01 緑火

 それは解放だった。

 また会おうね、絶対会おうね。約束だよ。

 次に会ったら、二人でこれを取り出すの。

 約束だからね。絶対だからね。

 幼く小さな声は遠く、遥かに遠く、ただその残響だけをこの身に響かせている。

 甘やかな残響だけを繰り返し繰り返し、ただ静かに微睡まどろんでいた――その時。

 強烈な光が迸る。

 鮮やかな閃光と轟音、そうして身一杯に広がり触れる空気。

 それは解放の日だった。




 ずらりと並んだ写真と大まかな分類を目で追い、楓はううん、と唸った。

「どれでもいいのよ、ピンと来たとか目についたとかそういう直感でも構わないし」

 イヴフレイアが未分類目録を前に唸る楓ににこにこと笑って助言する。

 銀の鍵を磨いて褒められた日の午後、今度こそ本格的な初仕事をするに当たってまずはどれにするか、楓はその選択に悩んでいた。ここに並ぶ品は来歴がまだはっきりとしていないが難易度は低そうだと博物館技師であるイタチが見繕ったものであるらしい。

 美しい蝶の標本、大きな貝殻、漆黒の黒曜石の石板、小さな懐中時計……そんな品が写真と仮名である番号を振られて一覧に記されている。どれも興味深く、そしてどれもそう簡単だとは思えないような品々であったが――ふと。その小さな石が目に入った。

「あ……綺麗……」

「ああ、これ。綺麗よね」

 それは深い緑色の水晶で、不思議と写真グラフィックでも黄金のオーラを纏っているように輝いている。その光に惹かれて目を留めた楓にフレイアも微笑んで首を傾げる。

「そうね、直感は大事だし……この緑水晶にしましょうか」

「は、はい」

 楓が目を留めた緑水晶には『LC-309』と分類名が振っており、その下には『要注意:防護装置着用ノ事』と但し書きがあった。

「……防護装置?」

 穏やかではない一文に眉をひそめていると、先に席を立っていたフレイアが「はい、これ」とアナログ式腕時計のような小さな機器を手渡して来た。

「これは過分な電流を逃がす防護装置。腕につけてね」

「はい。あの、もしかしてこの水晶って、」

「うん。写真でも金色の光を纏っているのが見えたでしょ? この水晶はね、帯電しているのよ。電気としては微量なんだけど、万が一という事もあるからね」

 だから防護装置を付けてから処置に当たるのだとフレイアは言い、装置を腕に付けつつも楓は内心で冷や汗を搔いていた。ただ綺麗だという理由で選んだものが、小さいとはいえ危険性のあるものだとは思ってもみなかったのだ。しかもこれは技師のイタチによる区分では難易度の低い品である。難易度の高い品はどれ程なのだろうかと、初日から先行きが不安になって来た。

「じゃ、行きましょうか。この水晶は『出自待ち』の倉庫に置いてある筈だから」

「は、はい」

 しかし今更怖気づいたと言う訳には行かない。

 変わりたい――何かを出来る、せる自分になりたいと、楓はここに来た時にそう決めたのだから。



 その倉庫の扉には、『出自待ちーランクD』と乱雑な手書きの紙が貼られていた。

 博物館全体で空調は調整されているが倉庫の中ではより強力にされているようで、ブウウン、と稼働音の低い唸り声が薄く聞こえている。

「LC-309……Lの棚……」

 ずらりと並ぶ棚の林の間を縫って歩き、Aから順に辿りLと書かれた棚でフレイアと楓は曲がった。どうやらその棚はL分類の中でも鉱石や宝石の類を収めているようで、大きさも色形も様々な石が箱に入れて並べられていた。開け放された箱もあれば厳重に蓋をして鍵が掛けられていたり、給水機や保温器具が設置されていたり、『これに話しかけられてもムシすること!/イタチ』と書かれたメモが貼ってあったりと保管方法も様々であるようだ。

(話しかけられる……のかな? 宝石とかに?)

