第7話 団長ルガー。傲慢で支配的な男

 騎士団は完全な縦社会だ。

 騎士団自体は地方にも存在しているが、首都にのみ第一から第三までの序列が設けられている。

 ″第一″は、上位貴族や老いた名誉騎士が軍事的支配力を示すための象徴的な団体で実質的な戦力ではない。

 ″第二″は、王族の護衛や世話を担う少数の部隊だ。式典や訪問行事などの際に使われる人員のためか眉目秀麗な者ばかりで固められている。エイラスは第二の出身だった。

 そして″第三″。首都にある第一、第二とは違い、実戦を担う第三騎士団は各地に展開し、紛争解消や魔獣討伐など、国の実質的な戦力を一手に担っている。


 付け加えると、各地の騎士団の下部組織として兵団が組まれている。下級貴族の中でも新興であったり男爵家や騎士叙勲の者が多く、通常、兵団で数年の経験を経て、第三への転属となるのが習わしだった。


 ジブとトニーは兵団をスキップして、傭兵から成り上がった団員の一期生だ。

 当然、白い目で見られたり市民の出であることを馬鹿にされたりもしたが、『戦場に貴賤なし』と彼らが馴染むのも早かった。


 訓練生としての生活が終わり、戦闘や事務仕事をこなす中である程度落ち着いたのは入団して三ヶ月が経とうとした頃だった。

 実際、二人を一番苦しめたのは戦闘でも食事マナーでも奇異の目でもなくーー騎士団規則だった。

 幼少を過ごしたコーソム修道院は地方に位置し政治的抗争に巻き込まれることなく、また二人は稼ぎ頭だったこともあり、生活にさほど制約を受けることはなかった。だが、騎士団の規則は細かく厳しかった。

 新兵として雑用をこなしつつ、最低限しか受けていなかった教育を座学で補ったり、集団での戦法を学ぶ。その上で貴族階級やら軍の階級やらを叩き込まれるのは、トニーにとっては面倒でしか無かった。

 

 入団時にあった寒さはすっかり終わり、新緑が芽吹いて日中の日差しが強くなってきたある日、第三騎士団は集会場にいた。


 団長であるルガーが壇上に登り声を張り上げる。

「傭兵の直接入団のため試験を行う。試験内容は魔獣討伐。補助のため、首都第三全員でおもりひてやれ」

「すみません」

 しんと静まり返る集会場の中で、ジブが手を挙げた。他の団員はルガーに敬礼したまま動かないが、ぴしりと会場に緊張が走ったのが分かった。

「第三騎士団と入団候補の傭兵の全員が魔獣と討伐に行くのですか?」

 会場に走る緊張など気にも留めない様子のジブは、いつもとおりの明るく若干間延びした声で問うた。壇上のルガーが、ふんと鼻を鳴らす。

「全員だ。聞こえなかったか? それとも聞いてなかったのか?」

「はぁ。聞いてはいましたが、全員で動くのは非効率かと」

 何も答えずルガーは壇上から降りた。

 一番後ろに立つジブに向かって、ゆっくりとブーツのヒールを鳴らしながら近づいていく。体格に恵まれたルガーが踵を踏み鳴らすと、板張りの床から小さな振動が伝わってきた。

 そのままルガーはジブの真横に立った。至近距離から現場の最上官であるルガーに威圧的に睨まれても、ジブは微動だにせず前を向いている。

 ジブ自身は騎士団の中でも体格が良く高身長だが、ルガーは彼を越える体格だった。

「ふん、非効率か」

 ルガーは呟きながら、赤髪のジブの前を通り過ぎる。そして隣にいたトニーの目の前に立った。

 トニーはいつもと同じ無表情で敬礼を続けているが、ルガーの視界の端で、赤い髪が動揺して揺れるのが見えた。


「お前ら傭兵上がり以外は部屋から出ろ。……ガヨ、指揮を取れ。予定通り十五分後に出発しろ」

「はい、承知いたしました」

 ガヨの厳格な返事が響く。それをきっかけに団員は足早にーー逃げるような形で部屋から出ていった。



 誰もいなくなった集会場で、ルガーは二人を広い部屋の真ん中に移動させ、また敬礼を取らせた。

「で? 赤髪。考えを言ってみろ」

 低く唸るようなルガーの声は、三人しかいない部屋には不必要な声量だった。

「倒すべき魔獣は何体、目撃されてるんです? 騎士団だけでも六十近くいるでしょう。そこに傭兵も入れれば八十人は越えるんじゃないですか。それほど人員が必要ですか?」 

 魔獣は魔物の中でも特に大型のものの呼称だ。トニーもジブも過去に何体か討伐をしたことはあるが、一体につき十から十二人程で出撃をするのが一般的であるので、今回の出撃命令は異様であることは確かだった。

