第3話
*
私たちの集落を斜めに横断していく「
この道を先に進んで行ったところで、遥かに福江島の大瀬崎灯台が望める「
まだ陽が高く、頭上を覆った樹木からの木漏れ日が私の薄水色のブラウスにまだらの影を落としていました。肌にはきらめく玉のような汗が浮かんでいます。頭に被せた麦わら帽子を抑え込みながら、私は腕に滲んだ汗を拭いました。
蝉のやかましい山林を抜けると、視線の先に切り立った海食崖が見えてきました。
岩肌に無数に空いた風穴に潮風が飛び込んでいって、不気味な音を立てています――。
この先にある虫喰崖には、高さ数十メートルともなろう断崖に、その名の通りに自然に出来た小さな洞穴が無数にあるのですが、姉に唯さんの連絡先を記したメモを何処に隠したのかを問うと、虫喰崖にある洞穴の内の一つに、桐の箱に入れて潜ませた事を微かな記憶に留めている様子でした。
確かにそこは昔私たちが遊び場にしていた場所で、大人たちに虫喰崖で遊ぶのは危険だからやめなさいと叱られた事を覚えています。だからこそ私たちは、大人たちでも余り近付かないその場所を隠し場所に選んだのかもしれません。
……ですが、それは今からもう十年も前の出来事です。崩壊した桐の箱の隙間から流れ込んだ潮風が小さなメモなど朽ち果てさせてしまっていても不思議ではないと思います。私にはもう願う事しか出来ませんでした。
十年も前の出来事ですから、唯さんの方にしても、あの日私たちと交わした約束の事はおろか、もしかすると私たちの事さえも忘れ去ってしまっているかも知れません。私にとって十年とはそれ程茫漠な月日の様に感じられました。
先程までけたたましく思っていた
白岩の積み上がった崖の下へと潜っていく様な道なき崖を進んでいくと、程なく現れて来た大きな岩を迂回していきます。するとその先には、一寸先の断崖から、水平まで見渡していける眩しい海の光景が広がっていました。
断崖に打ち付ける波音が足下の方角から絶え間なく続いていました。蒼穹にはもこもことした綿雲が漂い、丸い太陽が赫灼としていて、見上げていると暑さで立ちくらみがする様でした。
崖下からせり上がって来た強風に麦わら帽子を飛ばされそうになりながら、壁を頼りにしてでこぼこの岩場を進んで行くと、やがてその先に、海へと向かってぽっかりと口を開いた洞窟が一つ現れました。
ピーヒョロロロ、と鳶が一つ遠くで鳴くのが聞こえました。
私は足元の方からふくらむロングスカートを抑え付ける様にしながら、懐かしいその洞穴へと入っていったのです。
洞窟の中はひんやりと冷たくて、先程風に吹き飛ばされた汗も相まって夏である事を忘れてしまう程でした。
奥行きは五メートル程あるばかりで、東に上った太陽が真っ直ぐに穴の中を照らしてくれていたお陰で明かりも灯さずに済みそうです。
私の視線の向かったその先に、石と石との間に収まった桐の箱を見つけました。確か元は壺を入れていた箱だった筈です。やはり十年という月日が木を風化させて、小さな箱は水を含んだ様に焦茶色に変色している様でした。
箱を開けようとしたのですが、蓋がかなり固くなっている様でした。なので私は片手で箱の下部を掴み、もう一方の手で思い切り蓋を引き上げる様にしたのです。
遂に開かれた箱の中に、一枚の紙があるのが見えました。やっぱり人の頭程もある箱の中に小さな紙が一枚あるだけなのはなんだかチグハグに感じられます。けれどその中には、やや色は変わっているけれど、ほぼそのままの状態で唯さんの電話番号を記したメモが残されていました。
私は大事なメモを折り畳んでポケットに仕舞い込みました。
どうやら自宅にあった高価そうな桐の箱を保管に用いたのは正解だったようです。よくはわかりませんけれど、保存に優れた特性があるのかも知れません。
――こんな箱の中で、あの頃と変わらないまま時が止まっていたんだ。
何故だか私は唐突に、この箱が私たちの事を物語っている様に感じました。
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