第29話 小さな安息

リアムは息を殺しながら、崩れた建物の影を縫うように進んでいった。


瓦礫の隙間から、ぼんやりと人影が見える。


――生きた人間。


アーコニアでは当たり前だった存在が、この世界では"珍しいもの"になっていた。


リアムは慎重に近づき、建物の陰から様子をうかがう。


そこにいたのは、三人の男女。


全員がぼろぼろの服を身につけ、痩せ細った体をしていた。

手には鈍く光る鉄パイプや、錆びたナイフを握っている。


明らかに警戒している様子だった。

彼らは静かに何かを話し合っている。


リアムは迷った。


(敵か? それとも、同じ生存者か?)


その瞬間、彼らの視線が動いた。


リアムは息をのんだ。


――彼らの目が、異常に充血している。


肌は乾燥し、頬が落ち込んでいる。

だが、彼らの表情には"狂気"がにじんでいた。


(……ダメだな。)


直感が、ここに関わるなと告げていた。

だが、次の瞬間――。


「誰だ? そこにいるのは。」


バレた。


リアムは低く舌打ちする。


男の一人が、手に持っていた鉄パイプを強く握り直した。


「……おい、新顔か? こっちに出てこいよ。」


その声には、明らかに敵意が滲んでいた。


リアムは後ずさる。


逃げるべきか、それとも――。


そのとき、別の男がニヤリと笑った。


「いいモン持ってんだろ? そいつ、置いていけよ。」


彼の指が、リアムの背後――エリスのいる方を指していた。


リアムの背中に冷たい汗が伝った。


(……見られてたか。)


エリスは息をひそめたまま、ルナとA-12とともに建物の陰でじっとしていた。


遠くからリアムの声が聞こえる。


「……何の話だ?」


「すっとぼけるなよ。お前が連れてるそいつ――生身の女だろ。」


エリスの心臓が跳ねた。


(……私?)


ルナがわずかに身を引き、低く唸る。A-12は無言で状況を解析していた。


男たちは笑っていた。


「ずっと見てたぜ。あの身体……"欠損"してるな? なら、"交換用"にちょうどいい。」


エリスの背筋が凍りつく。


("交換"……?)


何か、嫌な想像が頭をよぎった。


リアムがわずかに歯を食いしばる音が聞こえた。


「……何の話をしてる?」


男たちは笑いながら答えた。


「"補充用のパーツ"が、ちょうど不足してたんだよ。」


――次の瞬間、リアムは動いた。

リアムの手がナイフに伸びるよりも早く、男たちが動いた。


「待てよ、話せば――」


言葉を最後まで言う前に、一人が勢いよく鉄パイプを振りかぶる。


リアムは反射的に身を低くし、地面を蹴った。パイプはリアムの肩をかすめ、鈍い音を立てた。


「っ……!」


瞬間、リアムは反撃に転じる。ナイフを抜き、素早く相手の腕を狙う。

だが、敵も鍛えられているのか、一歩引いてかわした。


「ちょこまか動きやがって……!」


もう一人が背後から襲いかかる。


リアムは反射的に瓦礫を蹴り、砂埃を巻き上げながら距離を取った。


(クソ、こいつら動きが早い――。)


次の瞬間、エリスの方へ視線を向けた男が叫んだ。


「おい、あの機械、邪魔じゃねぇか! 先に壊しちまえ!」


――A-12に狙いが向いた。


リアムは舌打ちする。


(このままだとエリスが――。)


男たちがエリスのいる影へと向かおうとしたその瞬間――。


"カチッ"


鈍い機械音が響いた。


A-12の腕の一部が変形し、内部から鋭利な刃が飛び出す。


「……対象を"敵性"と認識。攻撃を開始する。」


冷たい機械音声が鳴る。


――次の瞬間、A-12の刃が男の肩を裂いた。


「ッ……!? ぎゃああああ!!」


男が叫びながら後ずさる。


「なんだこいつッ……!!」


驚愕に満ちた叫び声が響く。


その間にリアムは素早く動いた。

ナイフを突き立て、もう一人の腕を切り裂く。


「ッ……クソッ!!」


男たちは叫びながら後退する。


A-12が静かに告げた。


「……撤退を推奨する。戦闘継続のリスクが高い。」


リアムは一瞬だけ悩んだ。


男たちを殺すか、それともここで逃げるか――。


「……行くぞ!」


リアムは判断を下した。


エリスの台車を掴み、全力でその場を離れる。


ルナが先行し、A-12は最後尾で警戒しながらついてきた。


男たちは混乱し、負傷して動けない。


「クソッ……! 逃げやがった……!」


怒りの声が背後で響くが、リアムは振り返らなかった。


(助かった……のか?)