 だが、ルガーはその意見を鼻で笑った。

「そんなことはお前が考えることじゃねえ」

 はっきりと力強い発音は凄みを感じさせる。その後のルガーは取りつく島もない様子で黙り込み、ただ伸びた木の枝が風に揺られて窓を叩く音だけが部屋に響いた。


 ここで口火を切れるのはルガーしかいない。


「お前は軍師にでもなったつもりか? 傭兵上がりの貧民出身が上官に口答えして。偉くなったもんだな」

 何がおかしいのかルガーはくつくつと笑う。まるで獲物を捕らえた野獣のように低く這うような声だった。

 ひとしきり笑ったルガーは、ひいひいと息をと整えながら大きくごつごつした手で自身の頭を掻いた。

「……ジブ、お前には笑わせてもらった。″第三″にも新しい風が吹いたな」

 いやらしく茶化した声にはあからさまに侮蔑と怒りが滲んでいる。ただ、それを咎められる人間はこの場にいない。

「出てけ。魔獣討伐に行け……第三騎士団員全員でな」

 結局のところジブの意見など関係なく物事は進むようだ。ジブは出てけという言葉に頷いて敬礼を解く。ルガーは集会場の扉を開け放って指先を外に向けた。


 ジブは扉の横にいるルガーの脇をすり抜けて部屋の外に出た。


 トニーも見慣れた赤髪を追って、扉に近づく。

「おい、神秘持ち」

 ルガーの声にトニーが目線を上げた。

 

 次にトニーが見たのはルガーの大きな手だった。筋肉のついた太い腕に首を掴まれ壁に叩きつけられる。トニーの後頭部は強く壁に打ち付けられ、ぐわりと視界が歪んだ。

「……!」

 トニーは咄嗟にルガーの腕を掴んだが、体を完全に持ち上げられ足が浮いてしまっている。空気も吸えず、踏ん張りも効かない。

 ぎりぎりと指が首に食い込む度、トニーの視界はだんだんと黒くくすんでいく。


 ガタンともドカンとも言えない大きな音がした。

「……トニー?」

 廊下中に響いた大きな音。振り返ったジブは、後にトニーがいないことにすぐに気づいた。音が下方向を見ると、開いた扉の向こうーールガーが腕を伸ばして何かを持ち上げているのが見えた。

 壁越しに見慣れた修道服の白い袖とブーツがもがいている。

「おい!」

 持ち上げられているのがトニーだと理解して、ジブは走った。滑り込むように集会所に入る。

「くそが! やめろ!」

 叫びながらジブは伸びた肘に向かって組んだ両手を振り下ろす。ジブの手が当たる寸前、ルガーは腕を引いた。宙に浮いていたトニーの体は崩れて沈み、床に這いつくばる。

 ジブは急いでトニーの肩を掴んだ。

「大丈夫か!」

 咳き込むトニーを覗き込もうとするも、後ろから髪を鷲掴みにされて引き剝がされる。抵抗するも意味はなく、ただ数歩分引きずられるとルガーの手が離れた。

 ぶちぶちと毛が抜ける音がして頭皮もかなり痛んだ。だが、そんなことよりも視界の先にいるトニーの元へ行かねばと膝を立てるも、今度はぬっと目の前に現れたルガーに肩を押され、行く手を阻まれる。

「おい、赤毛の犬。……俺に口答えするな。飼い主が傷つくことになる」

 それから立ち上がって、息を整えているトニーの足を軽く蹴った。

「寝てんじゃねぇぞ。荷物をまとめて出撃しろ」



 遠くから声が聞こえる。もやがかかったような視界が開けると、薄桃色の瞳が見えた。

「ジブ……」

 声を掛けるとジブは涙ぐんだ。

「気が付いて良かった。大丈夫? 痛みは?」

「痛みは、ない。それよりルガーは……」

「もういない」

 ジブの肩を借りてトニーは立ち上がった。多少ふらつきはしたが、歩けないほどではない。大事を取ってジブに寄りかかったが、彼の鍛えられた体はトニーが寄りかかったくらいではびくともしなかった。

「あいつ、頭おかしいんじゃないのか。俺の口答えに過剰反応しすぎだ」

 ジブが気色ばんで言う。トニーは口を噤んだまま頷いた。その後もジブは、ルガーに対する不満を垂らしていたが、トニーは曖昧に答えることしかできなかった。


 ーーあの目。

 首を絞めてきた瞬間の、ルガーの目。

 あれは部下を嗜めるようなものでも脅しでもなかったよう。もっと別の、強い感情を秘めているように思えた。


 それでも、なんだったかと考える余裕はない。

 出撃の時間が迫っている。

 ジブとトニーは急いで自室に戻り、支給されたバッグに荷物を詰め込んで、集合場所である中庭に向かうはめになった。


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