胎児の夢
渦目のらりく
0【黒塚累】
第1話
0
『
どうしてわたしの腹はふくれているのだろう。
決まっている。
はいっているからだ。
遥かに見える五島列島を視界に、さざなみの立つ昼中の海面を見ていました。
断崖に立ち、東に上る太陽を正面にして瞳を細めましたが、水面を反射してくる煌めきはわたしの視界に容赦なく襲い来る様でした。
……少し磯臭い、冷えた潮風が頬を撫でていきました。
風に掻き回された髪が潮でベタついた肌にまとわりつくのも厭わずに、わたしは無意識に撫で上げていた腹をそっと見下ろしていました。
白いブラウスから覗く――歪な腹。
ふくれた腹部。
ブラウスの一番下のボタンを開けて肌を露わにすると、そこに満々とした腹が現れる。
足元の見えない程に膨れた腹。たわわに実って、今にも何かが産まれようとしている。
愛おしい。
ああ、そして誇らしい。
生物の本懐として、新たな命をこの世に一つ産み落とせるという事が。
そっとお腹に手を当ててみる。
確かに感じる脈動がある。
確かにここに。はいっている、
わたしは思わず頬を緩めていました。それに気付いたのは、微かに開いた口元に、少し塩っぽい風が注ぎ込まれて来るのを感じたからでした。
そして断崖の岬に立ったわたしは太陽の輝きに照らされながら、奇跡の祝福を一身に浴びているかの様な心持ちになったのです。
わたしは母になるのです。
遥かに見える島々に向けて、わたしは誇らしげにこの腹を見せました。
張ち切れんばかりにふくれあがった、この腹を。
世間ではこれは普通の事なのかしら?
それともやはり特別な事なのかしら?
うふ、
うふふ、
この海を渡った向こうには、何処迄も広がる大地が広がっているというのは本当の事なのでしょうか?
そこにはわたしにはとても想像のつかないくらいの溢れんばかりの人がいて、
そこで暮らす一人一人の人々に、自由な人生の選択があると、
本当にそんな事があるのでしょうか?
――いいえ。きっと、
本当はこの世の中にはわたしたちしか人は居ないのではないでしょうか?
世界の中心はここなのではないでしょうか?
世界とはこの島のことをいうのではないでしょうか?
この世の中に人はこの島にしか居なくて、生命が産まれ落ちる場所はここだけなのではないのでしょうか?
――ならばここは胎内なのでしょう。
わたしにとってのこの腹が、
赤子を宿したこの胎内が、
島なのでしょう。
「
そう呼び掛けられて、わたしは思わず振り返る。
そこに佇んでいたのは、強い日差しに表情を照らし出された
わたしと同じ顔をした、一卵性の双子の姉妹の妹――
「この島を出よう。そのお腹、もう限界だよ」
海風に混ぜられる黒いさらさらとしたロングヘアー。肩程まである私のおかっぱ頭とはまた違う。
きっと
「この島を出たら、赤ちゃんを産んであげられないじゃない」
そう言ってわたしは笑った。
うふふ、
うふふ、
菊織ちゃんは、激しくたなびく髪を耳の前に束ねて抑え込みながら、わたしに優しく言う様にしてくれた。
「そのお腹の中には誰も入っていないよ、おねえちゃん」
「……ぁ」
お腹に手を当てる。
露わになったわたしのお腹に、ぼこん、と小さな足形が浮き出した。
「ほら、お腹を蹴ってる」
「……」
「この子もそう言ってるの。ぼくはここにいるよって」
――菊織ちゃん。
そうしてそんな顔をするの? どうしてわからないの?
ここにいるのに。
「じゃあそれは、誰の子だって言うの?」
菊織ちゃんに言われ、わたしは一瞬言葉に詰まってしまいました。
「神様の子」
けれどもすぐに、ハッキリとそう言ってみせたのです。
無数の洞穴に飛び込んでいく潮風が、――ぐぉぉと不穏な物音を立てていました。
菊織ちゃんの視線から逃れる様に海へと振り返ったわたしは、眩しい太陽に目を細めながら、近い様で遠い五島列島の方角を仰ぎました。
「唯さんは元気かしら」
急にお腹の赤ちゃんが愛おしくなって来て、ふくれた腹を撫でました。
腹に小さな顔が浮かび上がって、すぅと消えた。
三羽の海鳥が声を出して蒼穹のキャンバスに線を描いていきました。
「アナタたちは自由なのね」
けれどわたしの視線はもっと遠く、遥かへと。
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