息を切らしながら、リアムは全速力で廃墟の間を駆け抜けた。


エリスは、ただ震えていた。


今の戦闘のすべてを目の当たりにしていた。


リアムが人を傷つけたこと。

A-12が容赦なく刃を突き立てたこと。

男たちの叫び声。


すべてが現実だった。


(……アーコニアでは、こんなこと……。)


彼女の体が、小さく震える。


今まで見てきた世界が、すべて嘘のように思えた。


リアムは、何も言わなかった。

A-12も、冷静なまま歩いていた。


エリスは、"戦う"ということを初めて理解した。


息を切らしながら、リアムは廃墟の影を縫うように走り続けた。瓦礫の隙間を抜けるたびに、金属の破片が足元で弾け、乾いた風が汗に張り付く。


A-12は後方を警戒しながら、確実にリアムの動きに追従する。ルナは前方を警戒しつつ、エリスが乗った台車のすぐそばを離れずに走っていた。


エリスは、まだ震えていた。


彼女の視界には、さっきまでの光景が焼き付いて離れない。

リアムがナイフを振るい、A-12が刃を突き立て、男たちが血を流して悲鳴を上げた。

それが、"生きる"ということなら、彼女は――。


(……こんな世界で、どうすればいいの……?)


アーコニアには、こんなものはなかった。

争いも、恐怖も、血もない。

けれど、それは"本物の世界"じゃなかったのかもしれない。


(なら、私は……ここで……。)


考えがまとまらないまま、リアムの動きが急に止まった。


「……よし、ここならしばらく大丈夫そうだ。」


彼らは、半壊した建物の中に身を潜めた。


壁の一部は崩れ、天井もところどころ穴が開いているが、外から見ればただの瓦礫の山にしか見えない。中は暗く、身を隠すには十分だった。


リアムはエリスの台車を壁際に押し、ようやく深く息をついた。


「はぁ……クソが。面倒なことになったな。」


A-12は周囲をスキャンしながら、リアムの言葉に淡々と応じた。


「生存確率を考慮し、最善の行動を取った結果だ。」


「分かってるよ。……ったく。」


リアムは額の汗を拭いながら、エリスをちらりと見た。


エリスは、うつむいたまま動かない。


ルナが彼女のそばに寄り、じっと見つめている。


リアムは、少し考えた後、言った。


「……お前、何か言えんのか?」


エリスは、顔を上げた。

喉を震わせるが、やはり声は出ない。


「……まだダメか。」


リアムは面倒くさそうにため息をついたが、それ以上は何も言わなかった。


しばらく、静寂が続いた。


A-12は外の動きを監視し、ルナはエリスのそばに座り込んだ。


リアムは、ナイフを抜いて刃をチェックしながら、ぼそりとつぶやいた。


「……お前が拾われた理由、分かってるか?」


エリスは、リアムの言葉を理解するのに少し時間がかかった。


彼女はゆっくりと首を横に振った。


リアムは舌打ちし、ナイフをしまう。


「別に深い理由があったわけじゃねえよ。」


エリスは、わずかに目を見開いた。


「……俺は、お前が敵じゃねえと思ったから助けただけだ。A-12はお前に何か価値があるとか考えてたみてえだけどな。」


リアムは、適当に壁にもたれかかる。


「手足のねえ女が敵だったところで、大した脅威じゃねえしな。」


その言葉に、エリスは一瞬だけ目を伏せた。


(……そう……。)


彼女は、自分が何もできないことを、改めて突きつけられた。


戦うことも、逃げることも、自分の意志を伝えることすら――。


リアムは、それ以上何も言わずにナイフを眺めていた。


A-12が、低い声で言う。


「……この世界で"生きる"ためには、適応するしかない。」


エリスは、その言葉の意味を考えた。


("生きる"……?)


(この世界で……私は……?)

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