 少し気になったが、無視をしろと書かれているのなら余り宜しくない内容なのかもしれない。

「あったあった、これよ」

 きょろきょろと『出自待ち』の品を見ていた楓より先に歩いていたフレイアが声を上げる。はっとして急いでそちらに向かうと、フレイアは小さな箱を手に取っていた。箱は絶縁体とおぼしき素材で出来ていて、ガラスの蓋がめられている。中には掌に収まる程度の大きさの緑水晶が入っていた。

「本当だ、パチパチしていますね」

「でしょ? 素手で触ると痺れちゃうから気を付けてね」

 緑色の美しい水晶は小さくスパークする光を纏っており、それがきらめく度にソーダが弾けるようなパチパチという小気味良い音がしている。だが箱の中に電流を放つものは他になく、また水晶はそのような性質を持ってはいない筈だが……。

「これは、どうして電気を纏っているんですか?」

「それが解らないのよね~。だから、それを調べるのが私達の仕事というわけ」

「あっ……、そ、そうでした」

 苦笑して返された言葉に楓は思わず赤くなって俯く。そう、それを調べるのが仕事の筈だ。見事に素人丸出しの質問であったそれにフレイアは僅かに困ったように微笑んだ後で首を傾げた。

「じゃあ、作業室に移動しましょう。第三作業室を楓ちゃんのための部屋として用意してあるから」

「はい」

「どうしても移動が難しいものだと倉庫でそのまま『視て』貰う事になるけれど、基本的には作業室に移動してから作業はしてね。安全装置や緊急装置なんかはそちらの方がしっかりしているし、第一や第二にはイタチくんがいる筈だから。困った時はすぐイタチくんに連絡してね」

「はい。……あ、」

 作業室に向かう最中、『連絡室』と書かれた扉が開け放たれた個室の前を通ると、その部屋の中央の立派な机の上では『電話番』がくるりと丸まってすやすやと寝ていた。

「…………」

「あはは、あれでもずっと受信処理はしているのよ。直接の対応が必要な場合はすぐ起きるし」

「はあ……」

 さんさんと降り注ぐ日差しを受けながら電話番は心地よさそうに目を閉じている。言われてみると、確かに受信器官であるという髭がひくひくと揺れてそれぞれ勝手な方向へと曲がったり伸びたりしているのが見えた。それにしても、言われないと本当にただの大きな猫に見える。艶やかな黒の毛並みも桃色の鼻の先も愛らしく、心密かに癒されながら楓は連絡室を通り過ぎた。



 第三作業室は第一と第二の次に連なる部屋で、三室の中では一番小さいが一番綺麗に整えられた部屋だった。というより、第三に行く前に見かけた第一は混沌の有様で、第二は外からうかがう事も出来ない程に分厚い扉で硬く閉ざされていた。

「第二作業室は危険度の高い品の検品や手入れを行う部屋なの。だから、うかつに近付かないように気を付けてね」

「はい」

「第二の中から呼び声や悲鳴や破壊音が聞こえたら、まず扉を開ける前にイタチくんか私達に連絡してね」

「はい……えっ、はい?」

 ごく平坦な調子で続けられた言葉に返事をしてから、楓はフレイアの顔を二度見した。彼女はやはり困ったように肩を竦める。

「時々ね、いるのよ。こちらを騙して来ようとする厄介ながね」

「は、はあ……気を付けます」

 頷きつつ、絶対に第二の扉は開けないと楓は心に誓った。

 第三作業室は第一や第二に比べると簡素な造りの小部屋で、テーブルと椅子、棚などの事務用品が一通り揃っており、壁には緊急脱出用のハッチが取り付けられている。緑水晶の入った箱をテーブルに置き、楓とフレイアは向かい合うように椅子に腰掛けた。

「じゃあ、お願いね。私も館長から連絡を貰った電話番から、更にそこから副館長からの又聞きの又聞きでしかないから楓ちゃんの事を正確に知っている訳じゃないのだけど……触れたものの記憶が見える、一種の共感覚だと思ってもいいのかしら?」

「はい。それで、正しいと思います」

 防護装置が作動している事を確かめてから箱の蓋を開きつつ、フレイアの問いに楓は頷いた。強すぎる共感覚。楓の持つ特殊な能力はそういったものだろうと言われている。

 パチパチと弾ける音を立てる緑水晶を前に、楓はそっと右手の手袋を外した。……緊張に手が強張っているのが解る。何せ、自宅以外で手袋を脱ぐのはもう数年ぶりなのだ。心臓がうるさいし、緊張で背中の筋が痛い。今からこれに、この電流を纏う水晶に触れる。何が映っているかも解らないモノに。

