立ちはだかる夜
夜を飲み込んだような、形容しがたい闇色の存在感をまとった外套の男。
その影は街灯の明かりを飲み干し、周囲を一段と暗く染め上げる。
昨晩──フタバも、無空の蛇の仲間たちも、手も足も出せぬまま完敗を喫した。真黒な佇まいから発せられる、言葉に置き換えられぬ圧迫感が肌を通して骨まで染み込んでくる。
「嘘っ……出現する場所は一定じゃないってこと……?」
「ユーリ!とにかく逃げないと!」
息を切らしながらフタバは狼狽するユーリの手を掴み、踵を返す。足音を抑える暇もなく、石畳を打つ靴音が路地裏へと吸い込まれていく。
丘の上に術者がいると知った今、そこに辿り着くこと──それが唯一の活路だった。
「冷静に考えればよかった……。私たちも一日を繰り返してるってことは、術者も条件は同じ」
「俺たちに合わせて対策してきたってことか!?」
「……かもしれない。そうなればアックスたちの所にも何かしら手を打っているはずだわ
「そういうことかよっ……!一度合流するか!?」
「いや、一日を繰り返すことに賭けよう。それぞれが目的を果たすことを優先しましょ」
ユーリは冷静に分析して、フタバの手を払い路地裏を進む。薄暗い狭い道を二人は走り抜けていく。
進んで行くうちに丘の上へ通じる細い階段が見えた瞬間、遠くの方で何かが爆ぜるような微かな音がした。
次の瞬間、耳を裂くような轟音とともに、路地の側壁が粉砕された。
「こいつっ!最短で街を壊してきやがった!」
石片が雨のように降り注ぎ、視界が白い粉塵で満たされる。
粉塵の向こうから、ゆらりと歩み出る黒い影──外套の男。
崩れた壁の破片を足で踏み砕きながら、何の感情も映さぬその包帯に覆われた顔はこちらに向いている。
その場を動けないフタバらに外套の男はゆらりと両手を伸ばす
包帯に覆われた指先は骨のように細く、しかし確実に死を感じさせる造形であった。
あともう少しで、二人の喉元に届く──その刹那ユーリがフタバを後ろに突き飛ばす。ゆっくりと視界が倒れ、距離を離される。
「
「おいっ……!待てっ……」
フタバの制止は一拍遅かった。
ユーリから放たれた術式が空気を震わせ、路地の狭間で圧縮された風が一気に膨張する。
耳を裂く轟音とともに衝撃波が壁を粉砕し、視界が天地を理解することが出来ないほどの爆発に似た風圧に吹き飛ばされてしまう。
風に吹かれる綿毛のように街中へと弾き飛ばされる。上下の感覚を失い、背中や腕に石片が叩きつけられる痛みだけが現実を繋ぎ止めた。
息を吸おうとしても、肺に入るのは粉塵混じりの重たい空気だけであった。
「……っ、げほっ……ユーリ!」
声を張り上げても、鼓膜の奥でまだ爆音の残響が鳴り続けていて、自分の声が届いたのかさえ分からない。
その時──白濁した粉塵の向こう、ゆらりと影が立ち上がった。
外套の男だ。
爆風の中心にいたはずなのに、衣の一片すら焦げていない。
外套の男の足元、瓦礫の白い煙が晴れた時ユーリの姿がようやく見えた。
崩れた壁に片腕を押しつけられたまま、立ち上がろうともがいている。
彼女の額からは血がつうっと頬を伝い、息は荒く、足元は崩れた石に埋もれていた。
外套の男は、まるでその場の全ての音を奪うような静けさでユーリに歩み寄る。
瓦礫を踏む音さえ、やけに近く響く。再びその腕がゆらりと伸びていく。
「やめろぉぉ!!」
声帯がはち切れるくらい叫んだ時、ぐらりと視界が揺らいだ。届くはずのないユーリへと差し伸べた手から黒い炎がじわりと滲み出してくる。
それは最初、指先を煤で汚すような淡い揺らぎだったが、次第に渦を巻き、形を持ち始めた。
──熱くない。
むしろ、体温を奪われるような冷たさが腕を伝い、胸の奥へと流れ込んでくる。
黒炎は瞬く間に腕全体を覆い、やがて地を這うように延びて外套の男の足元へと絡みつき、そして姿を覆うくらい燃え上がる。
「な、なんだよこれ……」
自分の腕を覆う黒炎に何一つ理解出来ずにいた。炎に包まれた外套の男の輪郭は、ゆらゆらと歪みながらも倒れない。ゆっくりとした歩みでこちらに向かってくる。
「……これがユーリの……言ってた俺の能力……?」
ぼんやりとした脳内でユーリの言っていた言葉が思い浮かぶ。
“あなたには魔法が効かない、もしくは魔法を解除する力があると私は思う”。
もしこれがそうなら、あの外套の男に効かないのは八方塞がりである。
「この……くそったれ」
徐々に視界の端が暗く霞んでいく。抵抗できないまま外套の男の手が視界を狭めていく。黒炎に包まれながら、どこか遠くで誰かの声がした。
“まったく……見込みのない器よ”
──カァン……カァン……カァン……。
また遠くで鐘の音が聞こえてきた。
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