叛逆の聖女の譚
回復術士、修行する
机の上で開いた聖典を何度も読み返しながら、私は左手の傷口へと手をかざす。
言霊の奔流を操れるように心を落ち着けて、何度も思い描いた文字列から意味を見出して解き放った。
「――癒しの願いを聞き届けよ。私はここにいる。ここで生きている」
言霊は、私の言うことにそっぽを向くように通り過ぎていった。
願いは聞き届けられない。傷口からは血が滴って、遠くの人混みの音だけが耳に聞こえた。
「……ふんがぁぁぁぁ!!!」
苛立ちのままに血を拭き清潔な布を腕に巻いて、全身を放り出すようにベッドへと飛び込んだ。
私の修行はまた失敗。
お師匠さんとのビーチから帰ってきて数日経っても、私はいまだに奇跡を発動することができていなかった。
「もう無理! だるい! やめるぅ!」
「なぁご」
「ポンゴぉ、私に癒しちょうだぁい……」
「フシャアアアアアアアア!!」
「そろそろ懐けよなぁ……」
アリアちゃんの手で復活したポンゴは相も変わらず、私に対して塩対応だ。
結構な時間をこのアトリエで過ごしてきたはずなのに、一貫して私に心を許してくれそうにはなかった。
「そうなんだよね。結構な時間、ここで過ごしたんだ」
机の上には聖典のほかに、私がここに来て書き始めた日記が置いてある。
つい先日、日記を書いたときに、当初のアトリエ手伝いの依頼、その期日がすぐそこにまで迫っていることに気がついた。
冒険者ギルドで受けた民間依頼を終えて、冒険者に戻るべき瞬間が刻一刻と迫っているのだ。
「……はあああ! もっかいやるかぁ!」
私は布を解いて立ち上がると、再度左手の傷に右手を重ねながら奇跡の特訓を行なう。
この依頼が終わったあと、私はまたフリーの冒険者に逆戻りだ。
そうなってもこの先困らないよう、せめて回復魔法は使えるようになっていないといけない。
「うおおおこなくそこなくそこなくそお! 癒しの願いを聞き届けろって言ってんだろぉ!!」
半ギレの私を眺めながらあくびをするポンゴ。
そしてこんなに大声を出すものだから、部屋の扉が開いたかと思うとそこからアリアちゃんが顔を覗かせた。
「……言いたいことはわかるわね?」
「ご近所迷惑になるので以後気をつけます……」
「よろしい」
アリアちゃんは部屋に入ると、机にシチューとパンを置いてくれた。
この組み合わせは……浸パン! 浸パンじゃないか!
「このところずっと奇跡の練習をしてて忙しそうだったから。私はこんな形でしか応援できないのだけれど」
「いやいやマジでありがとうって感じだよ! 結局一貫してアトリエの仕事も成長したとは言い難い有様なのに、こうして養ってくれてるのだいぶ世話になってるし!」
「失敗の数だけ学びはあるものよ。あなたは最近反射的にものを投げることがなくなったし、転んで周りを巻き込むようなこともしなくなった。それを成長と呼ぶのはいけないことかしら?」
いやまぁ、それは成長っちゃ成長かもしれないけど……。マイナス百がマイナス五十になったところで、という話と大差ない。
相変わらず、私の物覚えの悪さには我ながら頭を抱えさせられてしまう。
「なんか楽に回復魔法が使えるようになる道具とか作れたりしないの?」
「そんなものあるわけないじゃない。奇跡は神の御業なんでしょう? 人類にどうこうできる分野じゃないからこそ奇跡と呼ばれてるんだから」
「いやさ、べつに伝説級のアイテムみたいなやつじゃなくていいんだよ。ほら、魔法使いにとっての魔法杖みたいなさ。あくまで発動の補助ができるような道具!」
「そんなもの……いや、どうかしら。ちょっと待っててちょうだい」
「お?」
苦肉の策のつもりが案外的外れでもなかったようで、アリアちゃんはしばらく考えたあとに無言で部屋を出て行ってしまった。
それから浸パンをひたひたして食べきったタイミングで、アリアちゃんはまたこの部屋に戻ってくる。
「理論上はこれで、あなたの言う道具が作れるはず」
「やるぅ! どれどれ見せて見せてー!」
アリアちゃんが手に持っていたメモを覗き込んでレシピを確認する。
どうやら金属加工やら錬金術やらの複雑な工程があり、その上で聖水まで必要になるようだから相当な手間がかかりそうだった。
「ただ、これを作るには材料があまりにも貴重すぎるわ。ミスリリ銀なんて師匠でも一度しか見たことがないなんて言っていたし……」
「聖水はロンブライン教会自治領まで行って高いお金を払って買わないといけない……だぁぁ無理ぃぃぃ!」
結局、そう簡単な方法はないということなんだろう。
たとえどれだけ意味がないように思えても、その苦しみに意味を持たせるまで祈りを捧げるだけだ。
「……待って」
突如として顔色を変えたアリアちゃんが私を制止する。
べつになにをしようともしてなかったんだけど……アリアちゃんの様子を見るに、そうやら冗談を言っているつもりはなさそうだった。
「どうかしたの?」
「番犬……ダボドンからの警戒信号を受信したわ。だれかがこの店に近づいてる」
「お客さんかな」
「このアトリエを構えて数年は経つけれど、わざわざ魔女を拝みにくるような連中はいなかったわ」
「あー……私が出ようか?」
「ダボドンに追い返させてもいいけれど」
「いらない被害は出さないほうがいいでしょ。アリアちゃんは奥で待ってなよ」
彼女は自身の姿にコンプレックスがあり、それが人との関わりを避けている理由でもある。
魔女の似姿によって故郷の人々から迫害され、それによる人間不信が彼女を孤独たらしめていた一因でもあるのだ。
だからここは、いまやアトリエの窓口を任されている私が出るべきだ。
「……わかったわ。ありがとう」
アリアちゃんはにっこり笑ってアトリエへと戻って行った。
さぁて。せめてアリアちゃんが苦手なこっちの仕事は、私がうまいことやってあげなくちゃだからね!
私は部屋を出ると玄関口へと向かい、来るであろう来訪客を待った。
それが招かれざる相手だったとしても……今度こそは私も、選択を間違えずに追い払ってあげよう。
決意を固めたのと同時に、扉をノックする音が聞こえた。
そして、そのあとに続く声も。
「……へ?」
その声はほかでもない、私がよく知っている声だった。
小さいころからの幼馴染で、しばらく前に今生の別れを果たした相手。
私はその扉を開けて、その人物に問いただした。
「もう帰ってきたの!?」
「へへへ……」
そこにいたのは冒険者パーティー「鉄氷柱」のリーダー、カルマ。
そしてそのカルマが率いるパーティーメンバーたちだった。
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