第2話 暗号

 暗号?・・私は夏目の言葉が理解できなかった。パソコンを打つ手を止めて、夏目を見た。


 「えっ、夏目君。暗号って、どういうこと?」


 夏目が私の横にやって来た。


 「秋葉。この鹿の歌を『五七五七七』に分けて、冒頭の文字を抽出して見ろよ。つまり、『五七五七七』の最初の『五』は『奥山に』だろ。だから、『お』を抽出するんだ。同じように、残りの『七五七七』もやってみてくれないか」


 仕事に追われてはいたが、私は夏目の話に付き合ってみようと思った。ちょうど、ちょっと手を止めて、休憩がしたかったのだ。


 「いいわよ・・え~と」


 私はまず、猿丸太夫の和歌をパソコンに打ち込んだ。そして、夏目が言うように、『五七五七七』の先頭の文字を抽出してみた。パソコンの画面に次のような文字が並んだ。


=====

 お: 奥山に

 も: 紅葉踏み分け

 な: 鳴く鹿の

 こ: 声聞く時ぞ

 あ: 秋は悲しき

=====


 おもなこあ・・? 私は首を傾げながら、夏目に言った。


 「夏目君。出来たわよ。でも、『おもなこあ』って何なのよ?」


 夏目がパソコンの画面を覗き込んだ。夏目の腕が私の胸に触れたが、夏目は気がつかないようだ。


 「これはね。シーザー暗号なんだ」


 「シーザー暗号?」


 「そう。古代ローマのシーザーが使った暗号だと言われている。暗号の中では、最もシンプルで、最も広く知られたものだよ。これは、文字を一定の数だけずらして記述するというものなんだ。アルファベットだと・・暗号の作り手と受け取り手の間で、例えば、あらかじめ2文字後ろへずらすと決めておくんだ。すると、元の文のAがC、BがDに置き換わって、意味不明の暗号が出来上がるわけだ。そうして、暗号を解読するときは、2文字前にずらして、CをAに、DをBに置き替えて読むんだよ」


 私は首をひねった。


 「でもこれが、そのシーザー暗号だとしても・・何文字ずらすか分からないと解けないじゃない」


 夏目が我が意を得たりという顔をした。私の質問を予想していたようだ。


 「実は、これは僕が偶然発見したんだが・・日本のこういった古代のシーザー暗号は、元の文を『あいうえお』順に1文字だけ前にずらして、暗号にしてあるんだ。例えば、『き』だったら1文字だけ前にずらして『か』にしてあるんだよ。だから、暗号を解読するときは、今度は逆に1文字だけ後にずらして、『か』を『き』に戻すと、元の文になるわけだ。つまり、この『おもなこあ』の『お』だったら、元の文は『か』というわけだよ。秋葉、同じようにやってみてくれないか?」


 私はパソコンを操作して、さっきの文に文字を付け加えた。


=====

 か ← お: 奥山に

 や ← も: 紅葉踏み分け

 に ← な: 鳴く鹿の

 さ ← こ: 声聞く時ぞ

 い ← あ: 秋は悲しき 

=====


 私は再び首をひねった。


 「え~と・・『かやにさい』? 夏目君、何か間違ってるんじゃないの。やっぱり、意味が分からないよ」


 夏目が笑った。


 「秋葉。いくら古代の暗号でも、そこまで単純じゃないよ。続きがあるんだ。この『かやにさい』は簡単なアナグラムになっているんだ」


 「アナグラム?」


 私はさっきから首をひねってばかりいる。すると、今度は夏目が私のパソコンに手を伸ばして、キーを操作しながら説明を始めた。


 「アナグラムというのは、文の中の文字をいくつか入れ替えることによって、全く別の意味にする言葉遊びのことだ。例えば・・『お琴が消えた』は、ひらがなで書くと『おことがきえた』だろ。で、この文字を入れ替えて『おがきえた』とすると、『音が聞こえた』という全く違った意味の文になるわけだ。あるいは、『おがきえた』で『男が消えた』という別の文も出来るよね。これが、アナグラムなんだ。つまり、『かやにさい』の文字を入れ替えると、意味の通る文になるんだよ」


 「ふ~ん。面白いわね。では・・この『かやにさい』を入れ替えて・・『かにさいや』、『さやにかい』・・う~ん、もう一つ、意味が通じないわ」


 すると、夏目が再び私のパソコンを操作した。『かやにさい』の各文字を移動させると、画面には・・『いやさかに』という文字が並んだ。


 「秋葉。これが正解だよ。『いやさか』は『弥栄』という漢字を書くんだが、これは『より一層栄える』という意味の言葉なんだ。『万歳』というのに近い意味を持っている。だから、『いやさかに』で、『より一層栄えるように』ということなんだ。つまり、この猿丸太夫の『奥山に・・』の鹿の歌は、鹿の鳴き声で秋の物悲しさを表現しているように見えて・・実は、猿丸太夫の一族がより栄えるようにという暗号が込められた歌になっているんだよ」


 「すご~い」


 私は思わずパチパチと手を叩いた。見事な推理だ。今まで、こんな推理は聞いたこともなかった。恐らく、日本の学者の誰も気づいたことがないだろう。


 でも、合わせて私は思った。この素晴らしい頭脳をもう少し女性と付き合うことに向けたらいいのに・・


 すると、夏目が私には想像もできないことを言いだしたのだ。

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