好みの顔

衿乃 光希

好みの顔

 本日、新宿区の〇〇公園で首を絞められた女性の遺体が発見されました。

 遺体の損傷が激しく、所持品が発見されていないため、被害女性の身元の判明には時間がかかるとみられます。

 警視庁は死体損壊遺棄事件として、指紋や防犯カメラなどから身元の判明を急いでいるとのことです。


 *


 ふわりふわりと羽が舞う。

 白くて、軽くて、とても幻想的で。

 まるで天使が迎えに来ているみたいに、二人の周囲を舞っている。

 美菜は天使の迎えに応じる気はない。美菜は広之に会いに来たのだ。まだ目的を果たしていない。

 一年前、同棲していたこの部屋から、着の身着のままで追い出された。

 彼の心が美菜から離れてしまったのは、好みじゃないと言われたこの顔のせいなのだと考えた。

 だから美菜は生まれ変わった。再び広之に愛されるために。

 彼からもらった合鍵を使って、一年振りに部屋に戻ってきたら、知らない女がベッドに寝転んでスマホを見ていた。

 誰あんた。こんな女に用はない。

 勝手知ったる台所から包丁を手に取った美菜は、女に向けていきおいよく突き出した。

 女が羽毛枕で防いだ。布が裂け、大量の羽が飛び出て舞った。

「何をするの! 大切なものなのに!」

 この枕は広之が美菜のために買ってくれたものだった。

 とても大切な物なのに、防御に使うなんて。無神経な女。

 美菜が腕を振り上げる。

「知らないわよ! あんたなんなのよ! やめて、やめてよ!」

 女の絶叫が耳に障る。うるさいうるさいうるさい。

 あんたも、あの女みたい静かに逝きなさいよ。

「許さない。許さない! 許さない!」

 愛する彼に毎日手料理を作ってあげたこの包丁で、この女をただの肉塊にしてやる。

 頭上に上げた包丁を、勢いよく振り下ろした。

 ぐっと固い感触がして、美菜は力を込めた。

 ずぶずぶと包丁が沈んでいく。

 女の胸の上に柄だけが残った。

 包丁を引き抜く。

 突き立てる。

 引き抜く。

 真っ赤なペンキの入ったバケツをぶちまけているかのように、美菜の周囲が赤に染まる。

 ふわりと舞っていた羽が、真っ赤に染まってすとんと落ちた。

「お前、誰だ!」

 男のするどい声が聞こえて、美菜は包丁を振り上げるのをやめた。振り返る。

「広之くん。おかえりなさい」

 愛する彼が帰ってきた。

 美菜の心が、ほわんと温かくなる。

 一年振りに見る彼は、相変わらずかっこいい。

 嬉しくて、全身が熱くなる。

「広之くん」

 近くに行きたくて、ベッドから降りると、

「ひっ……」

 彼が息を飲み、後ずさった。

「なに……やったんだよ」

「なにって、勝手に上がり込んでいた女を排除しただけよ」

 広之に安心してもらおうと思って、美菜は笑いかけた。

「こっち来んな」

 彼に触れたくて両手を伸ばす。

「うわあああ」

 尻もちをついた彼は、美菜から離れようとするかのように、さがっていく。

「どうして離れようとするの?」

「どうしてって……おまえ、それ血だろう!」

 美菜は伸ばしていた手に目を移した。両手が真っ赤に濡れている。包丁も持ったままだった。

「ええ、そうね」

「勝手に俺ん家に上がり込んでんのは、おまえの方だろう! 千佳に何したんだよ!」

「だから言ったじゃない。排除したんだって。広之くんが危ないと思ったから」

「危ないのはおまえだよ! ってか誰だよ!」

 ああ、そうか。美菜は思い出した。一年振りに会ったから、誰かわからないのだ。美菜は生まれ変わったから。

「わからない? そっか、わからないんだ」

 彼の好みの顔に生まれ変わったのだ。この顔なら広之に愛される。そう思うと、美菜は嬉しくてたまらなくなった。

「お前、頭おかしいだろ。なに、笑ってんだよ」

「だって、誰かわからないほど、変わったっていうことでしょう。あたしは生まれ変わったんだもの。嬉しい」

 自分の正体に気づいたら、広之はきれいになったねと言って喜んでくれると、美菜は信じていた。

「け、警察。呼ぶからな。こっち来んなよ。来んなっつってんだろ! おい!」

 美菜はコートのポケットから写真を取り出し、広之に見せた。

 そこには広之と女が写っている。

 この日、広之はこの女に顔が好みだと囁き、口説こうとしていた。

「か、香里? 嘘だろ。香里は去年殺されて、犯人捕まってないだろ」

「どんな最期だったか、知ってる?」

「え? 首を絞められて、顔の皮膚を剥がされたから、香里だとわかるのに時間がかかったんじゃなかった、か」

 広之がゆっくりと顔を上げる。口をぽかんと開いたまま、美菜の顔を見つめた。

「その顔は……香里の、か?」

「そうよ。あたしは美菜。顔は好みじゃないけど、料理に胃袋を掴まれたって言ってくれたじゃない。だから顔もあなたの好みになろうと思ったの。香里の顔が好きって言ってたから。香里の顔を手に入れて、生まれ変わって帰ってきたの。それなのに、あなたもう別の女に心変わりしたの?」

 美菜は自分の顎に包丁を向けた。

「じゃあ、次はあの女の顔にならなくちゃね。顔を傷つけなくて良かったわ」

 美菜はゆっくり皮膚をひきはがす。

 にちゃにちゃ、びちゃびちゃと音がする。

 広之が顔を歪めた。どうして不快そうなのか美菜にはわからない。

 美菜にとって、これは希望の音だった。

 整形するお金なんてないから、手っ取り早く顔をもらった。この顔を馴染ませるのに一年かかった。大変だったけど、広之に愛してもらえると考えたら、苦労とも思わなかった。

 次は二回目だから、もっとうまく処置できるはず。早く馴染んでくれるといいな。

「広之くん、楽しみしていてね。あなた好みの顔で、美味しいお料理をたくさん作ってあげるね」

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好みの顔 衿乃 光希 @erino-mitsuki

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