立成を救う、一つの方法。

「雪の日に出会ったから、ゆきみ雪見ちゃんか。いい名前だ」


 小屋の中は棚や木箱がいくつも置かれ、真ん中には火鉢がある。寝具の類がなく、術師はここに住んでいるわけではないのかもしれない。

 ゆきみと術師は、火鉢を挟むようにして座っていた。


「それで、君がここに来た目的は?」

「あなたは、死者を呼び戻せるんでしょう? 立成たちなりが、私の飼い主が、化け物のせいで大怪我をして死にそうなの。お医者様はもう助けられないと言ったけど、死者を助けられるあなたなら、立成も救えるのではないかと思って」

「なるほど、ね。それで、君は寒い中ここまで走ってきたと」

「そうよ!」

「それほどに、ご主人様が大事なんだね」

「当たり前でしょ!」

「うんうん。よくわかった」


 術師は微笑んで立ち上がると、棚の一つに手をかけた。部屋の中はいろんな匂いが混ざり合っているが、いったい棚にはどんな物が入っているのだろう。


「化け物に殺されかけているということは、立成は寿命ではない、ということだ」


 術師は話しながら、何かを取り出した。その手が木箱の方にも向かう。


「病や老衰のような生まれつき定められた寿命でなく、誰かの手による死が原因なら、立成の魂をこの世に戻せる」

「立成はまだ死んでないわ。立成の魂、というものもこの世にいるんじゃないの?」

「いや、もう、立成の魂は自分の体を離れている。死にかけた魂は体から離れ、現世と冥土の境にある川に向かう。そこにかかる橋を魂が渡りきって、大門をくぐり、冥土に着いた時、生き物はこの世で死ぬんだ」

「なんだか難しいわ……」

「ははっ。大丈夫、俺がよくわかっているから。あの世のことなら俺の得意分野さ、任せて」


 術師は改めて、ゆきみに体を向けた。

 彼が見せたのは白い陶器でできた瓶だ。栓がされていて、瓶には何か書かれているがゆきみは字が読めない。


「これは、冥行酒めいこうしゅ。これを飲んで酔った者は、寿命に関係なく死んでしまう恐ろしい酒。しかし」


 術師は平らな皿を取り出すと床に置いた。


「ほろ酔いの境地ならば、死なずに済む。ほろ酔いなら、現世と冥土の境界に魂が遊びに行くだけだ。この世に帰ってこれる」

「つまり?」

「この酒を飲んで、二つの世の境界に行くんだ。そして、立成の魂が冥土に続く橋を渡りきるのを止めればいい。そうすれば、立成は死なない」

「そんなことできるの?」

「君次第だね」


 いつの間にか、術師の顔から笑みが消えている。声も真剣そのものだ。

 なんだか落ち着かなくて、ゆきみは前足をしきりにめた。


「境界に来た魂は、鬼が駕籠かごに入れて、橋を渡って冥土に運ぶ。君は、その鬼を止めなくてはいけない」

「鬼って何、怖いの? 戦わないといけないの?」

「鬼は冥土の守り手のようなもの。怖くはない。話もできるから、戦う必要もない。ただし、普通に頼むだけでは鬼は止められない。彼らも仕事で魂を運んでいるから」


 彼は酒瓶に触れると、声を和らげた。


「でも、大丈夫だと思う。君は立成のために、ここまでたった一人で来た。その想いをそのまま鬼に見せればきっと通じる」

「本当?」


 それならできると思い、ゆきみは尻尾を立てたが、術師の顔は真剣なままだ。まだ何かあるらしい。


「だから、君に覚悟してもらわないといけないことは一つだけ。本来は、死にかけた魂だけが境界に行けるんだ。君のように元気な魂が境界に行くと、魂に悪影響がある。簡単に言えば、反動で君の寿命は半分減る」


 ゆきみは、立てていたしっぽをすとんと落とした。自分の生きられる時間が短くなる、ということだ。


「ちなみに俺の見立てだと、君はあと四年くらい生きられる。でも、君が境界に行くのなら、どうなるのか。わかるね?」

「あと二年しか生きられない」

「そうだ。話はこれで終わり。さあ、どうする?」


 彼は答えを待つように話を切ったが、ゆきみの答えはすぐに決まった。ぐっと伸びをすると答える。


「立成のためだもの、私は行くわ!」

「うん、いい返事だ。では」


 術師は酒瓶の栓を開けた。途端に、枯れ草に似た妙な匂いが漂い始める。

 酒瓶を傾けて皿に数滴垂らすと、中身は赤色だった。猫の目は赤色が判別できないから、ゆきみにはよくわからない濁った色に見える。


「なんだか変な色ね」

「死体に生える変わった赤い薔薇ばらがあるんだけど、それが材料の一つだから、薔薇色の酒なんだ。材料は他に、枯れた枝葉とか、百舌のはやに」

「ににゃっ!?」


 ゆきみは思わず叫んで後ずさりをした。


「うん、これ以上は言わないでおこう。大丈夫、味見したけど、不味くないし腹は壊さないから。さて。猫がほろ酔いする量ってこんなものかな」


 そうして差し出された、皿の中の液体をゆきみは黙って眺めた。三舐めくらいの量とはいえ、飲んでも本当に大丈夫なのか。

 術師は「最後に」と言うと、たもとに手を入れて何かを取り出す。

 それは、鳥の片羽をかたどった小さな彫刻に、紐を通して作った首飾りだった。人の親指ほどの羽は、木彫りに見えるが、もしかするとこれも気持ち悪い材料でできているのかもしれない。

 彼は、羽の首飾りを冥行酒入りの瓶に突っ込み、取り出してから布巾で水気を吸い取った。あろうことか、その首飾りをゆきみに付けようとしてくる。


「これはお守りだよ。この首飾りは一緒に境界に行って、君のことを導いてくれる」


 ゆきみは首飾りをしばらく睨んでから、仕方なく首に付けるのを許した。首に付けてもらってから息を吸うと、意を決して冥行酒を舐めた。

 それはもう、なんとも言えない味だった。言われた通り不味くはないが美味しくもない。魚にも似ているけれど、草の味にも似ている。妙な味だ。

 ゆきみが舐めているうちに、なんだか頭がふわふわしてくる。これがほろ酔いなんだろうか。楽しいような心地もする。

 術師はゆきみを抱えると、膝の上に載せてくれた。


「必ず迎えに行く。それまで、諦めずに頑張るんだよ」

「うん……」

「良い旅を」


 そこで、彼の声が途切れたのか、自分の意識が途切れたのか、ゆきみにはわからなかった。

 ただ、眠りに落ちていくのに似た感覚がゆきみの体を覆った。

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