「じゃあ、見えたものを教えてね。私がそれを書き留めておくから」

「っ、はい」

「……大丈夫よ、見たくないものだったらすぐに手を放していいし、別のものにしてもいいんだから」

「あ、ありがとうございます。でも、私……」

 ぐっと楓は一度強く拳を握り締める。

「でも私、やりたいんです。この仕事をちゃんとやって、この仕事を、好きになりたいです」

 そうして、この仕事が出来る自分を、好きになりたい。決意のこもる声で告げると、フレイアは優しく微笑んだ。

「……そう。じゃあ、一緒に頑張りましょうね」

 優しく掛けられる声が嬉しい。楓は頷き、拳に握っていた手をゆっくりと開く。

「はい。――触れます」

 そう宣言して、金色の電気を纏う水晶に、触れた。



 約束だよ。そう囁き合って笑う少女達。

 ハシバミ色の瞳、群青色の瞳、薔薇色の頬と唇。

 彼女達は約束の証として、『彼』を木のうろに入れた。そして、誰にも見つからないように土と葉で蓋をした。

 暗闇だ。真っ暗な闇の中、静かに脈打つ大樹の内側で『彼』は眠りについた。約束の日を待つために。

 ――……ァ…マナ、約束だよ。

 また会おうね、絶対会おうね。約束だよ。

 次に会ったら、二人でこれを取り出すの。

 約束だからね。絶対だからね。

 幼く小さな声は遠く、遥かに遠く、ただその残響だけをこの身に響かせている。

 甘やかな残響だけを夢の中で繰り返し繰り返し、ただ静かに微睡んでいた――その時。

 強烈な光が迸る。

 鮮やかな閃光と轟音、そうして身一杯に広がり触れる空気。

 その日が来た。『彼』は目を開く。美しい金色の光が、強烈な光が溢れている。

 約束の日が来たのだ。解放の日が来たのだ。『彼』は喜びに身を震わせて、その弾けるような光を全身に取り込んだ。



 はっと目を開く。手の下にはぱちぱちと音を立てる緑色の水晶。

「……以上、です……」

 へたり込むように手を離し、楓は息をついた。心配そうにしていたフレイアがほっと息をつき、手元のメモを見返している。

「――約束。この水晶は、木に埋め込まれたのね。解放の日というのは……木の洞から出された日、という事かしら」

「はい、私もそう思います。それと、少なくとも木に埋め込まれた時には電気は纏っていなかったみたいで……埋めたのは小さな子達でしたけど、素手で触っていましたし……」

 手袋を着けながら楓は視た記憶を思い出しつつ付け加える。そう、この水晶が『解放の日』だと思ったそれは、木の中から出た、外界に晒された時だと思われた。そしてあの強烈な光と爆音、それには覚えがある。

「あれは多分……雷、だと思います」

「雷……木に雷が直撃して、それで中の水晶が表に出て来た、という所かしら?」

「はい。その雷を、水晶が纏うようになった、ような……」

「ふむふむ……ちょっと待ってね、この石が寄贈された地区……雷……」

 楓の言葉を聞きながらフレイアは素早く館内ネットを立ち上げて登録された情報を照らし合わせている。

「近い地域だとトゥーラ国ノナマシア区ね。ここは『神々の鍛冶場』が近いせいか雷が多くて有名な土地だったの。……これ以上は現地に出向いて貰うしかなさそうだけど、行ってくれるかしら?」

「はい。あ。でもその、出来ればガイドを雇ってもいいでしょうか……」

 現地調査は覚悟していたが、さすがに見知らぬ惑星に単身乗り込むのは心許ない。経費で落ちない可能性もあるが現地のガイドを雇っておきたいと楓の問いに、フレイアは「ああ」と笑って首を振る。

