第30話 沈黙の意志
廃墟の中は静かだった。
崩れた壁の隙間から、冷たい風が吹き込んでくる。遠くでは鉄骨が軋む音がかすかに聞こえるが、それ以外の音は何もない。
リアムは壁にもたれたまま、ナイフを指で弾いていた。A-12は外の様子を監視し、ルナはエリスのそばで丸くなっている。
エリスは相変わらず言葉を発することができなかった。
口を動かそうとすればするほど、喉が詰まる感覚がする。
それだけではない。
心の中で渦巻く疑問が、何かを飲み込んでしまいそうだった。
(私は……なんなの?)
リアムたちは、自分を助けた。
A-12は「生きる価値がある」と言った。
でも、リアムは「敵じゃないから助けただけ」と言った。
(じゃあ……私は、ここでどうすればいいの?)
今までのアーコニアでは、考える必要がなかった。
"生きる"ことは、ただそこにあるもので、それ以上の意味を持たなかった。
でも、この世界では――生きるために考えなければならない。
(……私に……できることは……?)
考えようとすると、胸が苦しくなる。
言葉にしようとすると、喉が詰まる。
それでも――。
エリスはゆっくりと顔を上げた。
「……っ。」
声にはならない。
リアムが気づき、ちらりと彼女を見る。
「……どうした?」
エリスは、かすかに口を開く。
「……」
声は出ない。
けれど、なんとか意思を伝えたかった。
リアムは、眉をひそめた。
A-12がその様子を観察するように見ている。
「何か言いたいのか?」
エリスは、力強く頷いた。
リアムは、少し驚いたような顔をしたあと、軽く息をつく。
「……まあ、何も喋れないんじゃな。書くか?」
彼は腰のポーチから、小さな鉛筆と紙を取り出した。
エリスはそれを見て、一瞬だけ戸惑った。
(……書く……。)
彼女は今まで、文字を手で書いたことなどなかった。
すべてはデータのやり取りで済んでいたから。
手がない自分に、それができるのか――。
リアムはそれに気づいたように、舌打ちする。
「……クソ、手がねぇんだったな。」
彼は手近な瓦礫を蹴り、苛立ちをぶつけるように言う。
「どうしろってんだよ。意思疎通もできねぇんじゃ――」
その言葉を遮るように、A-12が口を開いた。
「方法はある。」
リアムが振り返る。
A-12は冷静にエリスの顔を見ていた。
「エリス。お前の思考はまだ制御されているか?」
エリスは、その言葉の意味をすぐに理解できなかった。
A-12は、わずかに間を置いて言う。
「アーコニアと接続されていた時、お前は思考を言葉に変換するシステムを利用していたはずだ。」
エリスの胸がざわつく。
(……思考を……言葉に変換……。)
確かに、アーコニアでは言葉を"発する"という感覚が薄かった。
ただ思ったことが、データとして伝わるような感覚。
リアムがA-12に視線を向ける。
「何が言いたい?」
A-12は冷静に続けた。
「エリスの脳は、まだ"思考を伝える回路"を持っている可能性がある。それを利用すれば、言葉を発しなくても意思を伝えることができる。」
リアムは顔をしかめた。
「お前、何言ってんだ?」
「簡単なことだ。彼女の思考を"可視化"する。」
リアムは眉をひそめる。
エリスは、A-12の言葉を理解しようとしながら、自分の内側に意識を向けた。
(私は……何を……。)
思考を伝える――?
そんなこと、可能なのだろうか。
A-12は、静かにエリスを見つめた。
「試してみろ。」
エリスは、喉を震わせる。
そして、ゆっくりと、**"伝えたい言葉"**を思い浮かべた。
(私は、生きていいの?)
その瞬間、A-12の瞳に微かな光が走った。
リアムが、息を呑んだ。
「……なんだ、今の?」
エリスの思考が、A-12を通じて"文字"になり、彼らの視界に浮かび上がったのだ。
「これは……。」
A-12は、確信したように言う。
「エリスはまだ、アーコニアとの接続痕跡を持っている。」
エリスは息を詰まらせる。
「……つまり?」
リアムが問いかける。
A-12は、淡々と告げた。
「アーコニアのシステムは、彼女の中でまだ生きている。」
リアムは目の前に浮かぶ"文字"を凝視していた。
それは確かにエリスの言葉だった。だが、彼女の口から発せられたものではない。
A-12はエリスを見つめながら、冷静に言った。
「予測通り、エリスの神経信号はアーコニアの通信プロトコルに適合している。」
「……なんだそれ。」
リアムは眉をひそめる。
A-12は淡々と続けた。
「簡単に言えば、彼女の思考はアーコニアのシステムと同じ形式で処理されている。"言葉にする"必要がないのだ。」
エリスは混乱しながら、自分の中に意識を向けた。
(私の……思考が、データとして処理されている?)
確かに、アーコニアの世界では"言葉を話す"という感覚は希薄だった。
思えば、言葉は単なる形式でしかなく、伝えたい意思はほぼそのまま共有されていた。
(……でも、それがまだ私の中にある……?)
リアムは短く息をついた。
「つまり、こいつは"アーコニアの一部"ってことか?」
「厳密には違う。だが、"まだ影響を受けている"と言う方が正しい。」
A-12は一歩、エリスに近づいた。
「エリス、お前はアーコニアが終わった後も、そのシステムに適応したままだった。その痕跡が、いまだに残っている。」
エリスは、胸の奥に奇妙な不安を感じた。
(……私は、本当に人間なの?)
リアムは腕を組んだまま、深く考え込む。
「……まさか、コイツが"アーコニアの管理AI"とか言い出すんじゃねえだろうな?」
A-12は首を振る。
「それはありえない。エリスの存在は、システムの"一部"ではない。むしろ――意図的にこの形に作られた可能性が高い。」
「作られた?」
リアムの声に、エリスは息を呑んだ。
A-12は、エリスをじっと見つめたまま、静かに言った。
「お前がなぜ生きているのか……考えたことはあるか?」
エリスは何も答えられなかった。
その疑問は、ずっと彼女の中にあった。
(私は……本当に"生まれた"の?)
アーコニアの中で、彼女は"普通に生きていた"と思っていた。
けれど、それは"管理された幸福"の中での話だった。
(もし……私は……誰かに"作られた"存在だったとしたら……?)
ルナが、そっとエリスの腕の付け根に鼻を寄せた。
リアムが目を細める。
「……それが本当なら、コイツの"生きる意味"ってなんだ?」
A-12は、少しの沈黙の後に言った。
「それは……まだ分からない。」
だが、確かに一つの事実がある。
エリスは、"この世界に適応する必要がなかった存在"だ。
それでも彼女はここにいる。
その意味を、これから探さなければならない――。
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