって守り抜いた遺物を、その家はこの博物館に譲ったのだ。クジは楓の質問に「そうだ」と答えた。

「見ての通り壊れているし、……その家は、アルビレオから別の星に移住を決めたんだ」

「……ああ、だから……」

 だから、アルビレオの遺品を蒐集するこの博物館に譲る事にしたのか。政府や研究機関には決して譲らなかったのに、この小さな博物館には譲渡した。その複雑なプライドと懐古と敬いの想いは、少し解る気がする。

「石板が壊れたと発覚した後に記録係は出来る限りこれを隠蔽しようとした。まあそれでも、いずれバレるし実際にバレたんだが……公にバレてから、ざっと800年は経過している」

「そんなに昔のものなんですか!?」

 年代を聞いて楓は驚きに声を上げた。石で出来ているとはいえ、この石板はまるで劣化も感じない。つるつるとした表面は美しく輝いており、傷もヒビも何もないのだ。状態保存が良かったのだとしても、およそ経年劣化というものが一切感じられない。

「腐ってもスターマンの創造物って事だろう」

 事も無げにクジはそう言い、楓に視線をやった。促されているのだと気付き、楓は慌てて黒盤を保存布の上に置き、手袋を外す。『作業』前は必ず声を掛け気を使ってくれるフレイアと違い、クジは何処までも淡々としている。

 楓は着けているバンドデバイスを確認して深呼吸をすると、そっと黒い石板に手を伸ばす。

「では、行きます」

 一つ宣言をして、艶めいた黒い石に触れた。



 そこは、一面の闇だった。はっと目を見開き慌てて周囲を見回すが、全てが暗い闇だ。前後左右は元より、頭上や足元さえも何もない。どうして、どうやってそこに立っているのか……立っているのか浮いているのかすら解らない。まるで何処までも広がる暗闇の中にぽんと放り出されたようだった。一面の暗闇――いや。

 よく見ると、幾つもの小さな輝きが周囲の闇の中に点在している。それに気付くと光はより鮮明に見えた。金銀赤青、様々な色で大小にきらきらと瞬き輝く光が煌めく、そんな闇の中は、まるでそう、宇宙のような――……。

「こんにちは、シュヴァン」

 呆然としていた楓の耳に、突然声が聞こえた。それは……声と認識出来てはいるものの、男とも女とも、また年齢も若いのかどうかすらも解らない、そんな奇妙な声だった。全てが解らない、それなのに穏やかで耳に触りの良い声。そちらを振り向くと、そこには光が集まってヒトの形を成したような、そんな不思議な存在があった。

「……『星の人』……」

 スターマン、ハイ・スペーサー、ライトノーツ……そんな別名を幾つも持つ上位存在。宇宙の只中としか思えない空間に、楓はそんな存在と対峙していた。

 不思議な程に静かだった。何の音もしない、星の瞬きが聞こえてくるかのような、そんな錯覚すら感じる程。楓とスターマンはそこに二人だけ、ただ向き合っている。

「あ、あの、どうして、私の名前……」

「うん。楓・Φファイ・シュヴァン。新アレクサンドリアの第七彷徨博物館の職員。間違いはないかな?」

「……合ってます」

 こくこくと頷きつつ、楓はこの状況が異常であるとじわじわと実感していた。

 楓の共感能力は触れたものの記憶や感情を読み取るというものだ。だから、これはあの黒曜石の石板の記憶……その筈なのに、そこに存在する、恐らくスターマンと呼ばれるものと楓自身が、会話をしている。

「あの、どうして、会話……」

 混乱の余りあたふたと下手な質問をする楓に、スターマンは軽く手を上げた。――落ち着いて、というように。

「君が、君達が知りたいのは僕の作った天気図に関する事。これで間違いはないかな?」

「は、はい」

「ならば、僕の応えられる範囲で答えよう。まず一つ。天気図を作った目的」

 スターマンは持ち上げた手の指を一本、立てる。

「それは、あの病室から出られないあの子に――少しでも、楽しいものを見せたかったから」

「…………」

 あの子、とは、難病で幼くして命を落とした子供の事だろう。スターマンは続けて二本目の指を立てる。

「次に、この天気図が機能しなくなった理由。未来の天気を観測出来なくなった、情報を受け取れなくなったからだ。――アルビレオが、滅びの運命を辿るために」

「滅びの、運命を……」

「うん。ああ、言葉が悪かったかな。どうあっても命というものは、生まれるならば最後には死が待っている。君達、彷徨博物館の第六までに収められている品の故郷のようにね。次はアルビレオの番だった、それだけだ」

