第29話 隠された蝶

 揚羽の中で、武息の言葉が反響する。目を丸くして、瞬きを一つ。口からこぼれ落ちたのは、当惑にまみれた呟きだけ。


「当代の……蝶の、化人? わたし、が?」

「そうだ。今まで気付かず、そして誰にも教わらなかったらしいな。お前の周りには、三人も従者がいるにもかかわらず」

「……っ」


 誰かが何か言おうとした。しかし言うことが出来ず、黙する。その理由は、明白だった。


「ねぇ、教えて。わたしは……揚羽は、人ではないの? 母上も、父上も、姉上も……本当は、違うの?」

「――っ、違いません!」


 揚羽の顔には、いまだかつてないほどの困惑と悲しみとがないまぜとなっていた。その表情に、従者たちは胸を潰されそうになる。

 辛うじて応じた瑞飛の狩衣の裾を、竜玉が握る。


「桐子様も昌明様も、花子様も……姫様を大切に、大切に思っておられます。俺たちも、俺たちにとっての主は貴女だけです!」

「……その気持ち、わたしが変わらない?」


 揚羽の瞳が揺れる。

 武息からすれば、あと一息、ただ一度肩を小突けば壊れるという一線。

 しかし彼が言葉を発するよりも早く、従者たちは声を揃えた。


「「「変わるわけがない。、主なんです」」」


 例えば揚羽が人であろうとなかろうと、三人にとっては変わりない。幼い頃から見守ってきた、たった一人の大切な主。


「……そう」


 ぽつ、と呟き目を伏せる揚羽。そして振り向き、怒涛の出来事に言葉を失っている柊を見た。


「貴方は?」


 眉を寄せ、目を細める。泣きそうながら、柔らかい笑みだ。揚羽のそれに、柊はぎゅっと胸の奥が締め付けられた。


「貴方は、どう思う? わたしが人でないとして、やっぱり何処かへ去ってしまう?」


 決して、言葉を間違えてはいけない。柊は一呼吸置き、ゆっくりとかぶりを振った。


「……去らない。みくびらないで欲しいんだけど、きみは俺が本当に離れると思った?」

「……」

「俺はもう、きみたちを大切な友だと思ってる。瑞飛も、竜玉も、走矢も……二の君、きみのことも」

「……っ」


 揚羽の肩が震える。柊はそっと彼女に近付き、棒立ちのその前で片膝をつく。見上げると、揚羽の表情は髪に隠れていた。


「人であるとかないとか、関係ない。きみだから、きみたちだから、仲良くなりたいんだ」

「そんなこと……言うから……っ」

「二の君?」


 ぽたり。柊の膝に、何かが落ちる。それは続けざまに落ちて、やがて堪えきれなくなった泣き声も呼ぶ。


「ふっ……う……」

「二の君」


 ぐしぐしと目元を拭う揚羽は、柊に優しく前髪を払われて真っ赤な目をさらした。彼の気遣う視線を見返し、つっかえながら言葉を吐き出す。


「……あいつ退けたら、泣くから」

「うん」

「みんなに全部、洗いざらい喋ってもらう、から」

「ああ」

「……っ。今は、もう泣かない」

「わかった」


 揚羽の顔は赤いが、涙は止まっている。柊は立ち上がると、少しけんのある目で武息を見つめた。


「武息、二の君を泣かせた罪は重いぞ」

「おお、怖い。我は真実を述べたのみ。それを伝えずに今までいた事、それに問題があるのではないのか?」


 武息に怯えた様子ははない。しかし彼の続く言葉は的を射ており、従者たちは反論が出来ない。目を逸らす彼らに代わり、揚羽が「少し違う」と口を挟む。


「確かに、わたしは知りたかった。知るのは、もっと早めに知っていたかった。だけど、瑞飛たちの思っていることもわかる。……お前はわたしと瑞飛たちとを引き離したいのかもしてないけど、そうはいかない」

「……へえ」

「姫さん……」


 感心顔の武息と、従者たちの安堵の表情。それらを目にして、揚羽は息を整える。敵は近いが、同時に味方もすぐ近くにいてくれるのだ。

 目元はまだきっと赤い。それでも、毅然としなければ、あいつに呑まれる。

 揚羽の背に、柊が声をかける。彼は外で、決して彼女の真名を呼ばない。


「二の君」

「大丈夫」


 息を吸い込んで、揚羽は武息を真っ直ぐ睨む。喉から出た声は、震えていなかった。


「武息、お前の思い通りなんてさせない。わたし自身も、大切な人たちも、この国も……決して渡しはしない」

「流石、あの桐子の育てた娘。威勢が良い」

「――っ」


 わざと、武息は揚羽の心を揺さぶろうと言葉を選ぶ。しかし彼女の瞳がわずかに揺れただけで、大きな成果は望めそうになかった。


「……さて、挨拶は済んだし消えるとしよう。近々、会えるのを楽しみにしているよ」

「――二度と来るな」


 どすの効いた呟きが、揚羽の耳に届く。まさかとは思うが、と振り向いてみた。

 振り向いた先にいたのは、目を丸くする柊だけ。


「どうかしたのか、二の君?」

「え、いや……何でもない」

「?」


 気のせいか。そう結論付けた揚羽は、柊の袖ごと腕に触れる。

 武息は去った。ようやく落ち着いて、みんなで話が出来る。揚羽自身のことについて。その時、彼に傍にいて欲しいと純粋に思ったのだ。


「行こう。三人も、一旦座ろう」

「そうだな」


 揚羽にされるがまま、柊も邸へと上がる。従者たちも共に姿を消した。


「……怖いなぁ」


 誰もいなくなった庭を眺める、一対の目。揚羽たちの前から姿を消した武息だが、気配を消して近くに残っていたのだ。

 そんな彼が思い出すのは、柊の鋭い視線。揚羽にもあの化人三人にも気付かれず、真っ直ぐに射殺すような目を向けて来た。更に、一言ぶつけてくるあたりが面白い。


「――『二度と来るな』か。残念だが、何度でも現れるよ。君の守りたい姫様を、我が手に収めるためにね」


 音もなく、男は姿を消した。

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