「それなら大丈夫よ、うちにはアルビレオに詳しい人がいるから。明日にでも一緒に行って貰うわね」

「はあ。……フレイアさんではないんですか?」

 不安が声に漏れ出ていたのだろう、フレイアは苦笑して首を傾げた。

「私じゃないのよ、残念ながら。一緒に行って貰うのはクジくん。丁度いいわ、クジくんの所に顔出しついでに伝えて来ましょう」




 アルビレオは滅ぶ事が確定している惑星だが、その猶予は300年程ある。

 その内200年が経つと人類含む哺乳類・動植物類の大半は存続出来ないと言われており他惑星への移住も進んでいるが、それでもあと200年あるのだからともうしばらくは故郷の星で過ごそうとする者やこの地をついの住処とする者も少なくはなかった。

 トゥーラ国のノナマシア区にもまだ住居者は残っており、閑散とした街のローカル・ポーターに楓とクジの二人は降り立った。

「――あの。まず、どこから行きましょうか?」

 バンドデバイスで周辺情報を見ていたクジに話しかけると、クジは少し考えたような間を空けて答える。

「あの水晶は木の洞に入れられていたとか。なら、『雷に打たれた木』を片っ端から当たってみるのが早そうだ」

「はい。この地域は雷が多いとフレイアさんが言っていたのですが……」

「ああ、ここは『神々の鍛冶場』の付近だから。――『神々の鍛冶場』についての情報は?」

「あ、昨日読みました」

 昨日、フレイアと共にクジの元を訪れアルビレオのノナマシア区に向かう事と楓の視た情報を簡潔に伝えた後、夜に支度をしていた楓の元にクジからノナマシア区についての概要が送られて来たのだ。『神々の鍛冶場』についてもそこに記されていた。

 いわく、太古の神話時代に巨神の鍛冶屋がそこで神々に依頼された武器を作っていたという。雷で鋼を打ち、暴風で刃を研ぎ、大地を斬りつけてその出来を確かめた。神々が去った今でもノナマシア区には暴風と雷の多発する峡谷があり、神話にのっとりその場所は『神々の鍛冶場』と呼ばれるようになった。

「さすがに『神々の鍛冶場』そのものではないハズだ。あそこは子供が行けるような場所じゃない。となると、周辺区域で絞るだけなんだが……さっきも言ったように、ここは落雷の多い地域だ。近似30年……いや、50~60年は見積もってもかなりの数になるな」

「まず、雷に打たれた木をどうやって探しましょうか……」

 デバイスのプロジェクションモニタには周辺地図が表示されており、幾つかマークが点いている。クジはそれをスライドして楓のデバイスにも転送した。

「とりあえずこれは俺が調べた分だ。後は……地道に、図書館か役所か……ローカルネットで気象情報のログを漁るしかないな」

「それなら私はそっちに……」

「いや、別行動はせずに共同調査で行う。あんた、その木の洞に水晶を埋め込んだ子供の顔を見たんだろ?」

「あ……はい、ハッキリとではないんですけど……」

 確かに楓はあの緑水晶の記憶として少女達の顔を見ている。おぼろげながらだが、それぞれハシバミ色の目と群青色の目が特徴的な少女達だった。それなら、とクジは頷く。

「埋め込んだ当人達が見つかるのが一番手っ取り早い。……まだここにいればの話だが。それでも可能性はゼロじゃないなら、あんたが一緒についていて確認が取れた方がいいと俺は判断する」

「それも、そうですね……解りました」

 うん、とクジは変わらない表情のまま頷いた。オリエンテーション、入社当日、そして今日。クジの表情はずっと変わらず冷静なままで、第一印象よりも話しやすいではあるがやはり今一つ近寄りがたさがある。人当たりの良いフレイアやあっけらかんとしたイタチに比べると苦手なタイプではあった。だがこれも仕事である。楓は引けそうになる心を叱咤して、クジから受け取った情報に目をやった。



 その後、二人は区役所を訪れて気象情報のログの閲覧許可を貰い、雷雨の日と落雷した木の情報を探した。

 しかしさすがは『神々の鍛冶場』付近と言われるだけあり、特に雨期の雷情報は膨大で、木に落雷したものもとてつもない数があった。中には森一番大きな木に雷が落ちて山火事が起きたという事件まである。

「……凄い数ですね」

 ここ10年以内でも100を超える落雷の量に思わず楓が溜息を漏らすと、クジはまた少し考えてから口を開いた。

「あの緑水晶はこの地区含む周辺区域から纏めて寄贈された品の中に入っていた一つなんだが、イタチの記録によると泥ややにが付着してはいたが電流以外に長時間の高熱に晒されていた跡はなかったみたいだ。元の形からの熔融の形跡がない。だから、火事や火災の伴う落雷は無視していいと思う」

