第八話 亡霊
第一章 - 繋ぎ役 -
星の綺麗な夜だった。
雲ひとつない。天上には、僅かに欠けた月が輝いている。
はるか昔には、もうひとつ月があったなんて伝説があるらしいと、姉のリディが話していた。
前を見る。暗闇の先に幾つかの家屋。廃屋だったそれらも修繕は済んでいる。その先、村と森との境界あたりに、火の明かりが見える。
守り番のいる場所だ。
「ほら、しっかりしなさいよ」
横で歩くリディが肘でついてくる。暗くて見えないが、きっとにやついているに違いない。自分だって発破を掛けられているくせに。
サイは、兄の言葉を思い出し、溜息をついた。
「あのふたりを、何とか村に留めることは出来ないか」
兄のスリンに姉のリディ、そしてサイの三人での朝食時。スリンが唐突にそんなことを言い出した。
「あのふたりって、タイカさんとシュトのこと?」
「そうだ」
スリンがうなづく。
スリンは、皆のまとめ役だ。故郷の村が襲われ、両親や年配の村人たちが盾となって若い者たちを森へと逃がした。その逃亡行の指導役となったのがスリンだ。
だがスリンとて森に詳しい訳ではない。食料も尽き絶望しかけていたところに出会ったのがタイカたちだった。
タイカは大森林と呼ばれるこの広大な森に精通した旅びとであり、同伴していた少女、シュトも同様だった。
事情を聞いたふたりは、以前訪れたという廃村へ案内してくれ、復興の手助けまでしてくれた。
農耕や森で生きる知恵に長けた彼らは、しかし旅人たちなのだ。
特にタイカは《物語り》という、大森林の村々を巡り知識と知恵を伝導する役割を担っている。
安定しつつある村を見て、そろそろ退去したいとスリンは打診を受けていた。
スリンたちの村は中原、大森林の住人が南方諸王国と呼ぶ肥沃な場所にあった。大森林の中では何もかも勝手が違う。スリンはタイカたちに何時までも居て欲しい。何だったら村の指導者になって欲しいとまで、妹弟たちには漏らしていた。
「リディ。お前はタイカさんともシュトとも仲がいいじゃないか」
「そりゃ、仲間内でシュトとまとも話せるのが私たちくらいだし」
「タイカさんとも親密みたいじゃないか。ならいっそ」
「兄さん」
リディが呆れたような声を出す。
「私たち、そういう関係じゃないよ」
リディとタイカがふたりだけで話している場面を、サイも目にしていた。その時のリディの、目を輝かせている表情も。しかし内容が「水は何故、氷のような固体や、水蒸気のような気体に変わるのか」とか「蜂の巣の六角形構造がいかに強靭か」などでは、スリンが期待するような色恋沙汰にならない気がする。
「サイ。お前はどうなんだ。お前、いつもシュトを目で追っているじゃないか」
そんな姿を見ていたのか、自分の兄は。
「そんなんじゃない。大体、相手は火の《
頬の熱さを自覚しながら、それでもサイは反論した。
《
精霊を伴侶とし、その加護を受けた者。南方諸王国における火の《
言葉は少ないし、表情に乏しい。だが姉のリディは関係なく話しかけ、シュトも普通に会話している。
質問にだって丁寧に答えてくれる。
腰の
それに赤い、火のように鮮やかな髪と同じ色の、不思議な陰影のある瞳。あんなに綺麗な女の子が、そんな恐ろしい、化け物のような存在である訳が──。
「おい、サイ。聞いてるのか?」
「聞いてるよ」
「お前だって、顔は悪くない。火の《
「兄さん」
リディが、助け船を出してくれた。
「そういうことは強制するものじゃないよ。まあ、多少は仲良くした方がいいだろうけど。実際問題、今は私だけがシュトと皆の繋ぎ役みたいになっているし」
火の《
大森林固有の農業の知識はシュトから伝授されることが多く、リディが仲介役になっている。ほとんどふたりでひと組の扱いだ。それではリディが居ない時に困るだろう。
「少しはつきあってよ、サイ」
リディが微笑んだ。その中に、僅かばかりの切なさが含まれているように、サイは感じた。
サイとて気付いているのだ。タイカと話している時、リディは知識に目を輝かせていたばかりではない。その頬が赤くなっていたことを。
だけど、無理なのだ。どうあっても。何故なら──。
首を振り、思考も振り払う。
「分かったよ。姉さん」
溜息混じりに、サイは返事をした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます