第6話 ジブ。二日目の朝。″弟″の独白と新入り

 夜が明けるころ、ジブは目が覚めた。ベッドの上で思い切り腕を伸ばすと、パキリと肩が鳴った。

「……静かだな」

 ーー本来、修道院の朝は非常に早い。それは騎士団の起床時間より数刻早くジブが早朝に目が覚めるのも必然だった。

 ベッドから降りて窓を開ける。板張りの床は冷たかったがジブはそんな事を気にせず、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸って、ゆっくりと吐いた。

 ジブはこんなにも静かな朝を経験したことがなかった。修道院では粗雑な簡易ベッドが置かれた大部屋で寝ていたので常に誰かが周りにいた。


 掃除して、祈って、鍛えて、奉仕活動をして、依頼があれば出撃をして日銭を稼ぐ。厳しい毎日だったが、それでもジブはまだいい方だった。体躯が大きく、赤髪で目立つジブは修道院が行う奉仕活動や出撃の際の良いトレードマークだったから、見栄えを気にした院が他の修道士よりも多く食べることを許した。出撃や魔獣退治で外出する機会も多かったし、現物報酬をこっそりとくすねることもできた。


 ーーそういえば。

 修道院にいた時は、朝、トニーが起こしに来てくれた。孤児のジブにとって彼は兄のような存在だった。

 五歳上の一回り体の小さな兄。

 トニーは、幼い頃は孤児同士での喧嘩、大きくなってからは戦闘で負った傷を癒やしてくれた。昔から治療魔法に長けていて、修道院に来る市民や旅人を癒やしては寄付を募っていた。


「今日から別部屋で過ごすのか」

 ぽつりと独りごつと、ジブは窓を閉めてベッドに腰かけた。

 ーー騎士団に来たのは失敗だったかもな。

 とんとん、と自らの膝を指先で叩く。


 首都第三騎士団に入団したのは、トニーが神秘の力に目覚めたからだ。


 それは半年前。一瞬の出来事だった。トニーは溶けた目を触れただけで治してしまった。

 盲目の大男の長い黒髪から、金色の瞳が煌めいたのをジブは今でも覚えている。

 しかし、その後が大変だった。トニーは急にぼたぼたと鼻血を出したかと思うと、その場に倒れこんだ。しばし強く揺さぶって声掛けをすると意識を取り戻したが、真っ青な顔になったトニーを見るのはもう勘弁願いたいところだった。


 神秘の力はトニーの人生を良くするものではないとジブは思っている。

 大陸でも数十人といない大いなる力。それが後天的に突然もたらされたものだとしても、求められる姿や期待が彼を押しつぶしてしまうのではないかと。

 ーー立場の差からトニーと離れなければならなくなったりしたら……。

 そう考えるだけでジブは全身の血液から熱がなくなったような感覚に陥る。

 ーーそれだけは避けないと。そのために俺も騎士団に入団したのだから。


 モヤモヤとした気持ちは晴れないが、考えていても仕方ない。

 同居人が居ない二人部屋のベッドの間、狭い通路に手をついてジブは勢いをつけて足を持ち上げた。両腕でバランスを取りながら肘を曲げ伸ばしする。

 強くなければ守れるものも守れない。

 それは肉体も、精神も同じだ。


 三十回ほど曲げ伸ばしをしたところで、外から足音が聞こえてきた。その足音は扉の前で止まったのでジブは足を下ろし、はだけたシャツを元に戻す。


「ジブ? 起きたか」

 扉の外から聞こえたのはトニーの声だった。

「……! 起きた! もう起きてる!」

 ジブは急いで扉を開けた。とんでもない速さで開いた扉にトニーは驚いたようだったが、すぐに表情を元に戻し、親指で外を指差した。

「なら中庭に行こう。昨日はあまり話せなかったから」


 宿舎と本省の間、訓練場にもなっている中庭は、入団試験前、トニーとジブが集められた場所だった。

 トニーは腕を頭の後ろで組んで二の腕を伸ばしていた。ジブも両手を大きく広げて胸を大きく広げる。

「トニー。騎士団の奴らをどう思う?」

 ジブが振り向くと、トニーは立ったまま膝を伸ばして前屈をしていた。指先が足の甲の上でパタパタと動いている。ジブは背後に回って背中を押してやることにした。いてて、と小さな悲鳴を上げつつトニーは所感を正直に伝える。