「…………」

「何か言いたげだね?」

 声は苦笑しているようだった。図星を突かれた楓は、これを口にするかどうか迷う。

「いいよ、聞いてごらん」

 すると、スターマン自らがそう呼び掛けて来た。それでも迷いに迷った挙句、楓はそっと問いかける。出来るだけ、失礼にならないように。

「……あなた達は、長命で、生死すら超越した存在だと聞きました。そんな人が、ごく自然なように死を語るのは、えっと、不思議な気がして……」

 楓の問いにスターマンは不意に肩を揺らす。笑っているような動きだった。

「そうかもしれない。だが、僕達にも死はいずれ追い付くのかもしれない。すまないね、この件はこれ以上話せないな」

「い、いえ。……すみません、突然の不躾な質問を……」

「気にしないで」

 スターマンは軽く手を振り、ふと己の手首を持ち上げて見下ろす。そこに腕時計でも付けているかのように。

「そろそろ時間だ。聞きたい事は聞けたかな?」

「えっ!? ええと――あの、この石の素材と、ええといつ機能停止したのかと、あと本博物館がこれを欲しがってて、えっとそうじゃなくて、」

「素材は主に黒曜石! 後は企業秘密! 機能停止したのはアルビレオの寿命が決まった時! 新アレクサンドリアの本博物館の事はよく知らないなぁ!」

 焦って早口で捲し立てる楓に楽し気にスターマンも早口で答える。

「でも僕は、その天気図もも、君達、第七彷徨博物館に置いて貰った方が嬉しいと思うよ」

 その声が、楓の周囲の銀河が、その光の粒がだんだんとまるで亜光速ドライヴの発進時のように線を帯びて遠のき始め、スターマンのヒトガタを形作る光の粒も薄れて拡散していくように曖昧になっていく。

「あ、待って、まだ――……」

「それではシュヴァン、さよなら。良い人生たびを!」

 声が急速に遠のき、やがて楓の身体はまるで背後に高速で落ちるように光に包まれ――何もかもが、眩しくて見えなくなった。

 そして何度か目を瞬かせた後、楓は、己がいつもの第三作業室のテーブルに向き椅子に腰掛けている事に気付いた。その指先には、あの黒曜石の石板。だが、もう何も、何も見えなかった。



 見たもの、話した事、それら全てを興奮気味に捲し立てるように話す楓に、クジはあくまで冷静に聞き取りながらメモを取っていた。

「わ、私、どうなってましたか?」

「どうって、あの石に触ってから3秒くらいで急に声上げて飛び上がったけど」

「3秒……」

 どうやら楓とスターマンのあのやり取りは、その3秒の間に凝縮されたものだったようだ。圧縮通信、のようなものだろうか。

 スターマンから聞いた、彼が『話せる』範囲で教えてくれた事を改めて書き出してみると、情報自体はそう多くもない。だが一番の成果は、これが本当にスターマンの創造物であると判明した事であった。

「まあ、本博物館の主査辺りにはあんたの能力についてを疑われそうだが、それは彷徨博物館うちのなけなしの威信にかけて保証してやるさ」

「あ、ありがとうございます」

 頭を下げる楓にクジは気にするなというように軽く手を振る。

 天気図が制作された目的、故障した原因。それが解ったなら後はこれを保管していた家からの情報を加えて纏めるだけだ。――しかし。

「どうして私、スターマンと話せたんでしょうか。こんな事は、初めてです……」

 楓は何よりもそれが気になっていた。この能力は言うなれば一方向に流し込まれる情報の管であり、勝手に見せられる映写機の映像だ。しかし映像のはずの登場人物が観客に向かって話しかけ、観客と会話をするなどあり得ないだろう。

 楓の疑問にクジも興味深そうに「そうだな、」と考え込み、首を捻ってから口を開いた。

「スターマンの創り出したこの天気図は、アルビレオから情報を受けて表示していたそうだな?」

「はい、それで、アルビレオが……寿命を迎えるから、その情報が受信できなくなった、と」

「なら……スターマンは、どういった技術だか超能力だか知らないが、未来に起きる情報を収集する手段を持っているという事になる。天気を正確に当て続けるんだ、あんたとの会話もそうやって予測して、どういう内容の問いかけがなされるか、どういう会話を交わすかをあらかじめ知っていたのかもしれない」

「……そんな事って、ありますかね……?」

 会話を予測して、受け答えの間まで計算した上で、天気図に記憶として残していた。クジが言っているのはそういう事だが、それは可能なのだろうか。楓の疑問にクジは「さあな」と肩を竦める。

「或いは、――こっちの方が単純かもな。あんたがそれに接触した際に自分に向けて交信が出来るように仕込んでいた、とか」

「ああ……」

 確かに、会話の未来予測よりはまだ可能性はあるかもしれないが、それにしてもどちらも異常な技術である事は間違いない。

「天気図の件は解決したが……スターマンの謎は増えたな。まあ、俺らみたいな凡人は余りそっちに深く関わりすぎない方がいい」

「そうですね……」

 溜息のようなクジの言葉に、楓は心底同意した。考えているだけで頭がおかしくなりそうな技術と生命体だ。彼らを神やその御使いとして拝める団体がいるのも不思議ではない気がする。

 ふう、と息をつき、今はもう何も示さない黒曜石の盤を見て――あっと楓は声を上げた。

「聞き忘れた事がありました!」

「な、なんだ?」

 楓の勢いに珍しく驚き、クジが顔を上げる。たじろくクジに、楓は真剣な顔を向けた。

「あのスターマンの名前を聞いてませんでした!」

「…………」

 楓の名前はファミリーネームまで知られていたのに、彼のスターマンはただ『スターマン』『星の人』としか聞いていない。

 まあ、個体名があるならば、の話だが。

 悲壮な顔の楓に、クジは呆れたような感心したような、複雑な表情を見せた。





■■目録■■■


『スターマンの天気図』 分類:LOt-09

――年代、〇〇家の末子に〝スターマン〟が贈った石板。黒曜石で出来ており、当時は天気図として機能していた。現在は天気図としての機能は損なわれており、これは未来のアルビレオ星が亡くなる運命を決定付けられたその日から情報を受信出来なくなったため、とされている。

この展示品には本区の大博物館提供による特別な強セキュリティシステムが施されており、そのため接触不可。

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