「はい。ええと、火災は除外して……」

「あとはやっぱり、あんたが視たものが重大なヒントだ。雷が直撃して水晶が木から表に出た、それ以外に気付いた事はないか? 周囲の景色でもいい、雨模様でもいい。何かないか、思い返してみてくれ」

 気象ログの落雷情報から火災を検索除外していた楓にクジが重ねて尋ねる。彼の問いに楓ははたと手を止めた。

「他に……」

 ゆっくりと思い返してみる。水晶の記憶、解放の日。鮮やかな光と轟音、ぶわりと広がる空気。雷の音以外に、音はしなかった。雨音も――人の声も、何も。空は薄暗かっただろうか? 雨は降っていただろうか?

「雨……雨は、降っていませんでした……」

「雨が降っていない? ……なら、雷は直下ではなく斜めか、ズレて落ちた可能性があるな」

 クジがそう言い、追加条件として検索欄に加えていく。

 記憶を探るように、あの時視たものを反芻していると、ふと楓の脳裏に一つの言葉が浮かんだ。

〝――……ァ…マナ、約束だよ〟

 あれは、何と言っていた? ア。ア……マナ…………

「――あり、まな」

「ん?」

「アリ……マナ。この石を埋めた子の内の、一人です。そう呼ばれていました。間は……ちょっと、曖昧なんですけど」

 そうだ、確か、群青色の目を持つ少女が、ハシバミ色の目を持つ少女の事をそう呼んでいた。記憶の混濁により雷鳴に薄れていたそれが、やっとで思い出せる。いや、最初からそれは薄っすらと聞こえていた筈なのに、フレイアに伝える事も忘れていた。それは……それは、今まで楓が『視た』ものを深く思い返す事がなかった、思い返す事を忌避きひしていたからだ。だから聞き逃した。だから忘れていた。

 失態とも言えるそれに、ぶわりと冷や汗が吹き出す。

「あの、ヒントになりますかね……?」

 恐る恐ると訊ねたそれに、

「ヒントどころか……、」

 クジが呆れたように呟いた。

「大正解じゃないか。これだ」

 彼がデバイスのモニタを拡大して示す。それはノナマシア区の住民リストであったが……郊外の家に、その名があった。

「アリアマナ・グラ・デッラ。この人以外に似た名前はこの地区にはいない。御年124歳……まだそこに住んでいる。うん、彼女の家より5キロ離れた場所で雨を伴わない落雷が木に直撃したと報告されているな」

「じゃあ、彼女が?」

「恐らく。少し待ってくれ、まず連絡をしてみる」



 郊外に建つその一軒家は、元は白かったであろう壁が歳月と共に灰色に変色してはいるが、それでも素朴で穏やかな佇まいを見せていた。

 バルコニーには大きな造りの安楽椅子があり、そこに独特の模様の刺繡が入った膝掛けを掛けた老婆が深く背を預けている。

 アリアマナ・グラ・デッラ。彼女は訪れた二人の客を、その優しいハシバミ色の目で見遣った。

「ああ……あの水晶は、今はネオ・アレクサンドリアにあるのね。あら、こんなに綺麗にして貰って……」

 クジが示したデバイスに表示された緑水晶を見て、老婆は微笑んだ。

「はい。この水晶は、私と親友が10歳の頃に木の中に埋め込んだものです。元は私の祖母の水晶で、あの頃の私にとっては大切な宝物だったのよ」

 彼女がそう言った事で、クジは頷き己のデバイスに所持者等の追記をした。

「こちらは区により当博物館に寄贈されましたが……来歴が判明したので、アリアマナさんにも所有権はあります。お手元に引き取る事も可能ですが、如何いかがなされますか?」