「ガヨはいい奴。カタファは優しい奴。エイラスは……ちょっとまだわからない」

「いい奴と優しいの境はどこにあるの?」

「ガヨは言葉は少ないが世話焼きのいい奴。カタファは明るくて性根が優しい。エイラスは……裏がありそうな気がする。あの胡散臭さ自体も演技っぽい」

 背中を押す手が離れ、トニーが上体を起こすと今度はジブが立位前屈をした。ジブは深く体を折り曲げ、膝を抱え込むようにしてアキレス腱を握った。

「相変わらずジブは体が柔らかいな」

 トニーに褒められると悪い気はしない。ジブは見られないように気をつけつつニヤリと笑った。

「ありがとう。……いやぁ、でも俺はあんま人の顔と名前が一致しにくいんだよな」

 ジブが体勢を戻しながら明るく言う。人の顔を覚えるのが苦手というわけではない。あまり興味がないのだ。トニー以外のことは。


 対して、向き合ったトニーはそんなジブの思いも知らず、視線を上にして一生懸命に昨晩であった彼らの顔を思い出していた。

「紺色の髪に茶褐色の瞳がガヨ。灰色の髪、バンダナ、紫色の瞳がカタファ。白金の髪に俺と同じ緑の瞳がエイラス」

 あぁ、と小さく頷くジブが次に耳にしたのは、少し掠れたーーけれども明るい声だった。

「正解! で、金髪でひげを生やしてるのがルガー団長な!」

 第三の声に振り向くと、灰色の髪をかき上げながらカタファが近づいてきた。

「おっはよう。新人団員たち。朝だからまだバンダナを巻いていないカタファさんだぞ」

 明るい笑みと声で二人に話かける。カタファはそのままジブに向かって蹴られた顎を見ながら、吐き気がないか、顎に痛みがないかなど質問した。

 ーーこいつは優しい奴。

 トニーの印象は間違っていないようだ。ジブも軽く口角を上げて素直に回答していた。


「ああ、ここにいたんですか。部屋まで行こうと思ってました」

 特徴的な大きな口を薄く広げてエイラスが駆け寄ってきた。太陽に照らされた白金の髪が煌めき、眩しい。

 エイラスはトニーの背中に軽く触れて、おはようございますと挨拶をした。

「なんだお前ら。集まって」

 半透明のタブレットを腕に抱え、外廊下から中庭に向かってガヨが歩いてきた。朝だというのにガヨの濃い紺色の髪はきっちりとまとめらており、制服の詰襟もぴっちり閉じていて隙間もない。彼の生真面目な性格がうかがえた。


 そうこうしていると、次第に他の団員も部屋から出てきて、皆それぞれに体を動かしたり、眠そうな目をこすりながら駄弁ったりしているーーが、見慣れないトニーとジブに対する吟味する視線や、ひそひそと噂する声も少なくない。


「いやぁ、お二人さん。入団おめでとう!」

 カタファははっきりとした明るい声で言い、トニーの手を取って握手をした。握られながら大きく振られたのでトニーは少しよたついた。カタファは続いてジブにも握手を求めた。

「ジブ! お前もエイラスに次ぐ槍の使い手だな。市民出身同士、よろしく!」

 朝には似合わない大きい声が中庭に響いた。次に言葉を発したのはガヨだった。

「お前らは傭兵上がりの騎士団入団者の第一期生だ。思うところがあるなら実力で示せ」

 ガヨもやや声を張っていた。

「……あと十五分で朝食の時間だ。新入りは新入りらしく、皆に挨拶でもしておくことだ」

 わざとらしい咳払いをすると、ふいとガヨは視線を反らし、早足に本省に戻っていった。それを遠巻きに見ていた団員たちは少し笑いながら、ガヨさんは不器用な人でな、とジブに話しかけた。それをきっかけに団員ぞろぞろと二人に近づくなか、エイラスはトニーの肩に手を置いて微笑みかける。内緒話をするような近さだ。

「何かあったら俺に、相談してくださいね」

 トニーが訝しげに細めた目を見ても、エイラスは動じずに笑い続けていた。

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