 クジの問いにアリアマナは笑って億劫おっくうそうに首を振る。

「いいえ。こんなお婆さんの手元にあってもしょうがないもの。それよりは、あなたたちに大切にして貰った方があの子にとってもいい事だわ」

「……でも、親友さんとの約束の水晶なんですよね? 大事なものでは?」

 楓が控え目に聞くと、アリアマナは微笑んだまま深く息をついた。

「いいんですよ。私は、あなたたちが来る今の今までこの水晶の事を忘れていたの。――あんなに大切だったのに……ずっと、忘れていたのよ……」

「…………」

「だから、あの子の事を、どうか宜しくお願いしますね」

 薄く涙ぐみながら笑う老婆に、クジと楓は頷いた。

「はい。お任せください。……アリアマナさんもネオ・アレクサンドリアを訪れた際には、ぜひ、当博物館にお立ち寄りくださいね」

「ええ、そうさせて貰うわ」

 老婆の身体は既に老齢で自由には動けないだろう。だから、たとえそれが叶わない事であったとしても、そこにあるという事が気休めに、慰めになる時がある。楓もクジもアリアマナも、それ以上は触れなかった。

 それから、クジが既に手足の萎えたアリアマナに代わり口頭上の説明を交えながら寄贈手続きや目録に記載する範囲等の登録を行い、二時間程で二人はアリアマナ・グラ・デッラの邸宅を辞した。

 ローカル・ポーターまで行くには路面電車を利用する。一時間に一本しか通らないそれを他に誰もいない駅で待っていると、ごろごろと空で遠く雷鳴が聞こえて来た。

「……本当に雷が多いんですね」

 雨が降るだろうかと灰色の空を見上げる楓にクジは頷く。

「そういう場所なんだ、ここは」

「そうなんですね……」

 呟き、ふつふつと地面から漂ってくる湿気のにおいを感じながら楓は俯いた。

「……すみませんでした」

 そして小さくそう呟く。視界の端で、クジがいぶかな顔をしたのが見えた。

「アリアマナさんのお名前。……すぐに思い出せていれば、こんなに遠回りはしなくて済んだのに」

 楓は縮こまるように肩を寄せながら呟く。そう、例えばイヴフレイアと緑水晶に触れたあの時にそこまで視えていたら、伝えていたら、気象ログを引っ繰り返したりといった回り道はせずにすぐ行き着いただろう。もしかしたら、わざわざ現地に来なくても衛星通信でコンタクトを取るだけで済んでいたかもしれない。

 だが楓の言葉に、クジは呆れたような息をついた。

「……あのなぁ。あの水晶の来歴が判明したのは、最初から最後まであんたの手柄なんだよ。何で謝るんだ?」

「え、っと……」

「思い出せたから持ち主が解った。ここに来たから彼女の話も聞けた。それでいいじゃないか。……俺達の仕事は、もっともっと遠回りをして手を尽くして調べ廻った挙句に全部的外れだったって事もザラだ。俺は、館長があんたをスカウトして来て助かってるんだ。これからも頼らせて貰う予定だ。なのにそんなあんたが小っさくなってちゃこっちが困る」

「…………」

 楓は恐る恐る顔を上げてクジを見た。彼は心底呆れたという顔で、しかし楓を否定したり非難するような事は、言わなかった。

「あんたが今までどこで何を言われて来たのか俺は知らないけど……俺は助かったよ。一日で来歴が全部判明するなんて滅多にないからな。だから、もっと胸を張れ、自信を持て。少なくともこの件については誇っておけ」

「…………はい」

 やっとでそう答えた楓の耳に、また遠く雷鳴の音が響く。ぽつぽつと、ドーム状の駅のガラス天井に雨粒が落ちて来た。

 重い雲と雨を見上げ、クジが呟く。

「――解放の日、か……」

 それは緑水晶の見た光だった。『彼』は解放の日こそが約束の日だと、そう感じていた。

 だが、約束は果たされなかったのだ。

『あの子……私の親友のリーゼロッテ。引っ越していくあの子と、また再会する時にあそこから水晶を取り出そうと約束をしていたんです。けれど、そんな日は来なかった。……リーゼロッテは、引っ越した先で病死したと、二年後に手紙が来たのですよ。だから……』

 二人の少女の約束は叶わなかった。再会の日は来ず、解放の日はただ水晶の見た幻だった。

 けれども、きっとあの緑水晶は、少女達の約束が果たされたと、纏う雷光の中でそう夢見ているのだろう。

 ならばそれでいい、とアリアマナは涙ながらに微笑んだ。



 また会おうね、絶対会おうね。約束だよ。

 次に会ったら、二人でこれを取り出すの……




「お疲れ様、楓ちゃん」

 事務所に戻ると、フレイアが微笑んでいたわってくれた。今日はこれから緑水晶についてのレポートを纏めて提出し、技師であるイタチと展示方法について相談をしたり目録の文章を纏めたりとこまごまとした作業準備もしなければならない。

 その前に休憩をと珈琲コーヒーを淹れてくれたフレイアに「ありがとうございます」と感謝しつつ受取り、楓はふう、とやっとで一息をついた。

「今日で来歴まで判明したんですって? 凄いじゃない」

 ……クジと同じように、フレイアも心底感心したように言うので、楓は本当に彼らが喜んでくれているのだとやっとで実感する。

「あ、ありがとうございます」

 素直に答えると、フレイアは「ふふ」とにこやかに笑った。

「特にクジくんは嬉しかったんじゃないかしら。素直じゃないけどあれでも喜んでいるのよ」

「あ……あの、褒めて、貰えました……」

「そうなの? なら、本当に嬉しかったのね」

 明るく言うフレイアに、ふと楓は首を傾げる。フレイアの言葉には、仕事が上手く行ったというニュアンス以外が含まれているような気がした。楓の疑問にいち早く気付いたのか、フレイアは珈琲を口に運んでから小さく笑う。

「あの子、別に隠してないし職員名簿を見ればすぐに解るから今言っちゃうけれど。クジくんはアルビレオの出身なのよ」

「…………」

 アルビレオ。あと300年で滅びる惑星。遺品を蒐集しているその星。

 クジが現地に詳しいと言っていたのはそういう意味だったのか、と楓は納得した。そして同時に思い馳せる――自分の母星が滅びる運命だと宣告され、その遺品の蒐集に当たるのはどういう気持ちなのだろうと。

 しんみりと考えていると、事務所の外の廊下を当のクジとそれからイタチが通り掛かった。

「だから、名前は絶対『神々の黎明石』か『雷神の涙』がいいって!」

「それだと意味が通らないだろう。大体、『神々の鍛冶場』から出て来た品じゃないんだからその名前はおかしい」

「でも近場なんだろ? もっとこう、カッコよく……」

「カッコよくはない、大袈裟、逆にダサい」

「そこまで言いますかぁー!? お前ンとこの神秘的な地域名を活かそうってんのに!」

「神秘的な地名をダサくされて嬉しい奴がいるか」

 わあわあと言い合う二人は、……どうやら緑水晶を展示するに当たっての名称で揉めているらしい。そういえばアリアマナからは命名はご自由にと任されていたのだ。

 賑やかな男二人を見送ったフレイアは生温い笑みで楓を見遣った。

「あれもいつもの事だから。楓ちゃんも何か思い付いたらあの議論に突っ込んでいくべきよ」

「……少なくとも今は、やめておきます」

 楓はそう返答し、珈琲をまた一口飲む。

 ここで頑張れそうだと、やっていけそうだと、ほのかに甘い珈琲が染み入るように、彼女はその時やっとでそう思えた。


 展示を待つ、金色の電流を纏う緑水晶。

 それは、果たされなかった約束の日の夢にずっと微睡まどろんでいる。





■■目録■■■


緑火みどりび』 分類:LC-309

雷に打たれ割れた大樹の幹から出現した緑水晶。トゥーラ国ノナマシア区に住んでいた二人の少女が幼い時分に木の洞に安置したものである。少女のうち一人が引っ越しで街を離れる際に再会の約束の証として置いたが、二人の再会は果たされぬまま木が成長し内側に水晶を取り込んだ。

水晶は雷に打たれ木が割れた際に強い光を受け、それが約束が果たされ自身が解放された日だと信じている。

雷の輝きを纏う水晶は触れると放電するため、専用のケースに収めて展示されている。


『合う扉のない銀の鍵』 分類:UK-1026-α

一見すると何処にでもあるような平凡な銀の鍵だが、自我とも呼べる意思を持ち機嫌によって形を変える・錆を発生させる等の現象を引き起こす。鍵があるからにはこれに合う錠前がある筈だが、いまだ発見ならず。目下、捜索中である。鍵が気に入った職員により一日一回の錆落としを行った後は基本的に閉架にて保管。

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